ケイコ 目を澄ませてのレビュー・感想・評価
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人間としての器量
冒頭の説明的なテロップの効果もあり、フィクションでありながらまるでドキュメンタリー映画を観ているような感覚を抱いた。
これが演出的にとても成功しているのだろう。
特にミット打ちのシーンは、演技ではなく本気で向かい合っているのが画面を通して伝わってくる。
そのリアルな臨場感がこの映画の持ち味だろう。
主人公は耳の聞こえない小柄な女性ケイコ。
王道なストーリーであれば、耳が聞こえないというハンデを克服し、ケイコがプロボクサーとして成長していくまでの過程を描くのだろうが、この映画では既にケイコはプロボクサーのライセンスを取得している。
そしてプロボクサーとしてリングに上がり、順調に勝ち星を重ねている。
リアルな空気感をまとったボクシング映画でありながら、ケイコがボクサーとして成長していくことに焦点は置いていない。
そもそもケイコがボクサーを目指した動機も謎のままだ。
この映画では語られない部分がとても多い。
ではこの映画の主題は何なのだろうと考えさせられた。
障害を持つ人間に焦点を当てているが、社会の生きづらさをテーマにしているわけではない。
印象的なのは、会長がインタビューでケイコにはボクサーとしての才能はないが、人間としての器量があると答えるシーンだ。
この台詞がこの映画ではとても重要なのではないかと思った。
ケイコは連続して勝ち星を重ねるが、突如ボクシングへの熱を失ってしまったように感じる。
それは会長がジムを閉めることを決意したことと無関係ではないだろう。
彼女がボクサーを目指したのは、そしてモチベーションを保っていられたのは、おそらく会長の存在が大きかったのだと思う。
認められたいという欲求とも違う気がするが、とにかく彼女は会長がいない世界でボクシングを続けることに意義を見出だせなくなったのかもしれない。
ボクシングとしての才能はないのかもしれないか、彼女はひたむきになれる強さがある。
そして無愛想だが実はとても親切で心優しい。
彼女が掛け持ちしているホテルの清掃の仕事で、新人にシーツの畳み方を教える時の柔らかな表情が印象的だった。
ケイコはボクシングを休みたいと伝えるために会長の元を訪れる。
しかしそこで会長が熱心に自分の試合の録画を見ながら、トレーニングメニューを組んでいる姿を見て驚く。
ケイコと会長が二人でシャドーボクシングをするシーンは印象的だ。
言葉を介さなくても、二人は心で繋がっていることが分かる。
そんな折り、会長は病に倒れてしまうが、再び彼女はボクサーとして戦う気力を取り戻していく。
ひたすらロードワークとミット打ちを繰り返す日々。
派手な試合のシーンよりも、そうした単調な基礎の練習の積み重ねを描くことの方が、この作品にとっては重要だったのだろう。
確実にミット打ちが上手くなっているケイコの姿に感動を覚えたのも確かだ。
努力を積み重ねても、必ずしも結果が伴うわけではない。
それは障害の有無とは関係がない。
悔しい思いをしても、地道に努力を積み重ねるしかない。
そしてひた向きに生きていれば、理解を示してくれる人は絶対に現れる。
ケイコの人物造形といい、かなりリアリティーのある作品ではあったが、どこにこの作品の肝があるのか、最後までいまいち理解出来ないままだった。
理屈抜きに好きになれるかどうかがはっきり分かれる作品だとも思った。
この時代ならではの展開にグッときた
ケイコにとって最後のボクシング大会になるかも知れない重要な試合が、まさかの無観客ネット配信試合になってしまった所で涙腺崩壊しました。
あの時代、大事な人の試合を直接見守る事も出来ず途切れがちな配信映像を、必死で食い入るように見る事しか出来なかった体験がある人にはグッと来るシーンだと思います。
独特な
生まれつき難聴にある主人公がボクシングを通して、語る人間の強さを描いた作品でした。
主人公を演じるのは、岸井ゆきのさんです。全編通して、セリフは、ほぼ無いです。それでもボクシングの動きや表情でどんな気持ちを写しているのか分かるくらいすごい演技でした。
実話を基にして作られた作品です。実際に耳が聞こえない中でボクシングの試合に臨むのは、とても怖い事だと思います。
誰の声も聞こえず、ただ1人相手と向き合い続ける。
怖さの中にある勇気が本当の強さに変わるのかなと感じました。
この映画の紹介文が全て。
コロナ禍で他人と距離をとりマスクをしている様は難聴の主人公にとってはさらに音を奪われた気持ちだろう。そんな彼女はマスクで読唇はできず、残されたコミュニケーションの手段である手話するその手にグローブをはめて人を殴り飛ばす。
それでも会長やトレーナーや彼女の家族をはじめとするケイコの周囲のいく人かの人間はそんな彼女と丁寧に接することをやめない。
ケイコは実はただ障がいのある人ということではなく、コロナ禍にあった私たちの象徴、もともとコミュニケーションに難のある現代人がコロナによりさらにその機会や能力を奪われた人たちだ。ケイコのボクシングは醸成されつつあったギスギスした人間関係がコロナでさらに悪化したことを表しているようだ。
しかし物語の最後、そんな現代人ケイコの前に現れたのは1人の作業服の女性。先日の試合の対戦相手だ。
これはケイコの殴っていたそのグローブの先の人間にも一つの"生"があることを気づかせた。
以降、ケイコにとってボクシングの意味は確実に変わったであろうということがわかる堤防の上の彼女の影、すれ違う人の影。エンドロール背景には時や人の営みを現すシーンが映し出されている。
……そんな解説を入れたくなる作品(笑
ついでに、、、
・カタカナでケイコとしたのは現代人を現すコードネームのようにしたかったのかも。
・岸井ゆきのの演技はまるでケイコという人物がそのままそこにいるような感じ。彼女の演技は☆5つあげたい。
・が、あまりに淡々と描きすぎているので離脱やつまらない等の感想を持つ方がいたらもったいない。
今回誰のレビューも見ずに作品を観て、レビューを書いたけれど、似たような作品印象が多いといいなと思ってる。
感想と考えたこと
はじめ生活音がよく聞こえると思った。
ジムの練習の音がクリアに聞こえて、心地良いリズムを刻んでる。
そこに字幕が入って主人公には聞こえてないのがわかる。
ボクサーの練習は自分を追い詰めて孤独な闘いってイメージがあるけど、音がないのを想像すると余計に孤独を感じそうだと勝手に考えて、でも最初から知らなければそんなこと考えないよな、と思い直したり…。
騒がしいくらいの練習音の中、トレーナーの動きに目を凝らして黙々と練習する主人公。
私は、自分の引き出しのすぐ手の届くところにある言い方で「目を凝らす」って使うけど、タイトルにある「目を澄まして」がほんとにしっくりくる。
言葉ではなく動きだけなので観客も目を澄ます。
心地良いリズムのミット打ち。
カメラが他を向いてて、映ってなくても音が聞こえる。聞いてるだけで練習を感じられた。
しゃべらないので彼女のキャラクターがわからないが、大変そうながら楽しんでいて、よかった。
暗いシーンがある。
生活音とかほんと音がよく聞こえて、asmrのように私は音を楽しんでた。
聞いてると音で何してるかわかるから。
観客はとことん音で感じる。音の情報量が多いのを感じた。
普段の生活で耳からの情報はとても多くて、でも自覚できてなかった。
目を澄まして映画を見てたら、画面に映ってる所と映ってないけど音だけでわかるたくさんのことがあり、耳を澄ます映画。
でも、周りの人の表情や態度とか彼女の感情がわかるのは映像からだから、やっぱ目で見るのも大事。
会長は目が悪くてほぼ見えてない。
音に集中してみるとこは会長と同じ感じ方になって、同じように耳を澄ましてた。
コンビニや警察のシーンをみて、ままならないコミュニケーション、先にコミュニケーションを諦めたのは健常者か彼女か、と考えた。
他のジムに通ってた頃は干されてたようだし、新しいジム探しでも苦労する。
悩みとか、内省だけで消化するのは苦しくて大変で話せばいいのにって思うけど、彼女に限らず話さない人は多い。
私自身も話すの難しい。でも人には話した方がいいとアドバイスしたくなる。
私は臆病からで、でも彼女は違って、解決しないしと言っていた。我慢して諦めてるように感じた。
弟が言う、自分の中で抱えられる「強さ」はそうなってるだけで、ほんとは話すことができない、だったのかな。
彼女の気持ちは周りの人に伝わってなくて気づいてもらえなくて、もどかしくなった。
終盤の練習ノートで、真顔の彼女が日頃思ってたことがわかって良い。全然伝わってないよ。
最後の方笑顔が増えてきて、コミュニケーション取っててうれしくなった。
相手がいるから試合ができる。
ボクシングには練習の相手がいる。
抱えてる気持ちを発散できる。
発散する以上に意味があって、言葉で言えなくても、ボクシングはコミュニケーションの場だったのかな。
会長とのトレーニングは楽しそうだった。
負けるな!
キネマ旬報ベストテン第1位他、各映画賞で絶賛。
主演の岸井ゆきのが同賞や日本アカデミー賞などで多くの主演女優賞を受賞。
2022年の邦画最高傑作と言われた本作。やっと鑑賞。
題材は、ボクシング。
古今東西、ボクシング映画には傑作多い。その理由は以前『春に散る』のレビューで触れたので省略。
邦画も例外ではなく、本作と同じく女性ボクサー主人公の安藤サクラ主演の『百円の恋』もある。
となると、本作もあの“名試合”に匹敵するものを自ずと期待。
これについては賛否分かれる筈だ。何故なら『百円の恋』のような、白熱とエキサイティングとハングリー精神タイプではないからだ。
ボクシングが題材だが、ただそれだけには非ず。まるでジャブ打ちのようにじわじわと余韻が効いてくるタイプだ。
まずは何と言っても、岸井ゆきの!
ファーストシーンから彼女に惹き付けられる。
その眼差し、表情、佇まい、内に込めた感情の一つ一つ。
それらがただ演じているのではなく、あたかも“リアル”にそこに存在しているかのよう。
『愛がなんだ』で存在を知ってから気になり続け、その演技力や魅力は紛れもなく確かなものだった。『愛がなんだ』も捨てがたいが、間違いなく現キャリアベストパフォーマンス!
言葉を発しない役柄なのも彼女の巧さを引き立たせている。
彼女が演じた役柄というのが…
生まれつき耳が聞こえないケイコ。
実在の聴覚障害の元ボクサーがモデル。(モデルであって、彼女の半生を描いた作品ではないらしい)
ひたすらボクシングに打ち込むケイコ。
ボクシングを始めたきっかけなどは描かれない。聴覚障害故、子供の頃いじめられていたとか一時期グレていたとか触れられ、理由はそんな所からだろうと推測。
自身の置かれた逆境への抗い。
ボクシング映画の主人公の定番のようであるが、熱血タイプとは違う。
会長宛にジムを休む手紙を書く。それを出せずにいる。
勿論ボクシングには魅了されているが、何かを抱えて打ち込んでいる。即ち、
自分は何故、ボクシングをするのか…?
聴覚障害で言葉を上手く話せないので、コミュニケーション下手。
が、決して人嫌いではなく、会長やジムの皆、家族、親しい友人とは自然に接する。ホテルの客室清掃員の仕事をしていて、人間関係は良好。先輩として後輩の面倒も。
ひと度そのフィールドの外に出れば…、聴覚障害者の生きづらさ。
音が聞こえるって我々には当たり前のような事だが、それが如何に生活に浸透しているか。
携帯のコール音にも気付かない。光で知らせるとは言え、玄関のチャイムにも気付かない。水が溢れた音にも気付かない。苦労を察するなんて、他人事みたいに軽々しく言えない。当人にとっては一生の障害。
それはボクシングに於いても。“致命的”と会長は言う。セコンドのアドバイスやレフェリーの声も聞こえない。まるで無音の中で、何を頼りにしていいか分からぬまま、孤独に闘っているかのよう。
警官に呼び止められた時も、今の自分の状況を伝えられない。
時に罵声を浴びせられても分からない。通行人とぶつかり、“失礼”と言ってるのかと思いきや、実際は“気を付けろ!バカ野郎!”。
相手が何を言ってるか分からないから、こちらも内に込めてしまう。
いやそもそも、耳が聞こえないからと言って周りが私を拒むからだ。
そこに追い討ちをかけるように、コロナ。
聴覚障害者は相手の口の動きを見て、何と言っているか推測する。が、コロナでマスク生活となり、それが出来ない。
密も避ける。人とのコミュニケーションがますます失われ…。
モデルになった方はコロナ前に活躍されていたようだが、コロナ禍に於ける聴覚障害者たちの実体現も反映されているのかな…? これは気付かなかった。
コロナ禍の閉塞感。
言葉で気持ちを伝えられないもどかしさ。
生きづらさ。息苦しさ。
悩んで、悩んで、悩んで、それでも答えが見出だせない。
そんな時…
日本でも最古のこのジム。会長に病魔が忍び寄り、ジムを閉める決意をする。
それを知ってケイコは…
内心動揺を隠せない。
ボクシングを続けるか否か悩んでいたのだから、踏ん切り付ける絶好の機会の筈。
しかし、どうにもならない現実を突き付けられると、人というものは必死にもがく。
そして、気付く。それが自分にとってどれほど大事で、尊く、好きだったか。
それは話せないケイコが自分の気持ちを書き記している日記にも表れている。
ジムを閉める事が信じられない。許せない。
それを聞いて会長は…。
ケイコがボクシングを続けていたのは、自分を受け入れてくれた会長やジムの皆、このジムそのものが好きだったからでもあるだろう。
ジムを閉めるからと言って、ボクシングもそこで終わりという事はない。別のジムに移籍して続けられる。実際、ケイコは有望なボクサーで、会長らの尽力あって別のジムから受け入れのオファーもあったが…。
ケイコはしょーもない理由で渋る。
煮え切らない態度に苛々してくるかもしれない。ボクシングを続けたいのか否か、自分は今何をしたいのか、何と闘うのか、何を目指すのか。
ボクシングのみならず何かを続けるには人に言われるのではなく、自分なりの沸点となる理由があって。
闇雲に模索していた時、ようやくケイコにも一筋の光を見出だす。
もう一度、試合に挑む。
そう決めた時から、ケイコの心情に変化が。
闘病の合間に会長と練習。トレーナーとスパーリング。
生き生きとした表情を見せ始める。
仕事の同僚や弟とその恋人とも。
笑顔を見せ始める。
例え言葉で伝えられなくとも、大切な気持ちがあって、人はまた闘える。走り出せる。
そして迎えた試合の日ーーー。
ここで驚いたのは、本作がよくある劇的なボクシング映画ではなかった事だ。
一度主人公が悩み、どん底に落ち、そこから再起。クライマックスの試合でドラマチックに勝利する…。
が、本作では奮闘虚しく、負ける。しかも、TKO。
勿論試合シーンの迫力はあるが、カタルシスや勝利の栄光の欠片もない。それが見たかった人にはこれまた期待外れだろう。
映画だからと言って何でもかんでもご都合主義や予定調和になるとは限らない。
時には打ちのめされる。そう都合通りにはいかない。
夢もなく、厳しい現実のこの世界…。
そこでまた落ち、立ち止まるのか。
監督・三宅唱が描きたかったのは、そこだと感じた。
実際、ラストシーンでケイコは…。
三宅唱の演出は省略の美学だ。
説明描写はほとんどナシ。見る者に考えを委ねる。
これは私の解釈だが、例えばラストシーン。会長はもう亡くなったのではないか。ジムを閉鎖しての記念写真。あの場に会長が居ないのはやはり変だし、入院中だったら奥さんは付きっきりの筈だ。
ケイコも会長から貰った赤い帽子を被って走り出す。
それらの点からそう感じた。
16ミリフィルムで撮影されたドキュメンタリーのような臨場感ある映像。それから、音。スパーリングの音、縄跳びの音、ペンで書く音、周囲の自然音も印象的。
映画で聴覚障害者を描く時、手話と同時に字幕が表示されたり、何かに書くとか通訳が配置される。本作もそれらで表現しつつ、ユニークだったのは、サイレント映画のような黒画面に字幕表示。
岸井ゆきのの熱演が話題だが、周りも好演。
会長役の三浦友和。ボクシング映画の会長って、暑苦しいガテン系が多いが、穏やかな人柄。自身の病気に直面しながらも、悩むケイコに寄り添うように。
会長の奥さんの温かさ、トレーナー二人も厳しくも力になってくれる。
殴られるのが怖い。だから試合の時、後ろに下がってしまう。
それは人間関係でも。言葉や気持ちを伝えられないから、こちらから引いてしまう。
ラストシーン。ケイコが土手で会った思わぬ相手。その言葉に、涙と感情が込み上げてくる。
怖れず、一歩踏み出せば、自分も相手も同じリングに立つ。
皆、同じなのだ。
この息苦しい世界。生きづらい人生。
それらに負けるな。
不条理に負けるな。
自分自身に負けるな。
あの春、いちばん静かなリング。 確かにこれ、目を澄ませてないと眠っちゃう…💤
聴覚に障害を持つ女子プロボクサー・小河恵子の心情の機微を描き出すヒューマン・ドラマ。
監督/脚本は『きみの鳥はうたえる』やドラマ『呪怨:呪いの家』の三宅唱。
主人公、小河恵子を演じるのは『悪の教典』『愛がなんだ』の岸井ゆきの。
実在する元プロボクサー、小笠原恵子の自伝が原案。この自伝は未読であります。
本作の白眉はなんと言っても、主人公・ケイコを演じた岸井ゆきのさん!!
ドキュメンタリーかと見紛うほどの真に迫った演技は本当に見事。
本作出演にあたり7〜8キロほど増量しボクサーらしい体型を作り上げたらしいが、彼女を捉えたファーストショット、そのカメラが映す広背筋の美しさには息を呑みましたっ!💪✨
この映画を観るまで岸井ゆきのという女優のことを知らなかったので、インタビュー映像などを見てそのギャップにビックリ。普段はあんなに小柄で柔らかい雰囲気の人なんですね。全然ケイコとは違う。やっぱり女優ってすごい!
この映画、掴みが非常に良い。
見事な広背筋を披露した後、ミット打ちに挑むケイコ。
トレーナーのかざすミットに吸い寄せられるかのように、ケイコは標的に向かって正確にパンチを繰り出してゆく。
静寂に包まれるジムに鳴り響くパンパンパンパンパンパンパンパン…という破裂するかのような衝撃音。彼女は脇目もふらずただ黙々とその作業を繰り返す。
この数分にも満たぬ僅かな時間内に、本作がどういう映画で何を描こうとしているのかが端的に表れている。
この瞬間に流れる詩的な感覚。このセンスの良さというのは全映画に見習ってもらいたいほどであります✨
本作で描かれているのはコロナ禍真っ只中の東京。都市開発により目まぐるしく変わる街並みとコロナ禍という一時的な混乱。それがパッケージされた、この時代にしか作れない映画になっている。
マスクによって隠れた口元。口の動きから他者の言葉を読み取らなくてはならないケイコにとって、このマスクはコミュニケーションの大きな障害となる。
コロナ禍という想定外の災厄が、ケイコの苦悩や葛藤を表すアイテムとしてのマスクを齎し、結果としてこの映画のテーマを深めているということは怪我の功名といえるのかも知れない。
詩情に溢れた映画であるし、黙して語らず、伝えたいことは観客が勝手に読み取れというストロングな姿勢には大いに共感する。
…が、いかんせんつまらない🌀
99分というタイトなランタイムでありながら、とにかく長く長く感じてしまった。
観客も目を澄ませていないと、たちまち眠気に襲われてしまうことだろう…😪💤
松山ケンイチ主演のボクシング映画『BLUE/ブルー』(2021)を鑑賞した時にも思ったが、邦画のボクシング映画はボクサーの人生に重きを置き過ぎていて、肝心のボクシング要素に面白みが感じられない。
メンターが病に倒れる、聴覚障害者が登場するなど、ライアン・クーグラー監督作品『クリード チャンプを継ぐ男』(2015)と要素だけを取り出してみると割と似ているのだけれど、映画の味は正反対。
クリードが一種漫画的なボクシングの面白さを提供してくれたのに対して、本作ではまぁとにかく真面目というか辛気臭いというか、ボクシングのジメーっとした部分ばかりがフィーチャーされており、そんなんどうでもいいから「はじめの一歩」ばりにおもろいボクシングを見せてくれよ、なんて思ったりしちゃいました。
まぁこれ『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)みたいなもんで、ボクサー映画であってボクシング映画ではない!ってことなんだろうけどさ。
やっぱりある程度の娯楽性は必要だと思う。どれだけ詩的で美しかろうと、つまんないもんはつまんない。
聾唖者の若者を描いた映画といえば、やはり北野武監督の『あの夏、いちばん静かな海。』(1991)こそ至高。
自分はこの映画が好きで好きで…。多分邦画の中では一番好きな作品だと思う。高校生くらいの時に鑑賞したんだけど、とにかく一から十まで美しすぎて、あまりの衝撃で頭のネジがぶっ飛んだことを覚えている。
また、ボクサーを扱った映画といえば同じく北野武監督作品の『キッズ・リターン』(1996)がパッと思い浮かぶ。この映画も好きで、特にあのラストシーンは映画史上最高の幕引きの一つと言って過言ではないでしょう。
本作はこの二つを足して二で割ったような映画。…なんだけど、なんで全く面白く感じなかったんだろう?久石譲が居なかったからかな?
とにかく、本作は完全にNot For Meな映画でした。寝落ちせずに完走した自分を褒めてやりたい。
なんだかんだ言っても、やっぱり映画は娯楽じゃなきゃ。
※最後にひとつ。昨今の映画界の流れとして、聴覚障害者は実際の聴覚障害者が演じるのが良しとされている感じがある。オスカー作品の『コーダ あいのうた』(2021)や『エターナルズ』(2021)なんかはまさにそうでしたよね。
これに関してまぁそうだよね、と言いたい部分もある。聴覚障害を持つ役者の仕事を健常者の役者が奪っている、という見方も出来ますから。
しかし、だからと言って健常者が障害を持つ人を演じてはならない、ということになってくるとそれはそれで芸術的自由が損なわれていることになりやしないだろうか?
もちろん、監修や指導者など、映画の裏方には聴覚障害の当事者を配するべきだと思う。ただ、だからと言って表側の役者にまでそれを求めるというのはお門違い。全てはその役をどれだけパーフェクトに演じることが出来るのか、という演技力の問題であり、そこに障害の当事者かどうかというのは関係無いんじゃねぇかな?実際、本作で岸井ゆきのさんは完璧な演技を披露していたしね。
とはいえ本作の制作にあたり一点気になることが。
映画のモデルとなった小笠原恵子さんがこの映画を初めて観たのは初号試写。インタビューによると、その初号試写には字幕がついていなかったらしい。
…いやいや、小笠原さんが観ることは事前にわかってるんだから字幕くらいはつけておこうよ💦そういうとこやぞ!…まぁ詳しい事情はわからないからあんまり強くも言えないんだけどさ。
「字幕がないから邦画は観ないけど、本作で初めて邦画を観て感動した」という小笠原さんの発言もあったが、この「字幕がないから邦画は観ない」という発言について、邦画界はこれからもっと考えていかなければならないのでしょうね。
等身大で哲学を語らず、原作者の語る『負けないで』の理由を語っている...
等身大で哲学を語らず、原作者の語る『負けないで』の理由を語っている。
『シャドーイング』の重要な事と、ボクシングの『ステップ』ってある意味ダンスに似ているんだなぁって思った。
変態と思わないで貰いたいが、最初の着替える墓面で、彼女がブラジャーを取らなかった。その点だけが、気になった。
制作者の言いたい事は充分に分かる。難聴者にとってマスクが厳しい事も理解できる。それは山々なのだが、手話の国際化にそれぞれ踏み込んでもらえないものだろうか。つまり、手話を世界共通にして、それを人類の共通言語とすれば、かなりの数の人達のコミュニケーションに役立つと思う。しかし、視覚障害者が蚊帳の外になるか。
最後のシーンから見る映画における障害者表象
本編1時間26分からは最後の試合が描かれる。ケイコが通っていたボクシングジムの閉鎖が決まった後の試合であり、物語のクライマックスともいえるシーンである。このシーンでは、ボクシングを通してケイコの障害との向き合いを最後の試合を通して描きたいではないだろうかと考えた。無観客での試合であり、家族はオンライン配信を通して試合を視聴する。そこではケイコのボクシングに関与することができず、何もできない。母親は自分の娘が殴られるところを見たくなく、配信から一瞬目をそらすも、覚悟を決めて最終的には試合を見る。試合の途中で相手選手に足を踏まれるも、審判は気づいておらず、フォールを取られる。ケイコは反則を主張するも、うまく喋ることができないため判定は覆らない。その後、少し試合が進み、頭を打たない。と審判に注意されるも、彼女は耳が聞こえないため何を言っているかわからずに、フラストレーションが募って唸り声をあげる。周りのセコンドやコーチはそれに対して何もしてあげることができず、口頭での支持や激励を出すばかりである。この場面全体は、まさしく障害と向き合うことなのではないだろうか。目を逸らしたくなる母、応援し見守る兄、激励をするセコンド、これらの支えがありながらケイコは自身の相手(耳が聞こえないこと)と闘う。最後には敗北を喫してしまうがそこには悲しみなどは不思議とない。むしろ前向きな気持ちになれるようなそんな最後であった。
「映画」が好きな人ならぜひ。名作。
2回観ました。
2回目のほうが感動しました。
意外でした。
自分は、2回目は演技や技術的な細部を楽しむために観るので、感動や衝撃は1回目のほうが大きいのが普通なのに。
1回目はそうでもない印象だったのに、2回目で、本当に素晴らしい映画だと、感動しました。
ケイコは言葉は発せず、わかりやすい演出があるわけでもないので、1回観ただけでは、ケイコの心の動きを追いきれなかったのだと思います。
耳が聞こえないということは、常に、透明な薄い膜の中から世界に接しているようなものではないかと想像します。
ケイコがボクシングに打ち込むのは、作中で「殴るのが気持ちいい」とのセリフ(手話)もありましたが、その膜を突き破って、世界に接するダイレクトな手応えがあるからなのかな、と思いました。
女子ボクシングというマイナーなスポーツ、コロナで無観客、親族と知り合い以外なかなか見ないように試合に、これだけの鍛錬、覚悟、努力で臨んでいる姿勢に、アスリートとは本当にすごいと、頭が下がる思いでした。
ケイコ、会長のために、勝ちたかっただろうなあ・・・。
敗戦を見届けた会長が車椅子の上でうなだれるシーンで、思わず泣いてしまいました。
でも会長が「よし」と、妻を待たずに車椅子をこいで行く姿に、スポーツってこうやって人を動かしていくんだなと思いました。
ケイコは、この後どうするのでしょう。
でも、会長の帽子をかぶって、試合の相手から声をかけられて、また駆け出すラストからは、迷いながらきっと続けていくのかなと思いました。
どんな人生でも、そうやって迷ったり負けたり、「もういいんじゃないか」「自分のやってることは無駄なんじゃないか」と思いながら進んでいくしかないけど、それでいいんだ、自分もやろう、という気持ちをもらえる映画でした。
「映画」を観たい人には自信をもって推薦できる名作です。
この映画を作って下さった方々に、どうかこの賛辞が届きますように。
静かに人の心に染み入る映画
Amazon Prime Videoのバナーに現れた主演の岸井ゆきのさんの印象的な目を見て、そのまま引き込まれるように鑑賞しました。
聴覚に障害を持つ女性ボクサーの物語を16mmで撮ったという作品。
説明を読んだ後、「耳」でなく「目」を澄ませて、というタイトルに気づく。
岸井ゆきのさんはどこかで見たことがあると思い、調べると「前田建設ファンタジー営業部」で拝見していました。他にも地味ながらよい作品にたくさん出演されているんですね。
自伝をもとにした「フィクション」とは言え、聴覚障害を抱えながら、さらに女性としてプロボクサーになることのリアルが、美しく描かれていました。
美しくと言っても、華々しいシーンやわかりやすい感動のシーンがあるわけでもなく、
しかし、彼女が日常的に直面する葛藤や他人の無理解、人の温かさなどが伝わってきました。
下手な音楽で盛り上げようとせず、日常の音-街なかの雑音や、電車の走行音、ボクシングジムのミット打ちの音などがそれらの映像とともに流れているだけ。観客はそれらが彼女には聞こえないことを感じながら、大切な日常がそこに流れていることを感じ取ることができました。
最後に、河川敷で最後の対戦相手とあいさつした後の、岸井ゆきのさんの表情の演技は素晴らしいです。悔しさ、これまでの努力、それでも前を向いていく決意、それに気づいたことの爽やかさなどを想起させました。
このような映画を作ってくれた製作・役者陣の皆様に感謝します。
この映画のような、静かに人の心に染み入るような映画がもっと増えてほしいと願います。
これは名作
近年稀にみる素晴らしい映画だった。
ケイコは生まれついての聴覚障害を持っていますが、それを健常者とのハンデだなんだと言い訳にしません。1つも。ただただひたむきに、日々のジム練習と向き合い、日々の仕事と向き合う事の美しさを見事に描いた名作でした。
自分探しとか、自己表現とか、そんなチンケなテーマではありません。頑固なほどに1つの事を愚直にやり切る事の美しさを、淡々と描き切っています。
ボクシング引退?を醸すシーンも出てきますが、そうではない。途中で弟が「心が軽くなるから俺に話してみろよ」も断固拒否。。まるで、人にペラペラ話して気分が良くなるような程度の軽い悩みなんて悩みではない!っとでも言わんばかりに、ケイコは1人で葛藤し、自分で答えを見つけます。ケイコは痛みも悩みも、自分でしっかりと受け止め、戦う強さを持っています。
ケイコは聴覚障害ですから、喋れませんし、喋りません。共演した俳優さんたちも含め、セリフは非常に少ない映画です。その代わり、街の喧騒や生活音がそのまま、気になるぐらいガヤガヤと流れていきます。ただ、ケイコはそんな街の喧騒も聞こえていないんですね。
ひたすらにミットと仕事に向き合うだけの音のない世界の中で、毎日毎日小さな体に不釣り合いなほど大きなドラムバッグを肩に下げ、ジムへとテクテク通い歩く彼女の姿は、他のどの映画のヒロインよりも凛とした美しさがあります。
下町の古い荒川ボクシングジム。。どんどん練習生も辞めて行ってしまいます。辞めて行く者たちは、男女がどうだの、設備の古い新しいだの、大体そんな事を言って辞めていきます。しかしジムに残る練習生たちは、ケイコと同じくひたむきで、真剣で、男女の違いなど気にもならない者たち。。これも良かった。
会長からジムの閉鎖を突然申し渡されても、しっかりと受け止め、またすぐさま自分のやるべき練習に戻っていく描写。。きっと、だからケイコは荒川ジムが好きだったのでしょうね。
モヤモヤと(ダラダラと)悩みだトラウマだなんだと、大した事でもない事をいつまでもこねくり回しながらあっちの女・こっちの男と分別のない目移りを人間ドラマ風に仕立てる軟弱映画に対する強烈なアンチテーゼです、この映画は。
ケイコは生まれてこのかた耳が聞こえてねーっつの!っです。彼女はその障害については葛藤すらしていない。葛藤してるのは、大好きなジムとボクシングに対する自らの姿勢と在り方だけです。素晴らしい・・・。
ひさしぶりに、映画で強い女性の美しさを観ました。
大満足です。
闘う女の肖像
この映画は美談ではない。
耳の聞こえない女性の「リアル」を正しく伝える映画。
障がい者の「悔しさ」、「憤り」、「不公平」、
それがケイコの硬い背中から聞こえてくる。
その鬱屈を、
「ボクシングで闘うこと」に見出したケイコ。
その不条理を岸井ゆきのは、完璧に表現した。
その小さい身体から怒りのマグマが噴き出して来る。
しかしその思いは時に埋もれていく。
ケイコはあまりに無力で非力だ。
彼女はなぜボクシングジムの扉を叩いたのだろう。
「強くなりたい」
「見下す奴らを見返してやりたい」
ただひたすら、痛みを感じ、
その痛みを相手に返す。
この映画は美談ではない・・・と同じに、
サクセスストーリでもありません。
職場のケイコは自信に溢れている。
仕事仲間とも良い関係。
ボクシングジムの会長(三浦友和)も、
ケイコを理解してるし、ケイコも信頼している。
ジムの先輩も優しい。
耳が聞こえないことを知っている人は、皆受け入れてくれる。
しかし通りすがりの人、
そして無理解な人はどうだろう?
そこまでの関係になるまでが、困難なのだろう。
馬鹿にされ、見下され、無視されてきたことだろう。
もっともっと感涙にむせぶような映画に出来たはずなのに、
敢えて監督の三宅唱はそれをしない。
「感動してほしいのではない」
耳の聞こえない女性が生きる上での困難、
そして憑かれたようにボクシングに打ち込む日々を、
ドキュメンタリーのようにフィルムに刻んだ。
映画のラスト近くにある「試合のシーン」
小川恵子(ケイコ)があご下の急所に一発食らって、
ノックアウトされる定石破りのシーンで終える。
負けて終わる。
どう考えても、勝って終わるのが、
《セオリーというか、ふつうは、感動の場面で終わる》
ところがリングに這いつくばって悔しさの頂点で終わる。
底辺で這いつくばる。
でも、ここの所は公平である。
耳が聞こえたって、聞こえなくたって、
不公平なことは世間に無数にある。
ケイコに困難でないバラ色の未来など、
容易くは手に入らない事を、
私たちは誰よりも知っている。
そうなのだ、この世は不公平で報われない世界なのだ。
ジムの会長(三浦友和)との交流はとても良かった。
会長の奥さん(仙道敦子)が病室で横たわる会長に
読み聞かせるケイコの日記。
某月某日晴れ
ロード、10キロ
シャドー、3ラウンド
サンドバッグ、3ラウンド
ロープ、2ラウンド
来る日も来る日も、
走る、
打つ、
闘う、
日記は、言葉は、やはり心を伝えるには雄弁だ。
はじめて生のケイコの声が聞こえた。
しかし、
無言の岸井ゆきのの演技は、
言葉以上の感情を伝えていた。
そこがこの映画の肝(きも)だ。
荒川の土手、
隅田川は大きく太い、
古ぼけたボクシングジム、
見上げる中高層ビル群、
変わりゆく光景、
16ミリフィルムの映像に、とても味があり、
暖かい。
あの三人で頑張るシャドウのシーンが
一つ一つ普通のシーンを積み重ねていくことで、自らと言うよりも、何かに突き動かされて続く「生」を描いた作品と言うことでしょうか。聴覚障害を持つ女性ボクサーの物語ながら、二度出てきた試合のシーンに突出したインパクトはなくて、ケイコの強弱様々な息遣いや視線、荒川の河川敷、足立の町並みなど、敢えて言うなら物語の背景のような日常が丁寧に描かれた。
生きていくことは、それ自体が大変なことであるが、大袈裟に構えたからうまくいく訳でもない。そう判っていても、入れ込んだら必ず見返りがあると願ってしまう。その願いを胸の奥にしまったケイコは、息を吐いてシャドウを続け、やや息を荒くして走り、息を整えて内なる声を発する。
歩みや走りを止めた時にいったん現れたりする結果は、道端の石塊に過ぎないこともある。しかし、諦めるか続けるかの両方の答えを抱えたボクサーの脇を、人生は傍観者のように無情に通り過ぎる。
ケイコが心に抱くものは、例えば「継続は力なり」と言う意思でもあったろうし、あるいは彼女が何かがきっかけで感じてしまった、運命とかだったかも知れない。ケイコを突き動かしてきた大きなもの。ただ、その手がかりをこの作品の中から推し量ることは、私には難しかったです。
ジムの会長から貰った帽子を、愛おしむように被って走るケイコ、自分を打ち負かした相手から挨拶されて一瞬、戸惑うケイコ。そうしたシーンは、観る者の心地を緩ませてくれました。特に、街灯に照らされながら、弟とその彼女と3人でシャドウにいそしむケイコの微笑み。このシーンの温もりこそが、私にとって最高のシーンだったと思います。
ギッシリ詰まった胸の内を危うく堪えている、岸井ゆきのの演技は素晴らしかったし、三浦友和の本当に喋るのが苦手で、若い頃は口より手が先に出て相手を殴っていた(かも知れない)オヤジ感も見事だと思いました。
人との距離
彼女が求める人との距離。
ボクシングを通し、(ジムの閉鎖も相まって)会長、トレーナーたちの想い、感情そして拳のぶつけ合いを通して徐々に想いを通わせる過程を丁寧に描いてた。
また手話(会話)を交わすことでの繋がりではなく人と人との触れ合いを基軸に、孤独を抱える女性の歩む姿を淡々と描くことで誰しも孤独を抱える人の日常の断片の如く捉え観るものの心の中にスッと入り込んできた。
そして主演の岸井さんの表情、特に目がとても印象的でした。
映画だから表現できる特筆すべきボクサー映画
「ケイコ 目を澄ませて」。
岸井ゆきの。”やはり”と言うべきか、見事に日本アカデミー賞の〈最優秀賞主演女優賞〉に輝いた。2023年度の女優賞ノミネートは皆、素晴らしい演技をみせたにも関わらず、彼女はその上を超えていった。
”耳が聞こえないボクサー”という役柄はセリフがない。手話を挟めばいい、というものではない。主演がひたすらスパーリングに打ち込む姿だけで状況、喜怒哀楽の感情を観客に届けなければならない。主人公のケイコは、試合ではセコンドの声も聞こえないのだ。
共演した名優・三浦友和をして「そこにボクサーがいた」とクランクイン前から岸井ゆきのの仕上がりに感服したという。
生まれつきの聴覚障害を持つケイコは、プロボクサーとして下町の小さなボクシングジムで鍛錬を重ねている。愛想笑いができず、何事もまっすぐな彼女は、聴覚障害というハードルもあって悩みが尽きない。ボクシングジムをやめようとするが、そんなときにジムが地域の再開発で閉鎖されることになる。耳が聞こえない元プロボクサー・小笠原恵子の自伝「負けないで!」を原案にしている。
この作品は、映画の素晴らしさを最大に示すことに成功している。セリフがないため舞台演劇には極めて難しい。映画でも音がほとんどないことはハードルとなる。それでも本作は劇伴(BGM)に頼ることなく、環境音だけで状況を表現している。首都高速の高架からのクルマの往来音、工事現場からの音、ケイコがペンを走らせる音。いずれも通常レベルより強調された音量で
本作を2回見たが、初日の舞台挨拶上映が「字幕付きバリアフリー上映」というのは、本作ならではである。筆者はバリアフリー上映に異議を唱えるつもりはないし、むしろ多くの人が楽しめる環境はウェルカムだ。しかし作品自体を楽しみ尽くすのは別問題だ。
健常者なら「通常上映」で観ることをオススメする。オープニングから静寂のシーンが長く続くのだが、字幕版は音を解説してしまう。本作のバリアフリー字幕は全編にわたって、映像を汚す無駄な要素でしかない。だから字幕はきらいだ(むろん洋画の字幕も同様だ)。また本作はアスペクトがヨーロッパビスタである。配信ではなくぜひ通常版を劇場で観てほしい。
2022年は岸井ゆきのイヤーだった。『ケイコ 目を澄ませて』の主演のほか、『やがて海へと届く』(共演・浜田美波)、『神は見返りを求める』(共演・ムロツヨシ)、『犬も食わねどチャーリーは笑う』(共演・香取慎吾)と、いずれもメジャー俳優を相手にしての主演。日本アカデミー賞をステップにこれからが楽しみになる女優だ。
ちなみに、ここ10年の日本アカデミー賞の最優秀俳優にはボクシング映画が多い。『百円の恋』(2014)の安藤サクラ、『あゝ、荒野』(2017)の菅田将暉。そして2022年の岸井ゆきの。いずれも俳優自身が身を削った肉体改造を成し遂げており、これからボクサーを演じる俳優は必ず比較されてしまう。少なからず基準となってしまう。
(1回目:2022/12/17/テアトル新宿/H-14/ヨーロッパビスタ)
(2回目:2023/1/4/ヒューマントラストシネマ有楽町/Screen1/G-11/ヨーロッパビスタ)
ボクシングの映画ではない…⭐︎
岸井ゆきのが好きで、もともと鑑賞予定の映画だったが、なかなか上映時間合わずに行くことが出来なかった。
キネマ旬報で、主演女優賞を獲得したとのニュースもあり今回ようやく見ることに。
ここでの評価の高くて期待していたのだが、イメージしていた作品とはとこなり、ボクシングの映画というよりは
もっと下町のジムでの日常と岸井演じるケイコの日々が丁寧に語られる作品となっていた。
16ミリフィルムとのことだか、映像に独特な美しさがある。
ケイコが聴覚障害者であるということにそれほど視点が置かれていないことが、むしろ好感を持つくらい
自然で、何より岸井ゆきのの演技(聴覚障害者として、ボクサーとして)が素晴らしいの一言。
手話もボクシングの型などもとても自然で、良い意味で岸井とは思えないくらいだった。
三浦友和などケイコの所属するジムも人達の様子を丁寧に描かれて、東京の下町の閉じられるジムの雰囲気が
良く伝わってくる。
でも、全体的に何か盛り上がりかけて ボクシングの試合のシーンも現実にはあのようなものなのかも
しれないが、地味な演出になっていた。
ラストにケイコが負けた対戦相手が仕事着のまま、土手で休んでいるケイコに声をかけるシーン。
二人の表情が印象に残った。
全身の感覚を研ぎ澄まして対戦相手に立ち向かったケイコ。他人に対しても向き合っていけば、これからも世界は開けて行く。そのステップのお話です。
岸井ゆきのさん目当てでの鑑賞です。 ^-^;
これまで観た作品での存在感がとても強烈で
今回はどんな一面が観られるのやら と
期待度が上がっての鑑賞です。
主人公はケイコ。 耳が聴こえない。
耳が聴こえないが、ボクシングをやっている。
健康のためとか美容のためとか ではなく
試合に出て勝ちたいと、練習している。
ボクサーの耳が聴こえないということ。
ハンデにならないのかと言えば、そんなハズが無い。
ゴングの音が 聴こえない。
レフェリーの声も 聴こえない。
セコンドの指示も 届かない。
それでも、試合に勝ちたいと
ボクシングに打ち込む女性を描いた
実話ベースのお話です。
◇
終始、他人との関わりをなるべく避けようとする
頑なな面があるのと同時に、
所属するジムの会長さん(三浦友和)に寄せる
信頼の眼差しに愛おしさを感じました。
その会長の体調が芳しくなくジムを畳むことに。
このジムでの最後の試合に勝って
会長への餞にしたい とケイコに励むケイコ。
”防御を忘れるな” のコトバを胸に
ラストの試合に臨むケイコなのだが
試合中のに足を踏まれるアクシデントが あらら…
こうなると、セコンドの指示が聴こえないのって
ものすごいハンデ。 ですねぇ。。
さて試合の行方は… というお話です。
鍛えられたボディーに加え
耳の聴こえない人の演技が秀逸。
岸井ゆきの無くして作れない作品だなぁ と
感じさせる作品でした。
観て良かった。 満足です。
◇記憶に残った言葉
「我慢は大事」
そう自分に言い聞かせてきたハズなのに…
今のジムでの最後の試合。
試合中に足を踏まれて転倒。
予期せぬ出来事に頭に血が上る。 そして
我を忘れた結果は… KO負け。 あちゃ
試合も終わり、ジムも片づいて
何するともなく、ロードワークの土手の下。
「試合をありがとうございました」
突然声をかけられる。先日の対戦相手だ。
負けた試合が脳裏をよぎる。 苦い…
相手が去った後の表情がすごい。
喜怒哀楽 ならぬ 怒怒哀哀
足を踏んできた相手への怒りなのか それとも
頭に血が上り我を忘れた自分への怒りなのか…。
今度は良く抑えたね。成長。
我慢は大事。 教訓教訓。
◇あれこれ
■ミット打ち
タイミングが合ってきて
リズムが揃いスピードが上がると
和太鼓の連弾を聞いているようで、ハイな感覚になりました。
独特な心地よさを感じます。
■BGMの無い世界?
そういえばこの作品、BGMが無かった気が。
周囲から聞こえてくる生活音と環境音の世界。
ケイコの内面の表現だとしたら、音は全く無いハズ…。
どんな意図があったのか、気になってます。
(BGMあったのなら、的外れです…)
◇ 最後に
どちらかというと「天然系」の役が多いイメージが
あった岸井ゆきのさんなのですが
この作品では、演技の「奥行の深さ」を感じました。
すごい役者さんだと思います。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
極力説明を排した映画なのかと思うと
今年スクリーン2作目はいつもの映画館で
最終週にちょうどいい開始時間となり嬉しい
観たいと思っていたら
キネ旬で賞を獲った
期待がどんどん膨らんでいたのだが
鑑賞後感は大したことなかったな~
岸井ゆきのの主演女優賞は納得できるし
これをステップにさらに大女優へと昇っていくと思う
神は見返り…と別人な人格を見事に演じている
しかし如何せん強そうに見えない
コーチ相手のパンチなど確かに上手いが様式美というか段取りというか
百円の恋の安藤サクラと比べると…
助演賞の三浦友和には納得がいかない
台詞回しはさすがに上手い しかしつるつるし過ぎ
こちらは吉田監督のBLUEの会長と比べてしまう
なんか意味ありげな帽子が馴染んでいない 頭がデカい
先代会長の息子ということはボクシングは強くないのか
仙道敦子は嬉しかったが妻とは…娘かと思った
なんかエピソードが散漫で消化しかねた
・冒頭の書き物
・途中でジムを辞める若者
・新しいジムの女会長と断る理由
・弟のキャラクター
・弟の交際相手
・休みたいとの会長への手紙
・主人公のホテル仕事の信頼度
・主人公の友達
極力説明を排した映画なのかと思うと
三浦友和にペラペラしゃべらせたりもしていて何だか居心地が悪い
まぁそうはいっても退屈しなかったし
余白というか行間が感じられて味わい深かったような気もする
キネ旬1位だしなぁ
オラのレビューはとっとと終わらせて他の人のを読むのが楽しみなのだ
終了後は格安定食チェーンで一人呑み
瓶ビールとつまみ2品で890円ナリ
帰って風呂入ってまた飲んで締めた
構想から完成までどのくらいなんだろう
ケイコのロードムービーという感じでした。
時間的に物足りなさを感じるものの、カメラ割りや質感がいい。メーテレの記念で作られたとテロップがあるが、荒川区なのも、気になる。終盤の流れは少し泣けますね。多様性と言うけれど、それぞれの壁や苦労を考えるきっかけとなる作品であれば良いです。
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