ケイコ 目を澄ませてのレビュー・感想・評価
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頑なな気持ちがほどけてく
結局人はひとり
なんてことはない
それを静かに、だけど確かに伝えてくれる映画だった
弟の彼女、ジムの先輩、そして対戦相手とも
ケイコの頑なな気持ちがほどけていく描写にグッときた
友達とのやり取りに字幕がない軽やかさも、そこに日常がある気がして良かった
この時代ならではの展開にグッときた
ケイコにとって最後のボクシング大会になるかも知れない重要な試合が、まさかの無観客ネット配信試合になってしまった所で涙腺崩壊しました。
あの時代、大事な人の試合を直接見守る事も出来ず途切れがちな配信映像を、必死で食い入るように見る事しか出来なかった体験がある人にはグッと来るシーンだと思います。
フィクションという形をとったノンフィクション
現実の世界では、理由とか目的とかは、だいたい後付け。私たちは何となく何かを決め、日々の流れの中で何かが始まり何かが終わっていく。自分の気持ちをなぞってみると、理由らしきものを見つけ出すことはできるのだけれど、ぼんやりとした曖昧なものだったりする。普通の人の日常って、そんなもんでしょう、きっと。
岸井ゆきの演ずるケイコがボクシングを始めた理由も、またしかり。説明されるのだけど説得力はない。そして、やめる決意は中途半端で、ジムの人間関係の中で迷い、ダラダラと続けていく。ケイコの表情はいつも複雑で、見るものに明確な答えを与えてくれない。言葉にしない分、多くの思いが積み重なって、笑いながら泣いているような、泣きながら笑っているような。
リアリズムを追求すると、こういう映像表現になるのかもしれない。ボクシング映画といえばドラマチックな展開とカタルシスを求めてしまうけれど、現実のボクシング、そしてボクサーの日常には映画音楽なんて流れてこないわけだし。
だから、ケイコのリアリズムが強い説得力をもつ。ケイコが、迷いながら同時にひたむきに日々を積み重ねる姿に、心を動かされる。強さと弱さをあわせもつ彼女が身近にいるような感覚になる。
多くを語らない。そのことが、こんなパワーを生むとは。ちょっと、驚き。
独特な
生まれつき難聴にある主人公がボクシングを通して、語る人間の強さを描いた作品でした。
主人公を演じるのは、岸井ゆきのさんです。全編通して、セリフは、ほぼ無いです。それでもボクシングの動きや表情でどんな気持ちを写しているのか分かるくらいすごい演技でした。
実話を基にして作られた作品です。実際に耳が聞こえない中でボクシングの試合に臨むのは、とても怖い事だと思います。
誰の声も聞こえず、ただ1人相手と向き合い続ける。
怖さの中にある勇気が本当の強さに変わるのかなと感じました。
BGM
練習そのものが画
この映画の紹介文が全て。
コロナ禍で他人と距離をとりマスクをしている様は難聴の主人公にとってはさらに音を奪われた気持ちだろう。そんな彼女はマスクで読唇はできず、残されたコミュニケーションの手段である手話するその手にグローブをはめて人を殴り飛ばす。
それでも会長やトレーナーや彼女の家族をはじめとするケイコの周囲のいく人かの人間はそんな彼女と丁寧に接することをやめない。
ケイコは実はただ障がいのある人ということではなく、コロナ禍にあった私たちの象徴、もともとコミュニケーションに難のある現代人がコロナによりさらにその機会や能力を奪われた人たちだ。ケイコのボクシングは醸成されつつあったギスギスした人間関係がコロナでさらに悪化したことを表しているようだ。
しかし物語の最後、そんな現代人ケイコの前に現れたのは1人の作業服の女性。先日の試合の対戦相手だ。
これはケイコの殴っていたそのグローブの先の人間にも一つの"生"があることを気づかせた。
以降、ケイコにとってボクシングの意味は確実に変わったであろうということがわかる堤防の上の彼女の影、すれ違う人の影。エンドロール背景には時や人の営みを現すシーンが映し出されている。
……そんな解説を入れたくなる作品(笑
ついでに、、、
・カタカナでケイコとしたのは現代人を現すコードネームのようにしたかったのかも。
・岸井ゆきのの演技はまるでケイコという人物がそのままそこにいるような感じ。彼女の演技は☆5つあげたい。
・が、あまりに淡々と描きすぎているので離脱やつまらない等の感想を持つ方がいたらもったいない。
今回誰のレビューも見ずに作品を観て、レビューを書いたけれど、似たような作品印象が多いといいなと思ってる。
悪いとは思わないが過大評価?
岸井さんをはじめボクシングジムのキャストの演技は上手いと思う。画も雰囲気が合って良いと思う。岸井さんの演技を観たのは99.9とCMくらいだったが、これはとてもハマっているとは思う。岸井さんの努力も感じる。が、映画として魅力がない。勿論、格闘技に全く興味がないのを差し引いてもだ。
ジムの会長の妻がケイコに話した後のシーンと後半の弟の彼女とのシーン、ラストの仕事場のシーンは良かったが、そのくらい。
ダメな所というほどの所もない為この評価。何がテーマかよくわからないがケイコの心の成長がテーマだったのだろうか?
高い読解力が求められる
とにかく情報が少なく静かな映画なので、些細なしぐさや繊細な心情の移ろいをとらえきれないと意味不明な映画
だから、自分にとっては意味不明でした
どの辺が世界中の映画祭で絶賛されるポイントなのか教えてほしいです
鑑賞動機:岸井ゆきの10割
『愛がなんだ』や『前田建設ファンタジー営業部』でのコミカルでちょっとダメな人イメージが強かったけど、ここではガラリと違う硬質の人物像で、こんな顔をするのか、と新しい発見だった。
最後はちょっと成長したってことかな。
聴覚障害のある女性ボクサーの日常。 障害をほとんど苦にせずに生きて...
賛否あるのはよく分かる
間違いなく岸井ゆきのはケイコでした
実在する本人が演じているのかと勘違い
殻を破る主人公なのか
どことなくATG映画と寺山修司さんの時代の映画のように感じながら観てました。見事な映画だと思いますが、好きな映画ではなかったです。
画面から、なんと言う表現がいいのかわかりませんが、生々しさ、しずる感、身近さ、ジメジメ感、痛さ、暗さ、人間の汗臭さ、いろいろなものを感じました。最近の作品にはないものでした。
ただ、舞台がわたしが24歳まで住んでいた実家の周辺だったので、それらが既視感ありと言うか、どーも余り気分の良いものではありませんでした。
岸井さんは見たことないような主人公を見事に演じていたと思います。仙道敦子とか久しぶりでした。
聴覚障害のある方、今回、その苦労を身にしみて感じました。対面したり、通り過ぎるだけでは、認識できないことに気づきました(コンビニのシーンとか)。
感想と考えたこと
はじめ生活音がよく聞こえると思った。
ジムの練習の音がクリアに聞こえて、心地良いリズムを刻んでる。
そこに字幕が入って主人公には聞こえてないのがわかる。
ボクサーの練習は自分を追い詰めて孤独な闘いってイメージがあるけど、音がないのを想像すると余計に孤独を感じそうだと勝手に考えて、でも最初から知らなければそんなこと考えないよな、と思い直したり…。
騒がしいくらいの練習音の中、トレーナーの動きに目を凝らして黙々と練習する主人公。
私は、自分の引き出しのすぐ手の届くところにある言い方で「目を凝らす」って使うけど、タイトルにある「目を澄まして」がほんとにしっくりくる。
言葉ではなく動きだけなので観客も目を澄ます。
心地良いリズムのミット打ち。
カメラが他を向いてて、映ってなくても音が聞こえる。聞いてるだけで練習を感じられた。
しゃべらないので彼女のキャラクターがわからないが、大変そうながら楽しんでいて、よかった。
暗いシーンがある。
生活音とかほんと音がよく聞こえて、asmrのように私は音を楽しんでた。
聞いてると音で何してるかわかるから。
観客はとことん音で感じる。音の情報量が多いのを感じた。
普段の生活で耳からの情報はとても多くて、でも自覚できてなかった。
目を澄まして映画を見てたら、画面に映ってる所と映ってないけど音だけでわかるたくさんのことがあり、耳を澄ます映画。
でも、周りの人の表情や態度とか彼女の感情がわかるのは映像からだから、やっぱ目で見るのも大事。
会長は目が悪くてほぼ見えてない。
音に集中してみるとこは会長と同じ感じ方になって、同じように耳を澄ましてた。
コンビニや警察のシーンをみて、ままならないコミュニケーション、先にコミュニケーションを諦めたのは健常者か彼女か、と考えた。
他のジムに通ってた頃は干されてたようだし、新しいジム探しでも苦労する。
悩みとか、内省だけで消化するのは苦しくて大変で話せばいいのにって思うけど、彼女に限らず話さない人は多い。
私自身も話すの難しい。でも人には話した方がいいとアドバイスしたくなる。
私は臆病からで、でも彼女は違って、解決しないしと言っていた。我慢して諦めてるように感じた。
弟が言う、自分の中で抱えられる「強さ」はそうなってるだけで、ほんとは話すことができない、だったのかな。
彼女の気持ちは周りの人に伝わってなくて気づいてもらえなくて、もどかしくなった。
終盤の練習ノートで、真顔の彼女が日頃思ってたことがわかって良い。全然伝わってないよ。
最後の方笑顔が増えてきて、コミュニケーション取っててうれしくなった。
相手がいるから試合ができる。
ボクシングには練習の相手がいる。
抱えてる気持ちを発散できる。
発散する以上に意味があって、言葉で言えなくても、ボクシングはコミュニケーションの場だったのかな。
会長とのトレーニングは楽しそうだった。
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