「請願駅の話だけではなかった。」手紙と線路と小さな奇跡 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
請願駅の話だけではなかった。
今では自動車輸送に、その「王座」を譲ってしまったかのような鉄道輸送ですけれども。
しかし、鉄道の開通は、街の姿を大きく変え、人々の暮らしも一変させて来ました。
反面では地方の資本や資源、人材(労働力)を都市に吸収させ、その衰退も招いてきたことは事実ではあるのですけれども。
それでも、都市の文化や生活必需品を地方に届け、地方のくらしの質を引き上げ、物質的な豊かをもたらしたことも、また疑いのない事実でしょう。
その鉄道がただ通るだけで、駅がないために村の人々は、鉄道の恩恵を少しも享受することができない-。
あまつさえ、最寄りの駅まで危険を冒して線路を歩き、事故に遭うことも少なくなかった様子です。
一見すると、秀才ジュンギョンが、請願駅の新設に懸ける想いには、そんなことに理由がありそうにも見えますけれども。
しかし、お姉さん・ポギョンにまつわる、こんな悲しい背景もあったのですね。
ソウルの科学高校に進学できるという千載一遇(?)のチャンスを棒に振ろうとしてまで。
請願駅の実現を、簡単には諦めることができなかったゆえんでもあったことでしょう。
ヒューマンドラマとしても、決して作りの悪い一本ではなかっただけでなく、自他ともに許す「筋金入りの」(?)鉄ちゃん(乗り鉄)としての評論子には、地方交通としての鉄道が地域に果たしてきた役割も垣間見えたような本作は、それだけでも、充分な佳作だったと評することができると思うのですけれども。
そしてまた、他方に視点を転じてみると…。
映画作品としては、確かに、脇筋(?)なのでしょうけれども。
本作は、家族をめぐる父と息子との「相剋と和解」の物語としても、胸に痛い一本でした。
鉄道運転士として誇りを持って働いてきた父と、その父が心のどこかで実は眩(まぶ)しかった息子ー。
評論子的には、むしろ、こちらの方が「本筋」であってもおかしくはないと思います。
上記を総合すると、ちゃんと立派に、秀作としての域に達していたのではないでしょうか。
そう受け止めました。評論子は。
(追記)
ラヒは、実はジュンギョンのお姉さん・ポギョンの「生まれ変わり」だったのではないか…と評論子が言い出したとしたら、それは、あまりに荒唐無稽でしょうか。
でも、ポギョンがもし仮に存命だったとしたら、こんなふうに、高校生になったジュンギョンを支えていたのではないかと思われるからです。
そんな感慨もあった一本でした。
評論子には。