モリコーネ 映画が恋した音楽家のレビュー・感想・評価
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誠実な靴職人みたいな
いつもの映画館で
当初ノーマークだったがチラシを読んでこれは観なければと
祝日前日ながら水曜日のサービスデー行くしかない
17時少し前からの開始 仕事は2時間早退
終わったのが19時半過ぎ…長い なので▲1.0
オラが大学に入って映画を本格的に見始めて
最初にハマったのがアンタッチャブルで
その音楽がエンニオモリコーネだったのだ
オープニングの文字に影がかかる映像と合わせて流れるテーマ
初めて聴いたときの感動は未だに新鮮だ
警官の凱歌や乳母車のシーンのテーマもいい
ショーンコネリーがアカデミー助演賞を受賞したのにも
アシストしている気がする カポネのテーマも大好きだ
マエストロと呼ばれていたことや 名前の語感から
何となく海原雄山的なイメージを持っていたのだが
タモリみたいな風貌 誠実な靴職人みたいな
何度もアカデミー賞の候補になるも受賞できず
名誉賞を獲り別に皮肉を述べる訳でなく素直に受賞を喜び
妻に最大限の感謝を伝える
しかし最終的には本賞を獲得
ケジメのつけ方がカッコよすぎる 風貌はタモリだけど
受賞したタラ映画を観た時はなんか音楽が遊離している気がしたのだが
いい意味でのタラ監督への裏切りだったんだなと
だからこその受賞だったんだなと
絶対音楽に対しての映画音楽との言葉
師匠との折り合い
ジョンウイリアムズをはじめとする多くの音楽家からの敬意
いまや映画音楽を下に観る者がいない証だし
そこまで引き上げたのは彼の功績だ
アンタッチャブルまでがちと長かったが
そこからはもうこれこれという感じだった
音楽家に愛された映画という芸術
モリコーネ 映画が恋した音楽家。
モリコーネという音楽家に愛された映画という芸術のなんと幸福なことか。
映画の神様っているんだなって思う。
ニュー・シネマ・パラダイス、ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ、ミッション、アンタッチャブル
等々。モリコーネの作品だけじゃないけど、脳裏に浮かぶ名場面ってすべて音楽と一緒になってる。
音楽の力ってすごいな。
モリコーネ作品の全リスト載ってたら資料的価値があるなと思って久しぶりにパンフレット買ったら、この映画に出てくる作品しか書いてなかった。残念。
この作品を上映してくれるだけでも有り難いのに、観客ほとんど入ってないにも関わらず大きなスクリーンにかけてくれた劇場の心意気に感謝したい。
モリコーネかく語りき
映画音楽のマエストロ、エンニオ・モリコーネの伝記ドキュメンタリー。膨大な数の映画・音楽関係者の証言に加えて、モリコーネ本人が、自らの人生、曲作りの秘訣、映画への思いなど、屈折感も交えて存分に語りつくしている。亡くなる前によくここまで記録しておいてくれたものだ。
トランペット奏者から作曲家を志し、現代音楽に少しかぶれて、ポピュラーミュージックの編曲で頭角を現し、小学校の同級生のセルジオ・レオーネと再会して、本格的に映画音楽の道ヘ。ここまでの過程は全く知らなかったし、意外でもあるが、こうした過程がその後の映画音楽に生きていることがよくわかり、「なるほど」と膝を打つ感じ。
マカロニウエスタンのほかにも、60年代から70年代のイタリア映画が続々出てくる。「アルジェの戦い」「死刑台のメロディ」もモリコーネだったんだね。日本未公開の前衛映画も面白そう。80年代以降は外国資本の作品が中心となるが、モリコーネが世界的に有名になっただけでなく、イタリア映画の元気がなくなってきたせいもあるのかな。
映画音楽に関わる様々なエピソードに加え、モリコーネが「映画は監督が全てを取り仕切ることができる。音楽以外は」といったことを語るが、強烈な自負が感じられて、一番印象に残った。
とにかく情報量がすごいので、一回観ただけでは消化しきれないが、作中で取り上げられた映画とともに、これからも時間をかけながら味わってみたい。
マエストロ! マエストロ!!
モリコーネの音楽に浸れる至福の157分だった。
思い入れが強過ぎてあまり多くは語れないが、モリコーネにこれだけ喋らせたトルナトーレ監督の手腕が素晴らしい!
生活のために演奏することが屈辱的だったと生々しく、音楽院の卒業試験後帰り道で感極まって恩師ペトラッシと抱き合ったことを涙ぐみながら、自身が作った音楽について嬉々として、とにかくモリコーネが、語って、語って、語りまくる。
どこを取っても名言だらけなのだが「70年には映画音楽を辞めると言った、80年には辞めると言った、90年には… 2000年には…」続けて「もう言わない」と話した時の誇らしげな様子が印象的だった。
映画音楽史理解の手がかりとしての好作品
本人の述懐、様々な評論家の証言、各作品の見せ場、曲の演奏で構成されながら進んでいき、知らない作品が多かったものの、知っている作品も混じってきて、それほど長い期間にわたって映画音楽に貢献してきた人なのだということがわかってきた。自分で気に入らない曲もあったり、監督とは制作方針が違ったりするほど強い力を持っていたこともわかった。『アンタッチャブル』の乳母車の場面は、『戦艦ポチョムキン』のオマージュだったと思い起こした。顔つきが『ピーナツ』のチャーリー・ブラウンかライナスという評があったが、どちらも眼鏡をいつもかけているわけではないので、随一の音楽家であるシュレーダーといってほしかった。現代からみると、不適切な映像場面の採用もあった。
音楽に愛され、音楽に恋した音楽家の物語。
最初は、寝不足だったこともあり、一瞬寝ていたかも?が何回かあった。
出だしはとても静かな入り。
モリコーネを語る人たちが、「偉大な音楽の巨人」のごとくほめたたえても、音楽に手を差し伸べられたことも、音楽に好意を抱いたこともない私には、全くピンとこなかった。
けれど、実際に彼が音楽を担当した映画とその制作秘話になると…俄然面白くなる。
「ニューシネマパラダイス」も、「アンタッチャブル」も、「海の上のピアニスト」も、彼が手掛けた作品だったんだ!
澄んだ音符が跳ねるように奏でるメロディは、確かにどの作品にも必要不可欠なものだった。
モリコーネは言う。
「目の前に、真っ白な紙がある。私はそこに自由に音楽をかいた」
彼にとって、音楽は自分と世界との懸け橋なのだと悟った。
晩年、オスカーをとって妻に感謝するモリコーネは、とてもとてもチャーミングだった。
私は、10代の頃、言葉で世界を理解し、繋がった。
けれど、もし10代に戻れるなら…読書量を減らしてでも、ギターの練習をしたいな。
音楽の楽しさ、素晴らしさを知らないのはもったいないと生まれて初めて感じた映画だった。
血湧き肉躍る
是非、映画館で鑑賞を
Bunkamuraで鑑賞。
映画はモリコーネ本人の人生史というよりは、彼が携わった映画の音楽制作におけるエピソードが語られている部分が大きい。芸術家は言葉より作品で語るイメージが強いが、モリコーネは本人も雄弁だった。
映画の本編映像もモリコーネの音楽とともに堪能できるので、ぜひ配信よりもスクリーンで鑑賞してほしい。168分が長く感じなかった。
個人的に坂本龍一のドキュメンタリー「Ryuichi Sakamoto:CODA」と合わせて観て欲しい。モリコーネが自分が音楽を担当したかったのにできず悔しい思いをした「ラスト・エンペラー」において、坂本龍一がベルナルド・ベルトルッチ監督のもとで苦労したエピソードなどが語られている。そしてその「ラスト・エンペラー」がアカデミー作曲賞を受賞してしまうのだからモリコーネは悔しかっただろう。
2015年の「ヘイトフル・エイト」でようやくアカデミー作曲賞を受賞するものの、正直モリコーネの映画界への功績を思えば、名誉賞だけでなくアカデミー賞を10回は受賞して良さそうなものだ。
モリコーネのすばらしさは、芸術家でもあるが立派な職業作曲家でもあり、きちんと監督の要望や映画のコンセプトを(時には監督以上に)汲み取り、音楽で再現している部分である。決して独りよがりな作曲はしていないのだ。
映画や音楽に限らず、モノづくりに携わる人間は少なからず共感できるドキュメンタリー作品に仕上がっている。
凄さに感動した
映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネを追ったドキュメンタリー。
モリコーネは1961年のデビュー以来、500以上の映画やテレビ作品の音楽を手がけ、2020年7月に亡くなったとの事。傑作映画の中から選ばれた名場面や、コンサートツアーでの演奏、タランティーノ、イーストウッド、カーウァイ、ストーンら映画監督・プロデューサー・作曲家などへのインタビュー、さらに、プライベートの様子やコメント、アーカイブ映像などにより、モリコーネの人間性も紹介している作品。
とにかく、凄い人。
白紙の五線譜に何の楽器も弾かずいきなり書くという作曲方法はNHKの連続テレビ小説・エールで紹介された古関裕而と同じなんだなぁ、って観てた。
映画のシーンを観たり、脚本を読んだだけでそこに適切な音楽をはめ込むという技術?才能?がとにかく素晴らしい。
それも、1曲じゃなくて数曲、時には9曲も作曲して、自分は6曲目はイマイチ、なんてコメント付きで送ったりしてた。
500以上の作品だと、その何倍?何十倍の曲を作ったことになるんだろうけど、枯れない泉のような人で、次々に曲が浮かんで来るんだろう。何度もノミネートされながらなかなか受賞出来なかったアカデミー賞作曲賞を取れて良かったね、って思った。
凄いコンポーザー。特殊な才能を持った偉大な人物の伝記を観れて感動した。
素晴らしい作品だった。
映画館で大画面、大音量で見たほうがいい映画
あの美しい音楽は映画館の大画面と大音量で見るのが最高です。イタリアの人たちが、モリコーネ氏を大変に尊敬して愛していること。そして、モリコーネ氏の若い頃の映像や資料が残され、撮影当時にインタビューを受けた方々が、お元気で貴重なお話をされていたこと。モリコーネ氏のお師匠さんも、御高齢ながら、撮影当時はお元気でした。やはり、イタリア人は元気でエネルギッシュ、芸術を大切にする国だと感心しました。何より、この素晴らしく、美しい曲を作ったモリコーネ氏のエネルギーは半端ではない。素晴らしい美しい曲の数。質の高さ。それが、映像とともに流れるという贅沢。そして、古典のクラシック音楽の時代には映画という芸術はなかったが、モリコーネ氏の時代には映画芸術が生まれて、映像とともに、この名曲が残されるのは、なんと素晴らしいことだろう。映画のワンシーンが映されるたびに感動して涙が出ました。しかし、ハリウッドがなかなかアカデミー賞に選ぶまで時間が、かかったのはなぜだろう。特にニュー・シネマ・パラダイスで受賞しなかったのは、おかしいなって思いました。あれは映像と曲が流れると涙腺が緩くなる。そして、何度受賞してもおかしくない名曲ばかりなのに。モリコーネ氏ファンとしては贅沢な時間を過ごしました。そして、イタリア人のエネルギーと底力を感じました。
この映画を良いと思えるほど、私は映画を知らなかった
完全に私のせいです。
モリコーネが担当したどの映画も見たことがないし、彼に対しての思い入れもない。出演者も、イーストウッドとタランティーノしか知らず、こんな無知な自分がこの映画を見るのは間違っていた。本当にごめんなさい。
彼が偉大な音楽家であることは充分伝わったし、映画界を劇的に変えた人物であるということも理解出来た。ただ、私が見たかったのはどのようにしてそれらの曲が生まれたのか。序盤は少し触れている部分があるが、ほとんどがモリコーネ万歳!なインタビューだったので、何も知らない私にとっては置いてけぼり状態であった。すごいのは分かったけど...そのすごさはどこから生まれる?
ひたすらにモリコーネ賞賛ムービーであったために、150分越えは辛かった。体感4時間だった。彼に対する愛があれば、こんなのへっちゃらだったかもしれないが、初見さんお断りだったよう。本当に申し訳ないけど、駄目だった。映画、もっと見るようにします。
海の上のピアニストもニューシネマパラダイスも観たことなく、この二作...
リアル・ニューシネマパラダイス!
才能に溺れることなく、もちろん過去の自分の作品のコピーに甘んじることなく、生涯現役だった職業作曲家、モリコーネ。映画音楽作曲家という受注系アーティストの立場を遥かに超え、正にオンリーワンのコンポーザーとしての、幸せな生涯を見せてもらった。
数々のシーンはいわば「過去の予告編」。もう1回見たいと思えば可能なオンデマンドな環境にいる21世紀に生きることを素直に幸せだなと思う。個人的には「アンタッチャブル」あたりから、、、。一方で、60年代前後の映画全盛期、日本未公開で面白そうな作品もたくさんあることを知った。特に実存的に狂った画家が主人公の映画に惹かれた。撮影現場で即興的に音も創作したらしい。
今さらながらご冥福をお祈りするとともに、あの世から見下ろして現代の地球交響曲を届けてほしい。
目の前にある白い紙に何を書くか?
映画好き必見!
バート・バカラックさんご冥福を(日本時間2023年2月9日)
エンニオ・モリコーネは偉大な作曲家である。
しかし、彼だけが特筆して偉大である訳では無い。ヘンリー・マンシーニ、クィンシー・ジョーンズ、ミッシェル・ルグラン、ジョン・バリー、バート・バカラック(本日お亡くなりになりました。ご冥福を祈ります)ジェリー・ゴールドスミス、そして、大御所のニーノ・ロータ。
では、彼の偉大な所は?
これは推測なのだが、録音の時に、フルオーケストラを使った、最期の作曲家だったのじゃないかと推測する。ジョン・ウィリアムズをあえて除外したが、アメリカの映画音楽はそう言った生のオーケストラを使わずに、電子的な楽器の音を使って、場面を盛り上げていたと推測する。(ジョン・ウィリアムズがそうであったかは知らない。単純に僕の好みてはない)エンニオ・モリコーネは生の音楽をやり通した最期の作曲家なのだろう。と思う。しかし、
彼の不幸な事は、選んだ映画が決して良い映画ばかりでなかったって事だ。『アンタチャブル』が『ラストエンペラー』と比べて良いとは決して言えないし『ミッション』が音楽相当の名作な訳では無い。言うまでもなく、彼はマカロニウェスタンの様な血なまぐさい映画が大嫌いと言い続けている。だから『荒野の用心棒』も彼の力作である訳では無い。
また、『荒野の用心棒』のテーマ曲は、映画の中でも語られている様に『みな殺しの歌』をリスペクトしている。だから、この曲を作曲した『ディミトリ・ティオムキン』の世代まで遡れば、アメリカンミュージカルまで行きついてしまう。
彼は『リズ・オルトラーニ』等のイタリアのローカル作曲家と見るべきだと思う。マンシーニもニーノ・ロータもイタリア系若しくはイタリア人である。
そう言った要素を考慮して、
残念だが、200年後、名が残る作曲家であるとは言えない。何故なら、既に故人なので彼の偉業は現在潰えている。でも、多彩な才能を持ったクラシックの作曲家であったと断言できる。
僕個人としては、メロディの奇麗なストリングスの楽曲が良い。しかし、映画の評価も含めて良い印象があるのは『アルジェの戦い』『死刑台のメロディ』『海の上のピアニスト』かなぁ。ドンピシャな音楽だと思う。
しかし、映画が忘れ去られているように、エンニオ・モリコーネもバッハやモーツァルトの様に200年は生き残れないと思う。やはり、20世紀後半はJAZZなのだと思うし、世界各国の音楽も一筋縄ではくくれなくなった。僕自身の持論だが近代音楽の始まりはジョージ・ガーシュウィンだと思っている。いゃ、その前に、ドボルザークとJAZZの融合から20世紀は始まったと勝手に思っている。
エンニオ・モリコーネをマカロニウエスタンと『ニュー・シネマ・パラダイス』だけの作曲家と固定概念が癒着したまま、人々の記憶から消えて行くのかと思うと大変に残念だ。せめてアカデミー賞は『海の上のピアニスト』であれば、良かったと感じた。何で『ヘイトフル・エイト』なんだ、とつくづく悔やむ。但し、『ヘイトフル・エイト』が、からっきし駄目な映画だと言っている訳では無い。
また、余談だが、20世紀の代表的作曲家がガーシュウィンと言っている訳では無い。ラフマニノフやプロコフィエフやストラビンスキー、そしてガーシュウィンに直接影響を与えたラベル等など沢山いる。従って、ここでは映画音楽のクラシック作曲家と言う事。
追記
『荒野の用心棒』と『夕陽のガンマン』のテーマ曲が、僕は区別が付かない。だから、リー・バン・クリーフとジャン・マリア・ヴォロンテの決闘前の時計オルゴールとストリングスが大好きだ。『ウェスタン』のハーモニカも好きだ。本当はエンリオ・モリコーネは僕の青春みたいなもの。
よかった
序盤のイタリアの音楽はサイゼリアで流れている感じがする。
NHKーBSで古い西部劇を数々見てきたのだけど、『荒野のガンマン』『夕陽のガンマン』などなど似たタイトルが多くてさっぱり覚えられない。モリコーネの曲が使われていたのかと思うが、内容が覚えてなくて、『ワンスアポンアタイムインアメリカ』も長くて面白くなかった記憶があるし、『ヘイトフルエイト』も話がつまらなかったことしか覚えていない。一体何を見て何を聴いてきたのか、何も聴いておらず、何も感じないのか、無意味な行動をしていたような気になる。
この映画で聴くそれらの音楽が素晴らしくてもう一度音楽に留意してそれらの映画を見返さなければならない。ただ、とても長い。
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