「ダイジン=草太」すずめの戸締まり にまめおまめさんの映画レビュー(感想・評価)
ダイジン=草太
「ダイジン=草太」という構図、彼らが実は同一の存在であるという点に気付くかどうかで物語の見え方がまるで違ってくる作品。
ラストの「俺を救ってくれてありがとう」という台詞が二重三重の意味合いを持つんだと気付いた時初めて「めちゃくちゃ良いシナリオやん!」と感動を覚えた。
最初に観た時、ダイジンの存在やキャラクター性が一貫していない様な違和感が強かったが、小説版と照らし合わせながらシーン毎に反芻していく事でようやく意味が分かった。
「要石」として常夜の世界で悠久の時を過ごした草太が神化してしまった姿、記憶も全て無くして人としての存在を失ってしまった姿、それがダイジンなんだと。
映画の冒頭に登場するダイジンの中にあるのは、「生きたい生きたい生きたい、一人は寂しい」という草太が要石になる直前に強烈に抱いたものと同じ本能と、「ミミズを止めなければならない」という使命感の残滓だけ、という状態なんだと思う。
ダイジンが唯一明確に敵意を向ける対象が草太であるのも、「草太と自分は共存出来ない存在なんだ」と本能的に気付いているから。
「全ての時間が同時にある場所」という常夜の設定を活かした珍しい形のループものと言えるかもしれない。物凄く練り込まれた構成のシナリオだと思う。
※草太とダイジンの関係は、東京レイヴンズという作品のコンと夏目の関係に近いかなと思う(伝わる人がいたらいいなあ…)。
惜しむらくはそれが「分かる人だけ分かればいいかな」位の匙加減になってるので、あんまり伝わってなさそうな事。勿体無い。
でもあんまりにもあからさまに描くと台無しだから仕方ないのかなあとも思う。
【蝶の意味するもの】
繰り返し挿入される蝶のイメージは一般的に「生と死と、そこからの復活」を象徴するものなので、常世と行き来する度に実際に彼らは生き死にを繰り返しているのだ、という事を暗示しているのかもしれない。
#すずめの戸締まり感想