屋根裏のラジャーのレビュー・感想・評価
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是非!!
「屋根裏のラジャー 」レビュー
是非!!
映画館で観た予告で「子供向けのファンタジックなアニメーション」という印象を受けていました。きれいな絵が動くのがまず好きなので、興味がありつつ、それ以上の魅力は正直感じてなかったです。上映が始まるも、人気がなくてあっという間に上映回数が限られてしまい、予定を合わせて観に行くか迷ったので、とりあえず原作を読んでみました。原作はイギリスの詩人による児童文学作品で、数々の賞を受賞したとのこと。読んでみると予告で感じてたイメージとかなり違う!一体こんなホラーっ気のあるものをどうアニメ化したかな?と観てみたくなったので、映画館に足を運びました。
観た感想。個人的には原作のどこを改変して、どこに付け加えをして、どこを削っているか、という点について、かなり頑張っているのがわかり、納得の行く仕上がりになっていると感じました。
児童文学作品を原作に持つ映画は、ジブリでもいくつもありましたが、元々児童文学が好きなのもあり、「ゲド戦記」「借りぐらしのアリエッティ(原作は「床下の小人たち」)」「思い出のマーニー」はみな先に原作を知っていました。それらの3作品より原作との兼ね合いがかなり良かったと思います。まあ、「ゲド戦記」は原作ファンからしたらあり得ない出来だったと思いますが(申し訳ないけれど正直な感想です)、「アリエッティ」も「マーニー」も、原作に長さと深さが既に充分あるため、原作への丁寧な敬意は感じるものの、原作にだいぶ負けてしまう、2時間弱といったような尺にまとめるのに無理があると感じたのに対し、今回の作品は上手にまとめられていました。原作を知らずに観た方には、原作はさぞかしもっとキャラクターがしっかりしてるのではないかと思われるかも知れませんが、本作はむしろ原作の方がキャラクターの背景は描かれていませんし、映画で涙を誘う背景は映画のオリジナルの部分も多いです。そういったこともあり、是非原作も読んでみて下さいと、声を大にして言いたいところです。原作を読めば、ポノックがどのように原作を解釈して、どのようなメッセージを込めて映画にしたのかがわかりやすくなると思いますので。
原作が、映画に劣るとか、そういうことではありません。原作は文学作品として読んでいて引き込まれますし、結構容赦なく怖いと感じるシーンもあり、ハラハラドキドキ、意外な展開の連続、そしてラストの希望を含んだ切なさと、とても面白いです。物語の基本の展開や設定は原作と変わらないので、やはり原石として素晴らしいのだと思います。ここで「原石」と書いたのは、上で挙げたジブリの作品の原作に比べて、本作の原作は文字数的にも多分少ないのでしょうけど、そこから加工出来る余地が沢山あり、既に完成された宝石でなく「原石」になり得たと思うからです(あくまでも個人的な印象です)。また、それはある意味、原作は文学作品としては完成度が高くても そのままの感じで映像化すると、子供には恐怖感が強く残るでしょう。それを承知でその路線を行くことも出来たかも知れませんが、伝えたいメッセージを邪魔しない程度に、そのあたりの原作のホラー感や生々しさはだいぶソフトにしてあります。また原作は、登場人物の人間性を掘り下げることよりは、ストーリーの方に重きが置かれている印象なので、そのままだとおそらく大人の鑑賞に耐えにくかったかも知れません。まあ、イギリスの感性ではどうなのかはわかりませんが、原作の主要な登場人物のキャラクターは日本人にはやや不自然に感じるのではないでしょうか?例えて言うなら原作のアマンダはちょっと「長くつ下のピッピ」(知らない方はすみません)のピッピのようで、身近にいるかも知れない女の子の域をちょっと超えてしまってる感があります(文学作品の中では魅力的なところもあるんですが)。原作ではアマンダがイマジナリであるラジャーを生み出した背景は描かれていないので、ポノックがされた映画として幅広い鑑賞者に馴染むものにするための工夫が随所に見られます。(というか、これって映画では。根幹にあたる部分に近いかも知れませんね)。そんなわけで、以下はネタバレになりますので、原作や映画をあまり知らずに楽しみたい方はここまでにしていただいて、ここからは、個人的によいと思った改変点や追加部分を書きたいと思います。
①アマンダの人物像を観る人に受け入れやすくするための背景が描かれ、イマジナリを生み出した理由(父親とのこと)や、行動の理由(濡れた傘を洋服ダンスに入れてしまうなど)、想像力が物凄く豊かな理由(家が本屋であったこと)などが改変、追加されている。原作のままでは観る人が共感したり感情移入したりしにくいようと思います。
②停電の後の流れで、働き口を探している母親が面接でうまくいかずに帰宅、疲れているところに、娘が自分には見えないもののことで取り乱している場面で、つい娘を傷つけることを言ってしまう。ここからアマンダがラジャーを傷つけてしまう展開になるのですが、ここはとても上手に感じます。原作では娘の世界を母親はほとんど全面的に受け入れており、これもまたやや共感を得にくい気がします。映画の母親も充分できた人ですが、あそこで母親の葛藤や、夫を失くして頑張っているところが描かれることで、人間味がうんと増して見えます。それは、中盤でラジャーが一度家に帰り、母親の涙を目にするシーンにも言えます。いずれも原作にはない場面です。
③上の場面の後で、ラジャーが、ロボットの形のイマジナリと話すシーン。ここで「イマジナリは作り手の子供が忘れるようになると消えてしまう」ということが示唆されます。切ない場面ですが、ジンザンがさっと横切るのが描かれ、ロボットちゃんは消えるまでに救われたことが暗示されていますし、後に病院で再会しているので、粋なはからいです。また、「忘れられると消える」という設定は、ここで一度示しておく方が、ラジャーが消えかけてきた時のドキドキ感が増すのでよいような気がしました。
④エミリーやジンザンの背景が加えられていること。ジンザンは原作では本物の生きたネコの設定ですが、映画ではイマジナリであることがはっきりしています。ジンザンの台詞から、「イマジナリは想像主の想像したことに縛られる部分がある」という一応のルールが示唆されます。ジンザンは「眠らずにずっと見守っていて欲しい」と願った想像主によって、眠らないイマジナリになっているわけです。これはとても重要な台詞で、そのことがバンティングのイマジナリである黒髪の少女の在り様に思いを巡らせる部分です。「話すこと」さえ想像してもらえていない少女です。また、エミリーはラジャーに自分は病気で大人になるまでに死んでしまった子どものイマジナリだった、アマンダはまだ生きているから会えると、ラジャーを勇気づけます。個人的に仕事で重度の心身障害のお子さんと関わったりしているので、ぐっときた場面です。エミリーの早くして亡くなってしまった想像主を思うと、エミリーがほとんど普通の女の子の姿をしていることや、空さえ飛べてしまうことに、胸を打たれます。
⑤図書館の掲示板で写真を選び、その人の一時だけの想像の世界の登場人物になるというお仕事に出かけるイマジナリたち(この設定は原作にも少しニュアンスは違いますが大まかにはあります。)。そこでイマジナリの1人ホネッコガリガリは、男の子に気に入られて一時でないその子のイマジナリに選ばれます。するとその子に想像された姿に変わります。このシーンは次に続くラジャーの姿が変わってしまうという流れのための伏線になってもいますが、バンティングのイマジナリである少女について考えさせられる重要な場面でもあると思います。
⑥バンティングの最期について、何をして終わるのかという出来事は原作と同じですが、黒髪の少女の行動は全然違うものになっています。ここが映画の改変に一番ハッとしたところです。そして、私の見間違いでなければ、バンティングが消えた(原作では消えはしませんが)あとに、バンティングの写真がハラハラと残っていたと思いますが(私は視力が大変低いので違ったらすみません)、ここがあの黒髪の少女に一言も喋らずして物凄い奥行きを作っていると感じます。あの少女はバンティングの写真を選んでやってきたイマジナリだったのか、だとしたら、以前もっと違う姿だったのかも知れない という読み取りも出来ます。ですが、あそこまで下僕のように作られたイマジナリである黒髪の少女の中に意思の力が残っていて、あの行動に至ったのなら・・。バンティングは映画の中で「想像は現実に勝てない」と言っています。そして、消える間際に、自分が飲み込んだもの(黒髪の少女)の味を、「まるで現実」と形容して消えます。
現実とは何なのか?想像が意思を持つとはどういうことなのか?バンティングとは一体どのような存在と解釈出来るだろうか?そういう考察をしていける素晴らしい提示だと思いました。
さて、あれこれ感じたことを書いてみました。映画のラストは、原作をもう少し取り入れて、レイゾウコとの別れを長くして、ラジャーの絵にまつわる話を入れた方が好みでしたけど、あれは尺の関係でそうなっちゃったのかなとも感じました。序盤でアマンダがクサクサしながらなぐり描きするシーンがあるので、私の思うようなラストの案がもしかしたらあったのかも?とも思いますが、どうなのでしょう?細かく言えば、ここは敢えて台詞にしなくてもいいかなとか、レイゾウコという名前は原作のままなんですが、変えちゃっても良かったかもとか、宣伝がイマイチ上手でなかったのは残念とか思いますし、絵はきれいですが、個人的には3Dアニメが好きでないから、これ以上立体感出さないでいいとか思ったりはしますが、ちゃんと評価されないと勿体ないと感じる作品でした。
もし、私のレビューを読んで興味が湧いたら是非観てみて下さい!
こんな長い文章、読んでくださった方、ありがとうございました。
庵野秀明??
思い出しました
なぜこんなに泣けるんだろうと思ったら、私にも小さい頃にイマジナリーフレンドがいたからだったのかなと。アマンダのようにあそこまで大きな想像はしませんでしたが、そのお友達たちとよくお話していました。少し大人になった今、イマジナリーフレンドを作ろうとしても、見えることはないし、1人で話すなんて恥ずかしくなってしまって出来ないと思うけど、子供の頃は違ったんだなぁと思い出させてくれる映画で、大人になってしまうことを少し寂しくなりました。やはりマーニーもイマジナリーフレンドであるように、スタジオポノックはこのようなテーマがお好きなのかなぁと。私は大好きなお話です!上手く話が繋がっていて良かったと思う。ただ、あの貞子似の怖い女の子は他のキャラクターに比べ浮きすぎてたし、思ってた以上に怖すぎてびっくりしました笑笑。おじさんも笑笑。子供がみたら少しトラウマになっちゃうかもしれませんね。映像はとても綺麗だったけど、もう少しくっきりとした、んージブリとはまた違う個性のあるキャラクターとか、景色が見てみたかったです。あと想像力というテーマはとても難しいと思うけど、想像はもっと広げられるはず、あのおじさんを倒すときにおじさんの想像力を遥かに上回る、アマンダのもっと広い想像を見たかったです。私は映画の余韻に浸るのが好きなのですが、屋根裏のラジャーはあまり印象的なワンシーンや景色が思い浮かばず、見てる間はとっても感動したし楽しかったけど、映画を見終わったあとはあまり余韻に浸れなかったのが少し残念でした、。でも感動シーンやエンドロールに流れたテーマソングはとても感動しました。マーニーに続き、洋楽を使うあたりが大好きです!とっても良い曲でした。感動するし、見てて飽きないし、私はもう少し話題になってもいい映画だと思いました。
足りないものは何か
ジブリからポノックにアニメーター他入っていることが、宮崎駿がいるいないでこうなるのかという進化形態?新しいアニメの技法もジブリになかったモノを作ったと言えるかというと足りない。新海誠などの新旗手に勝てない。
キャラクターをもっといじることが出来なかったかな?悪役の女の子(ミスターバンティングの手下)をもっと今時の笑わない可愛いキャラにするだけでも良くなってくると思うのですが。なぜなら後ろで観ていた観客の子供が「怖い、怖い。」と声を出していたのです。バンティングの手下はもっと魅力的なキャラにしたらキャラ力が膨らんだって思うんですけど(だだの幽霊か?)。
なんかどちらかというとアニメオタクは切ったキャラ設定で、なおかつ子供にも受けがないですから誰に見せる為に作っているのよという感じ。
声の出演もジブリを継承して俳優ばかりでやるポノックのメリットはあったのかな?出演料ばかり破格にするだけでは名作になれない。
絵が綺麗!急に泣けてきた
微妙…
最初は楽しい雰囲気だったのですが…。
レビューも高くて期待していたのですが、その割には…でした。
観終わった後に、自分の座席より前にいたロングヘアの小さな女の子が冴えない表情をしていたのが、印象に残りました。
悪役の1人が似た感じの小柄な女の子だったので、この子はどう言う気持ちで観ていたのかなと考えてしまいました。
ただ単につまらなかったのかもしれませんが。
子供が観るそうていのアニメ映画だとは思うのですが。もし自分が母親なら小さな娘には見せたくないなと思いました。
そして、自分が小さな女の子でも見たことを後悔したと思います。
子供時代なら少しトラウマになったかもしれません。
子供の気持ちを考えると見せるのか迷う作品です。
楽しい雰囲気もあっただけに残念。
メアリは、とても楽しかったので、今回はたまたまだと思います。
次回、良い作品だと良いなと思いました。
予告では期待値はそれほどではなかったが非常に良作
ジブリ好きとしては後継とも言えるポノックがどのような作品を作って行くのか気になり鑑賞。1作目のメアリはジブリに対するリスペクトを強く感じるような作品であったが、今作はジブリとも違い、(これから先のポノックは今後の作品を観てからではあるが、)ジブリやディズニーの良さを含みながら他とは違う新たな会社の作品だと感じた。
ジブリは主に宮崎駿監督と高畑勲監督によるもので、宮崎監督は子供にも親しみやすいファンタジーでありながら、観る年齢に応じて受け取り方が変わっていくような面白さがあり、高畑監督は大人向けで、宮崎監督と同じく観る年齢に応じて受け取り方が変わる作品であったりと、他社とは大きく違う印象を持っている。
それに対しポノックの屋根裏のラジャーで百瀬監督、西村プロデューサーはシンプルに子供向けファンタジーとしての見方も出来るが、大人として観た時はかなり難解に感じる作品を作ったと思った。というのも、スピード感ある展開にこの意味はと考える時間があまり無い為、1回で全てを理解するのは難しい部分がある。何度も観たくなる、観るほどに魅力が増す作品だった。知的作品として非常に面白く、また子供より大人が涙する作品でもある。涙活にオススメ。
初見では安藤さんだけあまりに酷く、実写でそのように感じることのない女優さんだったので驚いたが、2回目は初回程は気になることなく、内容の良さが上回った。
他の俳優は皆さん非常に良く、特に杉咲さんに注目。(ネタバレなしでは難しい為このくらいで)他にも仲さん、山田さん、高畑さん、イッセーさんと演技力の高さを感じた。
少し怖いキャラクターがいるが、子供からご高齢の方まで楽しめる作品。実際、怖いシーンは小さい子供には大丈夫かと思いながら観たが、意外にも初回も2回目も観終わった後、楽しそうに話している子供達が多く、自身の経験からも大人が一緒であれば夢の国のアトラクションで悪役が出てきて怖く感じるのと同様の感じといったところだと感じた。
ポノックという会社の未来の明るさを感じることが出来た。
アニメーションは圧巻 ストーリーは……うーん……
自由な空想は自在に姿を変えて動き回る
そのことをどんな言葉より雄弁に動きで示すかのようなアニメーションは、一見して理不尽に感じるような変形や動作もダイナミックでありながら繊細に破綻のない説得力を以て示してくれたような気がする
この点で、映画館へ見に行ったのは正解だと思えた
ただ、それにもかかわらず視聴を終えたあとの感覚としては、どこを感情の置き場とすればよいのか、行き場をなくしたような、どうにもすっきりしないものだった
思い返してみると、ストーリーの軸がハッキリしていなかったところにその理由があったような気がする
イマジナリーにとって、消えないことが幸せであるのか、変わらないことが幸せであるのか
大切なのは空想の作り手である人間であるのか、イマジナリー自身なのか
空想の敵は現実であるのか、或いは別の空想が敵になるのか
そういった根幹に関わる部分が曖昧で、「想像してみてね」という作りとして考えてみてもどうも投げやりな印象になってしまう
そうした積み重ねの結果として、壮大な映像美にもかかわらず感動しきれない、という視聴後感になってしまったのかなと思う
せっかく見るなら映像美を余さず楽しめる映画館がいい
けれど手放しでオススメするにはストーリーにどうしても不完全燃焼感が残ってしまう
感情をどこに置いたものかどうにも迷ってしまう
なんとも言えない映画だった
いい話なんだけど、切なくなった
主人公の少年、ラジャーはアマンダという少女の想像から生まれた、他の誰にも見えない想像の友達。
アマンダのためだけに存在している。
だから、アマンダが彼を忘れたら消えてしまうし、ラジャー自身はアマンダの友達として想像から生まれたのだから、アマンダを深く愛している。
こういう一方的で絶対的なものを見ると、僕のようなおじさんは切なくなるのです。
例えばオートバイ。
おじさん世代にはバイクに乗る人も一定数いて、若くてまだ給料が少なかった頃には、自分の愛車を最高の相棒のように言って、そのバイクに乗ってどこへでも旅をします。
バイクにとっては、乗り物として目的地まで安全に人間を運ぶために作られていて、その安全に運ぶべき大切な人間が、エンジンキーを持っている唯一絶対の、そのバイクの所有者です。
でも、その唯一絶対の存在であるオーナーは、例えば結婚して家族ができればバイクより家族が大切になることもあるし、バイクに乗る趣味がずっと続くとしても、バイクは工業製品なので、10年後とかに店頭で売られている最新機種の性能には絶対に敵わないのです。
そのうえ、オーナーは年齢を重ねてお給料も増えて、より高額なハイエンドモデルを買うことができるようになっていきます。
最高の相棒だったはずの愛車はいつしかガレージで埃をかぶって、エンジンオイルは古くなってドロドロベタベタに固まり、なんなら調子のいい中古車を買えるくらいの金額をかけてオーバーホールしてもらわないと乗れないとか、あるいは最新の上位機種への乗り換えで下取りに出されて二束三文のお金に変わります。
今までどんなに大切にされてきたとしても、「前のオーナーがどんな乗り方をしていたかわからない、急発信急加速でエンジンに負担をかけてきたか、オイルはきちんと管理されて定期的に交換していたのかもわからない」と、大切にされた過去まで否定されて、「初めてだからぶつけてもいいように安い中古を」なんて、ろくに大切にしてくれそうもない他人に買われていく。
そういう人間にとって都合のいい宝物が、映画の中の想像の友達と重なって、大人にはツラい映画だと感じました。
アマンダの母親リジーがずっと前に忘れ去った空想の友達、冷蔵庫という名の犬なんか、とうの昔に忘れられていても、それでもリジーを想っていて、映画のクライマックスでリジーが冷蔵庫を思い出したときには窮地を救いに現れるなんて、表面だけ見ればいい話なんだけど、おじさん的には「冷蔵庫、都合良く使われて腹を立てることもできない。自分をずっと忘れていたリジーに対して、子供ができて幸せそうで、良かったなんて喜んでいる不幸な犬」というふうに見えてしまいます。
表面的には「子供が生み出した想像の友達を食べることで想像の力を維持している、怪物みたいなおじさんが悪役として登場して、そいつに狙われたラジャーが、友達の力を借りてアマンダと一緒に悪役をやっつけてめでたしめでたし」という話なので、子供向けに単純で、誰でも楽しめると思います。
でも、想像の友達の存在について考えてしまうと、途端にかわいそうになります。
思ったより大作だが、明るさでコーティングされた根暗さを伴う
映像はとても綺麗です。ですがやはり、メアリと同じように、入り込めない不思議さを備えています。ポノックの作品は絵がジブリなので、ジブリレベルの人物描写で観ている側が入り込める事を期待してしまう(絵の感覚としてもはやそうインプットされている)のですが、ポノックは人物描写やハートフルな展開の作りがとても苦手だと感じています。
これはメアリの時も感じたことですが、脚本をなぞる為に、キャラクターがもたもた動いたり、心理描写に人間味がなかったりする事があり、それが私をイラつかせます。私がポノック作品に対して感じることは、明るさでコーティングされているが滲み出てくる根暗さと言えます。オープンマインドの演出をしていながら、実際は出てくる人物は殆どが根暗です。
例えば、主人公は基本的に心から周りと打ち解けていません。よく泣き、行動力はあまり無く、必要以上にもたつきます。
なぜなのか?ポノック作品が宮崎駿のジブリ作品のハートフルさや冒険活劇のような皮をかぶりながら、実はいつも大した冒険にならず、いつも人物描写に根暗さを備えていて、なぜ必要以上にもたつき、ご都合主義的展開でのみ解決を図るしかなくなるのか、メアリの時から考えていて私が出した結論は、それが監督や社長の幼少期の過ごし方で、それが内向的なものだったからというものです。これが良い悪いでは無く、だからこそ、きっと同じようなタイプにはハマる映画なのだと思います。ただ、わりとハートフルな私にはとても違和感で、チグハグに感じられてしまうのです。私が思うのは、ポノックは冒険活劇のように振る舞う事を辞めた方が、ポノック的な人物描写にマッチしていくのではないかということです。
色々なインタビューを読むと、ポノックは子供のために映画を作っているとのことです。それならなぜ、滅びに対して軽い描写をしてしまう節があるのか疑問を感じるところです。アリエッティから共通して、滅びや消える事に対しての軽さと欲求が垣間見えています。子供が楽しめる映画を目指しているのに、そこに、大人である誰かの、内面で抱えている人に対する価値観が反映されているのが見えてきます。そのような根暗さをもっているのに、この映画は大人に対して、子供の心を忘れるなと説教じみた要素を取り入れてきます。ジブリに慣れ親しんだ元々ハートフルに生きている大人は、それならもっとちゃんと温かみのある人間らしい描写をしてくれ!と思わされてしまうのです。
映像は綺麗です
1回見れば充分。
映像は本当に素晴らしい。シナリオも悪くない。俳優の演技が悪いわけでもない。演出だって悪くない。だけどつまらない。
何と言うか物語に奥行きが感じられない。キャラクターに深みが無い。
今までのスタジオポノックの作品にも言える事ですが、見たまま、それだけの物語になっている様に感じます。
唯一感動したシーンは、ガイコツのキャラクターのイマジナリーが新しい男の子のイマジナリーに選ばれる所だけ。
魅力的なはずのイマジナリーの仲間たちも、楽園で享楽的に暮らしている様に見えても本当は主たる友達を求めているのではないか。どんな過去や思いがあって、ミスターバウンディングはイマジナリーを食らってまで生き続けようとしているのか。
そういったキャラクターの奥行きを感じさせるセリフも演出も全く無いのです。
唯一、語られるのは最後に重要な役割を果たす老犬のイマジナリーの冷蔵庫だけ。その語られ方も非常にわかりやすく全部を見せてしまうので、それ以上を感じさせる余地が無いのです。
重要なキャラクターのはずのエミリが消されてしまっても、さらっとそのシーンは流されてしまう。
ミステリアスな黒猫のイマジナリーのジンザンも、何故か全くミステリアスに感じられない。エミリが消されるシーンでも何もできず、その後のシーンにはほとんど活躍どころか登場もしない。
監督はおそらくイマジナリー達の本質的なはかなさ、みたいなものを表現しようとしたのかな?とは思いますが、それも表現しきれていない。
はっきり言って監督の力不足なのだと思います。技術は素晴らしい。だけど物語を作る力は無い。
絵が上手なだけの秀才的な作品だと感じました。1回は観る価値はある。でも2回目は無いかな。ひまで他に観るものが無ければ観るかも。
ジブリ感が抜けた大作!!
ラジャーらイマジナリーが、アマンダを助けるために敵にたち向かう作品。ラジャーたちの個性が豊かで感情移入して鑑賞出来ました。声優も豪華で……!
ジブリ感は、かなり抜けていてスタジオポノック独自が出ていて感動しました。
子供と大人で感じることが変わる優しいアニメーション。
とても良い映画だったと思う。
アニメーションも煌びやかで綺麗だった。
子供の時と大人の時で感じることが変わる優しい映画だったと思う。
ラストはいろいろ意見が分かれるけど、
ラジャーとのお別れというより、アマンダ自身の子供時代とのお別れだと感じた。
つまり、ラジャーとの冒険は終わりだけど、大人としての自分の冒険はスタートするし、
ラジャーという存在はいつも自分を見守ってくれて、困った時は相談にも乗ってくれる。
ある意味ラジャーに依存していたアマンダが本当の友達としてラジャーを受け入れるって読み取った。
そして、それができない人間はミスターバンティングみたいになってしまうのだと思う。
バンティングのイマジナリーの背景はよく分からないけど、たぶん自分の娘とか幼馴染とか大切な人を亡くして、それをイマジナリーにしたんだと思う。
だけど、大人になるにつれて、イマジナリーの力は衰えていく。そのために他の人のイマジナリーを吸収することで自分のイマジナリーを保とうとした。
最期は自分自身のイマジナリーによって崩壊してしまう。
この作品の伝えたいことを個人的に考えてみたんだけど、
バンティングという人物はクリエイティブに生きる人の『成れの果て』なんだと思う。
少しずつ衰えていくイマジネーションをどう保つか、どう表現するか。
いろんなものを吸収して作品に活かしていきたい、だけど、少しずつほつれが出てしまい、衰えが生まれる焦燥感。
そして、どこかで自分の目指した世界に決定的な食い違いが生まれて、最期は自分を崩壊させてしまう。
本当はアマンダのように子供の感性のままで作品作りができれば、
どんなに素敵な作品ができるのかもしれない。
でも、それでは社会で不適合扱いを受けてしまうし、
人と人との繋がりがなければ、世の中に出す作品は作り出せない。
大なり、小なり、大人としての成長は必要だけど、
でも、子供の時の感性を捨ててはいけない。
ある意味、大人と子供の境目の世界で生き続けることを決意した
クリエイティブな世界で生きる人の「産みの苦しみ」を表現した一作でもあるように感じた。
そして、アマンダもその世界で生きることを決意した一人なんだと思う。
だから、ラストは「アマンダはラジャーを一生の友人として生きていくんだ」と結論づけた。
あまり高評価をされていない映画だけど、ぜひ、まずは観てほしいなと思います。
ジブリよりわかりやすく面白い
アーニャにハマっていない息子のリクエストで鑑賞しました。チケット買ったあとに上映回数の少なさに気づいて、いろいろ調べていると「爆死」?…すごく不安に…
が、ものすごく面白かったし観てよかったです。本家ジブリにいくつかある独り善がりな迷作よりはオススメできます。ファミリー向けの良作です。
台詞回しや展開が少し目まぐるしい気もしましたが、隣の息子は身を乗り出してずっと夢中で観てました。エンドロールでも滿足した顔で「面白かった!」と言っていました。この息子の反応が評価としては全てだと思います。
宮崎翁もカリオストロではお金の面で苦労したというのもありますし、ポノックもなんとか乗り越えて頑張って欲しいです。
応援の意味も込めて星5で。
観た人の宝物になるような作品
6歳の息子と観てきました。結論から言うと、映画館で観ることができて本当に良かったと思いました。
まず純粋に、映画に出てくるたくさんのイマジナリフレンドがかわいい!!
イマジナリたちがイマジナリワールドで過ごすシーンは、観ているだけで楽しくワクワクした気持ちになります。
息子は小雪ちゃん推し、私はサムライエッグ推しです(笑)
物語のストーリーとしてはファンタジー要素だけでなく、しっかりと現実世界の厳しさも描かれていて、母親の私としてはリジーの姿に何度も泣かされました。
そして謎の男バンティングのセリフには哲学的な要素もあり、深く考えさせられました。
ラジャーは、子供時代の気持ちを思い出させてくれて懐かしい気持ちになり、バンティングや現実世界のストーリーには生きる厳しさをつきつけられる。
子供の心にも大人の心にも残る作品だと思います。
絵はとても綺麗です。
光の表現、温もりを感じるキャラクターの質感、芸術的とも思える想像力が生み出す描写の数々。
日本が誇る手描きのアニメーションの、新しい世界が拓けた気がします。
そしてかわいいイマジナリたちの姿には、どんな子が生み出したイマジナリなのかなとこちらの想像力をかき立てられます。
まだ小さい息子でも飽きずに最後まで観れたのは、やはりこの魅力的な絵とキャラクターがあったからだと思います。
さらに音楽が壮大で、映画全体に厚みをもたらしていると感じました。
最後の主題歌「Nothing's Impossible」がたまらなく良かったです。
この曲を聴きながらのエンドロールは、ちょっと言葉では表現しがたいほどの感動でした。
ストーリー、キャラクター、映像、音楽、どれをとっても素晴らしくて、映画館に観に行って大正解の作品でした。
まだ映画館デビューして間もない息子と私にとって、宝物のような作品になりました。
息子にも、成長と共に何度も見返して欲しいと思うので、Blu-rayが出たら買う予定です!
”大人になるということ”
大人になると、なぜイマジナリーといられなくなってしまうのだろうか。
なんとなく、そんなものだよなと受け入れてしまっている自分がいる。
日々が忙しくなり、時間がなくなるからだろうか。
現実を知ってしまうからだろうか。
想像の世界を楽しめなくなってしまうのだろうか。
子供には何故想像する力があるのだろうか。
自分も小さいときは色々なことを想像していたように思う。
しかし、スマホを持つようになってから想像する”時間”というのが格段に減ったような気がする。”暇な時間”に色々なことを想像していたのが、暇なときにはスマホを触るようになった。
今では、暇な時間に何かをやっていないと落ち着かなくなってしまった。
大人は想像の世界に浸らない。そんな考えが自分の中にはあるのではないか。
「想像が絶対に勝てないものがある、それは現実だよ」
Mr.バンティングは言う。現実によって想像は消えてしまうのか。
自分の世界に浸ることは楽しい。
想像によって、自分は自分の世界を作ることができる。
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