「カノンは撹乱されて新たなロマンに至る、はず」スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース Pocarisさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5カノンは撹乱されて新たなロマンに至る、はず

2023年6月19日
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鑑賞方法:映画館

前作は公開時に見ていますが、今作の情報はなるべく入れないで見に行きました。

マルチユニバースの映画が多すぎて、私も「ザ・フラッシュ」と二夜連続になってしまいましたが、しかしその意味は作品によって異なっていますね。

今作も前作に続いて異質な絵柄を一つの画面に投入してしまうという方法で多元世界を表現していますが、絵柄の違いはそこに至る歴史や発想の違いでもあるわけで、それらが渾然一体となっている姿とは、つまりこの世界のありようそのもののことですね。
つい「多様性」などという雑な言葉で言ってしまいがちですが、無限の個性の集合体としての世界。
それは近年やたらと合言葉のように指摘されるようになる以前から、ただ当たり前に存在してきたものです。

(今作が自由すぎて疲れると書いてる人がいて、思わず笑ってしまいました。大笑い。当たり前です。世界とはそこにいるだけで疲れるものです。今作で疲れるとはそういうことですね)

ただし、今作の凄さは、そうしたアニメーション技術の極北(今回はダ・ヴィンチのスケッチまで絵柄の一つとして出てくる)としての映像の素晴らしさだけではなく、そうした技術を動員してまで描かれる物語が、まさに多元性多様性とは何かを問い返すものになっていることです。

絵柄は多様で多元で一つ一つ歴史と発想の異なる個性を発揮してしていても、それぞれの絵柄で描かれる物語がみんな知らず知らずに同じものになっていたら……?

まさしく作中でも、「カノン(=規範、聖典)イベント」をどう阻止し、新たなる物語(=マイルズの言葉では「運命」)を切り拓き得るのかという点に焦点が絞られていきます。
過去の人間の発想の限界を今いかに乗り越えるかという、メタレベルのメッセージがそこにはあります。
それを全力で阻止しようとする人が多数派なのも現代らしい。「あなたのためなのよ」という気持ち悪いセリフがまさかあのキャラから聞かれるとは……。

物語は、常にカノンと化したものをどう撹乱し、新たなものへと脱皮するかという問いにさらされているものです。
その時には一見して荒唐無稽な物語がカノンに対抗するために必要とされると言います。(しかしその荒唐無稽な物語も次世代にはカノンと化し、また別の荒唐無稽によって塗り替えられる)

「スパイダーマン」の物語自体がすでにカノン、古典と化している今、「スパイダーマン」の歴史自体を脱構築するような物語が展開するはず……ですが、それを目撃するには続編を待たなければいけなかったとは。

Pocaris