「記憶を失っていく母と、記憶を取り戻すむすこ」百花 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
記憶を失っていく母と、記憶を取り戻すむすこ
母と息子の心をとても繊細に描いた映画でした。
たとえば泉(菅田将暉)が母・百合子(原田美枝子)のオンナの部分を嫌悪している描写があります。
好きだった人・浅羽(永瀬正敏)と泉を混同する百合子。
「今晩、泊まっていくんでしょう?」
まるで恋人のように、腕をからませてくる百合子。
泉はそっと手を除ける。
認知症を発症した母・百合子。
泉の妻の香織(長澤まさみ)は妊娠している。
泉は小学生の時、母・百合子が突然帰ってこない辛い記憶と、
一年後に帰ってきた母への、わだかまりを抱えて生きてきた。
仕事も順調な最中、百合子がスーパーで問題を起こす。
スーパーのシーンは印象的です。
何度も同じコーナーを行き来する。
何度も何度も卵をカゴに入れる。
「走ったら危ないよー」と子供たちに声をかける。
それも繰り返す。
そして男の客の後ろ姿を見て、
「浅羽さーん!浅羽さーん」
とレジで精算しないで追いかけてしまったのだ。
そして検査の結果。
認知症(若年性アルツハイマー)と告げられる。
原田美枝子を見る映画でした。
若い日の美しい人。
病を発症してからは二役かと思うほど別人。
メイクでこんなに変わるものでしょうか?
川村監督は、原田が集中して張り詰めているのを感じて、
疲れ切ってふっと気を抜いた瞬間を映像に収めたりしたそうです。
小学生の息子を捨てて、男と暮らす母親。
(私には理解できない行動です)
それは1年間のことでしたが、
たった1年間なのだろうか?
2日間でも辛い。
母が帰ってこなかった日の、不安、絶望、空腹。
母親が全宇宙の少年にとっては永遠に近いほど長かった筈。
菅田将暉と少年の泉が重なったり入れ替わるシーンが
切なかったです。
母が見えなくなって探す大人の泉。
「お母さーん、お母さーん!」
その声が、声変わりしてない可愛い男の子の声に変わる。
ここが本当に切なくて泣きました。
原田美枝子が監督と衝突したとも話しています。
ワンシーン、ワンカットの長回し。
監督の意図が分からずに、
「なにが撮りたいの?」
原田美枝子は問いかけたそうです。
しかし何度もリハーサルを重ねるうちに、
「監督は芝居の奥にあるもの・・・それを探している」
と気づいて、あとは監督の指示に身を委ねたそうです。
恋に狂う女の部分と、息子へ後悔に揺れる内面。
やはり原田美枝子は圧巻の演技というより百合子そのものでした。
そしてラスト。
菅田将暉も母にはじめて正面からぶつかり叫ぶ。
「勝手に忘れられたら困るんだよ!」
「こっちは全部おぼえてるんだよ!!」
それまでの抑えてた演技がガラリと変わり、
感情の爆発と菅田の瞬発力に説得力がありました。
「半分の花火」
忘れてしまっていたのは泉の方でした。
若い母と並んで腰掛け、ビルの上から半分だけ見える花火。
「一輪の花」
それも少年の日の泉のプレゼント。いつも一輪。
母の思い出の曲「トロイメライ」の調べと共に、
2人の楽しかった日々のシーンが走馬灯のように
フラッシュバックします。
母は記憶を失ったけれど、泉は母を取り戻した。
そう感じました。
もう少し強く心に訴えかけてくれば、もっと泣けた気がします。
コメントありがとうございます。
ただ、ありがとうございます。
言葉にできない作品の詳細は、何ともいえない後味を残します。
それは決して嫌なものではなく、作り手と視聴者の狭間に感じる「何か」です。
その「何か」というはっきりしないゾーンに納得できるのか違和感を
感じるのか。人それぞれの、「量の差」なのかもしれません。
ただそれをこのように語らう場あるのはいいことだと思います。
いつもありがとうございます。
さて、琥珀糖さんのレビューですが、
>「なにが撮りたいの?」
>原田美枝子は問いかけたそうです。
>しかし何度もリハーサルを重ねるうちに、
>「監督は芝居の奥にあるもの・・・それを探している」
この部分で納得できました。
私が指摘した部分だと思います。
「作り手の世界」とこっちの見る世界の差がここにあったんだろうと思いました。
確かに「芝居の奥にあるもの」には光がありました。
しかし、描かれなかった部分を補うことはできないと思います。
私はその差に違和感を感じたのだと思います。
こんばんは。
こちらこそ共感ありがとうございます。
いつも誉めて頂いて恐縮です。
言葉をあまり知らないので抽象的な言い方になってしまうだけです。
琥珀糖さんはstoryに沿ってレビューされるので読んでいくとその時の情景が甦ってきます。
そこに感情を入れてくるので深さを感じます。
よくコメント欄に深いレビューですね。
と書かれていますが…
わたしも同じ気持ちです。
これからも楽しみにしてます。