「消え行く想い出と、残り続ける感情…」百花 kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
消え行く想い出と、残り続ける感情…
まず、オープニングから映像マジックに驚かされた。
長編初監督である川村元気の演出は、映画を熟知した巧みさに富んでいた。
監督補=平瀬謙太朗の力もあるだろう。
次に、菅田将暉が長髪を後ろに括っているのが気になってしょがなかった。
センスの違いなのだろうけれど、自分にはあれが綺麗だと思えない。
ま、これは余談。
予告編で「半分の花火」がキーワードとして投げ掛けられている。
本編でこれがあっさり見つかったときには釈然としなかったが、そこに巧妙な仕掛けがあり、主人公と共に目を潤ませることになる。
この映画は、「記憶」という厄介なものを媒介にして、母と息子の因縁、絆、愛情というものを描いているように感じた。
人が健全に生きていくために「忘れる」機能が備わっているのだと、誰かに聞いた覚えがあるが、人は忘れてしまいたいことが忘れられずに苦しむ。一方で覚えておくべきことを忘れてしまう。しかも、忘れてしまうと忘れていることにも気づけないのだ。
「記憶」とは、げに厄介なもの。
母親が記憶をなくしていくのを見つめる息子。息子は母親にある恨みを抱いている。自分がやったことを忘れていくなんて、いい気なものだと感じている。自分は未だに苦しんでいるのに…。
でも、「半分の花火」のことは、母があんなに見たがっていたのに、自分がすっかり忘れていたことに驚く。
母にとって自分は愛おしい息子であり続けたのか、あの優しい母を愛していた子供の頃を自分は忘れていたのに。
年をとると新しい記憶を蓄積できなくなる。老いると新しい記憶から消えていき、若い頃の強く熱い記憶だけが残る。
成長過程で新しい記憶をどんどん積み重ねていくと、幼い頃の他愛ない記憶は逆に薄れていく。
親が年老いて死に近づく頃に思い出す我が子の幼い頃のことを、子供の側はほとんど覚えていないという皮肉こそが記憶のメカニズムなのだろうか。
この映画の母と息子の関係は、一般論が当てはまるものではない。
たが、この記憶のメカニズム自体は多かれ少なかれ誰にも当てはまるだろう。
最後まで残るのは、出来事の記憶ではなく愛おしい感情の記憶なのかもしれない。。
記憶のメカニズムについての考察、さすがです。派生してこんなことまで考えてしまいました。
意識などしていなくても、歳とともに若い頃の武勇伝の記憶が誇張されたものになって自慢度が増したり、辛い記憶がより悲劇的に脚色されたりすることは誰にでもあります。
それが映像になると、客観的な事実のように見えてしまう。川村元気監督や岩井俊二監督はそういうギャップを知り尽くして映画を作っているのかもしれないですね。