渇水のレビュー・感想・評価
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優れた短編小説の映像化
原作は読んでいないが、優れた短編小説の映像化に成功した一例と言える。
自身と親との関わりから、我が子と適切な距離を持てない男が主人公。
水道局の停止水執行業務に淡々とこなしている。
母親からネグレクトを受けている姉妹との出会いが彼の心に何か変化を起こさせるというストーリーではあるが、役者陣がそれぞれ良い働きをしている。
門脇麦も良かったが、長女も今後が楽しみな子役。尾野真千子も作品ごとに別人のように登場するさすがの演技派。
よく似たテーマの作品がほかにもあるという指摘もあるが、見方はそれぞれ。
好感が持てる作品。
美しいものは誰のものでもないものである。
原作は未読ですが、30年前の原作当時とは違って、今はさらに貧富差が拡大し、コロナも加わって、一人親世対の困窮度はさらに高まっているようです。当たり前になっているので、『私だけ感』が弱まっているからなのか、『苛烈』と言われている原作からイメージされるものとは若干異なり、少し未来に希望をもてるような中身になっているところは、とても良かったと思います。
本作を観て、昨年9月に起こった、中学生姉妹の列車事故を思い出しました。運転手が『二人抱き合っているように見えた』というあの事件です。最近の国会で野党が子供達の心の安全と命を守るために対応が必要との訴えのときに持ち出したのがこの事件でしたが、答弁に立った大臣の声が心なしか涙で震えているように見えたのがとても印象的でした。
美しいものは、誰のものでもないものである。
日本のある詩人がこんな意味のことを言っていました。
生きてゆくのに必要なもののうち、太陽の光や、青空や、空気はただなのに、何故水に料金がかかるのだろう。この映画にもそんな台詞がありました。雨水を濾過して清潔な状態にし、運搬するのには、コストがかかるのだから、それはしょうがないよなとつぶやきつつ、よくよく考えると、電気とは違って、それがないと命の維持が最早不可能になるような性質のものなのだから、基本的人権を守るためのベーシックインカムの一部として現物給付することもできるのではないか・・・なんていう夢想に走ったりします。(以下ネタバレあり)
ささやかな水テロ。そんな本気の抵抗の根っこにあった感情は、多分『抱き合って死んだ』姉妹たちの話を聞いて震えた大臣の感情と同じだったのだと思います。映画ではささやかすぎて、社会の仕組みをかえることは無論無理だったわけですが、その共感が姉妹のこころにある重要な変化を与えたように、国の政策にも変化を与えて、幼い命が無駄に散るようなことが一切ない世の中になってほしいものだ・・・そのように思いました。
くり返し考えると★の増える作品
生田斗真が主演なので見に行った、とゆうだけの私にはちょっと難しかった
社会問題をたくさん提示され、何を感じれば良いのか。。私も流されて生きてるからね!
監督がもっと言いたいことを、明確に出してくれたら。映画見てる時間は別世界と思ってるので、思いっきり表現してくださいな。
ネグレクト、学歴社会、貧困、ほか諸々(働く意義、家族)の問題が同時に降り掛かってきたら、心は乾くね。
岩切は子供の愛し方がわからない程になってる。
自分が小さい頃愛されていなかった…て理由だけじゃなく、人の家の水道を停止する仕事に愛を感じないからじゃないかなぁ。。助けようとしても分かり合えないし(小出の母とかね)。
しかし①水はタダよ、山の中の滝とかはね。でも家に来る水は整備されてるんだから水道局にありがたく金払うでしょ。下水道のお金も払わなきゃあね。
しかし②「湯道」のむき卵のような肌と比べて今回の肌はどうだ。生気のなさはどうだ。俳優ってすごい…
誰かがやらなきゃいけない仕事
子供への親と社会の責任
それは大人もいろいろつらいのであるが、子供は無防備であるのだから、社会システムがもっと強く守れるようにしないといけない、ということを改めて感じた。主人公の家族への感情も生い立ちに起因している。とはいえ、自分も子供にはそっけなかったので子供も感情表現があっさりしているなと思い、思いつまされるのであるが。
じわじわと胸にくる
ヴェオリアだったらこうはいかない
ガッキー風味のある毅然とした姉といつでも無邪気に明るい妹がネグられた上、猛暑の水不足下で水道まで停められる。公園での水テロ場面や、やたら生田斗真にタバコ吸わせて間をもたせるとか、彼女の妊娠に気づかない磯村勇斗のありがちなボンクラぶりなど気になるところは多々あるが、健気な姉妹の姿に同情しないわけがなく、正直反則である。
母親役の門脇麦は生活臭のする貧乏シンママ感を出しながら、化粧すると絶妙なグンマーの援交・パパ活女子らしさで相変わらずすばらしい(めちゃくちゃ言ってすみません)。水のにおいがする男はダメって、普通の30歳じゃ出てこない知見だ。
粒子の粗いざらついた映像はフィルムっぽさを狙ったのか。まあ、普通に撮っちゃうとNHKの2時間ドラマでいいかという話だが、予算なさげな割に著名な俳優が端役まで揃ってるのは製作の白石和彌の力だろう。ラストは生田の家庭が修復されるより、姉妹の父親がスエズ運河から戻って二人を迎えに来るファンタジーにしてほしかった。やっと雨が降ったんだし。
で?
地域柄、6月は身動きが取れない。
何とか時間を見つけて足を運んだ。
もっと観たい映画はあったのだが、時間が合う作品の中で消去法で選択。
予告編から観てもいいかなと思ってはいた作品。
そういう地域の平日の昼とは言え、観客は私一人。
公開間もないのにあんまりだよねと思っていたが、それに相応しい作品と感じた。
冷房の効きすぎかずっと寒気がしたが、内容も寒々しく辛かった。
拗らせた水道局職員や子供たちを棄てる母親、
これっぽっちもシンパシーを感じず理解もできなかった。
子供たちは哀れだが、ああなる前にいくらでも手はあって可哀想にするための設定でしかなかった。
全体的に評価が高いのには驚いた。
やはり私にはゲージツは理解できない。
子供には優しく
停水執行、つらすぎる、、。
怪物と同日公開ということでこの公開日は邦画の大作揃いだなと思いつつ。初週の日曜朝に怪物見て夕方渇水見てきたけど、怪物にハマりすぎたみたいで、どうしても比べてしまって渇水はそこそこかなぁっていう感じに落ち着いてしまった。
水道局の停水執行職員という職業のこと初めて知ったし、この仕事を取り上げて映画作ってるのすごい新たな視点っていう感じで面白かった。それにしてもなかなか大変な仕事だなぁと。そりゃ色々溜まり溜まっておかしくもなってしまうよなって納得。でもやっぱりちょっと公園でのシーンが過剰で現実ではないかなって最後のところで一気に冷めてしまった感があって、ちょっと残念だったかな。
キャストはすごい良かったし、特にお姉ちゃん役の子すごい目が良かったな。これからも楽しみ。
とりあえず棒のソーダアイス食べたくなった笑。
ただ水を求めて
渇水
主人公達の出会う幼い姉妹の家庭は、水道のみの問題ではなく、電気も止まっている。確かに水道はライフラインだが、父は蒸発、母は数日家に帰らないことも屡々、それだけでは先を描けない
不況、精神疾患、怠惰、育児放棄、水道料金未払いの原因は様々で、しかし共感性を排除するかのように、停水の交渉時には攻撃的な描写が続いていく。自業自得にも思える。
また主人公は淡々としていて、後半に至るまでは背景が見えてこない。
水は万人のもので水道料金を払う必要はないという(社会背景に照らせば)荒唐無稽な意見
そういうものがふと生み出す小さなテロが、自主退職と、2件の犯罪を生んだ。幼い姉妹は施設に引き取られる。客観的にはそれだけだ。
時期が来て、雨はまた降り、制限は緩和される。未払い家庭への救済は変わらず見えない、制度も渇いている。
滝のシーンで主人公の感情が見え始める。わかりやすい映画では無い、「正しい」生き方はわからない、それでも、水は皆に必要だ。
小綺麗にまとめた映画
子役がいい。 そこにありそうな日常 ちょっとずつズレると大きなズレ...
渇れる少女たちの心と体
人に興味を示さない男と親に見捨てられ愛情に飢えた少女たちとの交流を通して人として大事なものは何かを描く。
人が人である為に最低限必要な水、その水を干上がった大地に撒くように何もかもを吸い尽くす社会。
その中で生きようとする姉妹を通して、社会の溝に落ち込んだ子供たちと社会から目を背けた大人との交流により、変化を願う想いを感じたが関係性の紡ぎかたが観てるものとしてしっくり来なかった。
そして渇いた感じのざらついた映像も意図したものだろうが、全編通して同じ解像度で表現する。変わらない大人のまま終わっても意図は伝わったのではないだろうか。
もしストーリー上に変化をつけるなら、映像にも明確な変化を付けて欲しかった。
公務員の一現場を観て
同時期公開の「怪物」との比較がよくされています
水道局職員と幼い姉妹、小学校教員とそこで学ぶ児童たち
公務員は市民への公平性が求められる一方で、様々な批判非難を受けることで、「法令順守」で感情を抑え込んで「仕事」をすることが求められるような姿を感じます
セーフティネットと言われる生活保護だって、困窮している人自らが福祉の窓口に行かなく
ては支援を始まらない そういった困窮者をみつけて役所の支援につなげようとする善人(本作ではお節介っぽい柴田さん)がいなければ、福祉の窓口みずからが(虐待事案でなければ)支援できない それに対して水道局は、料金徴収という「公平性」を保つ行為の中で、(悪意の滞納者もいる中で)声をあげない、あるいはあげられない人たちの存在をみつける 「公平性」のため市民税滞納者の徴収に加え、国民健康保険、国民年金の保険料未納者に対してチームを組んで徴収に取り組まれている自治体は増えているが、水道料金においても、一つの公的サービス利用料として徴収率を上げ、未収を減らすという「公平性」が求められている現状に胸が痛くなりました この原作が相当前の時代に起ったことが描かれているとすれば、「行政の効率化」「小さな役所」「公務員の削減」といった現在の流れ、さらに水道事業の民営化・広域化は、水の供給・支払いも電気ガス同様契約による「自己選択」となり、「ライフラインだから」という考えは将来なくなっていくのでしょうか
そういった市民の生活や意見に触れている公務員(将来は民営化・外部委託となるのでしょうが)が、ぶつけどころのない「怒り」「葛藤」を持って小さなテロを起こしたことに、小さな拍手を送りました 子どもたちが幸せでありますように
(6月11日 イオンシネマりんくう泉南 にて鑑賞)
笑わない生田斗真と水道局員の苦悩
”奇跡”は2度要らない
河林満の同名の小説を映画化した作品でした。私は原作を読んでいませんが、解説によれば内容的にはかなり相違があるようです。
芥川賞候補ともなった原作の舞台は1990年頃ですが、映画では現代が舞台になっていました。30年程の隔たりがあるものの、登場人物がスマートフォンを持っているくらいの話で、特段1990年当時と現在という時代設定の相違が、物語の根幹に影響を与えているような感じではありませんでした。
お話の内容ですが、前橋市水道局に勤務する岩切(生田斗真)と彼の助手を務める木田(磯村勇斗)の2人を主人公にして、水道料金を支払わず水栓を止める「停水」作業をする側とされる側の心情を描いたものでした。劇中も出て来ますが、電気、ガス、水道、電話などの公共料金の中でも、水道は”命の綱”であるためか、はたまた地方自治体が運営するのが基本であるためか、料金を払わなくなってから停水されるまでの猶予期間が最も長いようです。(最近は民営化される水道事業者もあるので、今後は猶予期間が短くなる可能性は高くかるかも知れませんが。)それでも支払わない利用者は最終的に停水されてしまう訳ですが、支払わない人が悪いとは言え、水道を停められてしまう側の惨めさは想像に難くありません。
仮に病気や失業など致し方ない理由で支払えない場合は、生活保護という手段が残されている訳ですが、本作の準主役とも言うべき有希(門脇麦)は「生活保護の申請をすれば、親に連絡が行き、援助できないかなど、いろいろと聞かれるので嫌だ」と言います。まあ公金から生活保護を出す手続きとしては、一定の確認をするのはやむを得ないと思いますが、そもそも日本の生活保護利用率は他の先進諸国と比べると低いと言われており、現行の申請手続きにその一因があるのではないかという気がしないでもありません。
ただ問題はそんなに単純でもなく、有希は最終的に2人の娘を放り出して男のところに行ってしまいます。2人の娘に対して、当初は一定の温情を示しつつもビジネスライクに接する岩切と、心情的に助けたいと思う木田でしたが、最終的に考えが逆転するところが最大の見どころ。妻が子供を連れて実家に戻ってしまい、プライベートでも行き詰っていた岩切の取った行動が、観客に一定のカタルシスを与えて物語は終わりました。
どんな事情があるにせよ、水道を停められてしまう身になることを想像すれば、暗澹たる気分にならざるを得ません。それは水を停める作業をする側の精神にも影響を与えるようで、そういった部分に光を当てたところが、本作の画期的なところだったと思います。岩切が取った”テロ”行為により”奇跡”が起こったのも、物語としてはアリだと思いました。まとめれば、着眼点、物語、俳優陣の演技などは、非常に高いレベルにある作品だと言えるかと思います。
ただ、最後の最後に岩切の息子から岩切に電話が掛かり、親子の絆も元に戻るような終わり方をしたのは、少々ご都合主義というか、”奇跡”は2度も要らないと感じたところです。あの終わり方は蛇足だったと思います。
全214件中、101~120件目を表示