「ケネス・ブラナーが育った環境の変化を子どもの目線から描いた半自伝的物語!!」ベルファスト バフィーさんの映画レビュー(感想・評価)
ケネス・ブラナーが育った環境の変化を子どもの目線から描いた半自伝的物語!!
今作は、『ナイル殺人事件』や『TENET テネット』など、監督・俳優として知られるケネス・ブラナーの少年時代の体験談を描いた、半自伝的作品である。
少年時代を描くことで、徹底している点は、常に視点が9歳のバディの感覚から見えていたものにしていることだ。
近所の人がみんな知り合いで、祖父母も親戚も近くに住んでいる。町のみんなで子どもを見守り育てていたベルファストが、ある日、同じキリスト教だというのに、宗派の違いによって暴動が発生し、平和な日常が破壊と暴力の絶えない日々に一変してしまうのだ。
しかし、9歳のバディにとっては、国がどうなっている、暴動が何故起きているか…….といった、根本的で政治的な問題に関して考える余地もないため、子どもながらに感じる変わりゆく日常を描いている。
ベルファストで起きていることは、危険極まりないことだが、バディにとって大切なのは、家族がみんな幸せでいることと、初恋の相手のこと、大好きな映画やテレビ番組のこと……。
常に目線は子どものものとなっていることから、悲惨な状況を描いていながらも、全体的にコミカルなテイストとなっているのも特徴的だ。
ベルファストが、あえて奥行の少ない、例えばラース・フォン・トリアーの『ドッグヴィル』のような、箱的な空間にされているのは、バディにとっての視野の広さの限界が表されているからではないだろうか。
映画やテレビ番組が大好きという点が、ケネス・ブラナーの自伝的という部分が色濃く出ているともいえるだろう。日常のシーンはモノクロ映像で展開されるのだが、『恐竜100万年』や『チキ・チキ・バン・バン』、「クリスマス・キャロル」の舞台といった、映画や舞台を観ているシーンはカラーで表現されている。
これは、人間は辛い記憶よりも、楽しいもの、美しいものを見たときの記憶は、色鮮やかな記憶として残る。それをもっと多くの人にも感じてもらいたいという、ケネス・ブラナーが映画作家になろうと思ったきっかけが、なんとなく伝わってくる作りになっているのだ。
そんなバディの目にもわかるほどに、ベルファストの変化が無視できなくなってくる。両親は赤ちゃんの頃から知り合いというほど、ずっとベルファストで育ち、ベルファストから出たことがないが、父の仕事をきっかけに、避難もかねてベルファストを出ることになる。
バディにとっても、ベルファストから出ることは、大好きな祖母や初恋の相手とも別れなければならない。
しかし、子どもながらに、両親と兄弟が一緒にいるには、それしかないと確信にいたる、クライマックスの”あるシーン”は、感動しないではいられない。なぜかというと、どこに行っても、家族さえ一緒にいれば、何とでもなるという、普段見えなくなっている”あたりまえの幸せ”が感じられるシーンだからだ。