仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダルのレビュー・感想・評価
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賛否両論は仕方ないね♂
個人的には良かったと思う、
強いて言うなら最後のところにもう少し尺を取って喪失感というか虚無感とかを感じるシーンがあったら星4.5あげても良かったかも。
愛は感じたけど、結末が飲み込み切れない…
本作は公開初日に観に行ったんだけど、感想がずっと書けずにいた。
口にはしたけれど、喉の胸のあたりでつかえている感じで飲み込みきれないというか、消化の前段階で止まってしまっているというか、そんな感覚。
また自分の中の感想や本作に対する思いをはっきりさせないまま、他の方の感想や考察を読むのも違う気がして、それともずっと距離を置いてきた。
時間を置いてようやく書けそうな気がするのでまとめておきたい。
※前置きが長くなったけど、私にとってオーズとは、また映司くんとアンクの関係性とは、簡単に「面白かった」「良かった」「面白くなかった」とかで片付けたくないほど思い入れはあると自覚している。
まず、本作はちゃんと作り手の作品への愛が感じられたことは述べておきたい。
特に本編最終回を下敷き・オマージュしたタジャドル変身シーン。
映司くんとアンクは本編でもずっと対の存在というか、表裏の存在として描かれてきた。人間とグリード、立場は異なるけどどちらの視点も獲得してて、利益関係に端を発しながら、最終的には互いに不足してるもの・求めてるものを補い合う関係になっていった。
本作は本編最終回における映司くんとアンクの立場と視点が逆転する形になってて、この構図はうまいなー、映司くんとアンクさんはそうだよなーと思った。
その他にも本編の名シーン回想や小ネタなど、オーズファンは嬉しい場面がいくつもあってそこはファンムービーとして良かったなあと思う。
あと、渡部秀くんはじめ、オリジナルキャスト、10年経ってもあんまり雰囲気変わってないのすごい…!(そして渡部秀くんはきっと肉体改造して映司くんに寄せにいってたよねあれ!秀くん、今回他者に肉体を乗っ取られてるシーンが多かったけど、演じ分け素晴らしかった…。序盤に登場する映司くんのなんとも言えない違和感、あれわざとだったのすごくない!?)
グリード勢も(本編あんまり活躍の場がなかったのは残念だけど、いや、ウヴァさんはおいしかったけど)人間体メンバーが出たの熱かったな…!
そう、作り手の作品愛は感じたのだけど、消化しきれないかったのは作品の結末。
要は映司くんの死について。
まずアンクたちが復活した顛末も800年前のオーズが登場する展開もイマイチ腑に落ちてないんだけど、それは置いておくとして…。
映司くんの死が必然であるストーリー運びなら納得できたんだけど、そこがどうも弱くて納得がいかないし唐突感があった。
本編の結末と対にするなら、例えば映司くんは植物状態になってしまって、現代の医療ではどうにもならないって言われるけど、今度はアンクさんが「映司を助ける方法はある。諦めない」と世界に旅に出る…とかじゃだめだったのかしら…。
なんか本作は一言でまとめるなら「火野映司の鎮魂歌」みたいになっていて、制作側のやりたいこともわかる気もするし(せっかく綺麗に終わった作品の続編を作るのだから安易なハッピーエンドにされるのはそれはそれで嫌だったので)、ここに行き着くしかなかったのかもだけど、それにしても10周年ファンムービーで、この結末はちょっとあまりに辛い。
本編ラストがああなったときにも「いつかの明日」っていう形で、作品の根底にある希望は手放さなかったオーズが、これでは少し哀しすぎないだろうか(あとアンクさんせっかく復活したのにこんな展開辛すぎる…。彼の「生」には映司くんが不可欠なんだよ…)。
あと個人的不服な点は比奈ちゃんとか知世子さんとか、もう少し見せ場を作っても良かったのではないかしら。
バース組は熱かったわけだし。
個人的に知世子さん、大好きなんだけどな。
観なきゃ良かった、、、
オーズが大好きだから、俳優さんたちが大好きだから、わざわざアカウントまで作って書きたくなかったけど悔しくて眠れなくて吐き出しました。
春休みの最後の思い出に、リアルにはオーズを観ていなかった息子と朝から復習し仕事は休みをらとりワクワクしながら映画館へ。
展開早いし、映司くんの中身は違うし、王は弱いし色々違和感あるけど、私は10年間待ち焦がれたラストの為にキャストさんの演技の素晴らしさに集中しました。
保育園児の娘とママの私が恋焦がれイベントで本人サプライズ出演で悲鳴を上げた事、映画もオーズがでるならと観に行ったこと、アクターさんのライブイベント、、、私は映司くんが大大大好きだから。
しかしラストは酷かった。
私は泣いて泣いて、会場は明るくなるまで誰も立ち上がらなかったくらいだった、、、
悲しみと悔しさと怒りが強すぎる。
自己犠牲は美しさではない。
大切な人を守って幸せにするには、自分が健在で幸せで共に在らねばならない。
脊椎反射じゃなく、大切な人に届いた手で引き上げ健全な肉体、絶対離さないというメンタルが必要だから。
それが最高の大きな欲望であり、昨今の辛い世界の現状を変える原動力にする為にも、平和ボケでも良い今だからこそ最上級のハッピーエンドが観たかった。幸せは想像するから手が届くようになるんだと思う。
パンフレットのコメント見てと言われても売り切れ。
作品の後味悪さをパンフレット見て理解を求めるのは、、、
作品だけで伝わらない時点でもう、、、
ちなみに賛否両論じゃないでしょ、明らかに否が圧倒的。
各評価をポジティブに捉えず、受け止めて欲しい。
コメントでみましたが、アンクの代償についてですが、それはファンから奪った10年間の夢と希望の代償にもなってしまった作品なのだと脚本家の方やあれを作品化する事に了解した方々は刻みつけて欲しい。
大好きな映司くんがあんな死に方したBlu-rayも買いません。
初めてお金を返しいただきたいと思いましたが、役者さんたちの演技の素晴らしさにお金を払いました。
最高級、最上級のハッピーエンドは映司くん、アンク、ひなちゃんが手を繋いで歩いて行けること。
今回を完結にせずに小林靖子さんの脚本で続きを心の底からお願いしたいです。
これからも映司くんに会いたいんです。
命は尊い
自分以外の命が尊いんじゃない
ヒーロー自身の命も同じくらい尊い
新世代の子どもたちにも新しい価値観を伝える特撮を切に願います。
THIS IS 仮面ライダー。
多分、平成ライダーから観始めた人には理解しがたいのかもしれませんが。
石ノ森章太郎氏が提唱した「仮面ライダー」は、不幸がデフォルトなのです。
一号からして、悪の組織に拉致され、怪人へと改造され、たまたま人間としての良心が残っていたから、「悪の力を正義のために使う怪人」なわけで。
仮面ライダーは、完全無欠の正義のヒーローではないのです。
自身の不幸と対決し、乗り越え、悪をくじく。
正しいかどうかではなく、自身の信じる正義に従って闘う。
あくまでも「正義という概念のワガママ」を貫くのが、仮面ライダーなのです。
映司は、手の届く人を救いたかった。
そのためなら、自分の命は投げ出しても良かった。
それが叶わなかった、叶えたい、それがもともとの欲望な訳で。
そこに「アンクともう一度会いたい」が加わった。
10年が経過して、ようやくすべての欲望を満たした。
完璧なゴールだと思います。
仮面ライダーは、そのすべてが欲望にまみれていて、大体はそれを叶えています。
だから、映司にも叶えさせてあげてもいいじゃないですか。
そこをゴールと断定して、そこから逆算で本を書いて。
この映画よりステキなストーリーを描ける人がいたら、是非ともご教示いただきたいですね。
バッドエンドだから、なんだと言うのか。
映司は、完璧な仮面ライダーになったと、オレは感じました。
追記。
「小林靖子さんが書いていれば…」的な感想を言われている方が多く見受けられますが…
もしも靖子にゃんが書いていたら、きっとアンク以外は全員死亡だと思いますよ?
その方が、オーズのエンディングとしては、不条理が際立つハズ。
満たされてしまった上に死ぬことも許されないアンク、そして理解者ゼロ。
その後は視聴者にお任せ、みたいなことになるのだろうと感じます。
とりあえず靖子にゃんを理解したい方は、アマゾンズを観ましょう。
彼女こそ、石ノ森チルドレン筆頭だと、嫌というほど植え付けられますよ。
嬉しさあり、後味の悪さあり
結末が分かった上で視聴しました
エイジが死んでいるってのは、知っていましたが
結末、そのままアンクがエイジの中に
入っていれば良いんじゃ無い?ってのが感想です
しんごが死にかけているならともかく、
危なかったとこにアンク入ったから
ケガもして無いでしょうし
そこがイマイチですが、
10周年してくれてDr.マキ以外でてくれたので
そこは嬉しかったですね
時間という代償は払った。ぜひ真の完結編を…。
今作は脚本にもっと渡部秀さんのアドバイスもとい監修を入れてほしかったなぁと…。
劇場ではエモさを感じながら、結末含めてそこそこ楽しく観れたんですけど、
帰宅してから「10周年記念作品としてどうなのか」「(今作のせいで)もうオーズは見れないの?」と考え直し、☆1.5くらいになりました。応援したい気持ちはあるので☆+1。
脚本家さんはパンフレットで「アンクは映画などでもう何度か復活している」「同じことをしていては意味がない」「簡単に復活させちゃいけない。それなりの代償(=相棒の死)が必要だ」と語っておられます。そのロジックは理解できます。新しいものを描かねばという作り手側の責務もあったでしょう。
でも、なんだかんだ言ってもう10年という時が経ちました。アンクが回復するのに十分な、『時間』という代償はもう払ったんじゃないでしょうか。
自分はもう大人ですし、パンフレットにあったカレーの話で言うと、所謂辛口カレーも大好きなクチです。
でも客層の年齢が上がったからって、描く内容を辛口にする必要はないと思うんですよ。答えは単純で、何歳になっても男児向けの『仮面ライダー』が好きでファンやってるからです。やっぱり『仮面ライダー』には元気や希望を求めて観ています。たまにビターなのも有っていいけどやっぱ基本は子供向けじゃないですか。
辛口がほしい時はぼくらのとかミストとかを観るよって話なんですよ。そこを全く読み違えてるなと感じました。
何より、演者さんが「台本を見て、消化するまでに時間がかかった」「ショックだった」とインタビューで漏らしていたのが気がかりでした。えっ、渡部さん脚本に関わってなかったの…!?
ファンの間では有名ですが、主演の渡部秀さんは出演者であるとともに一人のオーズファンであり、人一倍オーズへの思い入れが強く、ファン心理を理解されている方です。そんな彼が「受け入れるまでに時間が…」と言うくらいですから本当にショックだったことと思います。
制作サイドは、脚本部分から渡部秀さんに協力を仰ぐべきだったのではないでしょうか。脚本家さん、役者さんのそれぞれ侵すべからず領分はあるとはいえ、ファン心理のアドバイスはもらえたはず。そうすれば、もうちょっとファンの心に寄り添った結末になったのでは。
とはいえ今作にも良い点はあって、エモーショナルなシーンも多々ありました。ゴーダ映司に「気安くアンクと呼ぶな!」と怒るアンクは、観客の声を代弁してくれているようでとても良かったです。そしてアンクや映司の涙もとても良いものでした。(あれ、ガチ泣きらしいですね…)
ゴーダオーズや新タジャドルの造形も見事でした。
ゴーダのキャラも良かったですね!映司の欲望から産まれた=平和を望んでる?ってところがいまいちピンと来ませんでしたが、掘り下げたらすごくいい悪役になってくれそうです。
だからとにかくもう一度、できれば2時間枠で今度は映司の復活篇をしっかりと描いてほしい。
今度はゴーダのグリード体も出したりして。
そして映司、アンク、ひな達が手を取り合って平和に過ごせる未来を示して終わってほしいです。
そのためにも、今作の円盤も買うし、グッズもゲットします。そしてオーズの次回作に繋げてほしい。これで終わりなんて、絶対にイヤだ!というか、完結する必要なんてないでしょ!
ガッカリ
あまり肯定側の意見を否定するつもりも煽るつもりもありませんが火野映司ならこうした、否定する人は本編をちゃんと見たのか、という意見がありましたがはっきり言って本編を見たからこそ映司の死、ラストには納得が出来なかったです。パラレルで今回の映司が初期の映司ならまだ理解できます。しかし、これが本編終了後の続編とするなら納得できません。
ただただ悲しい
10周年記念作品と銘打ってますが、記念のお祝い作品ではないようです。
製作陣は何故この作品を作ってまでオーズを終わらせたかったのですかね。
凄く楽しみにしていたので、ガッカリでした。
本家の創ったものを叩く属性ではありませんでしたが、これはあまりにもひどい。
二次創作だと思えば納得できます。
ただただ言いたいことは
なぜ映司を殺した!!ふざけるな
ただただ雑な設定に最終的に映司を殺してなんのつもりなんでしょうか
どんなに雑でも映司が生きていればまだよかった。
どれだけオーズが大好きだったか自覚してこれを見てすごく悲しくなった。
ディケイド殺してバルカン殺してオーズも殺すの?流行ってるの?
いやはやまったく良き終末でしたね
Dr真木の言ったことは正しかったね
史上最低のトラウマ仮面ライダー映画
2022年劇場鑑賞80本目。
仮面ライダーオーズはライダーの中でもクウガの次に好きな作品で、今回の映画は本当に楽しみにしていました。
あまりにレビューの点数が低いので嫌な予感はしていたのですが、自分の想像を超えるトラウマ級の酷い話でした。安易なインパクトのために10年間、時々仮面ライダー映画に出演もしてみんなが希望に伸ばした手をこの映画で引きちぎってくれました。
感動とか悲しみの前に鑑賞中も鑑賞後もこの脚本にゴーを出した制作陣への怒りしかハッピーバースデーしません。
エンディングに流れるあんなに大好きだった大黒摩季の主題歌すら空気読まずに能天気に歌ってんじゃねえ!と神経を逆なでさせられるほどでした。
なんで小林靖子さんに脚本をお願いしなかったのか、こんな映画が世の中に出たことが悔しくてなりません。あー気分悪い!
ただただ残念な気持ち
まずはじめに、仮面ライダーオーズという作品を愛し続け、10周年のために集まって最高のヴィジュアルと演技をみせてくださった演者の皆様には感謝の気持ちしかないということをお伝えしておきます。
これだけのオリジナルキャストが集まって良い演技をして下さっただけに……今回のストーリーには残念という気持ちしか出てきません。
端的に言うと、今回の制作陣から火野映司という主人公を殺したいという意図が見えるだけでした。
他の方の感想やレビューにも書いてあると思いますが、キャラクターやストーリーの不自然さ、設定の破綻などが大変目立ちます。
主人公一人とってもツッコミどころはとても多いです。とても火野映司らしいと評する方々は、おそらくTVシリーズ初期の彼の印象が強いのでは。
確かに最初は、昔子供を目の前で助けられなかったというトラウマを持ち、自分の欲望もよくわからずすぐ一人で突っ走って自己犠牲の権化みたいな人間でした。
しかしそこから48話かけて、トラウマを乗り越え、自分自身の大きい欲望と向き合い、人に頼り人と協力することを覚え彼は成長しました。
ですが残念ながら今回のVシネではその成長がなかったことにされ、本編では映司を1人にさせないために必死に頑張った比奈ちゃんや後藤さんも何故か映司に興味をなくしたかのように彼1人を戦わせ、あまつさえ自己犠牲を賛美するようなセリフまで言わされました。
映司が死ぬシーンもガバガバで、何故か突然現れて棒立ちする少女、古代オーズに襲われる少女をかばって映司がボロボロにやられているシーンを見ていたのにその後どうなったかわからないと言う比奈。
かばっていたはずの少女は急に消えるし、その後すぐ古代王立ち去ったのに誰も助けに来ない仲間たち。やられるシーン見てたはずなのに……?
周りで戦いが起こっている様子もなく不思議な力でアンクのメダルを復活させそのまま息絶える映司。
どうして誰も助けに来ないんですかね……?
その後、アンクが憑依したまま身体を回復させればいいのに何故かアンクを追い出す映司。追い出されたところにたまたま置いてあった信吾さんに憑依し直すアンク。そのまま手を取り合い涙ながらに死を見届ける。もうその絵面撮影したかっただけだよねというご都合感。ていうか信吾さん降ってきた瓦礫避けようとして何故かアンクに憑依されたままだったけど大丈夫だったのでしょうか。
そしてタイミングよく映司が死ぬところを助けた少女に見せつける里中さん。
元気な信吾にずっと憑依したままのアンクもおかしいし、比奈ちゃんも話の都合で鈍感にされ、あれだけ本編で描かれていた取り憑かれた兄への心配も皆無。
本編と鏡になったようなオマージュも、怪人のアンクならわかるけど何故人間の映司が?と疑問の残るものだったり……人気だったシーンのこれをやっておけばみんな喜ぶでしょ?というのが透けて見えてしまいました。
今回火野映司を殺す舞台をつくるためには、様々なキャラ改変と設定破綻をさせなければ成立が難しかった。殺すことをテーマに作られただけで、その死は不必要なものであったと感じている人が多くて否定意見が多いものだと思います。
10年のうちに仲間たちは疎遠になっていたという設定だそうなので、(何故かメダルが増えたとかドライバー分裂とかは一旦置いといて)ガバ設定を好意的に解釈するなら、その10年で映司は成長を忘れ仲間たちは人の心を失ってしまったのかもしれませんけど……。
人は簡単には変わらないと主人公の成長は全否定しておきながら、他人に対しては簡単に心変わりして疎遠になり、命の危機にすら目を背けて助けない。人とはそういうものだと言いたいのでしょうか。
確かにそういう思想を持つ人もいるのでしょうけど、じゃあそれをわざわざ仮面ライダーオーズ10周年のファンサービスとしてやる必要はあったのか?と更に疑問を感じます。
演者さんも多くの視聴者も、本来ならもっと10周年を幸せな気持ちで祝いたかったと思うのですけど、これ純粋に大喜びしてる人いるのでしょうか……?
演者さんが泣きながら脚本を受け入れられないと訴えてもねじ伏せられたという話も耳にしました。
どうして設定破綻させてまで本編全否定の作品を出そうと思ったのかただただ疑問です。
仮面ライダーオーズという作品はかの大震災に見舞われた年のライダーとして、特別な作品でもありました。
本来の映司の性格から彼が死亡するエンディングも視野にあったものの、時勢的なものを配慮して希望のあるラストが選択されたと聞いています。
彼はトラウマや試練を乗り越え、他の人と手を繋ぐことで世界中に自分の手が届くことを覚え、成長しました。これからも困っている人がいれば手を伸ばすことには変わりないけど、もう自己犠牲からではなく仲間と助け合って生きていく。欲望とは生きるためのエネルギーであり、みんなもっと欲張って生きていこうという前向きなメッセージがこもった作品でした。
それを、まだ疫病や戦争で不安定なこのご時世に全否定する意味はあったのでしょうか。
大きすぎる欲望を持つのは人として過ぎたこと、業であるから死ぬしかないと、死ぬことでしか救われないのだと、そんな酷いことをどうして言えてしまうのでしょうか。
本編と今回のVシネをカレーに例えていますけど、本編を甘口カレーと評しているのがもはや失礼だと思います。まさか時勢に日和って生存した本編は甘口だから、大人向けの辛口として殺してやろうってことだったのですか?
本編のストーリーで映司たちに与えられた試練はとても過酷なものであったし、そこを乗り越えるまでの苦難は決して甘口ではありませんでした。アンクとの別れも辛く切ないけれど納得のいく終わり方が描かれ、完成された素晴らしい作品でした。
単純に生存が甘口、死ねば辛口なんて思っているのならそれは作品を理解出来ず冒涜していると私は感じてしまいました。
今回のストーリーは一つのテーマとしてはありかもしれませんが、仮面ライダーオーズという作品を全否定して、オーズ10周年のお祝いとして作るべき作品ではなかったと思います。
例えもし納得の行く理由で火野映司の死をテーマにすることが企画で出ていたとしても、本編の時は震災で苦しむ人々の心に寄り添うため、10周年では疫病が流行し疲れた人々に希望を与えるためのストーリーが作られた。オーズとはそういう運命の元に生まれてきたヒーローだったのかもしれない……みたいになった方が良かったのではないかなと私は思いました。
書きたくないのに書かされたから完全に終わらせたとしか見えない
・自分の引き出しにあるネタを消費したくない
・二度とオーズ関係の話を出来なくなるようにする
・ファンに叩かれたくない
この映画は脚本家のこの3つの思いを根幹に作られた作品だと感じた。
実は物語の大筋自体にはそこまで拒否感は無い。
結果として映司が死ぬのも、もっと言えばもしアンク共々だったとしても文句はつける気は無かった。(矛盾云々を言われるだろうからアンクは生かしておくしか無かったとは思うが。)
何故ならば映司は最終回で他者に頼ること託すことを覚えたから、映司の何かを継ぐ後進のためにやむを得ず力尽きるのであればそれは本懐を遂げたと言って遜色無いものといえる。
結論から言ってしまえばそうではなかったから不満だらけなわけだが。
まず徹底的に描写が足りてない。
映司については最低限描かれていたが、サブキャラ達どころか敵のボスについての描写が鴻上から雑に語られるのみ。
そのくせ本編の映像を初っぱなにダラダラと流し続ける。
早い話が70分でまとめられない話をなぜ無理矢理やったのか。
(余談だがこの脚本家がメインを務めたキュウレンジャーでもその傾向は見られた。)
具体的に言えば、復活の詳細、映司に起きた異変の経緯、映司の願いが具現化した理由、ここら辺がほぼまったく語られていない。
そういった細かな描写をせずに過去回想や最終回との対比を安易に使う様は、これやっておけばどうせファンは満足するんだろという姿勢が透けて見えた。
そもそもこの脚本家は本編を理解しているのかすら怪しい。先に書いたように映司は一人で抱え込むことをやめて頼ることを覚えた。
にも関わらず初代に一人で立ち向かい、最後も少し回復したのに少女一人を命と引き換えに助けただけで満足するという一話の映司に逆戻り状態。
そんな体たらくで映司を完全に死なせたのはそもそもオーズをやる気がない、やりたくないという意思表明としか思えない。
本来なら星をつけたくもないが、出演者の方々(特に印象深いのはアンク役の三浦さん)の細かな演技表現にかけた情熱分を買って評価を星2としたい。
ただひたすら悲しい
よかったところ
・役者さんの演技
・当時のキャストが集まって作られている
・ゴーダのキャラクター性
悪かったところ
・ラストで火野映司が死ぬ
・本編と設定が合っていない(ベルトの数、変身の資格、メダルの数など)
・火野映司がほとんど出てこない
・バースXの活躍がほとんどない
・アンクが火野映司にメダルを渡すシーンがない
・全体的にキャラそれぞれの見せ場が少ない、ほとんどない
・本編後にディストピアになっているという設定
他にもたくさんあった気がしますが忘れました。
オーズはリアルタイムでは本編はたまに観るくらいで、本格的にはまったのは最終回を観てからです。
映画は将軍とMEGAMAXは映画館で観ました。
レッツゴー仮面ライダーも映画館で観たと思います。
本編は放送が終了してから全編観ました。
自分ではライトユーザーだと思います。
だからどんな内容でも楽しめるだろうと思って観に行きました。
先行上映のライブビューイングの舞台挨拶付きを観ました。
観ている最中はそれなりに楽しめていたのですが、ラストが全く受け入れられませんでした。
舞台挨拶を観れたのでまだマシだったと思います。
あの終わり方で劇場が明るくなっていたらと思うとゾッとします。
終わり方が違えば、他の悪い点は受け入れられたと思います。
仮面ライダーはキャラクターが死ぬことがあるので、耐性がある方だと思っていましたがこの作品は受け入れられませんでした。
描き方が違えば納得できたのかもしれません。
ただひたすら悲しかったので、ネット上で色々な方の感想を読みました。
肯定派と否定派がいるのもわかります。
私は普段ネットの感想はあまり読まないので、色々な見方があることがわかったのはよかったです。
それでもやっぱり受け入れられる内容ではなく、時間がたった今もとても悲しいです。
もっと別の話が観たかったです。
役者さんの演技はとても素晴らしかったので、なおさら残念です。
当時のキャストが揃うというだけでもすごいことなので、贅沢をいってはいけないのかもしれませんが、もっと明るい話が観たかったです。
オーズはシリアスさとギャグがちょうどいい、明るく爽やかな作品だと思っていました。
火野映司、アンクをはじめとしたキャラクターがどれも魅力的でした。
明るい昨風なのに、映司のトラウマやバックボーンは重かったりと、バランスがいいと思っていました。
欲望がテーマで、欲望を否定せずに描いているのも面白かったですし前向きでいいなと思っていました。
今作では欲望を否定しているように感じられました。
映司の欲望は女の子を助けてアンクを復活させることだったのでしょうか?
本編では果てしなく大きな欲望で、世界中の人を助かるほどのことに感じられたのですが。
今作では800年前の王が人々を殺しているようでした。
いわゆるディストピアですね。
そんな世界観の作品だったかと不思議に思いました。
本編は現実世界に近い世界観に思えたのですが。
コロナ禍など世界情勢を踏まえてあえてディストピアなのだろうかと観ていたら、ラストで火野映司が死んでしまうではありませんか。
世界が復興していくところまで見届けなくてはいけないのでは?と不思議でした。
映司は世界を見捨てるような人ではなかったはずです。
自分が死んでしまう状況を変えることはできなくとも、仲間たちに託すことはできたはずです。
手を繋ぐこともテーマですし。
しかし、映司が仲間たちに世界を託すようなシーンもないのですよね。
そもそも、映司一人に全てを任せるような仲間たちではなかったはずです。
800年前の王が蘇ってから皆で協力して立ち向かっていたはずなんです。
その割に、映司が女の子をかばって重傷になったことを誰も知らないままなんですよね。
伊達さんと後藤さんは別の場所で戦っていたのでしょうか。
それならそういったシーンをいれてほしかったです。
私の記憶違いでしょうか?
傷を負った後行方不明になったという流れで、女の子を庇ったことは皆知っていたんですかね?
覚えておらずすみません。
叩きたいわけじゃないんです。
自分の理解力が足りていないのかもしれません。
ただ、わかりやすく安心して観れる話がよかったなと思っています。
引っかかるところが結構あって、考えながら観ていたので。
あえてそういう話にしているのかもしれませんね。
何度も観てほしいということかもしれませんし。
先行上映を観るまでは、放映開始したらリピートするつもりだったんです。
しかし、あまりにも辛い内容なので観る気になれません。
もう一度観たいシーンもあるのですが、映画館で通して観るのは辛いのです。
あとお金を払う気が起きないというのもあります。
正直、いい映画だとは思えないので。
悲劇であっても観る価値のある映画なら何度も観たくなったりするんですが。
そもそもオーズに悲しい話を期待していないんですよね。
途中までは辛い悲しい話でもいいと思うんですが、最後は爽快感があってほしいんです。
そういう昨風だと思って今まで観ていたんですが。
せっかく当時のキャストが揃っているのにどのキャラも活躍シーンが少ないですね。
知世子さんが戦っているシーンがありましたが、こんな状況でもクスクシエをやっていて皆に食事を振る舞ってくれるとかいうのが見たかったです。
避難所みたいになっていて色々な人が身を寄せあっているみたいな。
そういう、このキャラクターならでは!みたいなシーンが観たかったんです。
映司にアンクがメダルを投げるシーンも欲しかったです。
アンクが復活するのはもっと後だと思っていたので、冒頭から出ていたのは意外でした。
アンクが復活する過程をじっくり観たかったです。
タイトルからそういう内容かと思っていたので。
映司がピンチの時に復活するとかだとベタすぎるかもしれませんが、私が観たかったのはそういう話なんです。
ところどころツッコミ要素があってもいいから、ご都合主義でもいいからオーズの活躍が観たかったなあ。
オーズなのに映司が変身して戦うシーンがないんですよね。
ゴーダ自体は割と好きなキャラなんですが、簡単に敵になるし扱いが雑に思えました。
本編当初のアンクのようなキャラクターなのかと思いながら観ていたんですが。
とても小物キャラとして描かれてしまっているのが残念です。
映司とアンクとの関係の対比として、ゴーダとアンクが描かれるのかと思っていたのですが。
映司にはなれないというのを掘り下げても面白ろかったかもしれません。
短い上映時間の中で描くのは難しいとは思うんですが、もったいないと感じました。
ヒロインの比奈のシーンも少なくて、アンクとアイスを食べるところはよかったと思うんですが、映司は結局帰ってこないのでちぐはぐではありませんか?
あと比奈はいわゆる戦うキャラクターではありませんが、映司に全てを任せるようなヒロインではありませんよね?
ただ待っているだけではなく自分ができることを精一杯するキャラクターだったと思うんですが。
今作では映司を頼っているように見えました。
むしろ映司が一人にならないようにしてませんでしたか、本編では。
信吾を心配するシーンもなかった気がします。
アンクが信吾の体をずっと使っているのも不思議です。
確か、人間に擬態できたと思うんですが。
キャラクターが多すぎると話を展開しづらいからでしょうか。
後藤さんや伊達さんの活躍もほとんどなくて、映司を助けようとするシーンもなかったように思います。
伊達さん医者なのに。
ゴーダを警戒していた割になんの対策もなかったようですし。
バースXもちょっと出てきただけでしたよね?
映司、伊達さん、後藤さんが3人で協力して戦うシーン観たかったです。
せっかくバースXあるのに。
オーズ対オーズやるのに映司の戦闘シーン少しですし。
オーズ、ベルト1つのはずなのに説明がなくて困惑しました。
ゴーダが変身するシーンもありましたよね?
映司の体なしに。
確かオーズは封印を解いた者しか変身できない設定だったと思うんですが。
あえて設定を変えて描くなら何かしらの説明がほしかったです。
戸惑うと話を追いづらくなるので。
敵が現れてオーズとバースが戦う、アンクが蘇って一緒に戦うという話ではだめだったのでしょうか?
アンクがどう復活するのかを描いてほしかったです。
何度も同じことばかり書いてすみません。
映司が死ぬならその後の仲間たちの話も観たかったです。
あの世界がどうなるのか全くわからないままですし。
一般市民が復興のために頑張る姿が映るとか、映司の意志を仲間たちが引き継いでいるとか。
そういったシーンが少しでもあればまだ受け入れられたと思います。
復活した後のアンクのことも気になります。
グリードのままのようですし、あのままあの世界にいるのは辛いだろうなと。
他のグリードはほとんど出てこなかったですね。
すぐに退場してしまいました。
コンボも全ては出てきませんでしたね。
サゴーゾとシャウタは出てきませんでしたよね?
王とグリードたちを相手に戦うオーズを観たかったです。
ゴーダは敵側でも味方側でもよかったんですが。
やっぱり上映時間が短かすぎるのでしょうか。
映司が死ぬシーンがなければその分別の描写ができたのでは?
映司はどうしても死ななければならなかったのでしょうか?
本編の最終回と対比しているのでしょうか?
アンクは復活するかもしれないだとか、実は映司の側にいるとか本編や映画で描かれていたので、かなり意味合いが違いませんか?
映司は人間なので、生き返らないし幽霊としているのもおかしいというのはあるかもしれません。
それにしても映司の死はどういう意味を持って描かれたのでしょう。
映司が死んでも仲間たちや助けられた人々が意志を引き継げば、手は繋ぎ続けられるとか?
そういうシーンがなかったので違いますよね。
どこまでも届く腕とはなんだったのでしょう。
映司が仲間たちに思いを伝えるシーンもないですし。
アンクとは精神世界?で話すシーンがありますが。
しかしアンクを追い出す意味もよくわからないのですよね。
パンフ読んでないのですがネットでは死期をさとったからだというのを見かけました。
映画の内容が全てだと思っています。
もしパンフレットやその他のインタビューで解説していたとしても、より深く知りたい人のためのものだと思います。
映画を観ただけではわからないというのは作品としてどうかと思います。
本当は、オーズ本編を観ていなくても楽しめるほどの映画であってほしかったです。
本編とは別物なのに一つの映画としてもいい作品とは思えないのが残念です。
アンクが泣いたシーンが意外でした。
泣かないと思っていたので。
役者さんの演技は素晴らしいと思いますが本編と同じキャラクターとは思えないシーンもありましたね。
アンクが泣くシーンは、長い月日の中で変化していったと考えるべきなのでしょうか。
アンクは死んでからも映司と一緒にいましたし。
しかし本作ではアンクは復活するまで意識がなかったように見えるんですよね。
アンクって泣くようなキャラクターではなくて、むしろふざけるな!とか怒り出しそうな気がするのですが。
映司が死ぬことを受け入れると思えないんですよね。
もし仮に、アンクが復活した時に映司が死んでいたとしても簡単には受け入れないような気がするんですが。
映司はすでに死んでいるのではなくてゴーダが離れれば死ぬという状況だったと思うんですが、あっているんでしょうか。
アンクと映司が話すシーンがあそこだけなのも非常に残念です。
コミカルなシーン全くありませんしね。
二人が普通にやりとりするシーンも観たかったです。
映司と比奈は話しているシーンなかったですよね。
主人公とヒロインなのに。
そもそも映司が出てくるシーンがあまりにも少なすぎませんか。
主人公なのに。
ゴーダを出すにしても映司が活躍するシーンは入れてほしかったです。
アンクが戦うシーンでエフェクトのように出てくるのも不思議でし
個人的には言われているほど悪くはなかった。
事前に賛否あることがわかってたので、びくびくしながら見ましたが、
個人的には、そこまで破綻はしてなかったかなという印象でした。
オーズの設定などを100%熟知しているわけではなので、コアなファンからすると「違うだろ!!」
という部分があったのかもしれないけど、
問題点は、頭で補完しながら見たので別に違和感はなかったですけど、
そこが気になって仕方ない人が多いみたいですね。
説明不足の部分がもやもやする方がいるようですが、これは映画ではなくVシネだということで割り切って見るしかないと思います。
この映画の中で王自身が棺になるシーンがあったので、王の復活はこの映画ではTV1話が布石で、グリードが復活したのに王が復活しないのはおかしいし、王の顔にヒビがあるのは体が完全に修復するまで時間がかかったとか、そういうふうに見ました。
TTFCのネット版に今回の映画の前日談があり本編に入れても良いような内容でしたが、そこで世界を旅する中でアンクの復活のカギをエイジが見つけたことが語られます。←本編ではない
個人的にも、王がコアを復活させてグリード復活とかどうやったんだよwwとか、つつこうと思えばつつけるけど、粗探ししてたら作品楽しめないし
予算とか時間とか制約がある中で、新作だしてくれただけでも俺はうれしかったです。
役者を傷つけてまでやる内容であったか?
オリジナルキャストが集合し、制作陣も本作縁の面々…にも関わらず「メインキャストが内容を受け入れるのに時間がかかった」という(しかもあえてそこを作り終えた後の本人達が、本心だとしても受け止めづらい側の視聴者へのフォローだとしてもその口から発言している)のが、そもそも完成度の低い筋書だということを示してしまっているのでは?
10周年記念という 多くの人間が祝いの場だと思っていた作品の披露の際、喜びの涙ではない泣き顔や言葉を飲み込むメインキャストを誰が見たかったというのか。
メインキャストの舞台挨拶の涙はどう捉えても喜びの涙ではなかった。少なくとも今までの主演は言葉に詰まるタイプではない。
今作を「完結編」と銘打った上で主人公の死を描いた結果、他キャラクターのスピンオフは出来ても主人公の居る続編はもう二度と作られないという可能性も生んでしまった。これが「いつかの明日」だとすれば「明後日」は来ない。少なくともそこに主人公はいない。せっかく揃ったキャストを笑顔にできず、楽しみにしていたファンの大多数にも渋顔をさせておいて10周年おめでとうとは。もはや10周忌の方がしっくりくる。
私がここに賛否の否のレビューを投稿する理由は何よりも観た周りの人間と「観てよかった」を言い合えない悲しみだ。
キャスティング、スタッフの調整、尺や出さざるを得ないキャラクター、アイテムなどは一度決まれば易々と変更できるものでもない。ただそれをどうまとめるかが構成する脚本家の役割であり、演出する監督の手腕だ。
正直、よく詰めたとは思う。ファンから、制作会社から、スポンサーから要求されたものを出来うる限り全て並べたのだろう。肯定派であるが「この要素は必要だったか」という人、否定派の中にも「この場面はよかった」などと意見分かれが起こるのは多くの要素が盛り込まれたゆえのことと思う。
否定派の一人である私にとっては、その要素の並べ方やマイナスのしかたがまずかった。メインとして出したかったのであろう悲しみの感情を立たせるためか合間にあるはずの些細な演出はかなり削がれ、設定を説明するセリフや根拠となるシーンもことごとく省略。(もしくは初めから入れる予定がなかったのか)本編でのキャラクターを否定、または設定を変えてしまう絵面が残った。そしてその削られた部分はほぼ視聴者の想像力と推察力に頼る形となった。
そうするとどうなるか。制作が劇中で明かしていない苦労など知る由もない、ハッピーエンドを求めていた視聴者からの「何故」が大量に生まれるのだ。多くの否定派の第一声は「どうして」だったように思う。
作品の主人公が死ぬのは珍しいことではない。本作の主人公もどちらかといえば作品の完結として死を迎えてもおかしくないキャラクターである。
しかしながら一度は笑顔でファンに別れを告げ、その後も10年間愛され続けた主人公を1時間で殺すというのなら、その劇中で理由や根拠を示す必要があった。死を目前にした命と引き換えに蘇らせられた彼の涙だけでは、圧倒的に説明が足りていない。なぜなら本編で彼は自身の死を是としていたのだ。それを覆すだけの説得力があったか?短尺ではそれをする余裕がないと言うのならば、そもそも選ぶべき結末ではなかった。もしくは整え方が間違っている。
否定派ではあるが、なかったことにして欲しいとは思わない。涙を飲んで作り上げたメインキャストを讃えたい気持ちもあるし、完成し世に出たものを人々の記憶から消すことは不可能だからだ。むしろ昨今の情勢の中で制作に努めてくれたすべての人に感謝しつつ、また今作を観返すこともあると思っている。
視聴者の声は、明日に活かしていただきたい。
みんなVシネだという事を忘れてる
感想を言ってる人が「オーズの映画」ってよく言ってるのを見かけたけど、仮面ライダーのVシネなんて毎回映画館で放映されてるのに何で今回だけこんなに「映画」扱いされてるのか不思議。
これはVシネだし、人やアイテムが無から湧いたりアイテムの矛盾が珍しくないVシネだと思って見たら全然許せる出来。上映拡大するし映画館で見るからって映画程完璧だと思うな、これはいつものVシネ。1時間という尺の中で納めなければならないので当然描写不足もある。
何で王が復活したのかなんて本編で王の存在が言及されてる上に少し説明があっただけマシで、特に意味も無く無から湧いた時代にそぐわない暴力女と付き合ったと思ったら続編のVシネで女の存在が消されてたとかに比べたら全然マシ。気になりはするけど。
そりゃ今回の内容で「いつかの明日に手が届く」って宣伝はダメだと思う。けど映画の内容は勿体ないけど悪くはない。見たかった物も見せて貰えたし見たくないものも見たけど必要だったなって納得できる。
パンフレットを読んで「当時の子供も辛口カレーが食べられる年齢になっていると思う(意訳)」とカレーに例えていたが、私はその辛口カレーも大好きな身なので満足できた。予告も辛口カレーを匂わせていたが、店先に書いてあったのが「美味しいカレーがあるよ!」としか書いてなかったのが悪かったとは思う(いつかの明日に〜の部分)。しかし出てきたのが甘口カレーじゃなかったからって文句を言い散らし、脚本家に直接誹謗中傷を叩きつける人間が多く散見されて、そっちの方がこの作品の印象を悪くした。正直甘口カレーに見せかけた中辛も多いし、オーズ本編も甘口かって言われたら微妙だし。
10周年だとから〜とかコロナ禍だとか色々希望を求めて来た人が失望した事には同情する。自分はコロナ禍エンジョイ勢で死を考える程のメンタルの時にオーズという作品に命を救われた訳ではない上に、酷い出来のVシネを沢山見てきており特殊な訓練を積んでいるからか、とても満足できた。
描写不足を作中の色んな描写をかき集めて納得のいくよう補うのが好きなオタクなので、これからもオーズ本編放送時からの10年同様何年もこの作品の事を考えていきたいと思う。
あれに荒れまくっている口コミで不安になりながら鑑賞しました。
10年前TVシリーズは見ました。
あれに荒れまくっている問題作。期待と不安を抱え鑑賞しました。
全体的にわかりやすい映画です。最近の幼稚なレベルの低い仮面ラーダーTVシリーズで、不満だらけだったので、見る事さえ少なくなりましたが、久々にちゃんとした仮面ライダー作品を見れた気がします。子供から大人まで楽しめる作品だと思います。
仮面ライダーの映画の多くは、60分程度に詰め込み、内容が薄い作品が多い中、頑張って集約されていたと感じました。
伊達さんは相変わらずかっこいい。
これからは、仮面ライダーを楽しむ大人達も、見れる作品を手掛けてほしいです。子供向けは戦隊ものだけで十分です。
少し前の良き日の仮面ライダーの様に、ドラマ性をもたせ、子供から大人まで楽しめるTVシリーズの復活を期待します。
最近のライダーは、ガチャガチャトゲトゲしすぎww。ドラマ性もなくオモチャメーカーに忖度しすぎ。
☆ここからネタバレを含みます☆
火野映司が何故、死ななければなかったのか。ここを理解できない方には不評だと感じました。
◆最後に火野映司がアンクを突き飛ばし、比奈の兄の体に戻した事が、唯一意味がよくわからなかった所です。
①以前は兄の命をつなぐ為に憑依していたが、今は兄は元気で、兄に憑依するさせる必要性があったのか?
②あのまま憑依していても、火野映司は復活する事はないほどのダメージを受けていたので、仕方なく?
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