「アンクは寄生獣のミギーのようなもの」仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル 功さんの映画レビュー(感想・評価)
アンクは寄生獣のミギーのようなもの
アンクは寄生獣のミギーのようなものであり、別に命に固執している訳じゃない。
映司のエゴによって勝手に召還(というか復活)させられたのであって、アンクの意思で復活した訳じゃない
映司は満足かもしれないが、残された比奈やアンクの気持ちはどうなる?
もし追撮が可能なら、このエンドの後に満足そうな顔してる映司の元に腕アンクがやってきて「バカか?お前は。俺を生き返らせて、お前が死ぬことはお前の勝手な欲望だ。俺の欲はすでに満たされてるが、もう1つ望むとすれば、映司。お前が生きていくことだ。お前が勝手に俺を生かしたように、俺も勝手にさせてもらうからな。」と言って体の中にアンクは留まる。映司が目を覚ますと、泣き腫らした仲間の顔がそこにあり…というような展開を期待したい。
スタッフはこの映画を激辛カレーと表現していたが、これは激辛で味を誤魔化した別の物体(もはや食べ物ですらない)である。肉や野菜、そして色は同じでもベースとなってるものが全く違う。
メニューに天丼とあるのでそれを頼んだら、ご飯の上にタマゴと天ぷらのコロモだけが乗っかったものが出てきた感じ。エビ抜きの天丼はもはや天丼ではない。いかに覚悟をもって料理したかはわからんが、文句を言ってしかるべきではなかろうか。
小説を読まなきゃわからんなどということを言うものがいるが、私は小説も読んだ上で批判してる。そもそも小説がおかしいのだ。小説では消滅してるはずのコアメダルが何の説明もなく復活しており(映画もそうだったよね?)、本編ラストにたどり着いたはずの「辛くとも皆と共に生きること。手を繋いで乗り越えていくこと」という震災後の子どもたちへのメッセージにもつながる映司の心は消えていた。自己犠牲で突っ走るサイコパスに戻っていた。でも小説はいわゆる二次創作で片付けられるんですよ。
でもこの映画は違う。東映が認め、役者に演じさせた(納得してるようには思えない発言もしてますよ)段階で公式なんです。
公式がオーズという作品を公開処刑したとしか言いようがない。オーズをorzというガッカリな形に変えてしまった。この責任は重い。