コーダ あいのうたのレビュー・感想・評価
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まとった鎧を脱ぎ去って
○作品全体
高校卒業という子供から大人へと変わっていく象徴のような時期に、家族全体が変わっていく…そんな大きな括りで見るならば、ああいう作品があったな、といくつか浮かんでくる。
しかし、家族のハンディキャップによって「大人」でいなければならなかった環境から子供や大人といった区切りを超えて等身大の自分に変わっていく…そんな本作は新鮮な気持ちで見ることができた。
主人公・ルビーに「大人」でいるという鎧を身に付けさせた家族が、その鎧を脱ぎ捨てさせる描写がまず良かった。
ルビーは最初からずっと大人でいることを脱ぎ捨てたかったわけではない。幼少期から父母のビールを頼んでいたのは、健聴者であるからという理由もあるだろうが、そうすることで家族唯一の健聴者、という疎外感を取り除こうとしていたルビーの望みもあったはずだ。コンサート前に母と話すシーンではその点核心をついていて、互いにルビーの疎外感を感じていたことを打ち明けている。打ち明けられる関係性になったからこそ、「大人」でいることをやめて、試験会場にも向かうこともできたのだろう。
父と兄はルビーが「大人」として振る舞っていることをそれぞれの立場で理解し、それぞれのやりかたでルビーを応援している。ルビーに対する兄の振る舞いは特に面白かった。妹の方が仕事や家族に貢献をしているけれど、その役割を奪うことができない。そんな妬みを抱えながらもルビーを認めている気持ちもあるし、やりたいことができないルビーの姿をもどかしくも思っている。妬みという負の感情があるからこそ、終盤の兄とのシーンはルビーに鋭く刺さる場面になっていて、自分のやりたいことに進んでいくきっかけにもなっている。こうした登場人物の行動の説得力が綺麗事な感情だけじゃないところに、人間味を感じてグッときた。
家族という一括りではなく、それぞれが考えるルビーへの気遣いがルビーを「大人」から卒業させていく。この見せ方が素晴らしい。
そしてルビーの中で隠していた「やりたいこと」を掬い取るマイルズとV先生の役割は、家族の距離感ではなし得ない、大切な役割だった。
特にV先生の指導シーンはどれも良かった。独特でありながら力づくでルビーの本心を引っ張り出そうとする指導が、ルビーを「大人」でもなく「シャイな10代女子」でもない、歌が好きな女の子にさせていく。この過程の描き方がすごく良かった。
「障害者の家族」ということがルビー自身を束縛するが、だからこそ手話を用いて特別な家族に届けることもできる。歌が好きな自分を見つめることができたからこそ、自身の置かれた環境を見つめ直すこともできた。鎧を脱ぐだけでなく、その鎧も自分自身だと消化したルビーの姿は、爽快感に満ちていた。
○カメラワークとか
・ピン送りが多い。「伝える」が難しいことを演出しているのかも。
○その他
・家族の対立を描く中盤の描写は少しステレオタイプな対立だなあと思ったりした。取材の日を伝えない母や監査の日に遊びにいってしまうルビーとか、行き違いのシチュエーションが急に出てきたような印象があって対立の作り方が粗く感じた。
母と朝食を摂るシーンでルビーが母は自己中だと話すシーンもあったから、それを伏線としているのだろうか。
最後の手話の意味は?
以前、同じようなシチュエーションの映画を観た記憶があるけど、それよりも判りやすく美しく、面白みのある映画だったと思います。開始して数分で世界観を全て描ききる明解さ、「ろうあ者の家族に囲まれ、話相手はラジオの音楽だけ、だからヒロインは歌が好き」という説明書きが一瞬で説明されていて、そこからスイスイと没入していきました。障害者の映画だからと云って、決して何とかポルノじゃない、下品な手話もシーンも満載w そして歌好きにもちゃんと見応え聞き応えのあるシーンも満載。
といって、ただ綺麗な歌声を流すだけじゃ無い、「ろうあ者にはどのように聞こえる(見える)のか」を再現するため、途中で音を消すという、ちょっと骨太い演出に関心。そして、最後のオーディションのシーンにも感動しました。それは手話というのは単なる言葉の代わりだけじゃない、言葉にならない想いを伝える手段にもなり得ると云うこと。ろうあ者にとって唯一の言語かも知れないけど、ヒロインの彼女にとって、小さい頃から家族とやり取りしてきたもう一つの言葉、もう一つの思い、彼女の体には私達と比べて二倍の厚みの辞書が埋め込まれていて、思わず言葉だけじゃ無く手話が出てしまう。だから、劇中で先生に想いを伝えられず手話で表現せざるを得なくなった。だから、最後のオーディションで想いが募り、思わず歌声と共に手話で表現してしまった。あの場に家族が来ていたからでは無いと私は想います。彼女はもはや、独り言すら手話で出てしまう、思わず手話で思いを語る人ではないのかと――。
最後の手話の意味は「あいしてる」なのだそうです。そして、エンドロールと共に流れる歌は彼女自身の生い立ち、家族と共に夜明け前から漁に出ていた頃を表した彼女自身の歌なのに気が付き、最後の最後まで聞き入り、字幕を読み込んでしまいました。また、タイトルのコーダが音楽用語でも有り、「Children of Deaf Adults」→「耳の聞こえない親のもとに生まれ、手話を第一言語とする人」という意味でも有るというのが面白いですね。
爽やかな少女の成長物語
2014年のフランス語映画『エール!』(フランス・ベルギー合作映画)の英語リメイク。『エール!』で農家だった主人公一家が、本作では漁師に変更されている。
リメイク元からの変更点でいうと、『エール!』で主人公の弟がいた設定が、本作では兄に変わっている。何気に地味ながら、主人公の旅立ちを後押しするのには、お兄ちゃんのほうが説得力あるよなと思った
要は、両親と兄が聴覚障害で、自分だけが健常者という女の子が、声楽の才能を認められ、音大への進学を目指すようになるが、自分が必要とされる家族との間で葛藤しつつ、夢の実現に向かって羽ばたく物語。
これを、主人公の一家が漁師という設定で、主人公以外の登場人物を、変わり者だが愛すべきキャラクターとして印象付け、面白おかしく、でも、下品になり過ぎず、爽やかな家族のコメディドラマとして描き切った手腕は、おおいに評価したい。
結局は、よく言えば鮮やかで、清々しいハッピーエンドといえるのだが、それを素直に受け取れるかどうかが、本作の評価の分かれ道かな。好感度の高い作品だが、障害という要素を除外すると、よくあるホームコメディと言えなくもない。
本作は、障害者を取り上げ、米国における漁師という労働者、ブルーカラーの世界を取り上げつつ、潔いほど明確に、娯楽色に振り切った映画だ。『サウンド・オブ・メタル』のような、心をえぐり取るようなシリアスさは全く無い。
また、両親が聴覚障害で、娘が健常者、しかも音楽の世界を目指す話というと、インド映画『Khamoshi: The Musical』(1996年)や、ドイツ映画『ビヨンド・サイレンス』(1996年)などの先例があり、特に本作が画期的というわけでは無い。
ただし本作では、障害者に関して、性に対してオープンで闊達な人達として、あるいは、漁師仲間の中でもリーダーシップを取り、苦境を脱そうと起業を目指す、バイタリティ溢れる人物として描かれている点は、目新しさを感じた。
主人公以外の家族が、みな性に奔放。性病に関するユーモラスな会話や、コミカルなセックス描写などがあるけど、胸の露出など直接的な性的描写は無い。レイティングもPG12で、理解があれば、大抵の方におすすめできる映画だと思う。
俳優陣は、みんな良い味を出している。主人公のエミリア・ジョーンズも良いのだが、父親役のトロイ・コッツァーが秀逸。
個人的には、1人の少女の成長物語として見れば、優れた作品だと思うし、どなたにもおすすめできると思う。物語自体に奇抜さや鋭さは無いが、みずみずしい描写もあり、安心して見ていられる映画だ。
「Both Sides Now」は最高の映画主題歌
2022年3月31日(木)
満を持してアカデミー賞作品賞他3部門受賞の「Coda あいのうた」を観る。
アカデミー賞受賞式の前に観ようと思っていたのだが、見損なっていた。
待った甲斐あってTOHOシネマズ新宿は本日のみ番組編成上かスクリーン9(キャパ499)での上映。音の良い劇場で観られて良かった。
先週、約20年振りに会った映画の友人と「Both Sides Now」は最高の映画主題歌だが、主題歌に使われた映画「青春の光と影」が最低だったと言う話をして意気投合したばかりだった。それが最高の映画でクライマックスに主人公が熱唱する歌で帰って来た。私の中の最高の映画主題歌「Both Sides Now」がやっと最高の映画主題歌として歌われたのだ。こりゃ泣けるわ。この映画が作品賞で良かった。
クワイヤを指導するV先生が良い。歌う時の気持ちを言葉で表現出来ない彼女に手話で表現させる。彼女が最初に皆の前で歌えなかったのを歌わせたのと同様に、出せなかった物を出させる彼の存在が大きい。
そして音大入試の時のピアノ伴奏でのV先生のナイスアシスト。(!) 緊張で歌い出せない彼女に前奏をわざとミスる。そして、やり直し。彼女は家族の前で手話付きで見事に歌い上げる。
また、秋のコンサートの無音の描写。映画の無音のシーンが、これ程雄弁だった事もあるまい。(後日、リメイク元のフランス映画「エール」をCSで観たが、無音のシーンの演出は同じだったので、そのままの手法を使ったという事か)
当然、リメイク元の「エール」で歌われるのは「Both Sides Now」ではない。
私にとって彼女が歌う唄が「Both Sides Now」だった事が、この映画が私にとって特別な物になった。
父親の借金や漁業組合の事等、課題を如何に解決するかが描かれていない部分もあるが、全編を通じて1度しか発せられない父親の言葉「GO!」で許す。
いい話のようでいて、浅い
主人公が可愛くて随所で綺麗な歌声も聞けるのでそれなりに雰囲気は良い。
でもよく考えるまでもなく腑に落ちないところがたくさんあった。
何であの程度の努力で名門音大に受かるんだよ?
KPOPアイドルはもっと歌ガチってるって。
家業と音楽の板挟みという苦難を結局どう乗り越えたの?
そこがちゃんと描写されてないから「元からちょっと歌が上手かったから運良く受かっただけ」にしか見えないんだよ。
本番オーディションなのに何で家族が入ってきたからって手話混じりで歌うんだよ?もっと発声に集中しろよ?人生がかかってるんだぞ?
何で部外者が入ってきたのに試験続行するんだよ?
歌い直しとかルール的にOKなの?
結局最後通訳はどうやって用意したんだよ?
何かよくわかんないけど恋も進学も家業もうまくいきました、では当然感動出来るはずもなく。
進研ゼミの漫画じゃないんだからさ。
良作だがアカデミー賞受賞は正直疑問、肝心の「歌」に爆発力が無い
フランス版「エール」のリメイク、トロイコッツァーはじめ俳優陣の演技、脚色は素晴らしい。
あらすじは特に書かないがこの作品のキモはなんと言っても主演エミリア・ジョーンズの歌唱力。耳の聴こえない家族の中、唯一聴こえる彼女の才能である“歌”で奇跡を起こすという話しは、まさに「スター誕生」のサクセスストーリーなのだが、肝心の「歌」に爆発力が無い、勿論下手な訳では無いし充分上手いのだが、「アリースター誕生」のレディーガガに及ばないのは仕方ないとしても、AGT(アメリカズ・ゴット・タレント)・BGTに出てくる素人の方がはるかに鳥肌立つほどの爆発的歌唱力を披露している。
歌のもつ力がどれほどのものなのかを表現してこその本作。コーラス部の合唱シーンもドラマ「グリー」の方が良いのでは無いかと思う。
映画作品なので、奇跡的サクセスストーリーを期待していると肩透かしかもしれない。
この年のアカデミー賞最多ノミネートは『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(Netflix作品)(その他「ドライブマイカー」もノミネート)
アカデミー賞作品賞の投票は、アカデミー会員の全員に権利があり、10本のノミネート作品からランクづけして投票するのだが、1位が一番少ない作品が却下され、それを1位にした人は2位が1位になるという繰り上げ方式で、結果的に最後に過半数をとった作品が受賞となる。つまり極端に賛否が分かれる作品は残りづらく「誰もが素直に感動できる」作品ということで、予想外の受賞となったとも言えるのかもしれない。
前半ほんとにルビーが気の毒で辛かった。 特に合唱部に入ったって言っ...
前半ほんとにルビーが気の毒で辛かった。
特に合唱部に入ったって言ったときに「反抗期なの?」ってひどすぎる。
でも兄のセリフや行動を見てるとちょっと印象が変わってきて、ルビーが家族を守らなきゃいけないって思ってやってることが逆に自立を妨げてるんだよね。
「家族の犠牲になるな」って言葉にはそういう意味も込められてるんだと思う。
音大に推薦されるほどの歌唱力ではなかったけどピュアな歌声は素敵だったし、音が消えて聾者視点になる演出も切なくて良かった。
本当の愛とは
不器用でもいい。間違ってもいい。そこに本当の愛さえあればきっといい家族になれるんだろう。ルビーのお兄さんは、一貫してルビーの自由な未来を願っている。自立するために仲間と飲み会に行って関係性をつくろうと頑張ったり、1人で業者と取引しようとしたり、ときにはルビーに頼る家族にも反発する。兄としてずっと妹の未来を願っている。ろう者であっても、支えられるばかりになりたくない。頼れる兄貴でいたいから。お母さんは、典型的な子離れできていない母親だった。親にとって子どもはずっと子どもだというけど、こういう親多いんじゃないかな。ろう者と聴者の隔たりをいちばん感じているのもお母さんだ。それはきっと自分の親と自分がうまくいっていなかったから。ルビーは「ダメな母親なのは、耳のせいじゃない」と冗談まじりに言う。それはきっと本音だろう。耳が聞こえるかと心が通じ合えるかは別問題だ。それはこの映画が教えてくれる。人間は自分にコンプレックスがあるとき、つい不都合をそのせいにしてしまいがちだ。でもそのせいじゃないことは多くある。例えば容姿に自信がない人は、人間関係や恋愛がうまくいかないとき要旨をその原因と思い込んでしまうが、実は内面の問題だったりする。障がいだって同じだ。人間にとって障がいの有無などほんの一部分に過ぎない。けどそんな母親も、不器用ながらルビーを愛している。お金がない中でも娘のために赤いドレスを買ってあげたり。不器用でもストレートな愛情はきっと届く。お父さんは、誰よりもルビーの可能性を信じている。理解したいと心から願っている。コンクールで、ルビーの表情、観客の様子を見渡し、ルビーがどれだけ音楽を好きか、才能があるかを理解しようとしている。音がない世界で、ルビーの歌を感じたいときっと誰より願ってる。不器用で綺麗な形の家族ではないかもしれないけど、疑いようのない愛情がそこにはある。それはきっといちばん大事。V先生も愛情を持っている。ルビーの才能を信じ続け、最後まで諦めず細い道を作っていてくれた。家族のことも、他の人から馬鹿にされていることも関係なく、1人の生徒としてときには厳しく正面からぶつかってくれる。この映画のキャストは実際にろう者が演じている。みんな素晴らしい演技だ。お父さん役のトロイ・コッツァーは助演男優賞を獲得した。悲劇の対象として、守られるべき存在として障がい者を描くわけでなく、自立した魅力的な人物として描いているところもいい。この映画はアカデミー作品賞をとった。このような素晴らしい映画が最高の評価を受けて本当によかった。
ダブルでネタバレになる、いけないレビュー
印象に残ったのは、家族視点の無音世界のコンサート会場のシーンと、家に連れてきた友人とともに親の営みを目撃するシーン。
ストーリーは、家族に頼りにされる主人公が学校で音楽の才能を認められ、家族の未来と自分の将来との狭間で悩む。リバーフェニックス主演の『旅立ちの時』(1988年制作 原題:Running On Empty)に似ていた。
今作は、①父と母や兄の性描写がある。②ところが主人公はキスまでしか描かれていない。解釈は、①愛情を身体で表現する家族。②主人公は今まで特定の相手がいなかった。家族のために自分のことを二の次にして妥協したり我慢して生きてきたのだろう。
歌も素晴らしく、感情移入がしやすくて感動の場面が多い。
見始め、歌のレッスンと漁業の異なる二つの世界がどう繋がるか見当もつかず、主人公以外のセックスシーンが伏線なのかストーリーにどう関係するのか、描写の必要があるのかと懸念した。
今作は希望に満ちた終わり方であり、そのラストの展開までもが、大好きな作品『旅立ちの時』と似ていて驚いた。これはダブルでネタバレになる、いけないレビューだ。
結局、無駄のない脚本と必要な描写で大満足した。
主役の演技が良く涙腺崩壊
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女子高生の主人公が合唱部に入り、先生の指導を受ける。
歌の才能を見出されたが、家庭に問題があり練習に集中できない。
というのは、実家が漁師で、両親も兄も聾唖者だったため。
音が聞こえないと危険なため、一緒に漁に出なければならない。
また漁師一同で組合を作ったが、その通訳としても必要・・・。
才能があるため奨学金で音大に行ける可能性があったが、
家族のことを考えてその道を断念したのだった。
しかし最後の音楽発表会に出た両親の気が変わる。
娘の美しい声に笑顔になったり感涙する人々を見たからだった。
こうして当日になって急遽音大を受験することになった。
先生が伴奏してくれる中、家族に向けて手話付きで歌う主人公。
こうして見事合格となったのであった。
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この人、いい女優だなって思った。
まっすぐで、時に激しい感情がすごく伝わって来た。
純粋にこの主人公の将来を応援する気持ちになれたわ。
家族で自分だけが健常者なため、自分がいなくてはならない。
でも自分の夢もある、その狭間で揺れる主人公。
兄だけは彼女の夢を応援し、自分のために生きろと言ってくれた。
最終的には親もそれを許してくれた。
でもそんなことしたら海に出られんくなるけど、生活大丈夫なの?
・・・こんなしょーもない心配は映画には無用の長物。
感動したのは、子を思う親の気持ちというよりも、
生徒に才能を見出して時に厳しく情熱をぶつける先生と、
自然体で頑張り屋の主人公が、夢に向かって歩み出すところ。
きっとこの主人公なら、いい音楽家になるんじゃないだろうか。
感想メモ
ろう者の家族の中で1人だけ聴者であるルビー
代々漁業を営んでいるが、無線の応答や他の漁師とのコミュニケーションはルビーの役割
彼女は歌うことが好きで、先生にその歌を評価されて音大への進学を薦められる
しかし、ろう者である家族は音楽のことが分からず、家業の方が大切だと考える
家族の通訳として生きるのか、自分として生きるのか、望んでろう者になった訳でも、聴者になった訳でもないからつらい、断片的な情報だけでその人の方が恵まれているなんて言えない
音楽を聴いていたら反抗期って言われる
家族のために自分を犠牲にするな、と言って怒ってくれる兄、素敵
発表会のデュエット、音が無くなる演出
オーディションで手話をしながら歌うシーンで涙腺崩壊
Children of Deaf Adults の頭文字をとってCODA
両親ともろう者だけど、聴者の子供が産まれるってことは、どちらかが後天的か、遺伝性のものではないってことか
メインのストーリーは良いが、余計なエピソード挿入のせいで気持ち悪かった
ヒロインのルビーは高校生の女の子
両親と兄との4人家族
自分以外の家族は聴覚に障害があり耳が聞こえないため
(ルビーは聞こえる)
家業の漁船を手伝い、家族の通訳も務める
合唱クラブへ入部すると
顧問の教師がルビーの才能に気付き、バークリー音楽大学への進学を進める
自分のために実家を出て音大に進学するか
家に残り、障害を持つ家族を支えるかで悩むルビー
という物語
家族は耳が聞こえないために
歌で癒されたり、音楽で感動した経験が無いのだろう
バークリーへの進学を勧められるということのすごさを知らない
ルビーに家に残って仕事を手伝って欲しいと願う
物語はとてもいい
ただ、なんであんなにセックスの話が出てくるのだろう
歌の練習のために訪れた友達に
父親がコンドームをつけるしぐさをして見せたシーンはハッキリ言って気持ち悪かった
終盤で父親が娘の喉に手を当てて
振動で娘の歌を感じ取ろうとするシーンがあって
普通なら感動ものなのだが・・・・・
セックスの話が無ければ評価4.5だった
傑作。こんなに美しい作品をよく作ってくれた。 “歌”と“聴こえない...
傑作。こんなに美しい作品をよく作ってくれた。
“歌”と“聴こえない”。その間にある愛。
演者たちの迫力がいい。そしてそのために撮影的な余計な演出を入れていないのがまたいい。
父だけに歌うシーンは心が震えた。
願わくば、さいごのオーディションは最後まで歌う姿を見たかった。たぶん永遠に見れたと思う。
家族愛
歌唱指導の教師からバークレイ行きの話が出てきた時点で、結末は家族のためにバークレー行をあきらめるか、それとも自分の意志を貫き通してバークレイに行くのかが関心の中心になっていく。結果的には想定範囲内となるが、決め手となったのが、父親が彼女が歌っているときに喉に手を当てて、多分振動で彼女の歌声を感じとったのであろうが、いちばん感動したシーンであった。
涙ビダビダ
めっちゃ泣きました
最初から最後までお兄ちゃんが好きです(T . T)
他の家族は少なからずルビーに通訳として聴者との橋渡し役を期待している中、「家族の犠牲になるな」「俺たちは無力じゃない」とルビーの人生を尊重にし、自分たちを卑下せず強くいるお兄ちゃん…(T . T)(T . T)
耳が聞こえないから、という理由で漁を禁止になったシーンは最初は納得がいきませんでした。しかし後から考えてみると、緊急時の無線や他の船との衝突など安全面でも問題がありそうですし、他の人たちと違う、特別扱いをするのは逆に不平等なのではないかと感じました。
「無線は無視したらダメ」と同じ扱いをした上で、耳が聞こえないというハンディキャップに対応するために公的な制度(通訳ボランティアや無料で通訳を派遣できるサービスなど)が必要になるのではないかと思います。
ほかにも印象に残ったシーンとか考えさせられたシーンたくさんあるけど書ききれん〜〜〜トータル面白かったし歌と景色と人間美しすぎたそれだけでも価値がとてもあるみて〜〜〜
離別
良い話だった。
自分以外は聴覚に障害のある家族。
彼女は家族と健常者を繋ぐ唯一の手段だった。
幼い頃から通訳を務め、思春期の女の子には訳し難い言葉も飛び交う。なかなかにハードな人生だ。
そんな特殊な環境下だが、彼女は普通の女子高生で、恋に落ちる。
「歌」に出会うプロセスが微笑ましい。
その歌が、彼女と家族を変えていく。
彼女の歌声は美しく、とても豊かだ。
だけど、その環境が彼女の才能を阻む。
それと同時に健常者ではないない者だちの苦悩も描かれる。父親はコンプレックスを抱いてるし、母親は保守的だ。兄貴は反骨精神の塊のようだ。
母親は「理解してもらえない」と嘆く。
家族でありながらも、それほどの溝があるのだろう。
彼女は自分の才能に背を向けて、家族の犠牲になっていくかなような展開に。
それに反発する兄は、おそらく自分が出来なかった事を出来るのにやらない妹が歯痒いのであろう。
発表会の夜に、娘の歌をどうにか聞こうとする父親に胸が締め付けられる。
彼女は結局、家族から巣立つ。
今は苦しくとも、お互いが自立していく為の試練でもある。必要ならばやるしかないのだ。
そこから新たな仕組みが出来上がる。
あいのうたなんて副題が付いてるけど、その歌は聞こえてはこない。発表会の時の無音のシーンに哀しくなってくる。賞賛される娘の歌声を聴く事が出来ないのだ。
こんなにもどかしい事などない。
彼女が世界的な歌い手になっても、その声を聴く事が出来ないのだ。
オーディションの時、手話を交えて歌う彼女はとてもとても素敵だった。
とあるシーンに息を飲む
本作は名作です。見たこと無い人は是非見てください。
とくに学校の発表会のシーンでは両親の視点になると”ある演出”が起きるのですが、そこに息を飲みました。
(ああ…今まで映画を見てきたけどこの人たちには世界がこう見えていたのか…)
と思い知らされました…
名作です。
愛情表現の多様性
いよいよ歌が聴ける!というシーンで無音になる演出には驚いた。普通に歌が聞こえれば感動の場面になるはずが、無音の演出により不安感が引き出される。そして、娘の歌を聴きたい、娘の歌を感じたい、と願う父の思いに感情移入させられる。
登場人物がそれぞれ、独自の手法で愛情表現しており対比が面白い。
わかり合えないのは障害のせい?
ルビー自身の物語と家族の事業の物語が重なり、交差しながらストーリーが進んでいく。
家族で唯一耳が聞こえるという立場上、ずっと自分を犠牲にしてきたルビー。やがてそれが音楽のレッスンにも影響しはじめる。せっかくマイルズと仲直り出来たのに父親の漁業が免許停止になってしまい……
正直、どこまでもルビーを頼り切りな母親は見ていてイライラした。音痴かもしれないとか、失敗したらかわいそうだとか言うけれど、結局頼れる娘がいなくなるのが困るからでしょ、と思いながら見ていた。だけど母娘が二人きりで話すシーンで、ルビーが「ダメな母親なのは耳のせいじゃない」と言ってのけたとき、この会話が出来るという時点でこの母娘はとても健全なのだとわかった。一方お兄ちゃんはルビーに頼り切ることに否定的で、それは親子でなく兄妹だからこその複雑な気持ちなんだろうなと思った。妹にばかり頼るのが情けないとか、自分を頼ってもらえないことのふがいなさとか、妹の将来を案ずるお兄ちゃんとしての優しさとか……そしてお父さん!一見チャラチャラして見えるけど、それはままならない現実を笑い飛ばす豪快さであり、娘を、家族を大事に思っている気持ちの表れのように見えた。だからコンサートの後のシーンがクるんですよね……
そのコンサートのシーンは、歌がポイントなはずの映画の中で、あえて無音にすることでどれだけルビーの歌がみんなの心をつかんだか、どれだけ両親の心が動かされているかを表現していてとてもよかった。もしかしたら、両親は聞こえないことに甘えていたのかもしれない。お兄ちゃんも、お前が生まれるまで家族は平和だったって言ってたし。家族、ひいては社会の中で異質であり続けることの苦悩が垣間見えた瞬間でもあった。
身体的なハンデ以外にも、人と人を隔てる障害っていくらでもあると思う。わかり合えないのは、その障害を言い訳にしているだけなのかもしれない。ルビーの喉に触れてその歌を感じたお父さんみたいに、わかろうとする姿勢を持つことの大切さを教えてもらったような気がする。
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