デューン 砂の惑星 PART2のレビュー・感想・評価
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実際に目にしたかのような体験を
私は(評価は低いらしいのですが)デイヴィッド・リンチ版(1984年)が好きなので、そちらとの比較になってしまいます。私の感覚的には、デイヴィッド・リンチ版が舞台劇、この新作のドゥニ・ヴィルヌーヴ版が本物の実映像という印象を受けました。
PART1でも感じたのですが、本物の映像を見たかのような生々しさ、迫力、スケール感を存分に味わった気分です。更には、砂漠の国々の文化、伝統、戦いぶりが何千年もそうして戦い続けてきたようなリアルさ。実際、そうした部族に出演を依頼したんじゃないかと思ったほど。岩陰でしゃがみこむ仕草、仲間同士の素振りや歌うようなざわめき(♪異邦人)、地球人の科学文明が極まり、宇宙に進出して砂漠の惑星に住み着いたら、やはりそうした古代の風土へと変わってしまうのでしょうか。
逆にSF感は薄く感じました。砂漠での戦いが主であるため、どうしてもそうなってしまうのか。映画全体で、SF感を大きく担っていたのはUの字を連ねたロゴぐらいかもw ハルコンネン家と文化の違いもエグイのですが、どうにも自分はSFといえば未来のメカやロボットのイメージしかないので、単なる文化圏の違いにしか見えないな。あの白黒の花火が面白かったけど。リアルの花火をネガ反転したみたいで。
お話も渋い終わり方で、シビアで良いですね。皇帝を服したけど、領主会議(だったかな?)との対立を生み、ポールは最後の勝ったけど血まみれの辛勝、皇帝の娘との政略結婚、チャニとはことさら不仲のまま。俺達の戦いはこれからだ!って終わり方ですね。原作も話が続き、新訳も出ているので、PART3以降(タイトルも原作と合わせて変わるのかな?)も続くのでしょうか。ティモシー・シャラメさんが若く美しいうちに頑張ってほしいですねw
余談になってしまいますが、前回のデイヴィット・リンチ版もやっぱり好きです。オープニングはプリンセス・イルーランの姿が宇宙空間に浮かぶ独特のSF感。先に申したとおり舞台劇ならではのカーテンコールで締めくくられてて(顔写真じゃなくて、役者さんたちが身を正しているビデオ映像)締めくくりは砂漠に豪雨のハッピーエンドもいいじゃないですか。デイヴィット・リンチ独特のセンスも良かったなーって思うんですが、そうですか。評価低いんですか(映画.com:3.0)。残念、残念……。
見応えがたっぷりあってとても面白かったです これぞ映画館で観るべき...
見応えがたっぷりあってとても面白かったです
これぞ映画館で観るべき作品ですが、
残念ながらVODでの鑑賞です
劇場公開時に都合が合わず、
映画館観たかったです
主役のお二人は勿論素晴らしいですが
オースティン・バトラー氏の尖りっぷりが冴えていてよかったです
あと、クリストファー・ウォーケンさんですね
自分のような高齢になった映画ファンにはたまらないキャスティングです
懐かしいです。
シャーロット・ランプリングさんも出演されていていたり
幅広い年代のトップクラスの俳優さんの共演が見所でもありました
MCUに出演されている俳優さんも多かったし、
好きな俳優さんが多くて嬉しかったです
アニヤ・テイラー=ジョイさんが少しだけ出ていましたね
次回作が楽しみです
待ちに待った続編!
SF小説の金字塔作品を、『メッセージ』『ブレードランナー2049』のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が映像化するシリーズの2作目。
私自身は、原作や過去の映像化作品は未履修であり、前作と今作、またYouTubeの動画による作中ワードの解説や批評レビュー等を元に、今回の映像化で初めて『DUNE』に触れたビギナーとしてレビューする。
というのも、前作の圧倒的なビジュアルと音楽、映画という媒体を最大限に活用した贅沢な語り口に大変な満足感を、また今後の展開への期待感を抱いたため、今回の映像化をまっさらな気持ちで楽しむ意味でも、それらには触れずにいようと思ったので。
前作では、徹底してポールの目線からアトレイデス家の滅亡、そしてベネ・ゲセリットの企てによる自身を取り巻く救世主伝説に苦悩しながらも、皇帝に復讐を誓って砂漠の民フレメンに協力を仰ぎ、次第に潜在能力を覚醒させていく様子が丁寧に描かれていた。
対する今作は、そんなポールの救世主としての覚醒ストーリーに加えて、新たな登場キャラの紹介も相まって若干の駆け足感・総集編感を抱いたのは否めない。
それとは対照的に、前作では控えめだったアクション面での見せ場のシーンが今作では随所に散りばめられ見応え十分。
ポール達のハルコンネン家に対するゲリラ戦やフレメンの通過儀礼であるシャイー=フルード(サンドワーム)を乗りこなす様子。フェイドの闘技場での誕生セレモニーによる格闘戦。皇帝軍とのアラキスでの一大決戦、皇帝の座を賭けたポールとフェイドの決闘シーンと、印象的なアクションが目白押しだった。
救世主として覚醒したポールが議会の場へ赴く際の、後ろにサンドワームを従え、砂漠の風にマフラーやマントを靡かせながら歩く様や、議会での演説でフレメン達を纏め上げるシーンも画作りに力が入っている。
ただ、そうした豪華な画作りがされる一方で、敵役である皇帝一族の権力や財力に関する描写が分かりづらかったのは残念。アラキスに降り立った際の宇宙船や、お抱え軍のサーダカーの規模を見る限り、噂通りの強大な一族だという事が“戦力面”では分かる。もっと言えば、クライマックスまで来てようやく分かるといったところ。
だが、そこに至るまでの皇帝や皇后の“生活面”での優雅さがスケール感に乏しく、安っぽくすら感じられた。屋内中心、しかも狭い部屋でのシーンばかりで構成されていた為か、前作を含めて存分にスケール感が描かれていたハルコンネン家と比較して遥かに劣る気がしてしまい、そうなるとハルコンネン男爵やレト侯爵が警戒する程の人物として説得力に欠ける。
政治采配を娘の助言を元に行う様子含め、所詮はベネ・ゲセリットの操り人形という小物感を演出する意図があったのかもしれないが、ならばせめてベネ・ゲセリットの得体の知れない強大さや恐怖感には、もう少しスケールの大きな描写が欲しかったところ。特に教母様に至っては、ジェシカに取って代わられ、覚醒したポールの“声”に圧倒され怯む時点で一気に小物化する面白さがあったので、そこに更なるカタルシスを与える意味でも、ハルコンネン家以外の勢力にももう少しスケールの大きさを強調する描写は欲しかった。
前作でも顕著だった出演陣の豪華さは、今作からの追加キャストでも遺憾無く発揮されている。
開幕早々、満を持して登場した銀河皇帝役にクリストファー・ウォーケン、皇帝の娘でありベネ・ゲセリットでもある皇后イルーラン役にフローレンス・ピューという豪華さ。
そんな中でも、オースティン・バトラーによるハルコンネン家のフェイド=ラウサは今作ピカイチの存在感。戦いや死に対する愉悦、一族にさえ牙を剥く冷酷で残忍な狂人っぷりと、そこから来るカリスマ性は非常に魅力的だった。
そんな彼を利用する事を画策し、遺伝子を手にするベネ・ゲセリット役にレア・セドゥというのもまた豪華。
欲を言えば、そんな存在感抜群のフェイド=ラウサの活躍や内面の掘り下げをもっと見たかった。生誕セレモニーのシークエンスでの残忍さや狂人さの演出こそ、オースティン・バトラーの熱演もあって最高なのだが、以降ラッバーンに代わってアラキス統治に乗り出してからの活躍が、フレメン1人を火炎放射器で焼き殺すのみ。クライマックスでの決闘シーンまでは割と空気化してしまうので、あまりにも勿体なく感じた。登場人物の多さやストーリー進行上やむを得ないのかもしれないが、登場のインパクトとの落差の激しさが目に付いてしまう。上映時間が更に伸びても構わないから、もっと彼を見せてくれと思わずにはいられなかった。
ポール役のティモシー・シャラメは、今更褒める必要もないくらい、前作に引き続き最高の演技を披露している。前作のインタビューでヴィルヌーヴ監督が「彼がいたから映像化出来た」と語ったように、今作もまさに“彼の為の映画”だったと思う。
前作冒頭では、まだ15歳という年相応な弱々しく世間知らずな印象があったポールが、今作のラストではまるで別人。覚醒して得た圧倒的な能力と、戦いの中で培われていった格闘センス、フェイドを退け皇帝を跪かせるにまで至ったカリスマ性を兼ね備えた恐怖すら感じさせる成長を見せる。それは、皇帝以上の新たな恐怖の支配者を生み出したにすぎないのかもしれないという不穏さも纏っている。この変化を見事に演じ切ったシャラメに拍手。
ハルコンネン男爵役のステラン・スカルスガルドにも引き続き拍手を送りたい。合成ではなく実際に特殊メイクをして撮影に臨み、トイレに行かなくて済むように水分補給にまで気を配ったとか。
キャラクター描写で言うと、ハビエル・バルデム演じるスティルガーの狂信っぷりが意外だった。前作時点では、フレメンの一集団のリーダー格で、無頼漢的な印象が強かっただけに、今作冒頭からのポールへの心酔っぷりには驚かされた。「自分は救世主じゃない、あくまでフレメンの一員として一緒に戦わせてくれ」と懇願するポールに、「謙虚だ。やっぱり救世主だ」と仲間に吹聴する様子は面白かったが。
ゼンデイヤ演じるチャニの現実的な視点は、現代的なアプローチとして正解だったと思う。原作が60年代の作品なだけに、当時の男性上位な視点を持つ原作から1番変化させて描かれているのだとか。ジェシカによって次第に宗教としての勢力を強めていき、ポールの覚醒によって完全に救世主伝説を盲信していくフレメン達と、自分を見失い始めているかのようなポールに、あくまで冷静且つ批判的な視点を最後まで投げかける。
ラストシーンで砂虫に乗るために準備する彼女の目には、名作『ゴッドファーザーPart1』でマイケルがマフィアのボスになった事でファミリーの静かな崩壊が始まった事を示す様子を、部屋の外から静かに見つめていた彼の妻に似た悲痛さが滲み出ている気さえした。あのラストシーンがあったからこそ、今作でのポールの覚醒や皇帝失脚による戦乱の時代の幕開けという、決してハッピーエンドではない物語の不穏さがより際立っていたと思う。
監督によれば、Part1・Part2は原作を基にした二部作。更にその先にオリジナルのPart3の構想もあるらしく、今作の世界的ヒットから、問題なく実現するだろう。
新たな皇帝となったポールが、諸大領家との戦争にどう立ち向かっていくのか。狂信化したフレメン達を“楽園”に導く真の救世主となるのか、夢で見て恐れていた死体の山を築く恐怖の支配者となるのか。それには、チャニの存在が重要になってくるのは勿論だろう。
彼がチャニに投げかけた「この先もずっと君を愛してる」という言葉や、未来に生まれてくる妹(アニャ・テイラー=ジョイなの豪華過ぎ!)による「愛してる」の言葉、前作で父親のレト侯爵に言われた「真の指導者は進んでなるのではなく、求められてなるのだ」(これが指し示すのがベネ・ゲセリットによって植え付けられた信仰心による今作での覚醒かは不明)という言葉を振り返ると、まだポールには引き返す道、別の道があるようにも思える。現に覚醒前は、自身も疑問を抱き続け苦悩していたので。
もしかすると、今のポールはベネ・ゲセリットが作り出した偽の救世主にすぎず、真に銀河に平和を齎す救世主となるには、チャニが必要であり、彼女との対決もあるのかもしれない。
そんな先のストーリーへの期待と妄想を膨らませながら、この壮大な物語に、ヴィルヌーヴ監督がどういった決着を着けるのか今から楽しみで仕方ない。
Pt 1とくらべると、、
謎の装置で空中浮遊する巨漢の親父が得体のしれない恐怖があって好きだったので、
ラスボスとして出てきたウォーケン皇帝が猫背の小悪党すぎて、恐怖が薄まっていたのが少し残念でした。
つねに謎の思惑があって動いているレベッカ・ファーガソンが1番怖いです。
主人公がさいごに1番のヒールぽくなるのは新鮮でした。
ハビエル・バルデムがどんどん太鼓持ちになっていく過程がおもしろく、
食い気味の「リサルアルガイブ!」には笑いました。
人間性を捨ててく主人公
パート1より断然面白かった
特に最後の40分間くらい(主人公が人間性を捨てる決意をしたところらへんから)
宗教と大衆の支持獲得と玉座奪還の3つ、それぞれの面白さを余すことなく抑えてる感じ
予言がどうであれ、自分の復讐を果たすためにしなければならない道がある。最初は気づいていなかったが結果として信者、あるいは戦ってくれる軍勢を増やすために必要な道を辿っていく。
沙漠のフレメンの懐に入るべく決闘したり訓練したり命懸けの作戦に加わったり。
未来を見通すための命の水を飲んですべき行動を選び取れる力を手に入れたり。
フレメンに馴染んだことで手にれた戦い方や軍を利用し、また彼らに「楽園」を約束して宗教じみた推進力をゲットしていく
また命の水(砂虫って何者!?)きっかけで恋人いるのに政略結婚だとか大衆の前での煽動スピーチだとか、本心や本来の性格とは真逆の行動を周囲への相談無しにするようになっていくのがまさに玉座争い系の物語って感じ。
復讐のために私生活を切り捨て人としての幸せと優しい心を失っていく
君を愛すると口では言っても、自分自身そう信じていても行動が違えば意味は消えていく
少年漫画みたいなベタな要素があったのも前作と比べると意外。
特にめちゃくちゃデッカい砂虫に乗るのに成功したシーンとか。
めちゃくちゃでかい砂虫を使って攻め入るシーンは圧巻。圧倒的なデカさと神聖さのある生物のパワーで勢力図が逆転していくのは好きな勝ち方。(ここはやっぱ映像的にナウシカ思い出した)
操縦方法が引っ掛けるだけなんで、やや説得力は薄く感じた。
砂虫とは信頼関係が重要で一歩間違えれば操縦しようとする奴を食いますよみたいなハウドラのドラゴン的な危険性の描写があればなとは思ったり。
未来視できる奴が王になるとどうなるのかなっていうのは楽しみ!アニャも出るっぽいし次作は十二年後が舞台だとか。待ちきれん!
多分一作目で見た映像のように、最後は死ぬと分かっていながらチャニの刃を受け入れるんじゃないかなって思ったり
ゼンデイヤの目力が素敵
意味不明な終わり方なのが残念
160分観てきて、なかなかの仕上がりだった、どう終わるのかと思っていたら、なぜかチャニがワーム乗りの準備をし始めて、こちらをにらみつけてカットアウト・・・?。Part1から続く長い物語全体を締める終わり方としては、意味不明で台無しな印象。そこだけが残念。まさかPart3あるのだろうか?
大画面で観てよかったSFエンタメ大作
前作で吹き荒れた砂嵐は少なくなり、代わりにウォームに乗ったり神秘的な儀式のシーンが増え、しまいには悪玉ハルコンネンを成敗でき、愉しかった。
シャラメ君もゼンデイヤさんも前作より戦闘シーンが増えてカッコよさ増し増しだったが、若手ヴィランを演じたオースティン・バトラー君の迫力は出色だった。他のキャスト、特に女性陣も良かった。
前作に続き今作も巨額の費用がかかっているのは間違いなさそうでその分プレッシャーも凄まじいだろうし、ゆえに監督はシリーズ化を否定されているのかな、と思う。とはいえシャラメファンとしては、制作進行中の、複雑な背景事情が明らかになってきた中で皇子ポールがどうしていくのかが描かれる次作の公開をとても楽しみにしている。
自身の選択の先に
砂の擦れ合う音のみが広がる世界を砂の映像と音でうまく融合され、そこに潜む主人公の表情と唇の渇きから観てるものにその感覚を擬似体験させる様な緊張感を描く。
自己が予見する未来とそこに起こるであろう悲しみ。
いまの弱さと脆さを感じつつ、アトレイデス家、自己の望み、殺戮を受諾するべきか?その中で自問自答し模索する未来。
そしてその選択が迫る中、ハルコンネン家との攻防も激化し黒い欲望が絡み合い一筋縄ではいかない輩たちが渦巻く中でどう立ち向かうか?
彼が選択する行動が心に響き、それを背負う姿がとても凛々しく哀しげに映し出され観てるものとして主人公を好きになる。
最高の音楽
前作に続いて、期待を裏切らない出来。
砂の惑星でポールが如何に民の信頼を得て、救世主クウィサッツ・ハデラックとしてカリスマ指導者になる過程を丁寧に時間をかけて描く。
この手のSF映画では珍しク戦闘シーンは少なく終盤の侵攻シーンも意外と呆気なく終わる。それだけヒューマンドラマに重きをおいているということだろう。
今作で重要な立ち位置になるのがチャニの存在だ。「救世主を信じると救世主に頼るようになる」と一貫して救世主に対する危うさを抱く存在として描かれている。これは単なるSF映画としてではなく、現代へ通じるヴィルヌーヴ監督が伝えたいメッセージだと感じる。
もう1つ、特出すべき点が音楽だ。ヴィルヌーヴ監督初期の「灼熱の魂」から商業大作の「メッセージ」「ブレードランナー」においても、展開に合わせた音楽を外さない。今回も重低音を中心にチャニとのシーンでは柔らかい包み込むようなサウンドで観客を引き込んでくる。前作に続き音楽を担当したハンス・ジマーには脱帽だ。
個人的なお気に入りは「足音で誰だか分かった」とのセリフでガーニー・ハレックが再登場するシーンだ。前作に引き続き、ジョシュ・ブローリンの演技は秀逸。フレメンとは違う視点でポールを支える部下を熱演。復讐を果たすシーンでは観客も一緒に熱くさせる。
3部作最後の展開にも期待だ。
砂漠に語らせる星の歴史
◉揺れる者たち
スペースオペラとか言うよりは、目を離せなくなる歴史のいくつかのシーンを見せられたような感覚です。エモーションを極力抑えて、砂との対話を力に変えたポール。そして何の躊躇もなく言霊に身を預けてしまった母レディ・ジェシカ。この二人の転身で続編は始まった。
顔に微かに発光する文字? 文様? を浮かべたレディ・ジェシカの美しさにドキドキしました。彼女はやがて1冊の予言の書になるのだ。
ところが二人に引っ張られて、フレメンとハルコンネンの戦いが燃え盛ったりはしなかった。力に目覚めたはずの男子と、その男子に恋することで明日が見えてきたはずの女子は、内なる何かを求めて揺れ続ける。
◉揺るぎない砂漠
一方で、砂漠は急いて変わることなどしない。砂は事実をありのままに述べる「叙事」の象徴であり、もう一つ、悪夢もその中に身を置いてじっと息継ぎしていれば、どうにか道は開けると言う「忍耐」を表していたとも思えました。
それから、瞳の青は遠い彼方の空を思わせる色だと思いました。心ではなく予言に我らの運命を委ねる…みたいな言葉が出てきたけれど、長い年月を経て心は弱り、そんな身構えに陥っているフレメン。救いの光に見えたポールも、いきなり真っ直ぐに闇を照らすことは出来ない。故に気丈なチャニの苛立ちは日に日に募る。
ところが、ゼンディヤのぶっきら棒さが、なかなかの魅力で。
◉重たい戦争
サンドワームの参戦によって、何もかもがストップモーションのような、睨み合うような戦闘になった。重さのため、戦闘もアクションに見えない。一瞬が生死を分けるはずなのに、兵士たち何かに憑かれたようにさまよう。力を与えられるはずのサンドワームは戦士を潰しかねない。強力な武器は常に諸刃の剣と言うこと。
予測された統率者ポールが繊細なのか、傲慢なのか分からなくなり、しかしその不透明さのために、話の面白さは倍加したようです。
◉燻んだ薔薇の花
日が昇り日が沈む砂丘が、柔らかな薔薇の花叢のようで、度々見惚れました。前線の殺し合いも銃後の戦略も間違いなく物語にはあって、でも、この物語のテーマはそれだけじゃないと、気持ちよくはぐらかされているうちに、時間が有無を言わさず流れてしまった感じです。
いや、単に私の理解力が追いつかなかったのです。膨大だな! と言う感覚だけがしっかり残りました。ここが終わりではない、全てじゃない、星の歴史は更に重たいステージを用意しているのでしょう。
救世主たるべき人物とは?
Part1はこれからどのように主人公が、宇宙の勢力争いにどのように生き残っていくのかが描かれており、楽しめた。
しかし、今作では救世主として求められ、初めは拒否していた主人公だったが、徐々に母親の策略に乗っていく様子などで流れは把握できた。
しかし、その救世主になるために、政治的な要因を利用せざるを得ない主人公の葛藤などは、もっとくっきりと見たいところだった。
そうでないと、最後に恋人を裏切ってまで皇帝の娘を娶ろうとする行動が活かされてこない。
ティモシーシャラメ自身も線が細いからか、マトリックスのキアヌ・リーブスよりも、救世主となる要素が薄かった。
映画館で鑑賞推奨
映像美が凄かった。映画館の大画面で見た方が絶対に良い。その反面、砂嵐のシーンなどは迫力がありすぎて、自分も砂まみれの中にいるような気にもなるほど。
物語はちょっと「スターウォーズ」の雰囲気があるのですが「高層ビル街だらけの未来都市」的なシーンがないのと、衣装、宗教的な表現などが差別化を図っているかと。
主人公ポール役のティモシー・シャラメの「王子様オーラ」が個人的にはこの作品の一番惹かれる理由なのですが、パート1では「大切に育てられた王子様」からパート2では「有無を言わずに試練を与えられ、予見してしまったことで葛藤し皇帝の座を選ぶ」ことで逞しさ、それも清濁併せ呑むしたたかさを兼ね備えた逞しさを見事に表現していたと思います。
そして、オースティン・バトラー演じるフェイド・ラウサが実に素晴しかった!狂気に満ちたオーラにゾクゾクしました。凄まじかったですね。パート3でも活躍するかと思っていたので、まさかの展開は残念でした。誕生日式典の闘技場のシーンがモノクロになる演出がカッコ良かった☆
個人的に「皇帝」の皇帝感が低い印象。全宇宙を統べるようには見えない。。。。
それともう一つサンドワーム(砂虫)の上に乗るシーンがあるのだけど「上に乗る」までは理解が出来るが「コントロール」出来る理屈が全く触れられていないのが消化不良。ましてやフレメンの一人が飛び乗るだけではなくて、数十人が乗って民族大移動みたいなことをしているのは全くの疑問??? それと操縦時は全く地中に潜らないんでしょ?都合良すぎやしないか??
完全制御できなければ、こんなことは出来ないし、完全制御できるのならサンドワームでハルコネン家統治下時代に主要拠点を襲撃できるだろうと。全く説明なしにいつのまにかそんな便利な存在になっているのが納得出来ない。無粋だが、どうしても引っかかる。
判りやすく構成されてはいるのですが、流石に情報量が多いので何回か繰り返し見たいですね。
映像・音楽・衣装・配役・演技は素晴しかったのですが、ストーリーというか、構成がちょっと全体的に長すぎるかなと言う部分と、はしょり過ぎかなという部分が感じました。
こじんまりしていた
part1を観ていたので慣性力でこちらも映画館で観た。
悪くなかったがすごーく良いところもなかった。
砂漠に向かうポールとチャニの雰囲気は良かったし戦闘シーンも1より良かった。また浮遊砲台みたいなのが大砲ぶっ放すのも好みだった。俳優陣なんて最高だし、世界観には痺れる。映像も音楽、音響も素晴らしい。。。
だがしかし、何でだろう単調というか、ストーリーの広がりが無いというか、こう、こじんまり感が拭えない。もしかしたらDUNEの惑星に慣れてしまったからかな?
コレは三番煎じはキツいのかな、でも私はpart3も出たら観に行くが。
追伸
映画館は自分以外の客はゼロでした!それはそれで貸切映画館状態で良かったが、興行がシンパイ。日本人よ、もっとSF作品観よう!
その星の名は
パート1を観た後、原作を読もうと思っていたけど、結局読まないまま、パート2が始まってしまった。さあ、話についていけるだろうか…。あーあ、やっぱりついて行けなかった。ストーリーが早回しか、ってくらい省略の嵐。疑問は次々浮かぶが、後回しにしないと「わからない」が積み上がる一方だ。ヴィルヌーヴさ〜ん、原作通りに進めてるのかもしれないけど、もう少し、優しくしてよ〜。
ポールはチャニのどういうところを好きになったのか。逆に、チャニはポールの何を好きなの?どうしてこの2人が愛し合うのか、きっかけとかが全くわからない。いつの間にかそばにいた、って感じ。レディ・ジェシカは胎児に操られてるのか?妊娠していることが、有利に働いているのか?青い水を飲んで、フレメンの教母になって、ベネ・ゲセリットの力がより強くなったのか? フレメンは(ポールも)砂虫に騎乗してたが、砂虫と意思の疎通は可能なのか?砂虫はふだん砂の中で生きているのに、人を乗せてる時は、どうしてずっと砂の上を這ってるのか?思い通りに砂虫を動かせる仕組みが知りたい。
あと、ハビエル・バルデムがなー、ひねりの効いた役なら、もっと濃い味が出るのに、「リサーン・アル=ガイーブ!」って叫ぶだけじゃ宝の持ち腐れよ。実は皇帝のスパイだとか、裏切り者とか、何か切り札はないものか。ジメジメしたものや、オドロオドロしさを醸して、もっとハビをおもしろくしてくれー。
ハルコンネンも、前作では不気味だったのに、あっけない終わり方だよね。甥2号のルックスは良いのだが、やはり若いし、それほど悪いにおいがしない。えっ、まさかただのアクション要員? 甥1号もダメダメだし、ハルコンネンは自分の足で立てないし、ポールと戦う人材が必要だからなぁ。結局甥2号は、1作で消えてゆくのであった…。ハルコンネンの血縁について、次作で展開があると期待してよいのかな。
前作に引き続き、映像はほんとにいい。機械や建物のデザインはかっこいいし、位の高い女性たちのお召し物などもすてき。フローレンス・ピューは品があるし、レア・セドゥは色っぽいし、レベッカ・ファーガソンは妖しい。ゼンデイヤは本人はもっとセクシーなのかもしれないが、役柄から言って彼女らしさは出てないのでもったいない。女優陣については、不満はないっす。音楽は前作から連投の、ハンス・ジマー。私は、女性の強いボーカルで始まる曲が好きだったので、今回は少し印象が薄い。
前作にはジェイソン・モモアがいたが、今回はやはりいない。さみしい。弁慶不在で、義経が頼朝になってしまい、やはり政治色が強まった。上総介を殺した鎌倉殿のように、ポールもこれから血を流しながら救世主となっていくのだろうか。グダグダ書いてしまったが、それだけ期待していたわけで、パート3に展開するため、中継部分ゆえに難しかった、ということにしておこう。ちゃんと次も観るし、こうなったら、映画が完結してから原作読むわ。
美しく神秘的そして壮大
前回のアトレイデス家が滅亡され、逃亡し、砂漠の民フレメンのジャミスと決闘し勝利したことで認められ行動を共にするところから始まる。
終始不思議な感じがして、引き込まれる。
砂漠がどこまでも広大で美しい。
その砂漠に住む砂虫。とても危険で奇怪だけれども、限られたフレメンだけが乗りこなし、操ることができる。フレメンとして救世主になるために、ポールがそれに挑み砂虫を乗りこなすべく奮闘するシーンはかなり緊迫する。そしてその砂虫を意のままにする事でフレメンとの絆が強まる一方、母上は新しい教母として底知れぬ何かに生まれ変わる。
Part1のティモシー・シャラメは本当に美しいと思ったが、Part2のティモシー・シャラメはさらに美しく逞しくなっていた。やはり王子としかいいようがない。素敵です。
生き残ったアトレイデス家とハルコンネン家の戦いは
もっと根深い皇帝の陰謀であり、その陰謀は教母によって操られていたとは。
信じ難いのは、ハルコンネン家の甥フェイド=ラウサがポールと従兄弟と言うこと。???ポールがハルコンネン家だったと言う事実。
恐ろしや。信じたくありません。
しかし、最後の生き残りをかけたポールとフェイドラウサの戦いは、それこそ緊迫する戦いで、手に汗を握ったが、ポールの勝利で最高のクライマックス!
政略結婚の為とはいえ、チャニの複雑な気持ちがあの表情で、嫌というほど伝わってきた。Part3でどうなるのだろうか。
かっこよすぎる。
最近の映画ではまれにみる多額の費用をかけた映画という感じがする。
これは映画館で観たい。
壮大な内容とセット。
ティモシーシャラメの成長がすごい。
周囲の力添えと運、縁。
観て良かった。
次回作も期待。
予言と力
パート1の復習をしないままの観劇だったので、思った以上に前回の内容を忘れてしまっていた。
それでも冒頭から一気に視覚的な面白さとシナリオの面白さに引き込まれる。
ポールは本当にフレメンが求める救世主なのか。
彼自身は救世主であることを否定するものの、やがて彼の英雄的な活躍によってフレメン側は反撃の狼煙を上げる。
採掘場を強襲するシーンや、ボールが初めて試練としてサンドワームを乗りこなすシーンは大迫力で見応えがあった。
全宇宙を思い通りに支配しようとする帝国側に、独自の目的で行動するベネ・ゲセリット、そして皇帝と結託して砂の惑星アラキスを手中に収めたいハルコンネン家と、それぞれの思惑が交錯して前作以上に重厚感が漂っていた。
やがて予言通りにポールはフレメンを導いていく力を得るのだが、彼が求心力を持てば持つほど違和感を覚えた。
おそらく観客に近い感覚を持つのが、彼に密かに想いを寄せるチャニだろう。
砂漠の民のリーダーであるスティガーが、ポールを救世主であると盲信するようになるのに対して、チャニは何もかも予言の言葉を信じようとするフレメンに反発を覚えるようになる。
それでも次第にポールは彼女の手の届かない存在になってしまう。
使命を背負ったボールよりも、このチャニの切ない想いに共感するシーンが多かった。
果てしない苦しみが続き、先が見えない極限の状態が続くと、人は予言や救世主の存在に頼りたくなってしまう。
そして確証はなくても、もしこの人なら何かを変えられるかもしれないと望みを託すことが出来れば、それにすがってしまう気持ちも理解できないではない。
しかし、誰か一人の人間にすべてを託すことは危険なことでもある。
強大な力を手にしたことで心変わりする人間もいる。
一貫してこの映画で描かれるのは暴力としての強さだ。
ハルコンネン家の跡取りフェイド=ラウサなどは全く慈悲の心を持たずに、自分の気分次第で平気で人を殺す。
それが強さであると信じている。
そして皇帝はアトレイデス家が滅ぼされたのは、ポールの父親レトが弱い人間だったからだと言う。
しかし強さと暴力は全く異なるものだ。
真に人の心に寄り添うことこそ本当に強さが必要なものだ。
何故か繊細であることや優しさは弱さであると勘違いする人間が多い。
それでも少しずつ世の中は変わりつつある。
パート2の後に続編があるのかは分からないが、最後まで武力で闘うことでしか勝利を得られない展開は悲しかった。
そこに映画としてのテクノロジーは最先端なのだが、何となくこの作品自体の古さを感じてしまった。
As written (予言の通りだ)
字幕版を鑑賞。今作はIMAX用に作られた映画だけど、ローアングルや、キャストと同じ視点になり、自分が砂嵐に入っていくようなカメラワークがみられ、飛び出してきそうなリアルさ。花粉なのか画面の影響受けたのかで 鼻むずむずした。音響も、心臓に悪い轟音でじゅうぶん臨場感あった。特に砂虫が登場する場面の轟音と画面の煙さは一級品。
音楽はTENETイズム、白塗り坊主の不気味さは怒りのデスロードイズム感じられるなぁ、と思っていたら、白塗りって訳でもなくモノクロ映画になった感じだった決闘シーンは引き込まれた。次期公爵の残虐性がみえる描写は目を細めてみた。
砂虫を乗りこなし、大勢を運ぶのは面白かった。あと、空飛ぶスーツも!!ただ刀で斬れてしまう脆さなのだが。
死体の体内の水の取り方、使い道、敵の場合と味方の場合。吐くのも勿体無いことだし、涙も貴重な水分だから我慢。面白い設定だなぁ。
衣装は、急に流行りのバラクラバ登場させたりして顔周りが特に凝っていてお洒落だった。
ストーリーの感想としては、『お母さん。あぁ、お母さん…』が心の声。ポールを守る為に、胎内の赤ちゃんと共に民衆を煽動していく。
ポールは今のところお母さんの考え通りに動いてるけど、、さてどうなる。
パート3へ続く感じしかない終わり方だった。
壮大なSF叙事詩
砂の惑星2作目。
過酷な砂漠に馴染み、リーダーとして頭角を現すポール。
フレメンを味方につけたことにより、ついに宿敵ハルコンネンを倒し、皇帝へと大きく歩み出す。
当初は、ハルコンネンを倒し、皇帝を目指すのが映画としてのゴールかと思いきや、
どうも通過点であることが分かった。
起承転結、物語の「承」通過点がいちばん難しい。始まりでも終わりでもない、でもそのシーンはなくてはならず、全作を見終えたときに、本当の評価が決まるんだろう。
今回恐ろしいと感じたのは、ハルコンネンでも皇帝でも砂虫でもなく、
ポールの母親だ。
息子に多くの犠牲を強いても、彼女が目指す世界とはどのようなものなのか。
皇帝に教母、大領家の思惑、戦争、
その先に緑の惑星があるのか。
壮大なドラマは始まったばかり。
最後まで見届けたい。
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