名演小劇場で3週目となる上映も今日までとなった、ドキュメンタリー映画「銀鏡SHIROMI」の最終上映に間に合った。
映画はのっけからいきなり、創生神話でも語っているような、宇宙はひとつの光からはじまったという佐治晴夫先生のお話で幕を開ける。
伝統芸能一色のドキュメンタリーかと思いきや、それは嬉しい演出でした。
そこから、宮崎にある奥日向の銀鏡にカメラが入っていく。
ここからはナレーション代わりにメッセージ的な文字が要所々々に入るくらいで、説明的な演出は一切なく、あとは淡々と、大自然に囲まれた限界集落で、山村の豊かな暮らしを映し出すスクリーンに目が釘付けとなっていく。
奥三河の花祭と同じで、この銀鏡神楽も12月の冬至の祭り。
だから、映画も冬から春となる場面からはじまり、のどかな風景に季節が巡る移ろいの中で、そのときどきに行われる年中行事がハレとケのメリハリをつけながら、だんだんと祭り本番が近づく銀鏡神社の大祭へと村全体が向かっていく。
目に見えない大いなる力に揺り動かされながら、村人たちが一体となっていくエネルギーがすごい。
花祭の舞庭は屋内だけど、銀鏡は野外に作られる。
満天の星空のもと、天空を覆い尽くす無数の星々に捧げる歌舞。
神楽としては500年の歴史だけど。
それはそれですごいことだけど、太古の昔から世界中で行われていたお祭りである星々との対話。
日本神話に星が出てこないのは、歴史から消されたからだ。
森や山奥で夜空を見てた縄文人が、星の信仰をしていなかったといったら嘘になる。
そんな記憶が深く残る土地で、神楽へ昇華したのでしょう。
その衣裳とその舞は、シュタイナーのオイリュトミーに通ずるものを感じて、鳥肌が立った。
地理的にも遠く、言葉も違って聞き取りにくいけど、そんな距離感を感じさせず、言葉を超えたところでとても近しい、自然にその場に溶け込んでいける世界がそこにあった。
銀鏡は有名とはいえ、神楽がこのような映画として上映できる時代になったことが嬉しい。
そんなわたしがこの銀鏡神楽の存在を知ったのは、なんと20年近く前の伊勢でした。
そのころ毎年のように通っていた猿田彦神社のおひらきまつりで、たまたま2003年に見たというだけですが。
その前後で見た奥三河の花祭と同様、今でも強烈な記憶として残っている。
当時はたまたま見ただけで、神楽がどうゆうものかも、銀鏡がどこにあるかも知らないど素人でしたが、その後に奥三河へ通うようになったことを思うと、宮崎まで行きたくとも行けなかったのにこうして映画館で再会できたことが嬉しくてしょうがなかった。
また行かねばならない故郷がひとつ増えた感じ。
それから、ここ名演小劇場で、次は「山歌(サンカ)」が上映される。
取り返しのつかないほど失ったものも多いけど、このコロナ騒動のお陰で本質的な部分が研ぎ澄まされてきたのも事実。
そういうところに、これからもどんどん関わったり意識を向けていきたいです。