やがて海へと届くのレビュー・感想・評価
全128件中、1~20件目を表示
いかに喪失と向き合っていくか
手の温もりが伝わるアニメーションで幕を開ける冒頭から、この映画が一体どのような境地や風景へと我々をいざなおうとしているのか、すぐには想像がつかない。ミステリアスとも浮遊的とも言いうるタッチで浮かび上がるのは、二人のヒロインが人知れぬ思いを抱えながら歩み続ける人生だ。なぜあの時、彼女は声をかけてくれたのか。なぜ彼らは無二の友になれたのか。そして私(主人公)は親友のことを一体どこまで知っていたのかーーー。他人の心を理解するのは難しい。ましてや当人が亡くなると、残された者はこの答えなき問いをずっと抱えることになる。それは時に悲しくて、苦しい。しかし本作は、ずっとその人を思い続ける、忘れない、という一つの決意と寄り添いを優しく、尊く描いていく。若き女優たちの移ろいながら葛藤し続ける存在感に魅了された。そして観賞後はなぜか自分の人生における”もう二度と会えない人々”の思い出がなぜか強く思い出された。
実写とアニメーションの活かし方
生命の流転が私たちの生きる社会の日常レベルで描かれていることにおどろいた。震災の日から戻らない友人を想う主人公の旅を通して、観客がたどり着くのは、生命は自然に還り、海を経て、そこかしこに偏在しているという万物を見通す視点だ。そのことを描くためにアニメーションが決定的な役割を果たしている。震災で死んだと思われる友人は主人公にとって決定的な喪失だったはずだが、彼女の残したビデオ映像という記憶を記録する装置と、自然に還り、変化してゆく生命のあり方という二つが主人公の人生を前向きなものにしていく。固定された過去の記録映像を実写、自然に還り変化していく可塑的な生命はアニメーションで表現する。現実を切り取り固定化する実写と、変化するものを描くアニメーション。実写とアニメーションの両方の素晴らしさを最大限に活かしている。記録という点では震災の経験の語りを記録するシーンも示唆に富んでいた。しかし、記録できずに流されていったものもある。それをアニメーションで描いている。中川監督は新世代の作家の中でも本作で一つ抜けた存在になったと思う。
民宿の女の子は良かった!!
震災が題材みたいですが、何かダラダラと続くだけで練り込み不足に感じました。浜辺美波さんをサブで起用する程の内容では無いと思います。民宿の女の子は元気があって良かったです。
そう言う風な作りだけど心に響くもの無し
怖いけど 生きてるね
感情の繊細さがよくわかる映画
浜辺美波さんが出演しているから見た映画でしたが、私はとても好きな映画でした。
冒頭・終わりにアニメーションがありますが、東日本大震災という難しいテーマを描く上では、生身の人間が演じてしまうと恐怖しか残らない映画になってしまう。「なるほどな」という作りだと思いました。そして真奈が死に納得できなかった理由も、「津波」というワードで腑に落ちる感覚があります。
最初は真奈がすみれに偶然出会い、偶然新歓で助けられた、そして親友までに発展するという感じだと思いました。
しかし最後のすみれの視点で見ると、すみれは拾ってくれた猫のポーチをきっかけに、真奈に一目惚れと同じような興味が湧いており、その後も真奈に自分から近付きに行っているように見えます。あの日猫のポーチを返して欲しいと素直に言わなかった理由は、真奈と関係を持つ理由を残しておくためだったのかな、と。
そして明らかになっていくすみれの真奈への恋の気持ち。だけど、打ち明けられない。すみれは母親に標準を求められて育ったからこそ、恋の気持ちが辛くなる。いつか真奈に恋人ができる前に、自分から離れて普通の女の子として遠野と生きるほうがマシだと思う。
すみれの感情の揺れ動きと、真奈のピュアさ&鈍感さが対比していて面白かったです。
実際に東日本大震災の被害に遭われた方々のインタビューの場面がありますが、見ている時は「すみれに関係あるの?」という感じでしたが、それを聞いて真奈はすみれが亡くなったということを自分の中に落とし込む事が出来たという意味なのかな思いました。
すみれが真奈の洋服を着てみたり、こっそりビデオを撮っていたり、バスに乗り込み去り際にエールを送ったりするシーンは、愛おしくて、切なかったです。
思ってたのと違うし、難しいけど…沁みてきます。
違う作品を観る予定だったのに「Primeでの配信は3日以内に終了」フラグが立っており、大好きな女優さんのひとり浜辺美波さんが出演していたので予告だけ観てみようと思ったら気になってしまって、3日以内で消えるんなら今しかないと何か縁さえ感じて、何の予備知識も持たず半ば急いで観始めました。
浜辺美波さんを好きになったきっかけは実写ドラマや映画の『賭ケグルイ』の蛇喰夢子役でのミステリアスな美しさです。本作の予告を観る限りではその夢子に通じるというか、序盤お母さん役の鶴田真由さんが「近くにいても遠く感じるところがある子だもんね」って評している部分が魅力的というか、そんな彼女演じる突然いなくなった謎めいた親友の足取りを、岸井ゆきのさん演じる主人公真奈が残されたビデオカメラの映像を頼りに追っていくミステリーだと勘違いして観ていたら、折り返し辺りでまさかの東日本大震災の津波の話に繋がるとは。。。あまりにも意表を突かれました。思ってたのと全然ちゃうやん。。。
「私たちには世界の片面しか見えてないと思うんだよね」津波によってすみれが行方不明になったと判明してから、見えなかった片面を我々にも観せてくれます。その片面がビデオテープに録画されているのかと思っていたのですが、それも読みが外れました…。
真奈が被災地に赴き復興途中のその映像、特に陸前高田市にあんな高い防波壁が造られているとは知らず胸が痛みます。家族を亡くされた人達の証言を中嶋朋子さんが撮影するシーンでの証言内容や表情がリアル過ぎて観終わるまでこの部分はドキュメンタリーかと思っていました。特に女子高校生羽純役の新谷ゆづみさんの語り口や涙はあまりにもナチュラルで思わず涙を誘われました。彼女の話に出てくる祖母はもしかしたら一人旅で駅に座るすみれに声を掛けてきたおばあちゃんと同一人物なのでしょうか?
すみれが旅に出る前のバス停での別れのシーンでようやく語られるかと思った「猫のポーチ」の話がバスの到着で遮られたり、「自分が思ってるよりずっと強い人だよ。じゃあね。」ってあれが最後だと思うと確かに振っ切れないとは思うけど、そこからのアニメーションでの表現、その美しさ、決して美化しようとしている訳でもなく冒頭のものとも相まって何か「安心」させてもらえます。
東日本大震災の直前に病気療養中だった父を亡くし、弱り切っていた自分の心に当時の津波の映像はとても重く圧し掛かりました。観賞した前の日にはミャンマーで大地震により1000人以上が亡くなり、海外だけに留まらず日本でも各地で山火事が相次ぐなど大規模災害が世界中で起こっています。
あらためて、大切な人達との時間、そして自分のことを大事にしていかなくてはと思わせてくれる作品でした。
しっくりこない
美化しすぎ
邦画に、というか日本にありがちな死者を必要以上に美化する風潮全開で苦手でした。
主人公の真奈が大学のうぇーい系の先輩に飲まされてトイレの洗面所で吐いてるのが引いた・・普通個室いくでしょ。
まあ、後述する気持ち悪いシーンのためだとは思いますが迷惑行為すぎる。
それを後に親友になるすみれが介抱して真奈の喉に指つっこんで吐かせるのもとても気持ち悪いし、なによりすごい上品に吐いてるんですよ、けほっけほっとか(笑)
現実は個室に入ってオロロロロロロロロロオエッ! ゲボッ!と死ぬ思いで吐いて便座にぐったりしながら「ああ、便座のあったかさがしみる・・」ですよ、美化しすぎ。
真奈の勤務する店の店長が途中謎の自殺をするのは??でしたが、まあそれは良いとして、故店長が店で流していたCDを邪魔だから処分して効率よくいこうと新店長が真奈に言うシーンがあるんですが、あーやばいここで慕っていた店長の私物を邪魔とかいうなああああきいいいいとか真奈が邦画あるあるの癇癪起こしそうな雰囲気が出たので、そうなったらここで映画鑑賞ストップだわと思っていましたが、幸い?にも普通に処分していたので唯一そこだけが良かったポイントでした。
うーん
難解すぎ不思議な作品だが妙に涙がこぼれてきてしまう
冒頭のアニメーションから謎。やがて友人のスミレが死んだということがわかってくる。
ただ、それが行方不明というニュアンスは伝わってこない。死として受け入れるのかどうか、この部分がなく、マナの心境がわかりにくい。
親友のマナは、職場に突然訪ねてきたスミレの彼だった遠野に促され、彼女の遺品の処分と彼女の実家に行こうと提案される。
マナは遠野と一緒に住んでいたスミレのベッドに横たわると、彼女との、つまりこの物語が始まる。
この物語は、マナによってスミレという人物像を探し出す物語なのかなと思いながら見ていた。マナがどうしても探し出したいのが「スミレの心」で、それがどうしても探せない苛立ちが遠野に向けられるのだと考えてしまう。
同時にマナが自分探しをしているようでもある。サブタイトルが「喪失と再生」ということなので、マナはスミレの喪失に折り合いをつけられないのだろう。
マナが反応するのは遠野の言動だ。そこに彼女の問題の核心があると思った。
遠野の考え方は至極一般的だ。同時にどこかスミレを他人に見ている。そしてスミレの本心がどこにあったのかを考えようとしないことに苛立ちを覚えているようだ。
スミレはビデオカメラを持ち歩き、マナや遠野を撮っている。
スミレは言う「カメラを持つと落ち着く」「私たちは世界の片面しか見えてない」
マナ側から見たスミレとの思い出には、そこに起きたスミレの出来事は「見えていない」
それは作品の最後に、スミレが主体となっている出来事によって示される。
大雨の中、大きな荷物を抱えてマナのアパートに転がり込んだこと。
1年後にそこから出て、遠野のアパートに引っ越したこと。
スミレが撮った映像とともに、マナの記憶が足されて物語のパートが映し出される。
スミレがなぜ死んだのかは後半まで明かされることはなく、その間にレストランの店長が自殺した。新しい店長の方針は、前の店長の痕跡を消し去るようだ。
悲観するマナに休暇を取るように勧める料理長。彼と一緒に出掛けた先が、マナが行けないままでいたあの大震災の津波で崩壊した場所だった。
集会場では津波による被害や肉親を失った人々が、それぞれの体験談を語る。
マナはそこで初めて「友人がここに出かけていなくなった」ことを話した。
早朝の海辺 荒波 少女のわらべ歌は鎮魂歌だ。
マナは少女に「久しぶりに夢を見た」という。それがあの1年間スミレと一緒に住んでいたアパートで眠るマナと、そっと横に座ったスミレの夢だ。
「またね」 スミレが別れを告げに来たのだろう。
目覚めたマナは青い服に着替えて、彼女のビデオカメラを取り出し、再生した。
次にスミレが主体の物語が始まるが、二人が出会うきっかけとなった「猫のポーチ」がこの作品最大の謎だ。
スミレは落としたポーチをマナが拾ったのを見るが、「それ私の」と最後まで言わない。
当然マナはそのポーチがスミレのものだとは知らないままだ。ところが遠野のアパートで遺品整理する段ボールの中から、このポーチが出てきた。ポーチを手にしたマナに当時の記憶がよみがえってくる。夢の中で。
「猫」はスミレが実家で買っていた三四郎と呼応する。三四郎は自分の存在を鳴き声で知らせるが、信頼できない人の前には出てこない。
スミレと最後になってしまったバス停。スミレはポーチのことを言いだそうとするが口をふさぐ。言おうとしたのは、「なぜマナを選んだのか」ではないだろうか? 捨てられていた三四郎がスミレを選んだように。
ポーチはスミレにとってもマナと出会うきっかけだった。意識的にマナを選択したのだ。ポーチはスミレにとって心と心をつなぐの糸のようなものなのかもしれない。スミレはマナに何かを感じたに違いない。
スミレには母との確執があった。実家を飛び出したのも母とのけんかだ。
彼女の心境の変化は、ロングヘアーがミディアムヘアーになって、ショートヘアになっていくことで表現されているが、段々と余計な部分がそぎ落とされて、「ありのままの自分」になっていっているのかもしれない。
マナもパーマを当てた髪から、ストレートヘアー、それが少し伸びてゆく。それはごく一般的な時間経過…のようだ。
スミレのチューニングの話 「ありのままの自分を引き出してくれる人に出会えるかも」
マナはもうすでに出会っていた。それがスミレだ。それはおそらくスミレも同じで、マナこそがスミレのありのままを引き出してくれた人だからポーチをしばらくマナに預けていたのだろう。
スミレは遠野に質問する。「アツシにインタビューしても楽しくない」「カメラがないとしゃべれないんでしょ」「一緒に暮らそうか?」「でも小谷と一緒がいいって」「ずっと一緒にいられるわけがない」
同じ場面の映像を2度繰り返しているが、マナの側とスミレの側との心境の違いがよくわかる。
マナにとってはそれらはただの偶然の出来事で、スミレの考えで、それはそれで仕方ないことだと考える。
スミレは意識的で、ポーチの持ち主を名乗らず、実家を飛び出しマナのアパートへ転がり込んで、彼氏を見つけ、一緒に暮らし始める。この時スミレは自分に嘘をついたのかもしれない。本当は、ありのままの自分でいられるマナと一緒に居たいのだ。
しかし彼女の「本当の気持ち」はマナにも遠野にも、母にさえも分からないのだ。
ここで遠野の考えとマナの考えの対立がリアルに感じる。「スミレの本当の気持ちを知る必要はあるのだろうか?」
「心から信じている」飼っている猫や犬との無償の愛… そして、マナに対する心からの信頼と愛情。それがマナの夢の中で登場したスミレが、マナにキスをしようとする場面に現れている。考えすぎて自分を見失っていたのはスミレだったのだ。
実家、三四郎、母、マナ、遠野… それらを一旦置いたまま一人旅に出たスミレ。
彼女の目的は何だったのだろうか? それは、自分についた嘘と自分探しだったと思う。
白装束を着た老婆は言う「電車は来ない」 スミレは「思い」を抱え込んだまま逝ってしまう。
彼女と1年間暮らした学生時代からのアパートは、今でもマナは住み続けている。彼女からの伝言もずっと消せずにいる。
そしてやはり冒頭のアニメの続きがあった。ショートヘアの人物はスミレだった。彼女に駅で話しかけてきた老婆は、白い着物を着ていた。アニメの白骨と菊の花。スミレは菊にも白骨にもならず、肉が朽ち果て海になって、そして海の中から海辺に立つマナを見ていたのだ。マナを見届けたスミレの雫は、天へと昇り、やがて雨とともにマナの庭先の植物に注がれる。
青い服を着たマナ。夢でスミレと邂逅した後、ビデオを撮り始めた。
「覚えていますか、初めて出会った時のことを? そちらからこちらは見えますか?」
そしてタイトルへとつながる。
レビューを書きながら涙がこぼれてくるが、それが何を意味するのか自分でもわからない。
難しすぎて、妙に切なくて、涙だけがこぼれてくる。
☆☆☆★★★ 《震災に散った多くの人々を悼む鎮魂歌》 原作読了済み...
☆☆☆★★★
《震災に散った多くの人々を悼む鎮魂歌》
原作読了済み。
原作は如何にも【純文学】と言っていいくらいに、1つ1つの描写力が細かく。その細かさ、(悪く言ってしまうと)その回りくどさから。読みながら、時として「ちょっと…何を言いたいのか?が分からない、、、」と、困惑する内容でした。
おそらくですが、原作通りと言えるのは、、、
・仲良しになったすみれとの出会いと関係性。
・一緒に暮らしていたすみれが、彼氏と共に暮らし始め、やがて、、、
・真奈が勤める飲食店の店長の話(光石研の楢原さんは原作にピッタリあてはまっていた。)
この辺り(細かく言うともう少しありますが)が、原作とほぼ同じくらい。
それ以外の描写は映画オリジナルと言って良いのでは?と感じました。
それだけに。原作で描かれていた、数多くの枝葉と言える。〝 あっちへ行ったり・こっちへ行ったり 〟と言った【回りくどさ】は。仲が良く好きだった《親友》の真の姿を追いかける事で、信じたくなかった。でもその悲劇を認める事で、新たな一歩を踏み出さなければいけない。自分自身を変えなければいけない…との決断に至るシンプルな話に置き換えていたのは、作品として良かったのではないかと思いました。
そんなオリジナル要素の中では、最近公開された『余命10年』の中にも取り入れられていた《ある記憶メディア》
原作には無いこの記憶メディアの存在によって。原作だと、真奈の視点のみから語られて行く内容だけに。すみれの存在は、どこかヒッチコックの『レベッカ』の如く、【亡霊】に近い雰囲気を読みながら感じてはいたのですが。後半に至り、この記憶メディアを通す事で。真奈の視点から、一気にすみれ視点へと逆転するので。(すみれ亡き後の)今後に対する真奈の「前に進んで行かなければ!」…との決断に至る経過に、大きな影響を与える【存在感】が浮き彫りになっていきます。
この記憶メディアこそは、すみれの真の姿が否応なしに記録されていた。
東京と言う都会に、1人取り残されて生きる真奈にとって、すみれはとても大きな存在だった。
しかし、その記録に残っていたすみれの姿は、自分に対して見せて来たこれまでのすみれの姿では必ずしもなかったのだろう。
「本当のすみれを知りたい!」
それを知らなければ自分は前には進めない。
《女の子から女性へ》
そんな時期へと差し掛かっている時期の〝 ある種の百合っぽさ 〟
自分の事を唯一理解してくれている…と思っていたすみれの突然の不在感。その辛い想いは、今また好きだった(人への接し方の心地良さから得られる安心感で)楢原店長の不在感によって、再び自分の心はざわついてしまう。
そんな心の揺らぎを描写していたのかも知れません。
中川監督作品は、まだ数作品しか観てはいないので、まだ多くを語るには至りませんが。これまで観て来た作品では、何となくですが、〝 水 〟に対する拘りがあるのかなあ〜と言った漠然とした印象があります。
だからこそ【震災】が大きく関わるこの原作に、監督自身の拘りからの映像化だったのかな?…とも。
多くの《詩的な映像》と併せ、印象深い描写はとても多かった。
そしてもう1つの原作との大きな違いが、作品中でのすみれの最期と言える震災を受けた土地での、(脚本の存在する)映画的なドキュメンタリーと(おそらくは)本当のインタビューとの融合。
思えば原作を読んでいて、1番印象に残った箇所がありました。
「なんだっけ、そうだ。ええと……このあいだの震災も、そうじゃないですか。震災を忘れない、風化させない。忘れないって、なにを忘れなければいいんだろう。たくさんの人が死んだこと?地震や津波ってこわいねってこと?電力会社や当時の政権の対応にまずい部分があったねってこと?いつまで忘れなければいいの?悲惨だったってことを忘れなければ、私や誰かにとっていいことがあるの?」
〜略〜
「ここまで津波が来たから次の地震の時にはもっと高くまで逃げなくちゃいけないとか。有名な大きな会社でもこんな不手際があるかもしれないから、チェックする機関を作らなきゃいけないとか。そうゆうのは教訓だよね。教訓は少しずつ社会の仕組みに吸収して、忘れるとか忘れないとかより、当たり前のものにしていかなきゃいけない。だから、忘れない、ってわざわざ力んで言うのはもっともやーっとした……死んだ人はくやしかったよね、被災者がかわいそうだよね、私たちみんな一緒だからね、みたいな感じでしょ。でも、戦争とか体験してないし、私は身内を亡くしたわけでも、家が流されたわけでもないんだから、ほんとはぜんぜん一緒じゃない。だんだん、忘れないって言葉が、すごくうさんくさく思えてきたの」
(原作本152〜153頁より)
それまで読んでいた原作の部分で、ここの描写に来た時に、思わず雰囲気が違う感じに思えた部分でした。
映像化された作品でも、明らかに雰囲気が変わる描写がありました。それこそが、作品中でのすみれの最期と言える震災を受けた土地での、(脚本の存在する)映画的なドキュメンタリーと(おそらくは)本当のインタビューとの融合と感じる場面。
最後は主な出演者達による、震災被害に遭った人々を代弁するかな様な無言のメッセージ。
この描写を作品の最後に取り込み挿入した事で、多くの震災行方不明者に対する、、、
〝 貴方達の事を愛しています。貴方達の事は決して忘れません。 〟
そんな死者を悼む想いに溢れた作品へと昇華していたのでは…と思っています。
だからこそ、その強く願う想いこそは、、、
『やがて海へと届く』…と。
2022年4月8日 TOHOシネマズ日比谷/スクリーン13
オープニングとラストに描写されていたアニメーション。
あくまでも個人的な考えなので、大いなる勘違いの可能性がありますが。この場面に【輪廻転生】の匂いを感じたのですが果たして…
置いてけぼり‼️
別の日、真奈の勤め先のレストランの店長(光石研)の訃報が入る。 なんだこの物語は? ミステリーかサスペンスなのかな? そのまま物語は続く。
動画配信で映画「やがて海へと届く」を見た。
劇場公開日:2022年4月1日
2022年製作/126分/PG12/日本
配給:ビターズ・エンド
岸井ゆきの30才
浜辺美波22才
杉野遥亮
中崎敏
鶴田真由
中嶋朋子
新谷ゆづみ
光石研
この映画を見てみようと思ったのは、
偶々、Youtubeで予告編を見たからだ。
浜辺美波のことは「君の膵臓をたべたい」(2017)で知ったのだが、
これはオレが見る2本目の浜辺美波出演映画である。
岸井ゆきのという女優は認知していなかった。
だが、出演作を見てみると、門脇麦主演の「二重生活」(2016)がある。
見た作品なのだが岸井ゆきのを見た印象記憶がない。
おそらく浜辺美波よりも芸歴は長く、出演作も多いと思う。
30才で大学1年生を演じられるのだから比較的童顔である。
真奈(岸井ゆきの)とすみれ(浜辺美波)は大学の新入生歓迎コンパの勧誘の場面で初めて出会う。
酔った真奈をすみれが介抱する。
その日から2人は親友同士になったように思う。
2人の日々の会話劇が続く。
しかし、すみれはいつしか行方不明になったようだ。
詳細は判らない。
わからないまま物語は進む。
すみれのボーイフレンド(杉野遥亮)とすみれの実家を訪れた真奈。
そこにはすみれの遺影と位牌。
すみれは亡くなったのか?
別の日、真奈の勤め先のレストランの店長(光石研)の訃報が入る。
なんだこの物語は?
ミステリーかサスペンスなのかな?
そのまま物語は続く。
真奈は勤め先の同僚のコック(中崎敏)と震災のあった町を訪れた。
どうもすみれは一人旅の旅先で津波に巻き込まれて行方不明になり、
亡くなったと推測されていた。
この場面から先はずっと大事な人を失った真奈のせつない気持ちがラストまで描かれる。
原作の小説と、この映画の制作意図はわからない。
印象的ないい映画だと思った。
岸井ゆきのという女優も今回大きく印象に残った。
満足度は5点満点で4点☆☆☆☆です。
もう一度歩き出すために
すみれは真奈を愛していたのだと思う。そして、真奈も。大切な人がいるか問うすみれに、「フフ、秘密」と誤魔化し仄めかしたのを、勘違いして遠野の所へ出て行ってしまったのだろうか。引っ越しの時は気まずかったけど、そのまま別れてしまったのではなくて、少し大人になってから再会してはいる。けど、わだかまりはあったのかな。
それが引っ掛かっているから、真奈は先に進めなかったのだろうか。何度も探しに行って、見つからなくても諦めきれなくて、そのうち何を探しているのか、本当は何を見つけたいのかわからなくなって、探しに行くのをやめて、でも踏ん切りはつかなくて。遺品の整理も納得できなくて、悶々と過ごしていた。
身近な人の突然なできごとをきっかけに、もう一度、真奈の心が動き出す。大きな喪失で喪失感を埋めるかのように。他の遺された人々、地元に伝わる童歌で、生命の循環を知る。輪廻転生。止めていた録画をもう一度回すことで、すみれの知らなかった一面を知る。そうして自分も、もう一度歩き出すことができる。
人間の感情は単純ではなくて、辻褄も合わないし一貫してない。その揺れが物語をわかりにくくしていて、深く考えるきっかけをくれる。良く出来た映画。素晴らしい。
エモーショナルな構成が見事
すみれが遠野と同棲を始める引っ越しの日、岸井ゆきの演じる真奈が目に涙を浮かべるシーンがいいと思った。このときはそれしか考えなかった。
真奈の想いが一気に形になったシーンで実にエモーショナルなのである。
この作品は、過去を回想する形で物語が進み、穴だらけのピースが埋まっていく。そして最後にすみれのパートが入り全てが明らかになる構成は見事。
最後のすみれのパートがくる前までは、すみれとはよくわからない、謎の女性に見えるのだ。
だからこそすみれの視点というのが観ていても抜け落ちる。真奈が主人公というのもあるが、謎の女性すみれのことなど考えないのだ。
最初に書いた真奈が涙を浮かべるシーン、カメラの手前にはすみれがいる。画面には映っていなくともすみれはいる。
観ている私たちが、真奈の涙に真奈の感情を読み取ったならば、同じように見ていたはずのすみれが何も思わないはずはないんだ。
自分の感情の最後の一歩を踏み出せないままちょっとした勘違いからすれ違っていく真奈とすみれ。
真奈の気持ちに気付いたとき、少しだけ手遅れで、それを再びやり直すにはまた時間がいる。その時間を作ろうとした旅先での不幸。
真奈とすみれの溝は、永遠に埋めることができなくなってしまった。時が止まってしまった。
すれ違ったままどうにもできず、残った真奈が真実を知れたのかどうか定かではないところも切ない。
ただ事実を受け入れ前に進むしかない。
全128件中、1~20件目を表示