「音と映像のJAZZセッション」BLUE GIANT shironさんの映画レビュー(感想・評価)
音と映像のJAZZセッション
とにかくラストのライブシーンが圧巻!
イメージの洪水にのみ込まれます。
あくまでも音楽が主役!これは絶対。
映像はイメージ増幅装置となって観客それぞれの内なる琴線に触れ、パーソナルな感動に着地する。
ハイスピードで縦横無尽に流れるカメラワーク。多彩な表現技法、抽象的なイメージ。
下請けと言うには豪華すぎるマッドハウスやCLAPも素晴らしい仕事をしているに違いない。
ラストを際立たせる為の引き算もあるので、もし序盤で心が折れたとしてもついてきて!
フリークではないがフェスに行く程度にはJAZZ好きです。
上原ひろみのファーストアルバムの力強さに衝撃を受けた世代なので、透き通るように繊細な表現が別人のようでした。
超一流って、何でも出来るのな〜。
それでいうと、序盤のドラムの気持ち悪さとか、上手いけれど主張のないピアノソロとかも、音の段階できちんと表現されているところがえげつない。
映像表現も、彼らの音に合わせて成長していきます。
ファーストライブのキラリン反射とか、ダサいです。
こんな効果を入れるぐらいなら、3Dモデリング頑張って、奏者の臨場感に焦点を絞った方が音に集中できただろうに…と思ってしまいました。
でも、後になって、あの効果自体が“荒削りだけれども光るものがある彼ら”そのものを表現していたのだとわかりました。
早とちりしてごめんなさい。
原作者の石塚真一先生が“演奏シーンを描く時は「音が鳴りますように!」と思いながらペンを走らせていました。”とコメントしてらっしゃいましたが、
読者は確かに漫画から音を感じとっている。
通常、映像化でリアルな音として届けてしまう行為は、読者1人1人の心の中で聴こえていた響きのイマジネーションを狭めてしまうことに他ならない。
映画を観た後に原作を読むと、きっとあのサウンドが“正解の音”として聞こえてくるだろう。
けれども、今回の映画化で特筆すべき演出は、ライブシーンにさまざまな映像効果を取り入れることによって、観客1人1人のイマジネーションと音を結びつけたところにある。
きっとこの後、原作を読む度にあのサウンドが聞こえてくるだろう。
1人1人別々のイメージを広げたまま。
音が主役の映画であることには間違いない。けれども映像も音とアンサンブルしていた。
それはまさしくジャズセッションの臨場感さながらに、パッションとパッションのぶつかり合いでした。
なので、前半の作画が荒くても勘弁してほしい。
直近で見た劇場アニメが『THE FIRST SLAM DUNK』だったこともあり、序盤の人物の動きに気持ちが萎えてしまいました。
「今どきテレビアニメでももっと綺麗だわ。」
昨今のアニメのクオリティの高さに、ついハードルが高くなってしまい、偉そうなことを…お恥ずかしいです。
映像で音のイマジネーションが広がる体験は、京都アニメーションの『リズと青い鳥』も。オススメです。