LAMB ラムのレビュー・感想・評価
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自分には難しかった
よく分からない疑問点が多い映画だった。
なぜ羊と人間のキメラが生まれたのか?アダを連れ帰った羊人間はアダが誕生してから成長するまでの数年間なぜ放置していたのか?墓に書かれたアダここに眠るとはどういう意味か?アダは鏡で自分の姿を見たとき何を思ったのか?
夫の弟はアダと彼を育てる夫婦を気味悪がっていたから視聴者の代弁役を担っていたのかな。
羊人間側からの視点(人間を襲うまでの経緯)も見てみたかった。
終盤は急展開を迎えたがそれまでは淡々と物語が進んだ印象を受けたため、序盤、中盤は少々退屈に感じてしまった。
ラムウールのセーター
アイスランドの大自然、その中に調和して生きる動物達、生き生きとみずみずしく描き出されていて、それだけでもオススメの映画かもしれません。
ディズニー映画のように歌ったり踊ったりしませんが、ラムウールのセーターを着た羊人間は一見の価値はあります。
アーダ アダアダ 羊の子♪
最初から最後まで徹頭徹尾荒唐無稽?
それとも
徹底的に考証された綿密なシナリオ?
初見ではどうしたって前者にしか見えない。
思わせぶりなシーンが重なり、唐突な日常の風景が何を指すのかが分からない。
戸惑うばかりだけど、羊の子アダ以外は何もおかしくないように感じる。
(厳密にはアダを受け入れてるという時点でおかしいんだけど)
そしてクライマックス。
流石にワケが分からなすぎて考察をいくつか読んだが、それでもよく分からない。
って感じではあるのだけど、ずっと異質なものを当たり前として扱う特殊な状況を説明も少なく、
仄めかしとしてシーンを挟むために頭の中には様々な推測が生まれ、絶えず緊張感を持って視聴をすることになる。
何故か愛嬌を感じる羊の子。
当初は否定的だった夫の心変わりが尚更自分たちの感性の延長線にこの異常な世界観が存在していることを示し、
非現実ながらリアリティを感じさせる気味の悪さがある。
一言で言えば、絶妙にキモい。
その感情一本で仕上がってるのだからこの映画面白いと感じれるかは別にして結構すごい作品なのかもしれない。
二度見て
一回目の鑑賞ではホラー要素の意味も分からず、不気味だけど何も無いただのどかな大自然を眺める映画
まあ最後に驚きの展開が待っているのですが、「え??どちら様?!」となってしまったあたり私は映画についていけてないし、アダの存在を最初は驚きつつも徐々にいることが当たり前かのように違和感を感じていないことがおかしいことに改めて気付かされる。
でもお母さん羊を〇しちゃうのはどうかと思うけどね。 最後こうなってしまうのは、ただしてしまったことが返ってきただけ。
二回目の鑑賞で見えなかったものが見えてきました。 一回目の鑑賞で既に見えてた人はかなり映画の展開を読んでいる人だなぁと尊敬します!
過去に不幸があったとはいえ、関係ないものでも人間のしたいように扱い、巻き込んでいくのは許されざること。それを無意識にやってしまう人間にはなりなくないと学びのある映画でした。
設定のインパクトの割に波がない
壮大な自然のなかで、おどろおどろしい音楽で、スリラーが味わえる。ただ、実際はそんな怖くなかった。
アイスランドの白夜?で視覚的に暗いシーンは少ないにも関わらず、何かありそう、と思わせる演出はさすが。
ただ、暗い雰囲気がずっと続く一方で、波が少ないので、だんだんそれに慣れてきてしまい、怖さが薄れてきてしまった。そこがもったいない、物足りないところ。
また、登場人物の行動やリアクション(最初アダを見たときなど)が共感できずに最後までいってしまった。
人間と自然の関係など、描きたいものはわかるものの、もう少し面白く作れたのでは、と期待を上回らなかった。
2023年劇場鑑賞16本目
田舎ミステリーのアート的傑作
田舎ホラーは数あれど、ここまで無駄を削ぎ落としたものはない アート映画
セリフで語らず 人物同士の距離感や表情で物語の背景を伝えるうまさ
常に漂う背徳感と不安感…
でアダちゃんかわいい
ラム料理食べに行く前に見た私は大丈夫?
今日はラム尽くしで行こう!とラム料理の前に見たんですけど、スミマセン、一章目はちょっとウトウトしてしまいました。でも二章目からは色々心情がわからないながらも引き込まれて、え?どうなる?どうなる?と思ってただけにあのラスト!!え?終わり?終わりなの?感が正直強すぎて…皆さん、大丈夫なの?めちゃくちゃアダ可愛くなったのに、え?急にマッチョな羊人間出てきてアダ大丈夫??って思ってたら終わっちゃって、えーーーっ!感強いのですが。映画通な方はきっとこの不思議な余韻から色々想像されるんでしょうね。
なんといっても映像が美しい。そして、途中まで(アダの全体像が明らか...
なんといっても映像が美しい。そして、途中まで(アダの全体像が明らかになるまで)の世界観も好きだったんだけど、アダがトコトコ歩き出してからなんだか少しばかりコミカルに見えてきて、引き込まれかけてた気持ちがすうっと引いてしまった。また、そのあたりから話の展開も、なんとかオチをつけようと力技っぽく感じてきてしまい、ラストはなんとも言えない終わり方でした。
北欧版かぐや姫
私はこの映画、結末までを、かぐや姫のようだと思った。子を授からなかった翁夫婦が、竹から産まれた姫を大層可愛がり、姫は翁に富をもたらしたが、最後は月の都に戻されてしまう。
なぜあの夫婦が、アダの受胎に選ばれたのか真意は分からないが、異形をあそこまで普通に育てたというだけの素質はあったのだろう。
北欧神話には半羊人間のサテュロスという豊穣や欲情の化身がいる。夫婦がアダを忘れるほど盛り上がるシーンや、マリアの旦那の弟との関係、欲情への愚かさと豊かさを表してるという解釈なのかなと。
大ボスが出て来たところで、しっかり種明かしをしてくれる優しい映画だなと思ったのですが、人を選びますね。不穏な空気を漂わせながら、なんだかぼんやりした映画であることは間違いないです。
どの場面でも薄気味悪い
山間に住む羊飼いの夫婦イングヴァルとマリア。ある日、二人が羊の出産に立ち会うと、羊ではない何かが産まれてくる。子供を亡くしていた二人は、"アダ"と名付けその存在を育てることにする。奇跡がもたらした"アダ"との家族生活は大きな幸せをもたらすのだが、やがて彼らを破滅へと導いていく、というスストーリー。
半人半獣のアダのなんとも言えない気持ち悪さ、不快感は特筆に値する。その嫌悪感があるまま話が進んでいくので、全体的にどんな場面も薄気味悪く感じてしまうという点は興味深いが、全体的に静かすぎてやや退屈、冗長であるともいえる。
ラストの展開は驚いたのと、そして同時に笑ってしまった。ここまでの静かで幸せな瞬間をああいう形でぶち壊されると思っていなかったので賛否あるかと思う。個人的には因果応報が描かれていてありだとは思うが面白いかと言われると…。
続きはある?
アイスランドの大自然の美しさと、同時に寂しさ厳しさも伝わる圧倒的な映像美。
セリフも少なくBGMもないのが、得体のしれない怖さを醸し出します。
最後まで不穏な空気で引っ張って、えっ、となるエンディング。
どの人にも感情移入出来づらい登場人物たち(人間はほぼ3名)。
特にノオミ姉さんがコワイ。
多分、自分はもう一回観ても理解できないのではないかと。
奪い、奪われるもの
台詞が少なく、厳しくも美しい景色の中で物語が淡々と進んでいく。羊の出産シーズンを迎え、順調に生まれる子羊たち。その中にアダも居た。絶妙なカメラワークがアダの全体像を隠しているけれど、彼女が生まれた瞬間、それは羊ではない何かであること、そして抱きしめずにはいられないほどに愛くるしい存在なのだとわかる。はじめは確かに戸惑うが、観ている側も徐々にアダちゃんの魅力にハマってしまい、この家族の幸せがずっと続けばいいのにと思う。だがそれは、きっとかなわない……
オープニングでかすかに示される不穏な雰囲気が、かわいいアダちゃんの成長や親子の微笑ましい日常のシーンにもずっとつきまとう。アダちゃんの実母にあたる羊が執拗について回ったり、それを追い払い、ついには殺してしまうマリアのふるまいは、果たして愛と呼べるものなのか、それとも単なる業や欲の類なのか……母が母を殺し、父が父を殺すという結末は、因果応報という言葉に尽きると思う。神話的なお話にも見えるけれど、本質はもっと人間的なもののように思えました。
ひつじなの…それとも
一時中断していた作品。
全体に読めない展開でした
最後も・・
おとぎ話?かと
…ひつじ人間(首から上と左手が羊)
その下は人間という姿、容姿
…顔はひつじの顔で可愛いけど
体は人なのです(すごい違和感)
ひつじの被り物を被った子どもの様な
ふぅ~ん。なかなか入り込めません
主人公の女性は
子どもを失くしているので
育てたい気持ちはわかる
けど
母ひつじを殺した時は
…母親は私よ
と思ってのことだったのか
その為に愛する人を亡くす結果に。
どうして
羊からひつじ人間が・・
出てきたのか分からないから
最後まで何を言いたかったのか
メッセージが弱く感じる
少し思うことは・・
大切な人を奪うと
…奪った人も大切な人を
失うことになりますよと言うことかな
得体の知れない恐怖に取り込まれる
ポスターは宗教的な解釈へと誘うような聖母子を彷彿させるデザイン。
しかも、彼女の名前も「マリア」で、抱くのは子羊、つまり神の子羊=イエス・キリストを表象するもの。
これを聖母子像以外に解釈するのは無理があると言えるほど。むしろミスリードを誘っているのだろうか。
作中、どこも明確に描写するのを避けているようで、得られる情報が少ない。
例えば、登場人物の夫婦マリア・インクヴァルは子供を失っているが、いつどうして失ったのかは分からない。
どちらかと言うと、マリアの方が過去を引きずっているようで、夫婦の家には常に黒い雲が渦巻いている。
そんな夫婦の下に羊から羊でない「ナニカ」が生まれる。
マリアをその「ナニカ」をアダと名付け、我が子のように受け入れる。なんの疑問も持たず、それを受け入れ、愛する様に不気味さを感じる。
彼女の心は既に壊れてしまっているのだろうか。
いつの間にか夫・インクヴァルや後程夫婦の家を訪れたインクヴァルの兄もアダを可愛がるようになる。
特に兄の心境の変化の合間に入ってるシーンは、アダの存在をより不気味なものへと昇華させている。
物語のラストでより訳の分からない怖さが増幅する。
始終、不気味で意味不明な映画なんだけど、
最後まで観て、ようやく物語を自分なりに解釈できるようになった。
夫婦はアダを贈り物と捉え、幸せな家庭を送っているようにみえるが、
本当は悪魔に魅入られただけなのではないだろうか。
そもそも、アダの名前も人類に死という罰が課せられた原因を作った人間「アダム」から来ているから、
罪人の表象が天からのギフトにはなりえない。
自分の子どもの死を受け入れられないマリアの心の隙が悪魔に付け入られ、
「ナニカ」が羊から生まれた。その得体のしれないものに一切の疑問を抱かずに、
アダと名付けて、育ててしまうマリアの心はもはや正常とは思えない。
後の夫や義兄の変化から察するにマリアもアダを違和感なくかわいがるように
心を変えられてしまったと考える。
ラストの描写を経て、アダが何者なのかは見る人の解釈に委ねられている。
「悪魔の托卵」私にはそんな言葉が思い浮かんだ。
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