「この作品を楽しむ鍵」LAMB ラム つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
この作品を楽しむ鍵
この作品について、特にアダについて、多くの視点から色々と考察し、物語を完成させようと、幾人もの人が語っているのを目にする。
どれもこれも説得力があって、面白い見方だなと感心してしまう。
しかし逆に言えば、それだけ多くの違った理解全てに説得力があるならば、本作には決まったストーリーラインは存在しないということになる。皆が好きなように理解すればいいということだ。
答えのない物語を嫌う人もいるだろうが、映画はテレビアニメじゃないんだからそれが普通だ。国際映画賞に絡むような作品は特に。
わけのわからないストーリーをどうやって楽しめばいいのか?と思われるかもしれない。
実は映画だって他の娯楽と同じなんだ。例えば、ボウリングをするとか、遊園地にいくとかドライブをするとか、そういった遊びにストーリーなんてない。でも面白い。これは「体験」が娯楽になるからだ。
映画も「体験」を楽しむものなのだ。
ある程度事前知識があればアダがどんな存在なのか観る前からわかっていることだろう。
第一章、会話が少ない夫婦。アダが生まれた場面でも二人は顔を見合わせる程度で一言もない。冷静に考えればこんなに不気味なことはないだろう。
極端な話、この夫婦以外の人がアダの誕生シーンに出くわしたら、なんてことだと大騒ぎするに違いない。
しかし、この夫婦は違う。その事実が謎や疑惑を生み、下手なホラー映画以上に恐怖を感じる。
第二章、ペートゥルの登場。
アダを訝しむペートゥルの登場で、ある意味でホッとする。ペートゥルの視点は観ている私たちに近い。それだけこの夫婦が普通から大きく逸脱した不気味な存在だということにもなる。
ペートゥルは、マリアにもアダにもちょっかいをかけて、マリア、イングヴァル、アダの3人家族を壊そうとする邪魔者に見える。
直前に、アダを産んだ羊をマリアは射殺した。マリアが家族を守るためならば強硬な手段にも出る人物だと分かる。
ペートゥルの運命やいかに。というホラーに近いサスペンスが展開されて、困惑と緊張感が交錯し、恐怖する。
第三章、アダの目覚め。
見た目6歳程度に成長したアダは、自分と、マリアやイングヴァルが違う存在だと認識し始める。これまで動く人形のように見えていたアダに自意識を感じ、急に人間のように見えてくる。
マリアとイングヴァルがかける愛情に、姿が違うアダが応えることができるのか不安がよぎる。アダ自身が3人家族を破壊する存在になってしまうのかもしれないという不安。
逆に言えばアダを全面的に受け入れているマリアとイングヴァルの異常性が増し、ある意味でペートゥルのように「普通」の感覚を持っているかもしれないアダの選択に恐ろしさを感じずにはいられない。
冒頭から続く不穏な出来事の連続は常に恐怖を感じさせ、謎や疑惑は残ったまま不気味さだけが増していく。
そして、ラストの成人した羊人間の登場で、様々なことを感じ考えただろう。
それぞれが作品を振り返りながら自分の考察の締めくくりに入る。
ここでは書かないが、私と妻も独自の見解がある。色々見かけた見解とはまた違ったものだ。
最初に書いたように、どう捉えるかは好きにしたらいい。
なぜなら、何度も書いた「恐怖の体験」こそがこの作品を楽しむ鍵だからだ。
実に不気味で恐ろしい、面白い作品だった。