「濡れた寒い白夜の土地に住む人と羊とプラスアルファ」LAMB ラム mamemameさんの映画レビュー(感想・評価)
濡れた寒い白夜の土地に住む人と羊とプラスアルファ
北欧の寒々しい、凍えるほどではないが湿度も高くて骨の髄まで冷えるような冷気を感じる風景のなか、男二人と女と羊と半人半羊の子供がたんたんと時間を重ねる映画。
ちょっとずつ不穏な雰囲気を醸しつつ、しかしそれほどのトラブルも起きない。
しかし最後に別の半人半羊の大人が出て来て、父親を撃ち殺し、子供を連れ去る。
それを最後に母親がそれを見つけて嘆く、という話。
これだけだとさっぱりわからない。色々な解釈が考えられているが、キリスト教的衒学要素は無いと思われるし(羊と羊飼いのアナロジーはキリスト教的ではあるけど)、ギリシャ/ローマ神話との繋がりも見つからない。
トロウルに代表される北欧妖怪にも似たような存在は見当たらない。
しかし、アイスランドのあの土地は、今もって知られていない「何か」が居てもおかしくないような雰囲気がある。山と牧草と雲しかないあの場所は、たんに荒涼としているのではなく「そこに神がいるから他が寄り付かない場所」であってもおかしくない。
半人半羊の子供、アダは夫婦からすれば「神から授かった奇跡」で、それを最初は単なる怪異と思っていた夫の弟のペートゥル(一度は射殺しようとする)をも「祝福された子供」であると認識を改めるほど。
しかしそれは実はそんな素晴らしい宗教的な現象ではなく、半人半羊が羊を襲って産ませた子供だったというのが真相で、父親は殺され、子供は奪われる。いや、取り返される。
瀕死の父親を抱きしめながら母親は「きっと大丈夫」と口にするが、何のことなのか。
母親は父親を殺した半人半羊を見ていない。なので夫の死と子供の失踪は人間世界の出来事だと思っていて、それはなんとかなる、と考えているのでは。
夫を介抱しながら、視線は子供が消えて行った山への道を見ていた。自分が来た方向や短時間で消えたことから、そちらの方に移動したのだと見当をつけたのかもしれない。
最後のシーン、上を見て下を見て周りを見る彼女の行動は、今いるところを捨てて子供を探す旅に出る、その直前の逡巡にも見える。
キリスト教がヨーロッパに広まる段階で、各地の土着宗教や信仰を吸収し上書きして行った。そうやって消えて行った「怪異」が、最果てのアイスランドではまだ生きている(と映画では描いている)。
キリスト教的人間世界と超自然的な世界の境目で、彼女は消えた子供が「人間世界にいる」と思っているのか、それとも本当は「元いた世界に帰った」とわかっているのか。
夫が死んで子供が行方不明なのに、それほど取り乱したようにも見えないのは、今度は子供を失わない(最初の子供は亡くした)、なぜならあの子は幸せをもたらすために遣わされた奇跡なのだから、と考えているからでは?
そんなことをつらつらと考える映画でした。
でもちょっと説明少なすぎ。本当はそこまで深い意図は無く、単に「へーなんかこわーい」という感想で済む映画なのでしょう。
あとあの自然の雰囲気はすばらしいので、大画面で見るべきです。