「赤と緑の裏の欲望の果てに」ハウス・オブ・グッチ bunmei21さんの映画レビュー(感想・評価)
赤と緑の裏の欲望の果てに
赤と緑の帯のバッグを持つ人は、ある意味、セレブの証。
そんな、世界中で愛される高級ブランド『GUCCI』一族に纏わる、繁栄から崩壊までを描いた、ノンフィクション小説の映画化。監督が、なんとあの『エイリアン』を監督したSF界の巨匠・リドリー・スコットというのも驚き。
富と名誉を築いてきたGUCCIの一族。しかし、その陰では、我々庶民には理解できない、欲望や愛憎劇が渦巻いていた。しかし、そこは一流ブランドとして、決して、下品な振る舞いによる愛憎劇には描いておらず、GUCCIとしての気高い気品を保ちながらのサスペンス仕立てに、仕上げている。
何といっても主役のレディー・ガガの演技は光る。『アリー・スター誕生』以来の主役作品だと思うが、GUCCIの御曹司であるマウリッツィオの妻として、女としての美しさ、強さ、欲深さ、そして怖さを存分に表現していた。しかし、パトリツィア自身は、カガが自分を演じることに難色を示していたとか…。最後はGUCCIというとてつもない怪物にのみ込まれた、哀れな女を見事に演じた。ラストの裁判所での一言が、それを物語っていた。
また、マウリッツィオ役のアダム・ドライバーも、最初は、GUCCIとは遠ざかって生きていた。しかし、次第にGUCCIの路線の上を歩み始めてから経営力を見下されて裏切られ、悲運な最期を遂げるのが、スター・ウォーズのカイロ・レインが、暗黒面に沈み、ダース・ベーダーとなっていく感じと重なりもした。
そして、アル・パチーノは、昔のかっこよさは、流石にもう影を潜めたが、やはり、スクリーンに映るだけで存在感があり、一つ一つの演技に、年輪と渋さ、凄味を感じた。その息子のパオロ役を演じたジャレッド・レトは、最初は誰だか分らなかった。頭も剥げて、父役のアルパチーノより爺さん臭い、ダメ息子ぶりを演じ、彼のこれまでのイメージからとはちょっと違っていた。
これだけの高級ブランドに築き上げ、現在でも世界のセレブに愛されているGUCCIだが、エンドロールの字幕にもあったように、今では、GUCCIの一族は誰一人、関わっていないというのも寂しい話である。
PS. パトリツィア自身は、レディー・カガが自分を演じることに難色を示していたとか…。
今晩は
”パトリツィア自身は、レディー・カガが自分を演じることに難色を示していたとか…。”
パトリツィアさん自体が、成り上がりど根性女性なので、レディー・カガさんが、自らを演じる事に対し、&”私の方が綺麗だった”と、私は聞いております。(伝聞です)恐ろしきかな、女性の業。
女性だけではありませんね・・。恐ろしきかな男性の業。では、又。