「紂王と妲己」ハウス・オブ・グッチ SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
紂王と妲己
グッチの過去にこんな話があったのか、ということを恥ずかしながら今まで全く知らなかったので、それを知れただけで映画を観て良かった。
グッチ一族のキャラがみなとても個性的で、好きになってしまった。とくに主人公のパトリツィアの魅力はすばらしい。レディーガガがこんなに演技がうまいなんて知らなかった。
表面上はパトリツィアはお金と権力を求めてグッチ家を乗っ取る企てをしたように見えるが、映画では、純粋さもあって、共感できる人物になっている。パトリツィアとマウリツィオの新婚生活くらいまでのところはとてもほほえましい。
賢いが世間知らずで権力欲の無い、いわゆる朴念仁のマウリツィオをパトリツィアがあやつっていく過程は、まるで紂王と妲己のよう。こういうパワフルな悪女の物語って面白い。そのパトリツィアも精神的には占い師に依存していたというのは、考えさせられる。誰しも強い面、弱い面があり、自分しか信じていないような自信たっぷりな人も、どこか意外なところで精神のバランスをとっている。
「事実は小説より奇なり」とはこのことで、映画が事実の面白さを超えることができるのか、というところがこの映画で最も難しかったところではないか、と思う。グッチの事件のことをよく知っている人ほど、事実と映画との違いが気になったのではないか。
実際はどうだったのか調べてみると、マウリツィオの殺害以降の、警察の捜査や、パトリツィアの服役の詳細も非常に面白い。まあ、この映画では「二人の愛の物語」ということを主題にしたので、マウリツィオの死後については詳しくしなかったのだろう。
人物の描かれ方として一番実際とは違うだろうなと思ったのが、パオロ・グッチ。彼はこの映画だと自分にデザイナーの才能があると勘違いしている、かなりイタい変人として描かれているが、実際には、デザイナーとしては優れていたらしい。彼が彼の父やマウリツィオと対立した理由は、彼が愚かだったからではなく、グッチのブランド展開の戦略で意見が合わなかったから、というのが実際だろう。また、映画ではマウリツィオらの悪だくみにはまって著作権侵害で訴えられる、という展開だが、実際には訴えられても仕方ないようなこともしている。
ブランドとしてのグッチが真の意味で復活するのは、グッチ一家が会社からいなくなってから、というのは考えさせられる。同族経営というのは難しいということか。円谷プロを連想してしまった。身内ということでどうしても甘えが出たり、感情が入ったりして、合理的な判断ができなくなってしまうのかな。