弟とアンドロイドと僕のレビュー・感想・評価
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自分見つけ
自分の存在意義を確かめるためにアンドロイドを作る。最後は生きている人間に代わってアンドロイドがあの家で過ごす‥こんなに辛い人生なら、人間よりアンドロイドとして生きる方が幸せなのかも。主人公の孤独さ、辛さの根源がいまいち伝わらず。写し方が独特で、この作品と合っていた。終わりに降っていた雨が雪に変わったのは、目的が達成された象徴だろうか。
【”究極の孤独を描いた問題作”】
ー 阪本順治監督は邦画を代表する監督の一人であるが、今作や前作「一度も撃ってません」という、監督は分かっているのであろうが、観る側には良く分からない作品を時折、制作する。
レビュータイトルは、今作のフライヤーに記されていたモノをそのまま記載したが、フライヤーで”問題作”と書いてある作品に面白い作品に出会った事がない。-
■孤独なロボット工学者・桐生薫(豊川悦司)は子供の頃から、自分が存在している実感を抱けないまま生きてきた。
薫は自らの不安を打ち消すため、自分そっくりのアンドロイド開発に没頭していた。
そんなある日、長い間会っていなかった腹違いの弟(安藤政信)が桐生のもとに訪れる。
◆感想
・とにかく、監督があてがきをしたという豊川悦司の魅力が良く分からない作品である。
・更に言えば、安藤政信の魅力も発揮されていない。
<これが、大真面目に展開されるので、なおさら分からない。監督は”この作品を作らないと前に進めない”と言ったそうだが、監督自身の人生を反映させたものだろうか。
だが、商業ベースの作品を制作する大家であれば、観る側の事も考えた映画作りをして貰いたいモノである。
これが、若手監督であれば、言い方を変えるが、自分の立ち位置を考えて映画を公開して頂きたい。
でなければ、自主作品として公開すべきであると思う。>
人は孤独ゆえにアンドロイドを作る。
幼い頃父に捨てられ、母も失い、孤独に生きてきた男。
父は病院の看護師と関係を持ち自分と母を捨て、母は暖炉で焼身自殺を遂げる。皮肉にもその暖炉の薪をくべるのは薫の役目だった。
幼い頃から自分を見てくれなかった父。父に愛されなかった自分は本当にそこに存在するのか。いまや病で今際の際にある父を延命させてまで薫にはやり遂げることがあった。
それは自分そっくりのアンドロイドを作り父に見せるということだった。
父に愛されなかった自分はこの世に存在しないのかもしれない。しかし、このアンドロイドは間違いなく存在する。父にこれを見せていやがうえにも自分の存在を知らしめようとしたのだろうか。
親に愛されなかった孤独な男、その男が作りあげたアンドロイドだけが佇む屋敷にもう一人のアンドロイドが現れる。共にこの世界で孤独だったふたりが出会う瞬間で本作は幕を閉じる。
人は誰しも孤独でありそんな孤独を埋めるために今もどこかでアンドロイドは作られているのかもしれない。
板書ロボットを作れば講義も楽なのに・・・
ずっと雨天。そして主人公桐生薫は自分の脚が自分のものとは思えず、常に片脚で歩いている。学科長からも疎んじられ、頼まれた道路補修ロボット開発もおざなり。そんな桐生のもとに腹違いの弟がひょっこり。死を待つだけの父親の借金のためにと金を無心してくるのだ。
脚だけではなく、自分のアイデンティティーをも見失ったかのような桐生。安心するためか、存在意義を確立するためか、自分そっくりのロボット作りに没頭する。気持ちはわかるが、ロボット工学よりも哲学を学んだほうがまだマシな気もする。自己全否定するならば、親の遺産である土地・建物にすがるべきではないと思うし、別の生き方をするのが普通・・・だから変人扱いされてるんだね!
阪本順治監督の意図はどこにあるのか。うざったいほどの雨降り映像。少女を自転車に乗せ、住まいとなっている元産婦人科医院の一室で危ない行為。そもそも彼の亡き母親が医者だったことはわかるが、詳細が不明のまま。
アンドロイドと弟のやり取りという終盤の展開は冒頭に出てきた「ロボット三原則」の矛盾を描いたロボット映画の基本だろうけど、予算潤沢なSF作品とは違い、重苦しく、鬱陶しいテーマに置いてけぼりにされた。ただ、意識不明である父親の心の中に入っていくシーンは面白かった。タイトルも絶妙。
わからない…わからないけど強烈に印象に残る作品
途中からだんだん「???」となり、ストーリーの何が何だかわからなくなりました。
一つずつのシーンは分かるんだけど、繋がってどういう意味なのかが掴めない。
観終わった後も「あれはどういう意味なのか」「これはどういうことなのか」とずっと考えてしまいます。
主人公の苦悩や口から出ているセリフはある意味、監督自身のことなんだろうなぁと解釈してますが。
雨は不快でもあるけど、部屋の中の安心感みたいなものも実感させてくれました。
僕はいますか?
昔からある映画のテーマではあるのかなぁ、と思います。
阪本順治監督も、そういう不確かさ、「存在の耐えられない軽さ」という思いを抱いておられるのでしょうか...
創作するって、自分と向き合わねばならないから、でも自分というものは変わりゆくし、そして逆にそう変われないものだし、突き詰めるほどに、わからなくなる。
物理的肉体としての自分と、見えない何かの部分の自分。心とか精神とか魂と言い換えてもいいかもしれません。
見ため的には、自分と同じアンドロイド。
見ためも性格も異なる、でも遺伝的には自分と半分同じ弟。
主人公は、アンドロイドが斬られると、痛みを感じる(これは現実にも、腕を失った人が、無い部分の腕に痛みを感じることが実際あります。)
何が自分か、という問いは、人によっては惹きつけてやまない、中毒性のある問いなのかもしれません。でもこの問いに囚われずに生きていける人にとっては、これほど愚問に感じるものもないかもしれません。
これは、『団地』も併せて観るといいのでは。自分とは、ひととき宇宙から分けられたものに過ぎない、アレもコレも、全部そう。なんじゃかんじゃ言うたところで、それだけのことじゃ。僕はいるし、いない。いないし、いる。禅です。わかりやすくは描けないでしょうが、監督はそこに挑戦したいんだなあと感じました。
言われてるほど酷くなかったが少女は要らん
石黒教授の大ファンである僕は、狂気のマッドサイエンティストが自身のドッペルアンドロイドを造り出すなんてもう、聞いただけで観に行かなければという気持ちにさせられた。
事前に確認したレビューは散々なもので「商業作品として最低限の質に届いていない」という怒りの数々。これは僕がジム・ジャームッシュ監督の作品に抱いている怒りと全く同じで、僕も彼の作品を思い出す度、あんなのが映画監督として金をもらってることが許せなくて腸が煮え繰り返るので、当作品の監督はKTを鑑賞候補に入れて結局観なかったくらいの認識しかないが、一旦躊躇してしまった。
しかし狂気のマッドサイエンティストとドッペルアンドロイドというテーマへの欲求には勝てず、シネマロサにて鑑賞。
まあ、確かに説明不足感は否めないが、ジム・ジャームッシュの一億倍マシだし、この作品で商業作品として最低限の~と怒っている人はジム・ジャームッシュの作品(と呼ぶのすら僕は不快だが)を見たら憤死するのではないか。全然マシである。
桐生が精神を病んだ理由は思ったより分かりやすく描かれていた。桐生の父はテンプレ通りの毒父で様式美すら感じる。半グレのような義弟にもありきたりの安心感。
ただ、アンドロイドの動力源があまりにひどい…タイトルにアンドロイドと入れておいてあれはない。あの点については石黒教授もお怒りになられることだろうw
また、少女の存在が物語に不要過ぎて、この少女こそ観客へのせめてもの忖度なのかなあと感じる。
はっきり言って桐生は自身にそっくりなアンドロイドに対し、性的興奮を覚えているように見えるからだ。
誰もそこに言及していないが、性的なトラウマでもあろう父親の不義理を思い起こしながら、無意味に自身のシャツの前をはだけてアンドロイドの手に首を締めてもらう…というシーンは、僕にはそういう意味にしか思えなかった。また他人に興味や関心のない桐生が、わかりやすくアンドロイドには微笑みかけたり優しく抱き締めたり…これでは、物語には必要なくとも綺麗所として少女が出てこないと、男性の観客が気持ち悪く感じるだろう…そういう忖度かと思った。
男性の観客の一人である僕は、物語に不要なものを出さんでくれと言いたいが…
俳優陣は皆演技が良かった。特に父の後妻が桐生から全てを奪っておいて、ぬけぬけと幼少期の思い出を桐生に語り出すシーンなど最高である。実際に居そうな毒婦でゾクゾクした。一番良かったシーンかもしれない。
これが監督の私小説的な作品であるというのも他のレビューで見たが、どちらかというと(少女以外は)石黒教授ファンの女性が考えたような話だと思った。両手で黒板に書くよくわからんけどかっこいい数式の、ただこれがやりたかっただけ感。監督が何を考えてこの映画を作りたかったのか、俄然興味が湧いた。
ただただ理解ができない。
友人と一緒に見ていたので途中で抜けることはできませんでしたが、抜け出そうかと思うレベルで理解ができませんでした。
あれは私の頭が悪いから理解できないのか…?と思ってしまう。
個人的には今まで見た作品の中で1番酷かったです。
良かった点は学校長の「主人公のモノマネ」が秀逸でした。
あとセットが豪華で雨も沢山使ってお金はあるんだなーと思いました。
アンドロイドも雨も女の子も主人公がやりたいことがわからない…
見せたいものがよく理解できませんでした、演者さんたちは上手で良かったと思います。
わからーん!w
映画研究会の映画好きの少しオタクな男の子が
頭の中の妄想を映像にしたような作品だったなぁ…。
でも、阪本順治監督が商業的なことを考えずに
撮りたい作品ということなら有りなのかな…(?)
トヨエツがアンドロイドよりもオバチャンに見えました(笑)
頭の中
自身の存在を確認する為、心の隙間を埋める為、アンドロイドをつくるロボット工学者の話。
自身の存在意義を感じられず、そして自分の右脚を自分のものとは思えない主人公のもとに、自分を捨てた父親の医療費を無心しにやってくる腹違いの弟に対して何を思うのか。
終始雨天の中で進行していき、同じく孤独を感じる人物をみせたり、主人公の生い立ちを掻い摘まんでみせたりで、胸に色々抱えているのは判るけれど、そこから展開していく先はアンドロイドに対する執着。
何故それが答えなのか、理解するのが難しい。
クソ野郎っぷりを加速させていく弟とか、余計な御世話な教授とか、面白くなって行きそうな感じではあったけれど、ガツンとくるという程のものはなし。
孤独や喪失という哀しさみたいなものはなんとな~く理解出来たけれど、これを咀嚼するのは自分には難しかった。
盛り上がらず。
1月10日現在、東京区内上映無し、なんで?
これから?
雨雨雨・・・・うっとうしい。お話もいつになったら盛り上がるんだ、アンドロイドが一騒動起こすのかと期待しましたが残念。
ただラストのアンドロイドが少女を抱きしめるシーンはなんだか癒やされたかも。
贔屓目なのは承知で
まず私は阪本順治が好きで、力強い感覚を楽しんできた。前作の一度も撃ってませんでは、ジャンル映画としてのハードボイルドを年上転がしの阪本らしいメンツで楽しんだ。そんな阪本がトヨエツとまた組んでSF作品を作ると聞いてから今日を楽しみにしてきた。クールな質感の映像は、エクスマキナとかを思いださせる。しかし、どうにも合っていないように思う。映像と物語の一致によるグルーヴ感が薄く、無理してカッコつけているようにみえてしまった。そもそも泥臭い感覚を持っている監督なんだから、泥臭い物語にすればいいのに、そこをなんというかアラン・ロブ・グリエっぽい感覚で撮っているのだ。意外と阪本順治はこういう質感も好むのかと驚いた。キノフィルムはよっぽど阪本順治を気に入っているらしいが確かに気に入ってしまうぐらい阪本順治は魅力的だ。お旦をちゃんと楽しませる感覚がある。
面白くなりそうだったけど…最後まで面白くなかったの巻
今年の劇場鑑賞初めでしたが、かなり前衛的な作品をチョイスしてしまったようで…苦笑
セットの造形やらは中々秀逸で、不穏な空気MAXな始まりに「これは大吉引いたか?」の思いも虚しく…
主人公が大事に育てた?アンドロイドの正体は何となく察しは付くものの、あの謎の少女ロボ(多分彼女もアンドロイドなのだろう)は一体何だったのだろう?
久し振りに観た安藤政信だけど、まさか〝安藤ロイド〟に掛けてのキャスティングなんてことは…あるわけないか 苦笑
パンフレットも未作成なんで、製作者サイドの思惑も不明で、中々難解な作品でしたね。
あの大量の雨を降らすのかなり苦労しただろうな…
そして、みんな意地でも傘ささねえのな 笑
間違いなくカルトムービー
僕という存在感を感じられない男が存在感を感じるために僕というアンドロイドを創るお話。
存在感を感じる行為って何だろう?
仕事して何かを残すこと。
他人と交わって記憶を残すこと。
異性と交わって子孫を残すこと。
何かを作品として残すこと。
一般的にはこれぐらいかな?
それがこの映画ではアンドロイドになったんだね。
全編、雨で陰陰滅滅とした雰囲気が、僕の心の闇の深さを物語っています。
私小説的映画と監督が言うだけあって、難解過ぎて、鑑賞した観客の多くが置き去りにされるような気がします。
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