茶飲友達のレビュー・感想・評価
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金庫あさって逃げた母の力強さ。孤独じゃないってすごい力だ
現代の高齢者だけでなく登場人物の孤独の形と生きる形を垣間見せながらも、時折ある、ひとときの孤独じゃなさの強さに、こんなにも人は救われるのであるということが映画として表現されていて素晴らしい昨日でした。
勘違いや騙し、金銭関係、嘘や偶然だったとしても、ひと時の孤独じゃなさはこんなにも人を変え、強くするんだなと言うことが逆に際立って見えた。特に終盤、胎児を得て初めて孤独じゃなくなった彼女はお金かき集めて生きるために逃げる。帰るとこ無くなっちゃったよ、と嘆くティーガールズたちよりも、知らぬ間にとんずらした幹部たちよりも強いのは孤独じゃないからなんだな。
違法で現代ルール外だから今回の企ては失敗してるけど、孤独じゃなさの力を知ったみなさんは多分これからもかりそめの孤独じゃなさを作ることができるし生きていけるんじゃないかなと彼ら彼女らにとってティーサロンは輝かしい価値があったと思いたい。
地に足のついた高齢者の姿
なんとなく、世間は高齢者に対して性的な存在であってほしくないと思っている気がする。しかし、そんな勝手な「理想像」を押し付けていていいのだろうか、人間はいつまでも性的な存在ではないかと、この映画は静かに語りかける。
孤独な高齢者が新聞の三行広告で「茶飲友達募集」の文字を見つける。これは実際にあった出来事から着想を得ているそうだが、実際の事件でも「茶飲友達募集」の文字だけで、わかる人には性的な何かだとわかったらしい。実際に売春グループが摘発された時、1000人ほどの会員が登録していたという。
人のぬくもりというものは、いくつになっても価値あるものだと思う。この国では高齢者は、もう数的にはマジョリティとなっている。この映画が描いたものは、多くの人にとって他人事ではない。いつか誰もが老いるのだから。
本作は、貧困にあえずぐ若い世代の物語でもある。社会の足元が確実に崩れてきていることも実感させる作品だった。ややシナリオが散らかった印象もあるが、現代日本にとってとても大切なことを描いた作品だ。
茶柱
このレビューは834文字と長いです。
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なんとなぁ~く観た作品。
孤独な高齢者が新聞の3行広告を通して
お互いの隙間を埋めていく何気ない映画と思っていた。
しかし、隙間の埋め方よ....
何となく痛々しく観始めたんだけど
少しずつ、少しずつだけど何となく共感する自分が居て。
若いころは友達が沢山いて、彼女もいてただ一緒にいるだけで
満たされて
しかし、歳を重ねるごとに環境は変わって
友達は仕事仲間に変わっていったり彼女は奥さんになったり。
自分一人を考える事が少なくなって、時間が経ち
子供は巣立ち衰えていき気が付けば周りに話せる人がいなくなり
孤独になってしまった。
そんな人は今後どのように隙間を埋めればよいのだろうか?
快楽だけを求めるのではなく、人肌の温かさの向こうにある
快楽に手を伸ばす。
お金を払って。
それがタブーと知っていても。
レビューを書く前に、他のレビューをさらっと読んでみたが
「悪」とする人。
「気持ち悪い」とする人。
良く分からん人www
が居て。
当然千差万別十人十色。
色んなレビューが出て当然だろう。
しかし、読んでいて「なんだかな?」と思ってしまう。
恐らく自分が人生100年であるとしたら半分を過ぎた男だからであろう。
何となく老後を考える事がある。
自分が孤独にならない保証はどこにもない。
その時自分はどうするだろうか?
高齢化社会。
経済の低迷。
若い人は頑張ればなんとかなるかもしれない。
しかし、折り返しを過ぎた身としてはそこまでのモチベはない。
まあ、今現在の人間関係を大切にしようとは
今まで以上に思ったけど。
と、675文字使ってレビューと言えるかどうかわからない事を書き綴ってしまった。
若い世代がこの作品を観た時にどのように思うのだろうか?
若くても孤独な人はいると思うのか?
年寄りのくせに汚いと思うのか?
それとも.....
実際にあった高齢者デートクラブを題材としたこの作品。
何となく考えさせられる作品でした。
ルールをはみ出した者を救うには…
どうしたら良いのだろう。そんなことを深く考えさせる映画だった。実話ベースというところに、単なる売春組織の摘発というニュースの裏側にある社会問題が見える。高齢者の孤独死、貧困、希望も無くただ死を待つのみの悲しい現実がある。映画では高齢者だけでなく、そこで働く若者たちの悩みも描かれ、より深みをもたらしている。母の愛を得ずに孤独に生きてきたマナにとっては疑似家族が必要だったし、自分を必要としてくれる存在が必要だった。犯罪はいけないことだが、一概に善悪で片付けられないテーマだった。ラストにあんな時だけ家族だからと訪ねて来る母親に遅いと言ってやりたかった。
人類最古の職業について、自分なりにもう一度考えてみてください
老人相手の売春組織の話なんですが、根本的には売春自体が是が非かが問題なんですよね
老人は寂しさとか心の繋がりとか言うけれど、若者だって、溢れる性欲をもてあましているんです
映画というものは、是枝裕和を観ていてもそうですが、特殊なシチュエーションを切り取って観せるので、今回は老人に限って切り取った作品というだけです
売春が是か非かと言うなら、今の日本では非です
国によっては違いますがね
女性解放の手段として、売春禁止法が施行された
男性の風俗しかなかったからね
男も女も区別がなければ、矛先は違ったかもしれない
生物学的にいうと、優秀な遺伝子を残すためには、優秀な遺伝子以外は淘汰されます
結果、少数のオスがメスを独占するのです
人間も生物ですから、根本は変わらない
しかし、人間には感情があります
モテない人は、一生独り身で過ごすなんて、悲しいですよね
これは男も女も変わりません
モテない人、歳をとって見向きもされなくなった人を救済する事は出来ないのだろうか
昔のようにお見合いとかじゃだめだ
無理やり制度として結婚してもストレスになるだけ
でも自然なに任せれば、必ずたくさんのアブれる人が出てくるんです
お金を払って身体を重ね合う
そこには愛は無い
本当は愛こそが欲しいんだけれど
でも、身体の欲求だけはみたされる
せっかく生まれてきたんだから、それくらいはいいのではと思う
これは、男女共に恵まれない人の本音ではないですか
ヒロインが自分はプライドを持ってやっていると叫ぶけど
それは一理あると思う
ただ、管理し利用する人が、誇りをくすぐりながら利用しているのも事実
違法であるせいで、当事者は搾取される
違法のまま放っておくのがいちばん良くない
合法であれば、公的機関や大企業のもと、誇りをもてる職業になれるんじゃないだろうか
作品はそれぞれ事情があるんだと、いやに組織(ファミリー)の味方になるような場面を入れ込むんだけれど、そういう切り込み方はなんの解決にもならない
でも、問題提起にはなった
年寄りは日向ぼっこしてろ
裏を返せば
若くても恋愛下手(精神的なだけじゃないですよ。ビジュアルやら障害も含めます)は
じっと一生我慢してるか、趣味や仕事に没頭して忘れなさいってか
これが健全な人生ですか?
最近は一生誰とも付き合わず、独身のままで過ごす人が増えてきましたが、これは生物学的なアキラメなのかなあと思うことがあります
これは、感情が退化しているんじゃないだろうかとも思う
人間らしさが失われていくなんていうと、バッシングをもらいそうで怖いですが、あえて言うなら、抑えきれない感情があるから人間なんじゃないだろうか
わかる年齢になってきた
暇を持て余して暇つぶしになる映画を探していた。おもしろいタイトルに惹かれて何となく鑑賞してみたのだが…。
暇つぶしでは片付けられない内容だった。高齢者売春という実話にもとづいた内容なのだが、「買う側」の年齢にどんどん近づく自分に重ね合わせていたからだと思う。
若い人には気持ち悪く映るかも知れない。爺さんと婆さんの性行為なんて…。
人生100年時代などと言われるようになって久しいが、心臓が動いて呼吸しているだけでは意味がない。高齢者だって温もりがほしいはず。だが、ドンファンでもなければ相手をしてくれる人なんていない。自分ならどうするんだろう?と自問自答してみたが、答えは見つからなかった。いや、怖くて見つけようとしなかったのかも知れない。
陽のあたらない場所に追いやられていく高齢者たち。いつか自分も同じ道を辿ることも知らず嘲笑する若者たち。この国の少子高齢化と人口減少に歯止めはきかず、いつか立場が逆転する日が来る…。
思い返してほしい。芸能界での性スキャンダルの多さを。毎年誰かが画面紙面を賑わしている。一般人とて同じなはずだ。むしろ文春のようなハイエナがいない分ハードルは低いだろう。
それにしても役者さんって大変だ。高齢で売春、買春の役を演じるってどういう心境なんだろう?顔を知っている役者さんは二人だけなのだが、名前までは知らなかった。松子役の方も文字通り体当たりの演技が素晴らしかった。
若さだけの自由と高齢者の孤独なんて紙一重だなって思った。
孤独の居場所で
誰かの忘れもののような時間に力が満ちていく瞬間。
それがたくさんあったのは事実だ。
そして、家族との確執から抜け出せないでいる主人公が仕事を運営する姿はたしかに生き生きとしていた。
だがそれは社会的なルールを越えていた。
自分の寂しさを他人の孤独で埋めている行為だと言われても反論できず、築きあげてきたものは簡単にくずれ去って消えた。
「次はねぇ。」のを本当は誰よりも知っているはずの彼女が終わらないわだかまりのなかでもがく姿は辛く、そこをつなげられる存在の弱さの残念さ、正しくいかされなかった経営の才能がもったいない。
知らない世界だったが実話がベースという。
孤独の居場所を蛍や星のように光らせてみたら、この世の中の暗闇はどんな眺めになるんだろう。
行政では救えない“スキマ的な需要”それを満たすティー・フレンド
性風俗を描いた映画には独特の、
好奇心を刺激するスキャンダラスな一面があり、
その点では、かなり面白いと思いました。
見たことのある役者は渡辺哲さんのみ。
主演のデルヘリ「茶飲友達」のオーナーのマナ役の岡本玲さん
以外はオーディションで選ばれた役者だと聞き驚きました。
女性の場合、高齢者の方が、ヌードシーンに抵抗があるのでは?
と思うが、無名俳優の芝居への情熱と層の厚さを思い知った。
(このことは「侍タイムスリッパー」でも、同様の事を感じました)
この映画のデートクラブというかデルヘリは、
オーナーのマナが「大きな家族の家」を理想としていて、
自分が風俗嬢で働いて感じた《怖い世界》を、
ユートピアにしようと日夜頑張っている。
万引きしている老女・松子を、咄嗟の機転で
助けて、仕事に誘う。
松子は意外と適応性がありNo.3の指名が付く売れっ子になる。
松子は両親の介護に青春を費やし、解放されたと思ったら
喪失感と虚しさで生きる意欲を失くしていた。
主催者のマナは厳格な母親との確執からか?
風俗嬢をして来たが、自分が立ち上げた「茶飲友達」を
ユートピアにしたいと願い擬似家族のように松子にも接する。
演じる岡本玲はとても美しくて演技も上手くて、
素晴らしかった。
(wikiを読むと近年は上質の舞台に多く出演しているようだ)
会員数が1000人を突破して、
マナと男性スタッフの誕生日のお祝いで盛り上がる。
そんなすぐ後でアクシデントは起こる。
松子がホテルで落ち合ったよ客が、松子がシャワーを浴びてる
間に自殺したのだ。
死ぬ客を助けもせずに、死ぬのを見届けて、部屋を抜け出す松子。
松子は《死なせてあげる》ことを正しいことと、頑なに正当化する。
このことで、「茶飲友達」は摘発されてマナは逮捕される。
婦人警官とのやりとりが、面白い。
「ルールはルール」という警官と、
「ルールで助けられない“孤独な老人たち“がいる」と、
自分は悪くないと自説を話すが、逆上して殴りかかり
マナは素顔を晒してしまう。
マナが重病の母を見舞って修羅場になる場面。
そして母と娘のように信頼しあって見えた松子の裏切り。
売上金もシルグルで出産する覚悟の若い女に持ち逃げされたり、
信頼するに足る、信頼に値する人間は、このメンバーの中に
何人いるのか?と訊ねたくなる。
「茶飲友達」はマナの仮想ユートピア」でしかなかったのか?
マナの実母への憎しみ、毒ばかり吐く母親。
毒親は子供をスポイルする。
高齢者の客は金を払い、その対価としてサービスを受けた。
孤独を慰め、人肌で温め、仮想の“愛の時間“を受け取る・・・
性風俗は必要悪?
(悪というか?いいえ、悪ではない、)
公衆トイレのようになくてはならない?ものかもしれない。
気持ちよく見ていたら
最後のしっぺ返しがキツイ。
ガッツリ持ち上げて、ドーンと真っ逆さまに落っことされる・・・
これが現実なのね。
マナはきっとまた復活する・・・
「大きな家=シェルター」を売春ではない方法で
作ってほしいと、願う。
孤独 家族 老後 ルール 絆 売春 だめなことだとしても、それのお...
あなたの人生がつまらなくても恥じるな。
ルールがあるので春(?)を買った側は罰されませんので、ご安心を♥
断末魔の新興宗教団体として見るべきだ。PLAN75と同じ
『ルールがあるので春(?)を買った側は罰されませんので、ご安心を♥
こちらの店はもっと若い子いるよ』と言われて喜ぶ髭面のウマシカ爺さん!哀れですか?
付け加えて、その業者はこう言います。『ちゃんと検査と薬は飲んでますから、NSもNNも♥』
男目線の地雷映画がまた増えた。
出鱈目過ぎるお涙頂戴映画。
親の寿命で涙なんか流すものか!
そう言った稚拙な演出しかできない。
バーーーーーカ!って言ってやりたい。
特に『薄気味悪い』のは、若者の稚拙な言葉。
『我々の稼いだ金を老人が年金で全部持って行っちまう』って言う小学五年生でも分かる稚拙な言葉。この言葉こそ絶滅危惧種大和民族の終焉と思う理由だ。
なお、生殖行為をしなけりゃ違法では無い。また、生殖行為を生業にしていても、生業をする者は実行犯として罰せられるが、その組織は罰せられていない現状がある。従って、このグループは逮捕されたのだろうが、こう言った組織は星の数ほど存在する。さらに
この場合は特殊な性的な志向になるが、普通に女性は食い物にされている事を、若き物理的な女性は気がつこう。
最後に断って置く、死んでもこんな事はしたいと思わない。
高齢者売春を通して、"家族"と"社会のルール"を見る
あらすじを読んで興味本位で観てみたのですが、非常に良い作品でした!
渡辺哲さん演じるお爺さんから始まりお爺さんで終わるのが、切なくも映画として綺麗な終わり方すぎて…
ケーキを運んでみんなで写真を撮っている、あのキラキラしたシーンで終わって欲しかった…と誰しもが思いそうなラストでした。現実世界の「ルール」によって導かれた結末とも。
フィクションであっても現実世界で違法、犯罪、グレーゾーンである事を肯定する結末にしない点が、ストーリーをそのまま表しているようで好きなポイントでした。
「家族」も大きなテーマとして劇中を通して描かれていましたが、茶飲友達のオフィスや仲間内ではもしかして「家族」という言葉は使っていなかった…?ずっと「ファミリー」と言っていたような気が…
同じ意味合いながら、呼び方を通して本質的な部分の違いを表している感じがしました。
近年、血の繋がりがなくても家族になれる!というストーリーが多い中、今作では1つの出来事で「ファミリー」があっという間にバラバラになってしまう&反発しあっていても結局血縁のある「家族」が会いにくる、というラスト。
正直、最もリアリティのある物語だと感じました。
俳優さんも皆さんとても良かった。
特に松子(若葉)役の磯西真喜さん…万引きをしていた頃→茶飲友達で活動している時→ラストでの見た目の変化があまりにも凄すぎました。
メイクや服装の力だけでは無い事が素人目でも分かる…素晴らしかったです。
他人事じゃない
最後のシーン、主人公が警察に「自分の孤独を他人の孤独で埋めるんじゃない」って言葉にハッとした。
松子さんも、利用されてるとわかっていたけど誰かに必要とされたくて売春に甘んじていた。
春を売った直後、シャワーから出てきたら客が自殺してそれを放置して逃げた松子。
1人で死にたくなかったのよ、ただ生きているだけって…というのは、高齢者誰しもが思うんじゃないかな。
同時に、親に縛られた主人公(とはいえ、親の愛情表現だったと思う)や、不倫と知らずに身籠った両親のいない女子、脱サラパン屋を廃業した車中泊の親、などそれぞれ抱える孤独や無知など、フォローしてくれる親や友達がいないという問題もあるんだろうな。
高齢者や若者の孤独を、表面だけのビジネスファミリーじゃなくて、もっと違う形でファミリーにする力があったんじゃないか…煎茶だけの本当の茶飲友達から再婚とかのマッチングサービスとか。
と思うけど金銭が発生することによって自浄作用が生まれることもあるだろうし、毎回必要とされている、社会の一部になっていると感じられるんだろうな、、と考えてると、ただのマッチングサービスも足りないのかなぁ。
結局ふんわり繋がっている人間関係のセーフティネットって大切だよね、と思いきやヤバくなったらみんな手のひら返して逃げちゃうし、主人公が築いたものはなんだったのか。
色々考えさせられる作品だった。
あと、松子さんが万引きしてる最初の顔と、売春始めてからの生き生きとした顔と、ホテルから逃げて来ちゃった時のティーハウスでの顔が全部違う人に見えて女優さんってすごいなーーー!!と感心。
あとあと、松子の最初のお客さんが最初ガッついてたけど、松子が一呼吸置かせてからゆっくり接吻を始めた時に、「私はいなくならないから安心して」って言ってるようで、それをお客さんも無言で理解したように思えて、切なくなった。
受け入れてもらえる安心感はいくつになっても必要なんだな…。
茶飲だけじゃダメなのかなぁ
人生100年時代と言われる今、老人の性の問題はやはりあるんだろうなと思う。老人を騙してお金を取る女の話は今までもあったと思うが、この映画は、性そのものをテーマにした、言わばタブーに切り込んだような作品だった。
親に認められなかった女性が、寂しさからfamilyという共同体を作り、同じように寂しい若者を仲間にして、老人向け風俗を展開する。身体を売る老女もあまり悪いことと思っておらず人助けくらいな感じだ。
見ていて辛かったのは,買う側の男性の必死さだった。そんなに??って思ってしまった。
最後に捕まって取り調べを受けるのだが、この警察官の言葉が全てを語っていた。心にささる言葉だった。
最後に実母が面会に来て家族だからと言うが、あんなに嫌がってた風俗なのに,なぜ急にこんなに優しくなるのか,死にそうだったはずだけど。と,ちょっと疑問だった。
「希望を持ちたかったから死にたくなった」
高齢化の問題
茶飲み友達募集、て広告見たら素直に茶飲み友達と思うよね。でもこの広告は希望者には売春買春の斡旋。確かに、高齢化する世の中、切実な問題なんだろう。
ただもうそんなことはどうでもいいけど、寂しさを感じてお茶飲みながらお話しする友達が欲しいと思う人ももちろん居るだろうし、まだまだ現役〜だけどもう相手がいない、受け入れてもらえない人にとっては欲しいシステムなのかも。
経営者のマナは実の母と確執があり、茶飲友達に募集してくる老人や社員と家族のような繋がりを求めている。
映画を観ているだけでは冷静に深入りしすぎでは?と思える。妊娠してしまった社員の女の子に、みんながいるよ、一緒に育てれば、、、と言っていたけど、甘いよね。
1人のコールガールの事件からマナは逮捕されてしまうが、警官の女性とのやりとりが面白かった。マナの言っていることもわかるが、警官の言っていることも正しいと思った。確かに母との確執から寂しさを埋めるためということもあったんだろうな。面会に来たマナのお母さん、もっと早くあの言葉を言ってあげてたら良かったのに。
高齢者の性の問題、シングルマザーになることの大変さと社会の問題を突きつけられる映画。
渡辺哲さん以外がオーディションということも驚き。
コールガールを演じた方々、すごいね!
自分の寂しさを他人の孤独でうめるんじゃないよ
寂しさを癒す=性欲を解消するという公式が成り立つ限り、茶飲友達(ティーフレンド)の売春行為は正当化される。
妻に先立たれたり、妻から相手にされなくなったり、話し相手がいなくなったりと、理由は高齢者の男性の孤独に起因する。孤独感は動物的本能とマッチングし、性欲の解消の提供側の運営側の若者たちとコールガールたちの孤独感とも微妙に連鎖していく。
寂しさを癒す手段はこれしかないのか。他に解消する方法があるだろう。この昔から受け継がれてきた大人の問いは、この空間では、「正しいことだけが幸せじゃないんだよ」という主宰者の若い女性の言葉でかき消される。
この主宰者は元風俗嬢で、余命いくばくもない母親とはそりが合わず、親子関係は決裂している。
でも、主宰者は、正しいことではないということは認識しているようにも見える。
善悪や幸せの輪郭が、性欲による快楽によってボーダレス化していく世界。
「自分の寂しさを他人の孤独でうめるんじゃないよ」
主宰者を取り調べる女性警察官の言葉。この言葉が正解とはけっして思わない。だが、少なくとも眠気眼が、一気にカッと見開くような衝撃が走ったことは間違いない。
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