エル プラネタのレビュー・感想・評価
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Cute B&W Indie
El Planeta is a modern Spanish version of Godard's Vivre Sa Vie with a mix of Greta Gerwig's lighthearted comedy and Sophia Coppola's charm. The film is absolutely stylish in its own way, and the plight of the characters is low-key self-inflicted fun. It could be an episode from Paris 13th District, and the love plot unfolds like two Napoleon Dynamite characters after a long stint in the city.
€20-
ドイツ生活しか経験ありませんが、€20-だとビールも頼んだ軽めのディナー一回分。日本だと¥3,000-くらいの感覚ですかね。うーん。ちょっとねぇ。このドケチ変態!ってビンタ張れば良いのにw
カフェの壁を写す固定カメラ。会話する男女。あんりゃ~いきなりジャームッシュだよ。まんまCoffee&Cigarettesだよ。リアリティ追求、と言うか、「母娘の日常を切り取りました!」の結果の不描写。しかしですよ。これは「解らない」にもほどがあるってもんで。
これは一般論なんですが。不描写部分に思いを馳せる。イマジネーションを働かせて、あれやこれやを想像する愉しみ。ってのがあります。で、その答え合わせが、どこかでできると嬉しい。答え合わせが出来なくても、劇場の席を立った後で、あーだこーだと思い出しながら、何かと何かをつなげて行く精神作業も心地よかったりします。
が。
これはイマイチですかねぇ。なんか。謎、多すぎて。不描写、多すぎて。と言うか。モノクロで、母娘の年齢すら分からんし。いや、スペイン在住の方なら、いろんなところから想像できるかも知れませんが。
生活力ゼロの母娘が、経済的にも、精神的にも、破滅に向かって「行こうとしている様」なんでしょうか?イヤ、まだ、これじゃ破滅って言えないよね、今日の欧州では。娘をほったらかして、ホイホイ警官に付いていく母親。この人、マジで嬉しそうなんだけどね。
スペイン映画なんて、これまで数えるほどしか見てないと思うんですけど、面白いと思った映画が一つもないって言うw
いや、一本、ドキっとする胸糞映画はありましたが、スキって言えるシロモンじゃ無かったし。
昨年見た「17歳の瞳に映る世界」と同系列なんかねぇ、なんて考えながらの鑑賞でしたが、ココロにひっかるもんは、率直に言うと、何にもありませんでした。
映画タイトルは「だまし続けたレストランの名前」。娘は、騙された、ってわけじゃないけど騙されて。でもでも娘自身も、おそらく、生活に困っていることなどおくびにも出さず、スタイリストを騙ってたりする。嘘で溢れる人の世。みたいなもんが根にあるテーマなんですかね?
まぁ、兎に角、ピンと来なかったですw
空虚だけれど興味深い
華やかさの裏側にある虚しさを眺めているようだった。ポスター画にもなっている主人公の物悲しい表情は今年のベストモーメント。街全体が老人しかいないシャッター街といのも空虚さに拍車をかける。
生活はそっちのけでファッションの事しか頭になく、しかも着飾るだけで止まらずクリエイトもするという主人公は、そこだけ切り取ればとても素敵に見える。そもそも駆け出しスタイリストやアーティストの卵って貧乏なイメージがあるので、彼女自体はそこまで不思議な感じには思わなかった。ただ、彼女が男達に外見でしか測られていなかったり、彼女も男に対して同様であるのは内面が空っぽのように見えて虚しかった。
持続的に見続けるのはしんどかったけど、主演兼監督の目にしてきたリアルが映し出されているような気がするし、映像センスも窺える興味深い作品でした。
【”諦観” 虚飾と現実の狭間で、淡々と生きる母、表面上は虚飾の衣装を纏いながらも焦燥感を抱える娘の姿が訴えかけてくる事・・。】
ー スタイリストのレオ(アマリア・ウルマン)と、母(アレ・ウルマン)は、スペインのヒホンという海辺の町で貧しき生活を送りつつも、時にレストラン”エル・プラネタ”で新作に舌鼓を打つ。
レオは置かれた状況に危機感を感じているが、母親は現況を受け入れ、諦観して生きているように見える。-
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・冒頭、レオは髭面の男と援助交際の話をしている。際どい台詞も出るが、猥雑感はない。会う曜日を決める二人。一人になったレオは溜息をつく。
・母娘で住むアパートメントは質素である。そして、レオは知り合いからスタイリストの仕事を紹介されるが、飛行機代が出ないと知り断念。
・詳しくは描かれないが、母娘は多額の借金をしているようだ。そして母親は、淡々と刑務所に入れば食事つき・・、と話す。
・”月末払いね”と言いドレスを購入する母。”著名人と知り合いなの・・、”と言いながら。
・レオは店番をしていた中国系の男に誘われ、レストランで食事をし、アパートメントで一夜を過ごし、翌朝二人で朝食を食べに行く。
ウインドウショッピングをしながら、男が言った”子供に合うのはどの色だろう・・”と言う言葉に驚くレオ。男は全く悪びれる事無く、結婚し子供が居る事を認める。
- この時のレオの表情が切ない。こんなにも、軽く見られている存在なのか・・、と。
このシーンでのレオの表情はフライヤーにも大きく掲載されている。ー
・部屋の電気が止められ、ドライヤーも使えない状況になる二人。
そして、警官二人が部屋を訪れ、母親は抵抗することなく高価そうな毛皮を身に纏い連行され、”突然”終幕する。
<今作が、映画として面白いかと問われれば、答えに窮する。だが、アマリア・ウルマンという若きファッションアーティストが監督・脚本・衣装デザイン・主演をこなした作品である事を考えると、もし次作が公開されたとしたら、私は鑑賞するだろう。
音楽にもう少し、工夫が欲しかった感は否めないが、グレタ・ガ―ヴィグ初期出演作「フランシス・ハ」を少しだけ想起した作品。
暗喩的に、スペインの経済事情も描かれている作品でもある。>
<2022年3月6日 刈谷日劇にて鑑賞>
出口のない貧困に姑息な手段で抗う母娘の偽りのキラキラを一切の色彩を廃して見つめる微笑ましくも痛ましい作品
スペインの北岸にある小さな町ヒホンにも容赦なく押し寄せる貧困を美しい街並みと同時に捉えた風景の中で淡々と続けられる虚飾に塗れた母娘の生活を見つめるモノクロ作品。色彩が取り除かれたことによってその空虚さがくっきりと浮かび上がっています。そんな生活がいつまでも続かないことを自覚しつつもあらゆる姑息な手段を尽くしてその期限を先延ばしにする痛々しさと微笑ましさが、その自堕落があっさり断ち切られた終幕の後もふわふわと余韻として残ります。
これ一本でもうファンだ
ポスターやチラシがおしゃれで気になったから観てみたんだけど、これはちょっとでも気になった人全員観たらいいと思う。おしゃれなモノクロの映像に黄色い字幕、アマリア・ウルマンのシャープな美貌、素敵な衣装、絵になる街とアパート、浮世離れした母親。雰囲気にうっとり酔いしれるけど、実は『パラサイト』や『万引き家族』に負けないぐらい貧困を描いている。貧しくて困窮しているのに、隙あらばそこから目をそらして空騒ぎしてしまう母と娘。
紙をちぎって製氷器に入れたり、水を満たしたグラスをいくつも冷蔵庫の上に並べたり、お母さんはなかなかの壊れ方を見せる。まともな生活を営む能力も、営むつもりもない母親に、娘は言いたいことがゴマンとあるのに言わないで、むしろ日頃とても気を遣いながら接している。ちょっと息子のようでもあって不思議。娘が同性の親に接する態度にしては、遠慮が強く出ている。この親子関係だけでも緊張感があって、どこか哀しくて、見ごたえがある。
これを主演のアマリアが自分で脚本書いて監督してるのか。母親役は実のお母さん。実の親子でこんなふうにピリッと演じられるの、すごい。Wikiによれば、アマリアはアルゼンチン出身、スペイン育ちで今は夫と共にニューヨーク在住。インスタグラムへの投稿で架空の人物の生活を4カ月にわたって表現してみたり、ビデオエッセイを発表したり、彫刻を使ったインスタレーションで個展を開いたりしてきた人で、女優というより芸術家、現代美術の作家というほうが近いようだ。
そんな彼女が撮った初長編なので、意図をあえて明確にしないカットがあったり、シーンの真ん中に急に人物の顔をドアップで写した静止画が挟まってきたり、編集もユニーク。そこらの高校生が使う編集ソフトでやったみたいなトランジションや、マスキングテープを貼ったみたいなエンドロールも面白い。
細かいところでは、男たちが「髪切ったの? 長い方がよかった」って言ってくるの笑った。いや笑ってないし笑えないけど。なんで人の髪型をどうこう言う資格が自分にあると思うんだろう。それもマイナスのことを。ハッキリものを言いそうなイメージのショート髪より、長いままでいてほしい願望とか見事に気持ち悪い。
この人が次に撮る映画もきっと観たいし、日本の美術館でも展覧会をやってくれたら全国どこでも観に行く。
リアルを得るにはフェイクを多様するしかない!世代が違っても共通したものを親子の視点で描く!!
デザイナーのレオは才能があるのだろうが、環境のせいで活躍できないという、環境や地域、経済的な格差に悩む女性。クリスティーナ・アギレラの仕事の誘いをうけるも、現場まで行く交通費もない。
近くに住んでいたり、そこまでフットワーク軽く行けてしまうような経済的余裕があれば、その仕事を筆頭として、次のチャンスをつかめるかもしれないが、それ自体が難しい状況
これは、デザインやマスコミ系の仕事が都心に集中していて、地方のデザイン学校を出たとしても、その後の就職や仕事を獲るのに、苦労するという日本の現状にも通じる部分がある。
ちなみに今作の舞台になっているのは、2018年頃であるらしいが、確かにこの時期、アギレラが6年ぶりのアルバム「リベレーション」を発表した年であるだけに、アギレラの仕事があるということに辻褄が合う。
冒頭でもレオがネットで知り合った男性(ちなみにこの人はナチョ・ビガロンド)と卑猥な会話をしている。個人売春で金銭を得ようとしているが、自分の思っていた相場とは全く違い、断念する。仮にそういった方法で金銭を得たとしても使い道は、仕事を得るため、自分をアピールするSNSに偽装セレブ生活の演出だったりに使うこと。
ミシンなど家にあるものを売って、ギリギリの生活をおくっているし、母親も借金だらけで、ライフラインの支払いも滞納していて、電気も切られてしまう。
例えば女優を目指す人が、経済的な余裕のなさにキャバクラや風俗の沼にハマる寸前の状態や、バイトに明け暮れることでバイトメインの生活になり、いつしか夢がバイトに消費されていってしまうのと同じであって、国が違うだけで、決して異国の地の物語だけだと割り切ることのできない問題がびっしりと詰まった作品だ。
この様な問題は、今に始まったものではななく、芸術家という職業は食べることができないという定義に説得力をもたせている概念を作り出した時代から常に浮上してくる問題である。
現代においてはYouTubeやSNSで、より自分を主張できる環境となった一方で、自由といっても、そこにも環境格差が発生するという事実を考えると、単純に才能だけあっても、それをプロモーションする能力も同時に強いられるという面では、芸術家たちを以前よりも圧迫しているのかもしれない。
社会風刺でありながらも、コメディ要素も多い作品で、母親がセレブのように振舞うことで、周りにお金持ちだと思わせて、食事や美容、ショッピングなどをツケという手段で回避していく姿は、変化球ではあるが、そこには確実にある親子愛というのが映し出されている。
主演のアマリア・ウルマン自身が、経済的に困窮していた時期があったこともあり、自伝的要素が含まれている。容赦のない社会風刺を描いていながら、皮肉なことに終始、映像がモノクロフォトグラフのようで美しい。
最初からモノクロにしようとしていたけではなく、予算の都合でモノクロにするしかなかったことも、今作の環境によって、挑戦心さえも挫かれてしまうのと逆行して、自分のできる範囲だけでも勝負をかける、アマリアの現在のクリエイター意識にメタ的に繋がっていくのだ。
スペインから流れ着いたゴミ…。
アマリア・ウルマン?これが長編デビュー作らしい。
くだらない短編をつなぎ合わせても長編にはならない。
モノクロはダメだ。学生がいかにもやりたがる、芸術性が高そうに見えるが、自己満足に終わる短絡的な手法だ。
長い、果てしなく長い…。
スペインの学生が母親と作った、くだらない練習作品を日本の映画館で上映する意味がどれほどあるのか?
早く終わらないかなぁと思うが、まだ続く。82分が、3時間に思えるほど、長い。
スペインから流れ着いたゴミだ。
確かめたい方は劇場へ。
どん詰まりの衰退大陸。ヨーロッパ。
主人公の母娘は、未来を全く喪失&イメージできないヨーロッパのメタファー。日々その瞬間を即物的享楽的に時の流れをやりすごし、目の前の解決すべき問題を、先の無い対症療法で順応していく母娘。破綻への崖っぷち、塀の上をヨタヨタと毛皮のコートで歩いていく。この異常などん詰まり感は、奇しくもこの前の時間に観た「アネット」の監督の出世作「ポンヌフの恋人」のデッドエンドに共通する。ヨーロッパの、歴史に押し潰されて血反吐を吐いてるような終末感が溢れる。スクリーンで、街の風景に行き交う人々は、ほとんど圧倒的な高齢者ばかりなのも、そんな意味を現している。
ニューヨーク系
申し訳ないけれど、この監督のキャリアを知らない。ニューヨーク系だなぁと思ったらハル・ハートリーがサポートしてるのね。自身で主演すること含めてマンブルコア一派の申し子に見えた。ノア・バームバック、グレタ・ガーウィグの系譜。コメント寄せてるセレブもその辺りを紹介してきた方々とかなり重なる。
ただ、マンブルコア一派の学歴は高いけれど泥臭く稼ぐ気はないモラトリアム白人を観ていると、憧れるのは分からなくもないが私とは違うお高い人種だなと思ってしまう。けれど、今作は確かに本人達のだらしなさを貧困の一要因とも見えるが薄く社会背景も描いている。この辺りを泥臭く描くとオシャレさは抜けてしまうが、それでも良いじゃないかと思う。そうなるとシネクイントで掛けてもらえないかなとも思う。
主演・製作・脚本・監督を自分でやってしまうナルシズムに観る前は構えていたが、そんなに気にならない。
字幕を黄色にするはあまり感心しない。
バレンシアゴ
スペインの田舎町ヒホンで張りぼて生活をする母娘の話。
金はなくとも自分の価値は落としたくないようだけど、所詮は愛人契約をしようとしていたり、家賃を滞納し強制退去寸前で、食事もまともにとれてない様だし。
見栄と虚構にまみれた母娘をひたすら見せていくけれど、これを見て何を思えば良いのか…。
これをスタイリッシュというのも違うし、自業自得でかわいそうとも悲しいとも違うし、惨めですかね…。
また、新しい映画に出会えた幸せ❣️
日本映画はガラパゴス化、してしまうのでは!
と、気づかせてくれる。
この映画は、ネット社会に現れた
新しい映画の感じがする。
ネット社会の今、
映画館で上映される映画は
小説と同様に、キャッチするには
国、言語、場所、時間の制約がありすぎる。
加えて、文化や習慣、思想などが入ったら
お手上げの、ハズ!
ネットフリックス、YouTube、・・の世代に
映画は、どんな存在なんだろうか?
作り手は?誰に、引き継がれるのか?
どんな映画が、生まれてくるのか?
手を抜かない作り込み、構成、カメラ等
いろいろ、頭を回らさせてくれた
良い映画でした。
嘘とリアルの境界線
食べ物、炭水化物ばっかりと娘は言うし、ある時はお菓子ばかり、その次は果物ばかり。電気を止められてしまったからドライヤー使えない、本はアパートの廊下電灯をいちいちつけて読んでる、冷蔵庫から溶けて流れる水止めに下にタオル置いてる、夜は寒い。でも悲壮感がない母と娘。喧嘩してもすぐ仲直りしてマッサージしあったり「買い物」に一緒に行く。街は「店、売ります」の貼り紙で溢れていて歩いているのは老人ばかり。
白黒の映像が美しく次の場面への切り替わりも面白い。アパートの中ではいつもラジオのニュースがフル音量でうるさい。すごくエネルギーがあるみたいに。娘が居た待合室は多分産婦人科だ。SNS経由でやっぱりバイトしてるのかな。それでもSNSで人と繋がったり自分を見せるだけまだいいのかも知れない。
王室があるスペインには若い人の働き口が少ない。コロナ前、スペインの優秀な若い人達はドイツで職を得るためにドイツ語を一生懸命学習していた。今はどうなんだろう?グローバルに若い人がわりをくう世の中を年寄り世代は作ってくれた。日本も同じ。
おまけ
主役のアマリアがベッキーに見えて仕方なかった。
母娘がラスト近くで同時にマッサージするシーン、停電の中、ろうそくで...
母娘がラスト近くで同時にマッサージするシーン、停電の中、ろうそくでのディナーなど美しい。とはいえ、現実に見れば無茶苦茶な生活。女の子は性的に搾取されまくっている。クソな世の中だけど、ポップに描いているのがいい。
映像が美しい
電気が止められてもファッション三昧の貧困母娘。ストーリーやキャラには共感出来ませんが、ひたすら映像が美しい!モノクロームに映える海や港町。主人公の服や小物も素敵でした。母親役は監督の実母だなんて、自然な演技がレベル高!アートやファッション好きな人にはオススメです。
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