機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島のレビュー・感想・評価
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ファーストガンダムのキャラ達にまた出会えた幸せ
本編なら30分の回を、映画の尺に伸ばしているのでどうしても間延び感は否めない。
また所々で、登場人物の感情表現にどうにも違和感を感じる場面があった。「はっ?」または「え?」かな、ちょっとうまく言語化できないのだが、とにかく何かに気づくシーンの表現。 例を出した方がいいな。
例)
夜、机にむかって仕事中のドアンにカーラが飲み物を持ってくるシーン。ドアンが「もう少し辛抱してくれ。戦争が終わったらこんな不自由な暮らしも終わる」とカーラに言ったときの、カーラが息を飲み込んで驚きの表現をするシーン!。 なぜそんな「はっ!?」と驚くのかい??
こんな感じの不自然な箇所がところどこにみられた。大げさ&タイミングがおかしいのよ。ひょっとしてこれも尺を伸ばすためか??
まあ、しかし懐かしのキャラたちが「新たに動いている」のを観るのはとても新鮮だった。40年ぶりに自分の知らない新しい面をみれるなんて。
そういうのを作ってくれただけでもう「よし」としちゃう。
匂いに言及する意味
初代ガンダムの、エキストラ的なエピソードが映画化するというのは大胆な発想だ。シリーズの中で独立性の強いエピソードだからこそ、アレンジして膨らませやすいのもあったんだろうし、ククルス・ドアンはインパクトのキャラクターだったことは確かだけど。
しかし、なかなか面白い作品になっていたし、戦争をどう描くのかというガンダムシリーズの命題に沿った作品でもあった。戦争孤児たちとの生活描写にかなりの時間を割いているのだが、アムロもそもそもまだ子どもなのだ。普段の大活躍ぶりがそのことを忘れさせてしまう時があるが、この映画ではアムロは一貫して少年だった。
本作の決め台詞「戦争の匂い」とはどういう匂いなのだろうか。映像では匂いを表現できない。匂いに言及されると、観客は想像を働かせるしかない。戦争を知らない観客に戦争のことを想像してもらう手段として匂いに言及するのは上手いやり方だと思う。観客はその匂いを想像するしかないが、アムロが少年なのにそれがわかるのも切ない。
「ファーストガンダム」で1話完結の「ククルス・ドアンの島」だからこそ実現できた、新しい劇場版ガンダムの形。
「機動戦士ガンダム」が放送開始から43年を経ても、これだけの認知度があるのは、いかに革新的なアニメーションなのかを物語っていると思います。
これは、モビルスーツというロボットの魅力的な形を作ったり、アムロ・レイやシャア・アズナブルといった代表的なキャラクターが生まれたことも大いに関係があるのでしょう。
これらの有名キャラクターが、現在も「名探偵コナン」などの作品に大きな影響を与えていることを知らない人もいるのかもしれません。
この最初の「ファーストガンダム」以降に、様々な「ガンダム」シリーズも生まれましたが、やはりこの「原点」となる「ファーストガンダム」の人気がダントツに高い現実もあります。
ただ、「ファーストガンダム」の世界観を描くと、自ずとキャラクターデザインは制約が出てしまうため、最新の「閃光のハサウェイ」と比べると「時」の流れを感じてしまうのは仕方のないことなのでしょう。
とは言え、本作では特にモビルスーツの描き方を中心にかなりクオリティーが高くなっています。
そして、見慣れてくると、キャラクターデザインも自然な感じに見えてきます。
「思い出補正」という概念があり、人は昔のことを知らず知らずに美化してしまう面もあります。これは、私も気を付けているつもりですが、やはり「ファーストガンダム」では「思い出補正」をしているのだと思います。「以前見た時はもっとキャラクターデザインが魅力的だった」と思ったりしますが、改めて当時の映像を見てみると、「43年前の映像」という現実が如実に出ていて、本作ではかなり現代化したのだと判断できます。
本作は「シン・機動戦士ガンダム」とも言える作品で、「ファーストガンダム」の1話(第15話)が独立した内容で題材も良いため、これをリメイクし108分に拡大しています。
私はこのリメイク構想は成功したと考えています。1つの作品として魅力的にするため時系列を無視したり、「ドラゴンボール」のようにユーモアを取り入れるのは作品のメリハリをつける上で良いと思っています。
物語自体も軍のエースパイロットが戦場で「護るものを変える」という深いもので、ククルス・ドアンが後半でアムロに問いかける言葉や、アムロが最後にククルス・ドアンに提案する言葉の重みは、本作を名作へと昇華させています。
本作のように独立した物語はまだあるので、それの映画化も期待したいです。
誰が見るために作られたか
こんな方法があったのかと、感心するやら期待するやら。ファーストガンダムから一話のエピソードを抜き出し、映画一本分にまとめてしまうという離れ技に、すっかり気を惹かれて映画館に運びました。
感想は、やはり複雑な心境になりましたね。
実は、『めぐりあい宇宙編』の時にも感じていたのですが、個人的な満足度と、世間一般に触れまわるであろう評判が、必ずしも一致しないと思ったからです。
『めぐりあい宇宙編』の時にはシリーズ最大のヒットを記録し、ガンダムブームを決定的なものにしましたが、今作に於いてはいったい誰向けに制作されたのか首をかしげたくなるような内容でした。
ブライトさんの声もセイラさんもミライさんの声もすでに故人となられて、当然ですが別人です。3Dモデルでグリグリ動くガンダムやホワイトベースを見せられても、もはや何も感じないのが正直なところです。
やっぱりガンダムって濃密な人間ドラマと、戦場の命のやり取り、そして一見ミスマッチな新兵器の激しい戦闘描写が魅力なのだと思います。ホワイトベースには、コック長もいるし、未就学児童も乗っている。一時的には民間人も収容していました。主人公のアムロだって、軍人なのか民間人なのか、微妙な立ち位置にいます。言ってみれば自分たちと同じ境遇の人たちが、戦禍に飲み込まれ、イヤが上でも戦わざるを得ないところに共感が生まれたんです。親子や仲間たちとの関係もひき裂かれ、個人的な怨嗟など持ち込みようの無いところに意外な復讐劇が絡んだりして、今日まで語り継がれるドラマになりました。
中でも異色のエピソードだった『ククルス・ドアンの島』を、こんな形にまとめ上げた手法には感心しますが、あくまでも内向きの発想で、言わば輪の外側にいる人にとっては、「なにこれ?面白いの?え、何でこの人たち敵なのに殺さないの?」というところから丁寧に語らないと、ついて来れないと思うんです。
たまたまウクライナで悲惨な戦争が起き、リアルな戦闘の様子が毎日更新されています。これなんかサイド6で描かれたエピソードがそのまま現実になってしまった感じで、いかにガンダムの視点が現実を見つめていたかの証明になりました。
だからこそ、子供たちの牧歌的な風景と、戦争というミスマッチをこれでもかと抉り出す演出が必要だったと思うのです。そこが、少し足りないのかな…と。正直、感じずにはいられませんでした。劇場では、パンフレットが異常に高価だったので手が出ませんでした。なんと同じ内容のBlu-rayもすでに販売されていました。つまり、現時点で、この映画に関する補足知識が無いまま今この感想を綴っています。製作者の思いだったり、例えば脚本の意匠とキャラクターの責任の帰結など、安彦良和さんの色がずいぶん濃く反映されているように感じました。ファンとしてはうれしさ半分、時代にそぐわないものを見せられてはいないだろうかという不安が半分。
そんな複雑な気持ちになったのです。
この手法が許されるのなら、例えば、ア・バオアクーにおけるアルテイシアの叛乱や、ミハルの弟妹達の後日談など、映画化できそうなプロジェクトはいくつか立ち上がりそうです。しかし、私個人としては、内向き過ぎて、世間的な評価が見えない。いったいこの映画って、誰が見るために制作されたんだろうなどと邪推してしまいます。
『閃光のハサウェイ』が好評だったことで、まだまだガンダム人気って根強いものがあるんだと思いますが、ファーストガンダムが放映された当時中学生だった私のように、いまの中学生にとってこの映画がガンダムにのめり込む入口になり得たのかと、問いかけないではいられないのです。
これは良い!
あの短いエピソードをうまく膨らませて楽しませてくれました!
アムロが乗っていた機体がコアファイターからガンダム になり、情けないトランクス姿も変わりました。
子供たちも増えたしかわいいヤギも良かった。
アニメ版では直接的なセリフであったところをキャラクターの動かし方と物語の展開で説明するあたりも良かったと思います。
カイやスラッガーがあまりにも弱いのはショックでしたが、そこはご愛嬌。ジムも次々と破壊されていきますが、そんなサザンクロス隊をも軽々とあしらうククルス・ドアンは間違いなくエース級パイロット。
なんとなく0080ポケットの中の戦争を思い出します。
子供たちとの束の間の共同生活。アムロが成長するひとつのエピソードとして重要な出来事が描かれていると思います。
そして何より、アニメーションの進化に感動!
ドアンと暮せば
今作のベースとなった何十年か前に放映されたTV版のほうは、今となっては印刷ミスのお札のように貴重で価値が有り、悲しさを帯びていて味わい深かった。
今作は、TV版を否定したり無かったことにするためのものではなく、むしろTV版の一番面白い部分には触れず、別視点にして雰囲気も変えて、それはまるで少しだけカスタムしたモビルスーツの色を変えて名前を付けて個別化するかのように、お互いを潰し合うことなく、共存を目指したものであると解釈出来る。
今作の存在意義は、一見似てるけどよく見れば異なるモビルスーツが次から次と出てくるように、解釈や設定の違いを楽しむことが醍醐味であり、物語の別バージョンの誕生をこれからも認めていこうとする表明だと思う。
ニュータイプであるシャアの意思でもある。人類の進化を、変化を受け入れなければならないのだ。
とは言っても、今作は変すぎて受け入れ難い。この感覚がシャアの言うそれなのかもしれない。
例えば、ペットボトル…のように見えるが瓶かもしれない。
豪華な食卓…ジオン兵用の秘密の場所に貯蔵してある食材を使えば、これくらい大した事無いかもしれない。
マニアックなことだが、序盤でビーム・ライフルを腰に戻さず海に落とす…アムロはきっと、ザクをサクッと倒した後でゆっくり拾いに行こうと思っていたのだ。
ドアンがガンダムを操縦して隠す…ガンダムの操縦席に座ったドアンはきっと「ザクよりもややこしいけど、なかなかイイぞ。わかる!わかるぞ!」と思ったことだろう。ドアンは実はニュータイプだった説を採用すれば、ガンダムにザクで勝った理由も納得できる。
アムロがジオン兵をガンダムで踏み殺す…『ガンダムSEED』のキラ・ヤマトなら絶対に有り得ないことだが、"白い悪魔"のパイロットであるアムロは相手がジオン兵なら殺しまくれるのだ。
ヤギを全員で追いかけて地下への避難を中止する…一人はみんなのために、みんなは一人のために!ドアンの統制力は素晴らしい。ホワイトベースのクルーの皆にナメられているブライト艦長と比べてしまう。
ラスト、戦争中なので、島が安全になったわけではない…案外戦争の匂いを消したら安全になるかもしれない。少なくとも連邦軍は民間人には手を出さないだろうし、おそらくジオン軍もあの島にはもう用はなくなったと思われる。アムロが戦争の匂いを消すよう勧めるのだから間違いないだろう。アムロの判断力や直感は伊達じゃない。
一年戦争のガンダムシリーズには幽霊が出てくるので、子供達が幽霊という可能性も有る。もし生きてるなら、『劇場版シン・Zガンダム(仮)』など何でも良いので、いつかドアンと子供達のその後の元氣な姿を見てみたい。
主題歌は少女カーラの心情が描かれた『Ubugoe』(歌:森口博子)
映画館を楽しみ木馬と出逢う為に
コーラとポップコーンをお供にほのぼの映画館の雰囲気を楽しみたいなと思って行ったのでほのぼの楽しめました!
当たり前のことですが、閃光のハサウェイやナラティブのようなタイプのモノではありません。
記憶にあまりない
テレビ放送は、見ていましたが、あまり記憶に残っていないエピソードでした。
なので、どこからどこが、拡張されて追加された話なのかわかっていない部分は意外に良かった。
また、当時とは映像の綺麗さや躍動感が全く違うので、ザクの滑走する姿はとてもかっこよかったです。
ストーリー的には、平和なエピソードなので、見やすいのはいいですが、ファーストガンダムを見ていない人にはとっつきにくいですよね。
及第点。
オフィシャルな宇宙世紀モノ、ハードな戦記モノを期待して観ると違和感を持つと思うので『世界名作劇場ガンダム編』くらいの心持ちで視聴するのが無難。
シリーズ数多(あまた)有る長寿作だからこそ、是非を言う者はそれぞれに居て、過大評価も過小評価もされて居ますが、安彦さん流40年越しの解が『こう言うもの』と知る事が出来ただけでも価値の有る事と個人的に思うところ。
『褐色のサザンクロス隊』MSは新設定せず、当時の『MSV(旧キット群)』から史実的に許容される物を選抜してくれたら『ガンプラ』フリークも喜んだと思う。
同隊が『やられ役』として単純に描かれて居たり、電気、灯台復旧後の御誕生日会&エピローグ(別れの挨拶)が無くエンドロール等、多少の物足りなさは有りますが、TVシリーズ本編22分程度のエピソード焼直しにしては『上出来』と、先ずは評価したい。
公式が作った二次創作
TV版ガンダムの1エピソードである「ククルス・ドアンの島」をリブートした作品です。
ですが、THE ORIGINと同じく、というより、ORIGINよりも更に二次創作感の強い作品になってしまっています。
元々が地方局での放送に際して、話数調整の為に作られた1話完結のエピソードですが、時系列としては13話「再会、母よ」、14話「時間よ、止まれ」、に続くエピソードとなっています。
この時系列が、どうやら今回の作品では差し替えられています。
また、何故ククルス・ドアンが「一人で潜伏しているのか?」や「ククルス・ドアンのザクの作画がおかしくなっている」等の理由を丁寧に設定しようとしています。
ただ、結局それでも矛盾が無くなっておらず、むしろ別の矛盾が発生している有様で、はっきり言って「僕の考えた一番面白いガンダム」になってしまっています。
出てくるMSの戦闘シーンやデザイン等は格好いいのですが、安彦演出の悪い所で、妙に登場人物の挙動がコミカルで、昭和感の強い演出になっています。
これはORIGINでも個人的なマイナス点(ORIGINのガルマがTV版のガルマになるイメージが湧かない、ドズルがアホすぎる、等)なのですが、この作品でもそのテイストが残っています。
正直、ガンダムファンの私でも結構キツかったです。
一応、お布施のつもりでパンフレットやその他グッズは買いましたが…。
個人的には、冨野監督の絵コンテを基に今の技術でリメイクする程度にとどめて欲しかったな、と思います。
1stガンダムを本放送で見ていたおやじ目線で
非常に難しいですね。
もちろんダメではないけれど、
何のために今リメイクしたのか理解できません。
監督のインタビューでリメイク理由は語られてますけどね。
もとの話からのアレンジも悪くないですし
戦闘シーンもそこそこ良くできてる。
安彦監督のセンスはきらいではないですが
すべてにおいて古くて、しんどい感は拭えません。
ORIGINをすべて見終えて感じた、その先をもっと見たい!
という強い気持ちと
最先端技術と今の感覚が大いに活きていた閃光のハサウェイからの
期待が大きすぎたのもあります。
シネコンのサービス料金が一切使えない1900円という価格で
劇場で見る必要はないかなと感じました。
オリジナルをリスペクトしている今のスタッフで
劇場3部作のリメイクを望みます。
ザクが岩を投げない
全体的にギャグテイストで緊張感に欠ける。
役割の無い登場人物と多すぎる子どもキャラ。
カメラワークや演出が古臭い。
子どもキャラのカットシーンが多すぎ。
ガンダムを利用した教育映画だった。
子供の頃に戻れた。ありがとう!
久しぶりの若き日のホワイトベースクルー。
新しい声優さんも遜色なし。
惜しむらくはもっとガンダムの戦闘シーンが見たかった。
あとククルスドアンの背景をもう少し掘り下げてほしかった。
6部作くらいでガンダム全部リメイクしてくれないかなぁ。。。
セイラさんの言い回し・・・お嬢様に振れ過ぎていませんか?
ジオン軍を脱走し子供たちと暮らすパイロットの活躍を描く物語。
ファーストガンダムTVシリーズの一エピソードの映画化。
地味なエピソードだっただけに、映画化には疑問しかありませんでしたが、上手に膨らませて映画に相応しいエピソードに仕上げていたのには感心しました。
戦闘シーンの迫力は流石にクオリティ。一見の価値があるとは思います。
ただ、それでも、小部隊同士の戦闘にならざるを得ず、当然映画としての評価も低くならざるを得ません。
戦闘シーンに制約があるのなら、人間ドラマとしてもう少し魅せられなかったのでしょうか?
例えば、ククルス・ドアンがジオンから脱走した経緯をしっかりと描くとか・・・子供たちの親を虐殺したシーンを描き、彼の苦悩を実感出来れば物語に厚みが出るように思われます。
例えば、セルマとの関係をもっと描いても良かったかもしれません。彼女との恋愛関係があって、それでも軍を離れざるを得なかったドアンの苦悩を描ければ、物語はもっと厚くなったように思えます。セルマを後任の隊長にしていれば、人物関係も整理出来たかもしれません。
アムロは、この映画では主役になり得ないのですから、ドアン全振りにした方が、映画の完成度は高まったように思います。
私的評価は、厳しめです。
展開に楽しめた
地球連邦軍のオデッサ作戦のために、ベルファストに向かうホワイトベース。カナリア諸島のある島にいる、残置蝶者の掃討を命ぜられる。島に降り立ったアムロらの前にザクが出現し、ガンダムは苦戦。気絶したアムロは、ククルス・ドアンと子供たちの世話になる。一方行方不明になったアムロを、ホワイトベースは置いていこうとし。
TVシリーズで30分完結の名作を、他のストーリーを織り込んで、大幅に変更し映画化。作画崩壊でも有名で、そのザクの顔を再現していたのが、ちょっと笑えます。ジムは相変わらずだけど、ザクが強く、胸躍る展開に楽しめました。
スレッガーさんには、もう少し活躍してほしかった。わけあり風なザクの女性パイロットも、物足りない。マクベは、器の大きいところを見せて良かった。
ガンダムのパラレルワールド
最初に謝ります。
安彦良和は監督(製作)作品にロクなものがない、作画、キャラデザでヤメとけっていつも(ORIGIN、クラッシャージョウ)言っておりましたが、本作は「映画」として面白いものでした。やれるもんだな。
さて、映画にカッコ書きとしたのは理由があります。予想はしてましたが、ってか予告ティーザーとか見てればわかりますが、オリジナルに対してのパラレルワールドなんですよね。この作品。なので、「ククルス・ドアンの島」としての映画として鑑賞するならとてもおもしろい、よく出来たストーリー(ギャク的表現除く)だし、作画崩壊(笑)もなく、映画としての音響もまずますでした。
でも、自分、オリジナルをみてはまった世代なんでどうしてもオリジナルの世界が頭にあるわけで、
・この時点でジムが大量投入されている
・スカート付きザクってドムへの愚弄じゃねえかよ(激怒)
・スレッガーさん、ジャブローからだろ。
・え?ブライトさんが士官候補生から一気に少佐、ですか?え?さすがに・・・
・え?え?オデッサ作戦の前に正規軍扱いされてましたっけ???
・ん?レビル配下に「正式に」なる前は、塩の調達が問題になるくらいに補給に苦しむくらいに邪険にされてたよな・・・。で、
・あれ?ホワイトベースにジムとコア・ブースターがある。。。で、レビル配下ではない。とするとマチルダさんは「消された」?
・そもそもドアンの島は五島列島(少なくとも日本のどっかの島)のどっかのはず・・・
・そうそう、オデッサ作戦でのホワイトベースの侵攻ルートは中央アジア経由でしたよね?それがベルファストから回ってって、どこの並行世界だよ。ってことはランバ・ラルは地球に来ないのか??
とかとか。
と場面ごとに頭が?????となるのです。
一方、ドアンがジオンを脱走する前の状況や経緯がよく分かったり、島の裏設定だったり、モビルスーツの戦闘シーンの迫力だったり面白さは秀逸でした。なるほどねえ、こっちはこっちでしっくり来るねえ、でした。なお、これはどうしようもないことなのですが、古谷さんと古川さんくらいしか声優が残ってない中、二人ともさすがに経験をました中での演者の構成、演技から、オリジナルはとっくに終わってたんだな、と当たり前のことを実感して寂しくもありました。
つまり、「ククルス・ドアンの島」という映画として、ピンなら秀逸で面白いのですが、「ガンダム」という括りで行くと、とっ散らかった、いや、ガンダムの名を簒奪した全く関係のない酷え作品じゃないかと思った次第です。
と、評価に困った作品でした。
なお、特別料金の意味は分かりません(納得できてない)。
君は、子供たちを守る事が出来るか…?
所謂“ファースト”の劇場版としては1982年の『~めぐりあい宇宙編』以来40年ぶりとなる。
が、ここで疑問が沸く。“ファースト”の新作劇場版などどうやって作るのか…?
以前『~THE ORIGIN』があったが、あれは“前日譚”。そもそも“ファースト”はTVシリーズ全43話で一本の作品として完結している。続きを作ったらそれは派生作品になるし、新エピソードなど蛇足に過ぎない。
そこでユニークな手法。『ドラえもん』の映画でもよくある。TVシリーズの一つの話を劇場用に“リメイク”。
『ドラえもん』の場合は基として別物語に話を拡げるが、こちらは概ね踏襲しつつ、新たな要素や解釈を加えた“大胆翻案”。
ロボットアニメの金字塔である“ファースト”の名エピソード中から選ばれたのは、ファンの間でも“神回”と呼ばれる第15話。
上層部より残敵掃討の命を受けたホワイトベース。洋上のある無人島へ。
アムロもガンダムに乗って索敵中、一機のザクの奇襲を受け、消息を絶ってしまう…。
負傷したアムロは助けられていた。この島で暮らす子供たちと、ジオン兵ククルス・ドアンによって…。
『機動戦士ガンダム』が当時の他のロボットアニメと一線を画すのは、単純な勧善懲悪でない事。
一応連邦軍が善、ジオンが敵と配置されているが、TVシリーズの中で連邦軍兵士が民家で横暴したり、ジオン兵士の人間味ある姿が描かれたエピソードも。本作はその象徴と言える。
島の子供たちは戦争孤児。
戦争によって家族や家、本来歩む筈だった人生を奪われた。
別にドアン自身が子供たちから奪った訳ではない。が、戦争に加担していたのは紛れもない事実。
自分のやってきた事が彼らを孤児にしている…。
そしてドアンは闘いを放棄した。
子供たちを守り、保護し、孤児であっても明るさと健気さを失わない彼らと共に生きる事を…。
しかし、“古巣”は彼を許さなかった。
ドアンが指揮していた“サザンクロス隊”。
ドアンの所在を知り、現隊長は憎しみを燃やす。
裏切り者に粛清を。死を。
そんな中でアムロは…。
連邦vsジオンの本筋とはさほど関係の無いエピソード故、劇場版三部作からはカット。
しかし改めて見ても、一つの話としては優れている。
アムロと敵対側兵の交流。
過去からの呪縛。ドアンと元部下の因縁。
ドアンと子供たちの運命。
戦争の愚かさ。
それでも争いは避けられない。何の為に闘うのか…?
現実問題でも戦争が問題になっているからこそ、響くメッセージ。
作画は遥かにクオリティー&迫力アップ。
ガンダムvsザク、ザクvsザク、クライマックスのサザンクロス戦…。
基のエピソードのシーンも再現するなど、ファンには堪らないだろう。
先述の通り“大胆翻案”。新たな設定や要素、描写も。
サザンクロス隊は本作での新設定。ドアンを苦しめる過去として、これは悪くないが…
子供たちが4人から20人以上に増えた。もっとドアンと子供たちの交流を深めようとしたのだろうが、全員が深掘りされている訳ではない。
スレッガーがもう登場している…!
30分弱の一つのエピソードを100分超えの長編にした故、間延びした感も否めなく…。
キャラ一人一人、眉間に皺を寄せるようなリアクションがやたらと多く、よりドラマ性やキャラ描写を増したと言うより、ちとテンポに欠ける。
ヤギのドタバタギャグシーンなど、せっかく尺を伸ばした中で絶対に時間を割く必要あったのか…?
『スター・ウォーズ』が『特別編』として再公開された時、オリジナルに手を加えられ、熱心なファンからは冒涜と非難された事あるらしいが、それと似た感を受けた。
オリジナルはバイブル故、賛否両論。熱心なファンからはかなり厳しい声も目立つ。
オリジナルでアニメーションディレクター/キャラデザイン/作画監督を努めた安彦良和が「自分にとって最後のガンダム」との意気込みで監督。
不滅の人気の作品は時に、作り手側の思いと見る側の望みに“ズレ”が生じる事もしばしばあるが、それも作品を愛するからこそ。
アムロ=古谷徹やカイ=古川登志夫は続投(シャア=池田秀一も)、ブライトやマ・クベなどすでに旧声優が故人になっているキャラの新声優は違和感なく、メインキャラのドアン役の武内俊輔も好演。オリジナルの音楽を編曲して使うなど、心憎い演出も。
賛否が出るのは当然。が、個人的には一本の作品として見応えはあった。
何より“ファースト”をまた新たに見れた事が最大トピック!
ガンダムの姿をしたイビツな何か。
ガンダムファンを30年以上やってきました。これまで全ての映像作品を見てきました。
なので本作も見ました。
感想はタイトルの通りです。
ビジュアルこそハイクオリティな現代風作画になっていますが、褒められる点はここだけ。
他は目も当てられないほど酷い改変がなされていました。
そもそも論として、ククルス・ドアンという作品はTVアニメ15話の時点で完成した作品です。
それを本作は映画化にあたり、回想シーンや戦災孤児とヤギのギャグシーンで無理矢理108分まで引き伸ばしています。
その為とにかくテンポが悪い。ダレます。
加えて過剰な劇伴の多用、無駄に多いスローモーション、大仰な演技をするキャラクターの芝居によってとにかくクドい。
序盤の戦闘シーン以降、蛇足としか言いようが無いパートが1時間以上も続きます。
この構成にはストレスを感じずにはいられませんでした。
次に問題なのが本作のタイトル。
「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」
このタイトルだと、まるで富野由悠季監督によるいわゆる"ファーストガンダム"の1エピソードのリメイク作品のように見えますが、現実には異なります。
上映前にこのようなテロップが表示されます。
「この映画は1979年に放映された機動戦士ガンダムの15話を"翻案"したものです」と。
翻案…というのは"内容を別の作品に書き改める事"を指します。
そう、本作は富野監督によるファーストガンダムのリメイクではなく、安彦良和によるジ・オリジンなのです。
この点を伏せたタイトルには違和感を感じずにはいられません。
「劇場で最新のファーストガンダムを見れる!」
そう誤解してスクリーンで見た多くのファンは、既にリュウさんが他界しスレッガーがジムに乗っているホワイトベースの様子に混乱した事でしょう。
初対面でタメ口をきく安彦版アムロや、ポンコツな安彦版スレッガー、エースパイロット化した安彦版ドアンに疑問を抱いたはずです。
ここまで改変されたククルス・ドアンの島は果たして我々の知る「機動戦士ガンダム」と言えるのでしょうか?
否、絶対に違うと私は断言します。
これはあくまでも、安彦良和による独自解釈のオリジンユニバースなのです。
他にも不満は数え切れないほどありますが。酷評が延々と続きそうなのでこのあたりにしておきます。
生理的嫌悪感にも似たストレスを感じたガンダム作品は後にも先にも初めてでした…とだけ言っておきます。
安彦さん、ガンダム成功における貴方の功績は非常に大きいものでした。それは疑いようのない事実です。
とはいえ、ファーストガンダムをこれ以上の改変するのはやめていただきたいです。
やるならオリジン名義でお願いします。
そしてファンの方、特に富野由悠季作品を愛するファンには視聴をオススメしません。
ガンダムを知らない層にもオススメしません。
いっそ水星の魔女を見てください。
宇宙世紀に触れるのはアナザーを見てからでも遅くなんてないのです。
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