「20世紀に少年だった者が帰るところ」機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島 Chuck Finleyさんの映画レビュー(感想・評価)
20世紀に少年だった者が帰るところ
映画の評価としては、高くなる筈がありません。あらすじは変えられないし、壮大な宇宙戦争の中で、ちっぽけな島で起きた数日間の出来事の話。正直ワタシも、ドアンザクが足長おじさんなのか、白いやつは多少面長なデザインかも知れない、とか変な関心が先に立って観に行きました。
お目当ての戦闘シーンはさすが綺麗な動きでしたが、キレのある動き強調よりも所々の決めポーズ的な姿が格好良く、ちょっと能とか日本舞踊みたいだなと思ってしまいました。我ながら変な感想ですね。
でも実はそれらの低期待も戸惑いも、他の評にあるような軍事作戦的な矛盾も荒れた孤島での豪華すぎる食事も、スレッガーさんが何をしに出てきたか分からないのも、男どものキャノンやジムが役立たずなのにセイラさん始め登場する女性が全員強く気丈でけなげという“アナクロな”設定も、「15歳のアムロ」がRX-78-2に搭乗した途端全てが溶けてどうでも良くなってしまうのです。
間違ってこのレビューを長々ここまで読まされた方にはスミマセン、これは作品批評ではなく単なる年寄りのノスタルジアなのです。だから評点は作品の詳細に関わらず☆4以下に出来ない。
ただ敢えて言えば、映画が始まって終わるまで、この「命と平和を愛する島」では実に15人くらいが戦死しています。その殆どが爆散して遺体すら残らず、たぶん埋葬されるのは、ドアンにほぼ無抵抗で焼かれたガンペリーの乗員と、戦うこともできずガンダムに踏み殺されたサザンクロス隊員くらい。ワタシ的には、上述の色んな文句は、ザクに戻って戦闘することさえ許されなかった職務忠実な隊員と、踏み殺すことを選択し実行したアムロの苦渋のシーンでよしとしました。あれは実はアムロの戦いの描写の中でも屈指の「戦争の現実」シーンでしょう。
追伸、それでもカイさんにはもうちょっと戦果をあげて欲しかったかな… 。あとセルマは、ドアンへの“けなげな未練”がなければもっと戦えたよね可哀想。