「時間差を無視した冷徹な映像がすべて現実」わたし達はおとな ジョーさんの映画レビュー(感想・評価)
時間差を無視した冷徹な映像がすべて現実
「わたし達はおとな」という題の「達」だけがなぜ漢字なのだろう。
そこにこの監督のこだわりがあるような気がしてならない。
友だちという言葉一つとっても、普通友達とは書かない。逆におとなは、普通「大人」と書くだろう。
「私たちは大人」 普通はそう書くような気がする。
この違和感は、過去と現在がめまぐるしく変わる映像で、さらに加速していく。
最近の映画にありがちな、「1年前」「1年後」といったテロップがない。
男と女の付き合い始めの初々しい笑顔の呼応と、子供を産む産まないの怒号と号泣。
幸せそうなふたりと修羅場のふたりがせわしくオンオフする。
ふたりでひとつとは思えない。大人のようで、実はなんちゃっておとな。
時間差を無視した冷徹な映像がすべて現実。
この現実は、避妊しとけばすべてすんだ話?
この現実は、誰の子かDNA鑑定すれば、父親になってた話?
この現実は、単なる夢見がちな男の逃げとリアルな女の現実直視の話?
この現実は、彼氏以外の男と寝たという女の子同士の下ネタを軽く吹き飛ばす話?
いや、白黒つけようとすると、男の言い分と女の言い分が、ただただ空中に舞うだけのような気がする。
白黒つけようとすると、呪われた感覚に襲われるだけのような気がする。
木竜麻生が妊娠した女子学生役を熱演。
「菊とギロチン」の純な相撲取りが、いつのまにか呪いを演じきる女優になっていた。
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