「身勝手な恋愛に苛立つのは、忘れたい記憶を刺激するからか」わたし達はおとな 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)
身勝手な恋愛に苛立つのは、忘れたい記憶を刺激するからか
木竜麻生が演じる女子大生・優実は、親の仕送りで家賃の高そうなメゾネットタイプのマンションに住んでいて、好きになった男性には甲斐甲斐しく食事を作ったりして尽くし、押しに弱い面もある。藤原季節扮する演出家志望の直哉は、卒業後は就職せずに自分の劇団を旗揚げすると夢を語るが、優しい口調のモラルハラスメントで(時にはDV一歩手前の行動でも)女性をコントロールしようとする。
男女の人物設定は又吉直樹原作・行定勲監督の「劇場」に似ている要素もあるが、あちらの純粋すぎるほどの恋愛は容易に感情移入できたのに対し、「わたし達はおとな」の身勝手な男女の恋愛模様は大半の部分において苛立たしく感じられた。本作を見せられることが、ひょっとしたら作り手による洗練されたサディスティックなプレイに付き合わされ、ソフトな精神的拷問を受けているようなものではないかと妄想したりもした。
直哉は同棲相手(といっても彼の場合、女性の部屋に転がり込むのが常套手段らしい)の前の彼女(山崎紘菜)が中絶して寝込んでいる間に、新しい彼女=優実と一泊旅行に出かけるようなクズ度高めの自己中男で、優実と直哉の関係がうまくいかないのは9対1ぐらいの比で直哉が悪いのだが、優実にも若干の問題がある。付き合う気のない男子学生から高価そうなプレゼントを(一応断る姿勢は見せるが)何度も受け取るし、直哉に振られた直後でさびしい時期に合コンで知り合ったばかりの相手を自宅に招き入れてセックスし、その男が避妊しなかったことで新たな問題を抱えることになる。
本作はメ~テレと制作会社ダブのタッグによる「ノットヒロインムービーズ」の第一弾と銘打たれている。「“へたくそだけど私らしく生きる”、等身大の女性のリアルをつむぐ映画シリーズ」だそうだが、比較的若い世代にはこの恋愛がリアルに映るのだろうか。もしかして自分が加齢のせいで共感能力が衰えているのかとも考えてしまうが、ふと、自分の過去の身勝手な恋愛、その忘れてしまいたい記憶が意識下で刺激されるからかもしれないと思ったりもした。