「勝った51は負けた49を救わなければならない」香川1区 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
勝った51は負けた49を救わなければならない
クリスマスだというのに、有楽町のヒューマントラストシネマは満席である。3時間近くのドキュメンタリー映画は興味のない人には退屈なだけだろうが、それでも満席になったということは、それなりの人々が日本の政治に危機感を抱いている証なのだと思う。
印象に残るシーンの多い映画で、挙げればきりがないが、特に印象的だったシーンか三つある。
ひとつはスシローこと田崎史郎に向かって小川淳也が強い口調を浴びせたシーン。急に出馬した維新の候補への働きかけについて批判した田崎史郎に対して、出来ることは何でもやる、政治は甘いものではないと啖呵を切ったのである。結果的には維新の候補に救われた形になるのだが、必死の小川淳也にはそこまで読めなかった。
二つ目は、平井陣営を撮影しようとして妨害されたこと。反対派や異質な勢力を排除しようとする自民党の本質が見えた。
三つ目は、小川淳也の娘が話したシーン。文言は正確ではないが、彼女は次のように語った。
お父さんに対するアンチの人がいて、その人と話すことがあったら、お父さんはその人とちゃんと向き合って、何を悩んでいるのか、何を困っているのか、最後まで話を聞きます。必ず聞きます。お父さんはそういう人なんです。
父に対する心からの尊敬と信頼が伝わってきて、落涙を禁じ得なかった。素晴らしい娘さんである。
前作の「なぜ君は総理大臣になれないのか」も、政治家のドキュメンタリーなのに何故か泣ける映画だったが、本作品は前作以上に泣ける。それは我々が、裏表のない純粋な善意や、何ひとつ放り出さない誠実さというものに触れることが、あまりないからだと思う。裏を返せば、我々の日常が如何に悪意と欺瞞に満ちているかということでもある。
あまりにも正直な小川淳也を見て、もう少しうまく立ち回れないものかと思ってしまうが、そうなってしまうと小川淳也ではなくなってしまうことに気がついた。バカがつくくらいの正直さと誠実さが小川淳也なのである。それは世の中を上手く生きていこうとするときに我々が捨ててしまったものだ。
小川淳也は上手く生きていこうなどとは思っていないようだ。上手く生きるとは小賢しく得をすることである。彼はそんなことには興味がない。困っている人をどうしたら助けられるか。彼の悩みはそれだけだ。だから彼のもとに全国から人が集まる。
集まったすべての人を彼は疑いもせずに無条件で受け入れる。そして来てくれてありがとうと感謝する。誰のことも拒否しない。誰のことも見捨てない。多数決で51対49で物事が決するなら、勝った51は負けた49を救わなければならない。それが小川淳也の民主主義なのだ。