パーフェクト・ノーマル・ファミリーのレビュー・感想・評価
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Timely Trans Drama
Right in time with Chapelle's press about his stand-up rant involving the transgender community is a film that explores Emma, an adolescent girl who has coming-of-age complications after her father decides to get a sex change. Her character is quite reserved; often a face of helplessness contrasted with the events on screen make you feel her pain. A literary but quick film with unique perspective.
この映画はなにかと歌を歌ったり踊りを踊ったりするシーンが多いんだけ...
この映画はなにかと歌を歌ったり踊りを踊ったりするシーンが多いんだけどそれがどれもめちゃくちゃ良かった。
一番は姉の堅信式で歌ったオリジナル?曲がめ……ちゃくちゃ良かった。
☆☆☆☆ 思わぬ拾い物の1本。 観ようと思っていた作品が有ったので...
☆☆☆☆
思わぬ拾い物の1本。
観ようと思っていた作品が有ったのですが、ちょっとした時間の思い違いから一転して観られず…「さて?どうしよう!」と思ったところで、近くで上映しているこちらの作品をチョイス。
全くのノーマークで、一切の内容を知らずに観たら、、、
いや〜凄く良かった〜!個人的に大好物な1品でございました。
こうゆう作品との出会いがあるから劇場主義の映画フアンは辞められないのです。
突然の父親の宣言に戸惑う娘。
特に妹のエマはまだ若い。若さゆえに何が何してどうなっているのか?の理解が追いついて行かない。
お姉さんのカロはその点で言えば大人への階段を昇り始めているので、全てに理解を示してくれている。
でもエマにとってみたらば、そんな周りの(大事な点には触れようともしない)空気感すら苛立ちの対象になってしまい、どうして良いのかが分からない。
映画はこの妹の目線から終始語られている。
父親の決断に対しての妹エマの反応が中心となっていた。
そんな、小さな胸を痛めて悩むエマの気持ちに寄り添っていた作品だったのですが。終盤で姉のカロが、一瞬だけ本音と言える態度をあからさまに示す場面が有って、観ていてついハッとさせられる。
彼女は彼女で、人知れずに悩んでいたのだろう?と…
家族愛を描いてはいるものの、無理矢理感動的に盛り上げている訳でもなく、終始淡々と描いていた様に思えます。
その辺りに不満を覚える人は居るでしょうね。
パーティー場面で、エマがカロに贈る歌が最高に可愛かった。
2021年12月25日 シネマカリテ/スクリーン1
【”パパが女性になっても、ずっと私たちのパパなんだ!”娘達の戸惑いと、パパが性が変われど、彼女達を深く愛する姿が印象的な作品。性転換者を普通に受け入れるデンマークの人々の姿が、印象的な作品でもある。】
ー 冒頭、長女カロリーネ(リーモア・ランチ)と二女エマ(カヤ・トフト・ローホルト)の幼き頃の姿を、父トマス(ミケル・ポー・フルスゴー)が、ホームビデオで撮影した、映像が流される。
そして、今作では劇中、屡、彼女達が健やかに成長していく姿を映したホームビデオの映像が効果的に使われるのである。ー
■女性として生きたい、とトマスは長女カロリーネの堅信式が近づいてきた時に妻ヘレに告げる。そして、昼食の際にヘレは、娘達に夫と離婚する事を告げる。
驚きつつも、カロリーネは父に理解を示すが、エマは猛反発する。
父に教えられたサッカーに熱中していた学校生活も、味気ないモノとなっていく・・。
◆感想<Caution やや、内容に触れています。>
・突然の父の告白に、エマの戸惑いと哀しみと父に対する怒り。
ー カヤ・トフト・ローホルト演じるエマが、それを見事に演じている。ー
・少し驚いたのは、トランスジェンダーをテーマにした映画の多くは、それを受け入れない社会とのギャップに悩む主人公を描くパターンが多いが、今作はデンマークのエマの周囲の人々が、それを比較的普通に受け入れようとする姿である。
・父トマスはタイで性転換手術を受け、名前もアウネーテと変える。
そして、迎えた長女カロリーネの堅信式の際にも、女性の姿で普通に親類たちと娘の成長を喜ぶ姿。誰も、父を責めたりしない。一人、仏頂面なのは、エマのみである。
ー 文化度の違いなのであろうか・・。ー
<今作は、女性監督マルー・ライマンの実体験に基づくという。
成程。
それで、あの父が映したホームビデオを効果的に使う事が出来たのだね。
少しだけ、ふくだももこ監督の「おいしい家族」を思い出した、新しい家族の姿を描き出した作品である。>
<2022年7月23日 刈谷日劇にて鑑賞>
デンマークの香り
両親の突然の離婚宣言、理由は父親が女性として生きていくから。その事態を10代の娘の眼から見た物語。
物語のテーマは明快で、多感な少女の葛藤、という展開はイメージしやすい。でも、初めて見たデンマーク映画。想像を裏切る親子の描かれ方だった。
デンマークのお国柄か、監督の意図かは分からないけれど、あまり機会のないこの国の作品をまた見てみたい。
文化の違いか、個人的な経験とかけ離れてるだけなのか、屈折の受け止め...
文化の違いか、個人的な経験とかけ離れてるだけなのか、屈折の受け止め方がずいぶん(素敵に)違う。
とにかく皆が大人だし、陰湿な感じがしない。特におねえちゃんの冷静で温かいことに、逆に違和感感じてしまった。悪くない作品でした。
いい子に育ってる故の葛藤
抑えた演出に好感が持てます。
過度な家族愛物語になっていないところも、
LGBTについてお説教っぽくないところも。
本作はエマの葛藤の物語。
そして大好きな家族たちが幸せを見出せる
着地点を見つける物語。
パーフェクトノーマルファミリーだから
こその葛藤かな?
いい子に育ってるから、気持ちに折り合い
つけようと踏ん張るエマが愛おしくて
たまりません。
あぁ!誰か気づいてあげてよ!
彼女凄く無理してるんだよ!
親が性転換するという類を見ない設定の作品。
これは経験者じゃないと書けない物語だと
思います。
親の性別が変わるということで
寂しい、悔しい、悲しい、疑問などなど
感情は生まれるものの、虐待された、離婚した
などの状況で生まれるそれらの感情とは
同じ名前ではあるものの、中身は全く異なるもの
だと思うからです。
パパだけどパパじゃない。
パパじゃないけどパパでもある。
あーー、ややこしい。
こんなの頭ですら理解できないです。
けど何とか大好きな家族のままでいたい。
家族とは?親とは?愛情とは?
エマの表情や行動で表現するあたり
見事ですねー。
カロは大人すぎますがねww
おねーちゃんは憧れであり、エマの
プレッシャーになってしまったかも?
唯一無二の存在が急に自分の中で
ぐらついてしまった時、人間が何に
すがるんでしょうね?何を拠り所に
するのでしょうね?
本当に必要なのはなんなのか?
エマが行き着く答えを本作で
見届けて欲しいです。
良い作品です。
デンマークの娘
監督の実体験をもとにした映画らしい。
昨今のLGBTQの映画の一つでもある。カミングアウトの物語であるし、今回はその視点を
次女の11歳の眼から映し出している。
私的には多感な少女が、まだアイデンティテーも確立する前だろうし、むべなるかなっていう
話の展開は納得できるし、当たり前だとも思う。
逆に人権の問題だからと、上から目線で社会の問題であるという気もしないし、デンマーク
というマイノリティーへの理解が進んでいる国でも、ナーバスな問題なんだという認識が得
られたという程度の感想でした。
妻や父親のカミングアウトへの心の軋轢はほぼ描かれません(監督はそこまで踏み込む気は
なかったんでしょうね・・)
自分だったらどうなるだろう…
父親が女性になったら…
主人公エマはその事実を受け入れることが出来ず、素直になれない。
それと子供という多感な時期だから尚更ショックだろうしなぁ。
自分だったら、認められずに縁切っちゃうだろうなぁ。
大人って勝手だよね
あまり前情報を入れずに見るので離婚の原因がパパが女性になりたいからという、まぁ今時の映画かなと思っていたらまず時代が違っておよそ20年以上前、デンマークではレアル・マドリードが人気チームなのかな?
当時のレアルは銀河軍団と呼ばれていたドリームチームだったしな
そんな昔、デンマークで監督の実体験を元に描かれたこの映画は主に次女のエマ視点と父親の視点から解釈出来るけど、やっぱり大人って勝手だなと思ってしまう
もちろん自立した1人の人間として父親トマスの気持ちも分かる
けど、いちいちタイミングが悪い!
もうちょっと頃合いがあるだろうと思ってしまう
お姉さんはそういう意味ではすごく大人だなと思ったけど、これまたそのタイミングで言う?って感じで怒らせる
しかし、それもこれもパパLOVE、娘LOVEだから
一つの家族の愛のカタチがそこにはありました
家族について
性同一性障害であることを隠していた父親が女性になる決意をしたことで両親が離婚し、大好きなパパが完全に女性になってしまったことに揺れ動く11歳の次女の視点を見つめた作品。女性になったパパを見ないように頭部にマフラーを巻き付けたり、反発したかと思えば、その直後に一緒にダンスをしたり、一人冷めているのかと思えば感動的な歌を姉に送ったり、友達がパパを嘲笑していてもその場を離れなかったりと、客観的には意外な行動がある。そのくらいパパのことが好きということか。転職でロンドンへ行くことになって、いよいよ家族離れ離れとなった時、アウネーテ(パパ)も全ては自分が原因だとわかっている。ところどころに昔のホームビデオの映像が入ってパパの娘に対する愛情の深さを見せるのだが、それがストーリーを中断させ、淡々とした表現になって深刻さを回避している。
パパ役の俳優の女性の演じ方が見ていて違和感がなく、自然だった。直前に予告編があったせいか、「ミッドナイト・スワン」ではなぜこうならなかったのかと思った。
コメディかと思ったら違った。
次女の心情がとてもよく表現されている。ショックなのに泣いて喚いたりすることなく、受け止め、戸惑い、拒否、愛情諸々を最小限の演技や表情の中でよく表現されていた。頭では理解しているが、時にうまくいかず子供らしい幼い言動もあったり、この年頃の等身大を演じきっていたと思います。
父がロンドンへ行くことになった時の長女の父や次女に対する言動も、彼女の心情がよく汲み取れ、こちらもまた等身大。
演技もストーリー(内容はともかく)も大きく起伏のあるものではないが、とても共感できる映画であった。
準備
5本目。
お姉ちゃんの年齢設定が14歳ってのも驚きだったけど、通常このての作品って息子が女にって流れ多いし、産まれた時からこの家族構成と思い観始めたから。
これ自分の親がって思うと頭真っ白。
考えたくない。
なので、考えるのは止めようと。
でも、思ったのは単純な事は複雑に。
複雑な事は単純。
いや、個をとるか?和をとるか?
そんな所です。
前提知識がないと問題提起型の映画に「だけに」映ってしまうかなぁ。
今年2本目(合計280本目/今月2本目)。
大阪市ではなぜかこの映画、1週間遅れ。大阪市内で学術ものを観たいと思ったら、テアトル梅田さんかシネ・リーブル梅田さん(同じ会社の系列のミニシアターです)。前者のほうに行きました。
多くの方が書かれている通り、結婚して子供もいる家庭の中でいきなり女性に性転換したいということを言うという、いわゆるLGBT(Q)を扱う映画になります。
一方で、デンマークが舞台ですが(事実、後援として「デンマーク大使館」も出るくらいなので、相当内容としては適切に描かれている)、デンマークは2012年に同性婚を認める法律が国レベルで作られた国です(法律上の同性婚ではないが事実上の同性婚(登録パートナーシップ制度)を認める法律は、1989年と、実は1980年代)。
現在では、「「手術がなくても」、医師の診断と本人の同意があれば」、申請により変えることができるほどまでになっています。北欧の国は概してこの問題に熱心に取り組んんでいるのです。
このような背景は一切出てこないので、単にデンマークが舞台で娘がサッカーをやって…という内容「だけ」になると、「そういうLGBTの問題もあるよね」という見方にしかできず、そこはちょっと残念というところ(問題提起型の映画と考えるのが妥当だが、そのように読み取ろうと思ってもそれらが出てこないので)。
結局、国レベルでこうした問題に向き合うのは国民性という問題もあり(日本など、地方自治が発達している国では、条例という概念もある)、日本ではここ数年取り上げられてきたところ、といったところではないか…と思えます。
結局のところ色々な考え方がありますが、性の選択は本人ができるものではないので、性自認と実際の性が異なる場合にどう扱うかというのは国の考えにもよりますが(宗教が強い国では、宗教の影響を受けることもある)、究極論を言えば「刑法など、犯罪などに関して個人情報が追えなくなる状態を避ける」ことと、「民法(など、相当するもの)の親族編(に、相当するもの)で矛盾が生じない」のなら、どう考えるかは結局個人の考えが尊重されるべき、というのが私の持論で(まぁ、ここで持論書いても仕方がないですが…)、潜脱的に「申請を変えまくる」というようなムチャクチャなことをやらない限り、「常識的な範囲で、一定の証拠が取れるなら申請通りに対応する」というのが、日本がやっと始まったところで、このような映画を通して、「LGBTに対してどう考えるか」ということの問題提起と解するのが妥当と思います。
※ もっとも、デンマークは「かなりの先進国」であり、日本と比較するのはすこし難しいかなぁ、という気はします。
この映画自体はPG12扱いですが、一部に未成年のアルコール飲酒を想定できる部分があるためで(大人の営みのシーンや暴力的シーンは一切でない)、問題提起が足りていないかなと思える点はありますが(デンマークがこうした施策の先進国である、という点に触れていないため)、それでも推せる一作です。
※ なお、一部に、北欧特有のキリスト教文化を前提にする字幕がありますが、ある程度推測がつく範囲かな、と思います(まるで何かわからない、という状況になっていない)。
日本でもこうしたことは起きうるものであり、その時にどう個人が考えるかは、常識的な範囲では憲法の要請するところ(思想良心の自由)ですが、国や地方自治体としてどう動いていくか、というのは、こうした問題が提起されてから数年といった日本では、これからかな、と思います。
※ ただ、LGBT問題による「性の自認の問題」と、「フェミニスト思想」が混ざってしまうと「どちらの性で論じるのか」という複雑な問題を抱えてしまうため、そこは非常に難しいところだな、と思います(映画内ではこれらの内容は一切出てこない)。
※ もちろん、こうしたことは、例えば「学校の事業参観で誰が行くのか」「母・父と書いた場合にどう扱うのか」といった、「子供を巻き込む公教育」では事実上地方自治体の裁量になっており(地方自治法)、国はガイドラインは示せますが、強制はできません(法を作らない限り)。
日本ではこうしたことも、今後は取り上げられるのだろうと思います(地方行政が絡む公教育と、私立による学校は単純に民間の話で、単純に同一視して議論はできない。もちろん、あまりにも支離滅裂なことを言い始めると、地方行政とて介入はしてくる)。
こうした映画が公開されて見に行けたこと、それ自体に意味があると思えますし、特に減点対象にするような内容はないので、フルスコアにしました。
あるべき親子の関係なんてないことを教えてくれる
父親が性転換したいと言い出すって、子どもにしたらどんな気持ちなんだろう。母親にしたら妻ではいられないから離婚となるのはわかる。でも子どもたちにとってはパパでもママでもない親としての存在になる。
私は母親が高齢出産した子どもだったので、学校の催し物に出席する母親が恥ずかしかった。周りの母親と明らかに年代が違うから。女性になった父親のことを恥ずかしがるエマのことを観ながらそんなことを思い出した。全然違うかもしれないけど。これって子どもが成長して受け入れるしか解決法はない。まぁ、そんな感じになってて安心した。ラストの笑顔で救われる。
映画を観終わってから知っだのだが、これは監督が実際に体験したことをベースにした物語だそうだ。そう考えるとなかなかすごい話だ。一人の男が結婚して二人の娘ができて、その上で女性になるって決意するまでの過程が気になってしまう。子どもが欲しかったのか、後から自分の性別に違和感を持ったのか。そして、性転換したときの職場の反応とか。ここらへんのエピソードがなかったのは娘の実体験からきた物語だからなんだな。妙に納得してしまった。
感動的な方向に持っていきたいのだろうが…。
ある日突然、パパが「私は女性だ」と言い出した娘の心情を描いたということなのだが、これは、この映画の監督の実体験らしい。
こういう話を私小説風に、赤裸々に描けば、それだけでおもしろいといえるかもしれない。
ただ、これを父と娘がLGBTという障害を超えて、お互いを一人の人間として理解しあえましたという美談に仕立てても、感動しました!と言えるものでもない。
デンマークでは、人道的に認められるのかはわからないが、お父さんがタイに行って性転換手術を受けてくるところをみると、国内でそんな手術をする医者はいないということだろう。
少数派の人達が、世の中から迫害されないようにしてあげるのはいいことなのかもしれないが、それをあまりにも表側に持ってくると、世の中がおかしくなってくる。
この映画も、監督の実体験ぐらいでいいのではないだろうか。
性転換した父親と十代の娘が抱き合っても、感動できるものでもない。
ゲイを描いた映画で幸福な様子を描いたものは少ないので、そういう意味では、いい映画と言えるのかもしれない。
劇場で確かめてみてほしい。
本当に大切な事は…
ある日突然両親の離婚を言い渡された11歳の少女、エマ。離婚の理由はお父さんが女性になりたいと希望した為、母親から言い出したもの。大好きだった父が女性になるという現実を目の当たりにし、複雑に揺れ動くエマの心を描いた作品。
父親の性転換に関し、拒絶に近い対応を見せる母親。無理もないよな…。対して、寛容的な態度をみせるのはエマの姉、カロリーネ。そしてエマは…。
全体を通し、エマにとって厳しすぎる現在の現実と、良かった頃の思い出が詰まったホームビデオのシーンが繰り返され、そのコントラストが非常に印象的。
いやぁ~やっぱり非常に難しい問題ですよね。
ちょっと自由過ぎるように見える父親。母親との約束も破り、女性の格好で娘達の前に…。
憤慨する母親をよそに、女性の名前で呼んでほしいとまで言い出す始末。正直ワタクシ自身も、母親と同じ気持ちになっていたが…。
でもこれも、娘たちを愛するからこそ本当の自分を受け入れてほしいという父親の願いでもあったのかな。
そしてエマの気持ちやいかに。本件に関し寛容な姉程ではないが、全体を通して、女性となる父親を完全に拒絶している程ではない(ように見える)エマ。
一緒に旅行に行き、踊り楽しむ笑顔には、やはり父親が好きだという気持ちは消えていない。
それでも、友人達やその他第三者が絡む場面が来る度、思う所あるエマは問題を起こしてしまう。
どうなんでしょう?やはり本人にしかわからない、多感な時期の少女の気持ちがあるのでしょう。
クライマックスに向けての流れは切なかった。どんな形になっても、やはりエマの中にある根底の気持ちは…。ワタクシ自身、自由に振る舞う父親の気持ちが理解できなかったが、僅か11歳の少女が見せた姿に、ハッとさせられた気持ちになった。
男か女かではなく、本当に大切なのは、好きな人がその人である、ということなのかな。子どもながらそんな父親と向き合おうとするエマに心が洗われる。そして、幸せのホームビデオに追加された場面は…。
厳しくも、幸せを感じることのできる暖かな作品だった。
思い出と今とこれから
ハンドカメラのホームビデオの映像が何度も挟み込まれていたのが良かった。小さい時のカロリーネとエマをパパがお話ししながら撮っている。そして今度はロンドンでお姉ちゃんとアウネーテをエマが撮影している。
拒否して受け入れて我慢してを繰り返してゆっくりと普通のことにしていくプロセスはとても説得力があった。偏見もあるし子どもほど残酷な存在もないけれど、大人がしっかりと受け止めていれば子どもは学んでいく。そういう家族、対人関係、社会はいいなと思った。
完璧でも普通でも無くなってしまった家庭に馴染めない多感な少女がガンガン壁にぶち当たる様を温かく見守るささやかな物語
デンマーク郊外に両親と姉カロリーネと暮らす11歳のエマは父トマスの影響で物心ついた頃からサッカーが大好きな女の子。ある日突然母エレから離婚を告げられる。理由はトマスが女性になりたいから。タイで性転換手術を受けてトマスからアウネーテとなって帰ってきた父をすんなりと受け入れるカロリーネに対してエマはそれがなかなか出来ずに葛藤する。
これが長編映画デビュー作だという監督のマルー・ライマン監督自身が11歳の時に父が女性になったという実体験を基にした物語だというところにまず驚くわけですが、本作の舞台となっている20世紀末のデンマークに生きる大人達がトマスがアウネーテになったという事実を当たり前のように受け入れているということもシレッと描写されていることにもビックリ、ここから20年も未来に生きている我々が果たしてこんな多様性を獲得しているのかという疑問がドンと突きつけられます。アウネーテやヘレ、アウネーテの父といった人達の苦悩や狼狽も描かれてはいますがそれはあくまでエマ目線でチラリと見えたものだけで、物語の核にいるのはあくまで子供達。男性が突然女性になるというヘンテコな現実に単刀直入極まりない疑問を浴びせる無邪気さと残酷さに晒されてグラングランに揺さぶられるエマの心情に寄り添うように時折挿入される幼い頃のビデオ映像を眺めながら、大人から見ると未来しかないように見える子供達にとって何よりも大事なのは思い出なのだということを思い知らされます。そんな思い出を大切にしながらも新しい現実も受け入れていくことが人として成長することであることはカロリーネの凛とした姿を通じて表現されていて、そんなカロリーネが拘るのが15歳になる際にキリスト教への更なる信仰を誓う儀式である堅信式。そこには大人になりたいという願望と焦燥が滲んでいて、それを見透かしたかのようにエマがアウネーテの伴奏で歌う姉に捧げる替え歌が実にキュートでニヤニヤしてしまいます。サッカーの試合でもさりげない毎日でもガンガンに他人とも家族ともぶつかり続けるエマが最後に手にするものはささやかなものですが、それは頑張っている大人から子供への贈りもの。大人の理屈を子供に押し付けるのではなく自分で答えを見つけるまで温かく見守る包容力が子供時代に体験して得たものを大事にする環境を作る、そんな国民性を見せつけられた気がしました。
普通であることや完璧であることは重要ではない、誰に遠慮するでもなく自分が自分らしくいられる場所こそが家庭であるべき、それをさりげなく思い知らされる愛すべき作品です。
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