さがすのレビュー・感想・評価
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佐藤二郎を通して伝えるもの
佐藤二郎主演、片山慎三監督の商業長編映画デビュー作である本作。
まず、佐藤二郎のハンマー素振りという強烈で画力抜群の冒頭でお馴染みの佐藤二郎の滑稽さとシリアスさが同居するという本作のテイストが提示されていてぐっと引き込まれた。
独特のおかしさを含みつつ、物語が進んでいくとALS患者と介護者の関係、自殺志願者の心の病など日本が抱える多くの問題が浮かび上がってくる。
劇中で行われる登場人物の各々の行動は側から見たら間違っているかもしれないが、当事者になった時、同じことが言えるのかと観る人の倫理観に直接訴えかけており、鑑賞後にも考えてしまうような独特な後味を持った映画だった。
よくできた作品
君は天才子役伊東蒼の芝居を観たか
2022年映画館観賞6作品目
2月6日(日)チネラビィータ
監督と脚本は『田沼旅館の奇跡』やポン・ジュノ作品などで助監督を務めた片山慎三
グロい
フォークを武器に使うのは自分の記憶ではブッチャー以来だがそれでも目を攻撃することはない
テリーファンクは毎回毎回血塗れだが急所は外されている
待ち伏せなんてしないでさっさと逃げればいいのにあの行動は理解に苦しむが連続殺人犯に共感を求めること自体間違っているのかもしれない
自殺志願者の1人にパンツ一丁のヌードがあったが役者の名前はわからない
舞台は大阪
突然失踪した父を探す娘と連続殺人犯と共犯関係になってしまった父の転落劇
娘が探偵の真似事をするが最後の最後はやっぱり探偵モノ
なんやかんやで父と娘のハッピーエンドにならないところが良い
楓の父で肉体労働者の原田智に佐藤二朗
智の娘で中三の原田楓に伊東蒼
指名手配中の連続殺人犯で智になりすます山内照巳に清水尋也
自殺志願者のムクドリこと内藤あおいに森田望智
彼氏昇格を条件に楓に協力するクラスメート花山豊に石井正太朗
楓と豊の担任教師の蔵島みどりに松岡依都美
智の妻でルーゲーリック病に冒される自殺志願者の原田公子に成嶋瞳子
柑橘系農家の爺さんでAV蒐集家の馬渕に品川徹
今回の二朗さん笑い殆ど無し
伊東蒼の芝居がずば抜けていた
彼女の芝居を鑑賞するだけでもお金を払う価値がある
楓は父探しに協力する先生に罵声を浴びせたりマンションの手すりに食べたあとの容器を置いたりシスターの顔に唾を吐いたりと模範的な中学生とはいえない
それでも彼女なりの正義を貫いている
『おかえりモネ』でお天気コーナーのスタッフとして出演した森田と清水がまた共演
映画を観ることは殆ど無くテレビドラマしか観ない人たちにとって2人はあのイメージしかなくそれが残念でならない
見事な役作りのためかムクドリがあの森田と全く気づかなかった
それにしても馬淵の爺さんはいくらなんでも可哀想
山内は自殺志願者に協力する名目以外でも殺人をするただの変態だった
ラストは派手に鳴り響くサイレンだけで逮捕シーンはない
2人の卓球をするシーンから卓球の球が無くなる演出は何を意味しているのかよくわからないが親と娘のサヨナラを表現しているのか
ポン・ジュノ監督に多大な影響を受けた感はある
詰め込みすぎたようにも思います
えげつない!
前半は、疾走した親父をさがす、気強い娘さんの話かと思いきや、後半は、時系列前後するスプラッタに。
佐藤二郎がでんでんみたいだ!大阪の下町の人情コメディちがうな!まるで韓国映画みたいだ。まあ大阪もコリアンに似てるからな。僕は好きだな。森田望智がいつもと違うドブスを上手く演じてた。妻は小学生とは偉い違いだな。
家族で始まり家族で終わる
伊東蒼が良かった
中学生の原田楓は母が亡くなり、父と2人で暮らしていた。ある日、指名手配中の連続殺人犯を捕まえたら300万もらえる、と父が言って、その翌朝姿を消した。警察から大人の失踪は・・・と相手にされず、楓は一人で父の行方を捜していた。やがて、日雇い現場の作業員に父の名前を見つけたが、その人物は父とは違い、知らない若い男だった。がっかりしていた時、無造作に貼りだされていた連続殺人犯の指名手配チラシが目に入った。そこには、日雇い現場で出会った、あの若い男の顔があった。さてどうなる、という話。
父親が主人公のようで、実は娘が全て知ってました、ってオチなのかな。だとしたら怖いね。
娘役の伊東蒼が良かった。卓球も形になってたからホントに上手いのかも。
見応え充分。だけどちょっと惜しい。
見応え充分なオリジナルストーリー。犯罪を、というよりも、犯罪がヒューマンドラマになる方向に追い詰めていくという感じ。去年の吉田恵輔『空白』石井裕也『茜色に焼かれる』枠のドラマでしょうか。ほんと日本の貧困とどんずまり社会映画祭とかできそうな勢いである。
で、本作はそれらに比べても手が混んでいる。プロットが。
佐藤二郎が言われてるほどいいとは思わなかったけど、カナヅチもったあの顔だけはよかった。ただ、なーるほど、という時間の遡りで設定がびっくり変わる快感はそんなにない。どっちかというとパルプフィクション方向の視点の切り替え程度なんだけどこの手の犯罪ものには向いてないのかも。一番肝心な「妻」の話が突然で、しかもあっという間なので消化不良。親子というネタでいったら妻と子供と妻の痕跡は冒頭からあってよかったのでは、というか冒頭が万引きネタなのはもったいなくはないか、とか。
ただテーマ的に現代の殺人事件の二つの局面をうまく絡めたネタであったと思うので、ちょっと惜しい、と思った。
【どす黒い底なし沼の様な作品。哀しみを抑制した佐藤二朗、狂気性が半端なき清水尋也の演技が圧巻。時間軸を行き来する脚本も見事な作品。ダークテイストな親子愛を描いた作品でもある。】
ー 冒頭の数シーンで、観客は監督が仕掛けた罠にマンマと嵌る。
それは、嘱託殺人を装ったサイコキラー山内に殺された、自殺願望のある人々の様に・・。
そして、生ける屍の様な、自堕落な父親、原田が抱えていた哀しさは、微塵も感じさせない佐藤二朗の演技。
生意気だが、父を想う、娘楓の視点で、序盤は物語を見ていく。
可なりの不快感を感じながら。-
◆感想
・レビュータイトルで記したように、哀しみを抑制した佐藤二朗、狂気性が半端なき清水尋也の演技が圧巻である。特に清水演じる山内の、自らの変態的な性的嗜好を満たすための恐ろしき行為の数々。
又、近年同様の事件があったばかりだが、自ら死にたがる人々のSNS上の言葉の数々に、暗澹たる気持ちになる。
・序盤は、失踪した父を懸命に探す楓の視点で、映画を観てしまう。そして、片山監督が仕掛けたトラップにマンマと引っかかるのである。
・時間軸を行き来しながら、徐々に露わになる、事件の本質。
脚本の巧さと、役者の演技が見事に合致している。
・そして、楓が見抜いた父の本当の姿。
- 解釈が分かれると思うが、私は原田は最初はALCに罹患し、死を望んだ妻を”楽にさせてくれた”山内に対する想いと、SNS上で死を求める名もなき人々の姿と、自らの借金精算の想いが綯交ぜになって行ったのだと思う。
そして、彼は、山内を利用することを決意したのだと思う。
だが、娘はそれに気づき・・。-
<ラスト、父と娘が卓球をするシーン。機械的に球を打ち返す親子の姿。そして、徐々に近づいてくるサイレン。
真実を知る娘は父を警察に通報し、父は最後になるであろう娘との交流を、涙を流しながら行う。
重い、重い、どす黒い底なし沼に引きずり込まれた感覚を抱かざるを得ない、見事なダークテイストな親子愛を描いた作品であると思う。>
思った以上にに重たい話だった
アバンのカットがこう返ってきたか!的な伏線は多々ある。
伏線のためのシーン的なのがあってやや冗長にも感じるけど、心情的にはあった方が良いよね。
多目的トイレのシーンは、泣けちゃうね。あれ色々思い出したんだろうなあ。
ひと段落からラストまでの一連の流れは、すごい良かった。
ラストシーン、どう解釈するのが良いのかね。
雑さ含め"韓国"を感じる
【多層的に配置された物語が問いかけるもの】
この作品は、近年起きた事件や社会問題をモチーフに、物語を多層的に配置し、そこから想像される人間の弱さや醜さ、そして、本来ある人間の強さや正しくあろうとする姿をテーマにしていると思う。
ところで、佐藤二郎さんが、舞台挨拶で、「おかえりモネ」に出演している清水尋也さん、森田望智さん、伊藤蒼さんに宛てて、わざわざ手紙を書いてきて読み上げたところが、「おかえりモネ」にやきもちでも焼いてるのか、おかしかった。
ただ、この作品は、そんな面白さとは距離を置く考えさせられる物語だ。
(以下ネタバレ)
この作品は、ALSで尊厳死を望んでしまう妻と、それを苦悩しながら認めてしまう夫、更に、その実行を引き受ける人物がいるということ、そして、それは、尊厳死だけにとどまらず、うわべで自死を望んでいるだけの人間も死に至らしめて半ば楽しむ得体の知れない闇を抱えた人間かもしれないという構成になっている。
サスペンス部分の種明かしは映画をご覧いただくとして、余命幾ばくも無い難病、尊厳死、家族、貧困、孤独、自殺願望、心の闇、正義、道徳、自立......そして、ループする闇など様々なことを考えさせられる構成になっていると思う。
エンディングは残酷だが、絶対に正しい……。そして、困難に向き合う希望でもある。
「おかえりモネ」の三人に加え、佐藤二朗さんの演技は見ものです。
問題作であることは間違いない
さがしものはなんですか
俊英・片山慎三の商業映画デビューを観逃すな。緻密な脚本と練り上げられた映像の圧倒的な完成度!
映画を観終わったら、場内で拍手が起こったのでまず驚いた。
おお、こんなこと昔『ブラス!』で体験して以来じゃないか?
そしたら、終演後、ふつうに監督のトークショーが始まって、さらに仰天した。
なんだ、だからみんな拍手してたのか!! いや、十分拍手に値する映画ではあったけど。
てか、入口の掲示とかアナウンスでも言ってただろうに、よく俺気づかなかったな……(笑)
ふりでふらっと観に入った客とか、あの回で、もしかして俺だけだったりして。
映画自体は大満足でした!
これを褒めなきゃ何を褒めるんだって感じで、大絶賛したいところなのだが、内容をネタバレして観るとおよそ興覚めなタイプの映画なので、どう人に紹介していいのか、結構悩む。
ノリとしては、やはりかつて助監督としてついていた、師匠格のポン・ジュノに近いと思う。
ポン・ジュノの特徴として、「ジャンルオーバー」「先読みさせないことに全力」「社会派だがエンタメ」「心の闇の描写と家族の人情モノの組み合わせ」の四つが常に核にあると思うのだが、片山監督もこの四つの要素を完璧に兼ね備えている。
トークショーでは、霊感源として、ご本人は『セブン』、『羊たちの沈黙』、韓国の犯罪映画など、進行の宣伝マンからはタランティーノや『アモーレス・ぺロス』あたりの名が挙がっていたが、要するに、タランティーノ以降発展してきた「今のサスペンス」の最先端をしっかりとらえているといえるだろう。
多視点の語り直しと時系列の組み換えをギミックとしてもつ緻密な脚本。
1カットごとに考え抜かれた、スタイリッシュで撮影意図が伝わる映像。
細部まで練り込まれた小ネタ、挿入される笑い、時事性、変態性欲、ホラーテイスト。
冒頭、どこかの農村めいた風景。
手前の倉庫で画面端が切り取られた奥の空き地で、
佐藤二朗がトンカチの素振りをしている。スローモーションで。
流れるリストの「愛の夢第3番」。
鮮烈なイメージだ。どこか病んだ、サンチンの型でも見ているような。
これだけで、「ああ、ふらっと観に来て正解だった」と確信が持てる。
続く、少女の疾走。カットを割る、割る、割る。
カーブ・ミラーの巧みな使用から、防犯ビデオのモニターへ。
少女の影が、画面内の小画面のなかを、飛び移ってゆく。
「数秒」のシークエンスを、徹底的に面白く見せようとする強固な意志。
少女のあせる気持ちをきちんと描くとともに、この映画が「個人の激情を外からいったん眺め、分割し、再構築する志向の映画だ」という意志表明にもなっている。
監督が「絵コンテ」の人だと、ひしひし伝わってくる。
こいつは、本物だ。
出だしは、食べ方の汚いうらぶれたオヤジと、口は悪いが利発で愛情ぶかい娘の、大阪・西成での下町暮らしから始まる(ちょっと陰気なじゃりン子チエみたい)。
ある日、指名手配犯を町で見かけたと言い出す父親。そして翌朝、父親は失踪する。
警察は受け合わない。父親がいると聞いた日雇いの現場には別人がいる。その別人は父親の名を名乗り、顔は指名手配犯そっくりだ。
ビラを配っても、貼っても、杳として父親の行方は知れない。
そのうち、担任が施設のシスターを連れてくる。そこに「探さないでください」とのメールが父名義で届いて……。
こうやって序盤で与えられる情報から容易に組み立てられる推測どおりに、しかしながら(当然ながら?)話は進まない。
そして、どう進むかを言った時点でもう台無しなので、ここではあえて触れない。
時系列と視点の切り替えが起きるたびに、話は複層性を増し、表面上語られていたはずの物語は別の一面を見せ始める。それぞれの物語には、それぞれの始まりがあり、それぞれの動機がある。彼らは何を「さがして」いるのか。ほぼ隙なく組み立てられた欲望と情念の織り成す箱根細工は、あたかも一個の芸術品のようだ。
一言言っておくと本作は、2020年の僕のベストである『ミセス・ノイズィ』の「裏」バージョンともいえる構造をとっている。
要するに、『ミセス・ノイズィ』は、有名な時事ネタをベースに作ったというのを表のギミックとしてあらわにしたうえで、そこから予期される以上の展開を用意することで客の度肝を抜いたわけだが、『さがす』はその「逆」で、後半に「有名な時事ネタ」が複数個、隠されているのだ。
表面上オーソドックスな失踪人探しの物語をやるかにみせて、実はきわめて人口に膾炙した「あの事件」と「あの事件」をモロに素材にとっていることが、「観ているうちにわかる」仕掛けになっている。ああ、それの話をやりたかったのか、と。
ちなみにネタバレに直結しないので一つだけ触れておくと、西成地区に指名手配犯が紛れ込んで生活しているというのは、監督の実体験(父親が電車で見かけたと言ってきた)がベースになっているらしいが、実際にリンゼイさん殺害事件の容疑者だった逃走犯、市橋達也が一時期西成で暮らしていたことも元ネタのひとつかと思われる(当時、1000万円の報奨金がかけられていた)。西成地区の活気と猥雑さ、無国籍な怪しい魅力は、映画の重要な背景となっているが、日雇い仕事とドヤが存在し、なりすましが現実に横行する西成でしか撮れない話だという部分も大きいだろう。
片山監督が時事的な問題を扱うさい、あくまで「極限下での人間の姿」を描くための素材として用いて、下世話な解釈や思想的な押し付けに走らないのは立派な姿勢だと思う。さらには、社会派的な視点に立ちながらも、メッセージ性に優先して、何より「面白い映画であること」「技巧的に手の込んだ映画であること」にこだわりをもって、エンターテインメントとして成立させることに注力しているのが素晴らしい。あと、一定の観客がドン引きして離れるのを承知のうえで、タランティーノやニコラス・ウィンディング・レフン同様、ある種のバッド・テイストを仕掛けてくるような(あるいは「仕掛けずにはおられないような」)、にじみ出る彼の「含羞」だったり「矜持」だったりも、じつに僕好みだ。
ある程度、登場人物が「この時点で本当はどういう意図をもって動いていたのか」を、観客の推理と想像にゆだねる作りになっているので、終盤の展開に若干とまどう人もいるかもしれないが、僕が観て感じた範囲では、それぞれの登場人物の行動原理はいちいち腑に落ちたし、とくに某人物が、後悔と贖罪の念を妄執にまで膨らませ、「愛」の形としての●●に目覚めてしまう流れは、個人的にはすっと得心がいった。
驚くほど巧妙に組み立てられた作品だ。
ポン・ジュノ譲りの「意地でも客に先読みさせないぞという情熱」は、ストーリー展開のみならず、キャラクター造形においても一貫されている。
本作で、出てきたときの「お定まり」「お仕着せ」のキャラクターイメージを、最後まで維持する登場人物はまずいないといっていい。
それは、もちろん父親も、娘も、指名手配犯もそうだし、脇を固める人達にも通底する原則だ。
オレンジをおごってくれる朴訥な老農家の一大コレクション(いそう! こういう人ww)。
死にたがりのムクドリが「多目的トイレ」で見せる聖女のような慈愛。突然せまってくる奥さんの生々しさ。実は、どちらのシーンも二朗さんには撮影内容の一部が伏せられていて、あそこで見せる彼の演技は、完全に(原田智として彼がその場で対応してみせた)「生の反応」らしい。
佐藤二朗の父親役は、あて書きだけあって、旧来のパブリックイメージをうまくいかした(あるいはうまく裏をついた)狙いどおりのハマり役。ちょっと遅れていたり発達っぽかったりする感じと、人柄の実直さ・愚直さと、得体の知れない薄気味悪さがない交ぜになった独特の人物像を構築している。てか、この人、堤幸彦と福田雄一のせいで歪んだコミックリリーフ的イメージを押し付けられてるけど、本来は演劇畑の演技を志向するタイプで、こういうクセのある話にはドンピシャで嵌るんだよね。それはそうとして、どうでもいいけど、路上で飯を食うシーンの横顔があまりに大きすぎてびっくりした(笑)。昭和の歌舞伎役者並の頭部膨満感……。
伊東蒼は、あまりに達者すぎて、ちょっと末恐ろしいくらい。『空白』に引き続き、きわめて七面倒くさそうな父親をあてがわれる中学生役をふたたび好演。そういや、二朗さんとはNHKの『引きこもり先生』でも絡みがあったっけ。マジ、天才だろ、この子。とくにラストのあの演技はなかなかできない(ラリーが続くこと自体にも単純に感心したけどw 何テイクかけてる??)。まあ、遠からず他の「天才あおいチャンズ(宮崎あおい、蒼井優、悠木碧)」に肩を並べる存在になるのはまず間違いない。
指名手配犯の清水尋也は、最近の若者によく感じるどこかフラットな印象と、当たりの柔らかさ、そのいっぽうで無表情でたたずむ姿に漂う狂気をうまく演じていた。意外に声がいいよね。そういや、このキャラクターが作中で「名無し」って呼ばれてるのって、もしかして『セブン』の「ジョン・ドゥ」へのオマージュなんじゃない? と思ったら、すでにパンフで評論家が指摘していた。
ちなみに、監督はトークショーで、この主演の三人を一緒に同じフレームには入れないってのを作品のルールとして決めて撮ったみたいなことをおっしゃっていました。本人は「難しいことにチャレンジしたくなるんですよ」とさらっと回答してたけど、この作品はそれぞれのキャラにとっての物語が「きれいには重ならない」「それぞれのコンビでキャラの設定がぶれてゆく」こと自体が重要なテーマとなっているわけで、監督のこだわりが作品の根幹と直結しているのは言うまでもない。
三人の佇まいには、どこか韓国のクライム・ムーヴィーの1ショットだと言われてもおかしくないような雰囲気があり、この監督さんの創作作法のベースはやっぱりその辺にあるんじゃないかな、とも思ったり。タイトルロゴと宣伝ビジュアルには、あの韓国が誇るPROPAGANDAが参画してるしね。
品川徹と康すおんは、相変わらずの持っていきっぷり。とくに前者は天本英世の再臨かと思わせる怪演ぶりで爆笑した。あとラストクレジットで内田春菊の名前を観たけど、なんの役かわからなくって観た後に検索したら、例の施設からきた尼さんの役だったことを知って驚愕。あの人、なんか知らないうちにロマンスグレーの美老女になってんのな(笑)。
なんにせよ、エンターテインメントとしては、一級品。
おそらく好き嫌いは分かれる作品だろうとは思うが、いわゆる「邦画」の辛気臭さや独りよがりなシリアスさとは無縁の作品なので、ふだん邦画に行かない人にもぜひ足を運んでほしい。
世の中には死にたがっている人がたくさんいます。
俳優陣のセンスに尊敬
物語、キャスト、演出、メッセージ等々、どの要素も刺さるものがあり「観た甲斐があった」と心から思える作品。個人的には俳優陣の演技力に同じ人として尊敬してしまった。心の隙間を突かれた人の良いおじさん、テンションの違いが極端なサイコパス、他人に刺々しい自殺願望者など、登場人物は「こういう人、実際に居る」と笑えてしまう程に特徴が出ていて、これは相当に長けた観察力と表現力がなければできないと思う。伊東蒼さんの存在感は佐藤二郎さんが評する通 り高校生とは思えない存在感。原田さんの魅力と中学生故の可愛さが存分に伝わってきた。ラストの卓球ラリーのシーンはよく出来てると思った。(不覚にも一発撮りと思ってしまってそのせいで衝撃を受けてしまった。冷静に思いかえせば編集であろうが、それでも観客の心を射止めるシーンだったと思う)
ダークウォーターでも似たような事を思いましたが、シリアスな作品こそエンタメ性(本作であればユーモアも)があって初めて伝わってきます。シリアスだけではつまらない。
ネタバレあり。
途中でちょっと話の流れがわかりにくかったぶん、後半での謎解きの答えが親切すぎて何も考えなくていいのが暇な時間だったと思います。
佐藤二郎さんの奥さんが病気になってしまったばっかりに。
人生、ツイテないことはありすが、これほどツイテないなら死んだほうがマシ的な映画でした。
残酷な描写はちょっと苦手です。
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