幻滅のレビュー・感想・評価
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話はおもしろいのだがー
どうにも説明が多い。ナレーションはもちろんのこと、説明がかったセリフも多くて、そんなに綿密に理解させなきゃダメ?せっかく映画なんだからもっと画に語らせればいいんじゃないの?と思ったら何と原作はバルザックなのですね。もちろん読んだことはないけれど、数百年後の東洋人でも名前を知ってるくらいだからさぞ素晴らしい文学者なのでしょう。とにかくもったいない、美術もステキ、役者も過不足なし、この説明の多ささえ何とかできたらもっと満足度高くなってたと思う。フランス語ってのもネックでずーっと字幕見てなきゃなんない、これが母国語ならここまでストレスなかったのかも。でもまあせっかく映画作るのに言葉でぜんぶ説明するのは野暮だわな。講談じゃあるまいし。
「裕福でない限り運命は避けられない」
19世紀のフランス。詩人としての成功を願っていた印刷工のリュシアンは、侯爵夫人のルイーズに愛され二人はパリへ。しかしおのぼりさんのリュシアンは、社交界で笑いものされてしまう。そこで新聞記者のルストーに出会い、リュシアンはその文才でのし上がり。
純粋だった青年が成り上がっていく顛末という物語で、原作は文豪バルザック。当時の享楽と虚飾にまみれ、かつ情熱的な風情が興味深かい。称賛と批判が、実は表裏一体となって表現されるところが楽しいです。貴族を敵としつつ、自らもそれになろうとする様が見苦しい。
【”人間喜劇&悲劇。”1800年代に書かれたとは思えない現代社会のマスメディアのフェイクニュースなどの虚飾塗れの姿、及び様々なヤラセを想起させる社会派人間ドラマ。当時の衣装、意匠も秀逸な作品である。】
■19世紀前半の巴里の郊外。
詩人を夢見る田舎の青年・リュシアン(バンジャマン・ヴォワザン)は、貴族の人妻・ルイーズ(セシル・ドゥ・フランス)と共に上京するが、巴里の社交界の虚飾と自らの身分に安寧としている鼻持ちならない人々から馬鹿にされて、破局する。
失意の中、新聞記者となった彼は、金のために魂を売る同僚ルストー(ヴァンサン・ラコスト)に感化され、欲と虚飾と快楽にまみれた世界に身を投じていく。
さらに、王制派と自由派の対立に巻き込まれる中、リュシアンはイエローペイパーに記事を書き、一時期のみの虚飾の栄光を手にするが、浪費癖の為に身を崩して行く。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・無茶苦茶、シニカルな物語である。田舎からパリに出て来た多少、文才がある愚かしき青年リュシアンの一時期の栄光と、挫折。
・リュシアンは、女優コネリーと良い仲になるが、”サンガリ”という、舞台初日にサクラ”を使い、拍手喝采を脚色したり、ブーイングを脚色する男に翻弄される。
ー ここは、今でも通用するのではないかな・・。-
・だが、小説家ナタン(グザヴィエ・ドラン)のみがリュシアンの文才を認め、虚飾の世界を冷静に観て居る姿が印象的である。
ー もう、ナタン=グザヴィエ・ドランに見えてしまったよ。リュシアンはナタンの新作を読み、その文才に惚れ込むが貶す書評を書いてしまう。だが、その後キチンとした書評を別の新聞に書くのである。リュシアンの浅はかさが垣間見える。-
・リュシアンは私利私欲を虚飾で隠した巴里の社交界に呑み込まれ、全財産を失う。更に、女優コネリーの舞台を”サンガリ”の寝返りにより、散々な出来にさせられ、元々肺が悪かった彼女は、失意のため体調を崩し、棺桶にも入れられず埋葬される。
<そして、全てを失ったリュシアンは故郷に戻り、幼き頃良く行っていた湖に久しぶりに行く。
彼は水の中に身を沈めながら、巴里の虚飾に塗れた人たちの姿と、それに呑み込まれて行った愚かしき自分に対し、【幻滅】の念を抱くのである。
今作は、現代社会でも十二分に通用する物語なのである。>
他人の不幸は蜜の味
詩人は、日々事象心情を表現する的確な「言葉」を見つけることに腐心しているので、キャッチーな批評記事を書くのにとっても適性があるような気がする。
なので、野心も併せ持つリュシアンには、記者は「天職」と言っていい仕事だった。
転落は、奢った瞬間に始まるようだ。
人の悪意は底知れない。
時代の寵児となり絶頂を極めたところ、足をすくわれて一気にどん底、そういうパターンは今だって同じ。
そして人々はそういう転落劇が大好物。昔も今も。
餌食になるのは「浮かれていい気になっている」のが目につく、うざいやつ。
リュシアンを例に、痛い目をみたら、なぜそうなったのかそこから学習しましょう、というとってもシンプルな教訓がありました。
ナレーションはルストーの声とのこと。
彼みたいに本来の目的を貫きつつ上手くやれる人もいて、そういう人に私はなりたい。
音楽が割りとポピュラーなクラシックで馴染みがあり、豪華な装飾品や衣装に美しい人々、おとぎ話の実写みたいで目に麗しかったです。
作品は、その出来不出来良し悪しに関わりなく金次第で持ち上げられ葬られ、「芸術」の命運を握っているのは徹底した拝金主義のマスゴミ! と一瞬呆れたけど、現代でも不可思議なことはある。
秀作と思った映画がマスコミにスルーされ、評価のやたらに高い映画、権威ある賞を獲った映画が、実際見たら????というのはよくあることです。
セシル・ドゥ・フランス🤩
オノレ・デ・バルザックが19世紀前半のフランスで社会に翻弄される人々を描いた小説、人間喜劇の一編「幻滅―メディア戦記」の三部の前半二部の映画化。
私の興味は地方都市アングレームの男爵夫人ルイーズ(セシル・ドゥ・フランス)と詩人デビューしたい若い青年の恋のゆくえ。
地元で芸術サークルを主宰するルイーズは狩猟と犬にしか興味のない歳の離れた夫への反発で、詩を書く印刷工の青年リュシアンにいれあげる。彼はルイーズにあてた詩を自分で印刷し贈る。パリ旅行にルイーズはリュシアンを同行させるが、パリの社交界は田舎の青年を笑い者にし、従姉にあたる侯爵夫人に恥をかかされたかたちになったルイーズはアングレームに戻ってしまう。ルイーズに愛想をつかされたと思ったリュシアンは酒場で知り合った新聞記者の男(ヴァンサン・ラコスト)に詩集出版や印刷所紹介の相談をするうちに、記者の誘いに乗って、芝居のゴシップ記事担当記者として名をあげ、大通りの劇場の若い女優と付き合い、放蕩三昧の日々。そうすることでルイーズへの復讐を果たそうとする自己欺瞞がますます虚飾の栄華を極めさせ、破滅の道をたどることになるのだった。
セシル・ド・フランスの醒めた冷静さを装った演技にほんとはどうなのよ~って思いました。
ヴァンサン・ラコストはとても魅力的なキャラでした。助演賞なんですね。納得。
当時のパリの演劇界は大勢のサクラを使い、褒めたり、ヤジを飛ばして、進行を妨げたり、まるで総会屋のような黒幕がいたり、新聞の記事次第で興行収入や俳優の将来が左右され、メディアがより多く金を払ったほうに有利な記事を書く風見鶏気質にはフランスならではのアイロニカルなコメディ要素が満載で面白かった。
成功と転落のジェットコースター(あるいは純情と執念)
浮かれては落ちを繰り返し、どんどん振れ幅が大きくなるジェットコースターのような怒涛のエンターテイメントです。
画的にとても見ごたえがあるので、劇場での鑑賞をお勧めします。
文学青年リュシアン(バンジャマン・ボワザン)は、貴族の人妻と駆け落ち同然にパリへ上京します。
しかし、世間知らずで田舎者の彼は捨てられ、生活のために新聞記者になります。
文学に高尚な夢を抱いていたリュシアンは、都会の混沌に揉まれ、あることないこと誹謗中傷を記事にするため文才を消費し、堕落していきます。
人間の美しさ醜悪さが滑稽に描かれています。
痛々しさはなく、自業自得だなと清々するような、しかしどこか悲しさもあります。
もとより主人公自身が無垢な青年とは言い難いです。
彼は文学で成功したいという野心があり、貴族に対するコンプレックスを抱いています。
上京した彼は、その野心と劣等感を大いに刺激され、堕落の道を突き進んでしまいます。
そこでは人々が連鎖して互いの悪意を増幅しあっているようです。
リュシアンの百面相が非常によいです。
身の程知らずの虚栄心に満ちた顔、金の亡者・悪徳記者の顔、人の良心に触れた純情な青年の顔。
自身の意思で行動しているようでいて、弄ばれているお人形感が滑稽です。
現代にも通ずるメディア社会への風刺たっぷりで、画的に見ごたえもあり、2時間半の長尺を感じさせずに楽しめました。
才能豊かなのに、分断社会を転がっていく若者の正に「メディア戦記」。
自分の人生に幻滅したことがあるか
オチがわかるようなタイトル、19世紀フランスが舞台なのだが、中身は現代にも通じるストーリーだ。
真実なんてもっともらしい嘘でしかないというようなマスメディアの醜悪さ、才能はあるが賢さはなく都会で堕落する若者、フェイクニュースに踊らされる大衆の愚鈍さは現代でも変わらない。
自分の人生に幻滅したことがある者にこそ、ラストのバルザックの引用が響くのかもしれない。響かない人はそれなりに幸せな人生だろう。
映画は様々なクラシックの寄せ集めなのだが、とりわけ映画のテーマ曲のように奏でられるVeronique Gensの「Hippolyte et Aricie, RCT 43, Act 3 Scene 1: Prélude」がとても作品の雰囲気とよく似合っていた。
とにかく画面が綺麗でした!内装、衣装、そして俳優さんがイケメン揃い!
バルザックの小説が原作。セザール賞主要7部門受賞の王道の文芸大作。
メディアと政治によりねじ曲げられた報道。対抗する大衆紙に勤める記者。正義感を持って腐った報道を糾弾していたはずなのに色んなものに巻き込まれていきます。
(ネタバレあり)
詩人になるのが夢の主人公。貴族出身のお金持ちの奥方に援助してもらい名士の集まりで詩の朗読をするが何せ学のない田舎の人間の集まり、彼の詩が理解されることはない。
自信を失う主人公を奥方は励まし、やがて主人公と恋仲に。それがご主人にばれて二人はパリに駆け落ち。元々貴族出身の奥方の従妹たちに住むところを手配して貰った。
だが、貧しい出自の彼を従妹たちは気にいらず別のホテルを手配される。従妹の一人は悉く彼を邪険に扱い邪魔にする。
ある日二人は社交界の集まりに出かけるがここでも従妹は嫌味を彼に言い意地悪。また別のある日はみんなでオペラを見に行くがここでも主人公は正しい振る舞いが出来ず奥方に恥をかかせてしまう。奥方は何も言わず彼を残して帰ってしまう。奥方に見捨てられた彼はお金が尽きてしまい、路頭に迷う。
そんな彼を助けてくれたのが大衆紙の記者。大手メディアがねじ曲がった記事ばかり書いているのに反発して民衆に本当のことを伝えなければと理想を語る。すっかり傾倒した主人公は記者見習いとして記者について学ぶ。元々詩人を目指していただけあって主人公の記事は人の心を捉えて大ヒット。一躍人気コラムニストになりお金を得る。オペラ歌手の恋人もでき順風満帆に過ごす。
権力者たちは彼の居る大衆紙が人々の不満をあおるのでつぶしにかかる。そこで権力者たちは主人公にある提案を持ち掛ける。
実は主人公の母は貴族の出身だが父は貴族ではないので主人公は貴族の姓を名乗ることはできないのだが主人公は貴族の姓が名乗りたくって田舎にいるころから母の旧姓を名乗っていた。しかし至る所で貴族じゃないと言われるので貴族として認めて欲しいと王様に嘆願書を出していたがそれを権力者たちは利用して主人公に権力寄りの記事を書けと言ってきたのだ。
主人公が路頭に迷った時助けてくれた人たちを裏切るのか、それとも権力者に媚びて貴族になるのか...?主人公が出した結論は?
すべては泡沫の夢。
(感想)
ナポレオン時代の貴族や社交界が舞台なので内装や衣装などとても美しかった。そして主役と助演男優さん揃って美形。眼福。主役は全裸シーンが3回もあった。フランス映画ってどうしてこんなにエロいシーンが多いんでしょう。これぐらいしないと観客が満足しないのか?笑
80年前に書かれた小説ながら現在にも通じる内容。メディアの闇が描かれます。身分制度が壊れる少し前の世界を余すところなく描いています。
理想があったはずなのに現実に潰れて落ちていったり、お金を待ったら持ったで贅沢三昧な生活をしてしまったり、身分制度に苦しめられてるはずなのに身分が欲しくてしょうがない。エゴや自尊心や色々なものを内包しえいるのが人間だとバルザックは言いたいのか?そんなことを考えてしまった。
お金をかけて丁寧に作った映画とはこういう映画を言うのだろう。バルザックの小説の世界を見事に再現した映画。本当に美しい画面でした。映画が終わった時、こっそり拍手をしたら隣の女性も小さく拍手していたのが嬉しかった。
美しい映像と人の悪意
音楽も装飾も衣装もとても美しく、お伽話か夢の中にいるよう。
それに比して、悪意に満ちている人の心。
ゆっくりストーリーは進みますが、そんなに長さは感じませんでした。
なのですが、伯爵夫人が途中から片桐はいりさんに見えてしまって…
ラストシーンの美しさは、彼の純粋な心を表現したのでしょうか。
『バビロン』を彷彿するけど…
幻滅のあとに人生を見つめ直す
年上の人妻への思慕からのパリへの駆け落ち、そして社交界デビュー。何とも華やかな話。しかし、主人公が自信過剰で特別を求める世間知らずな若者となると、破滅は必至。後はいつその時が来るのかと観ているうちに、作品に引き込まれてしまった。
パリの街の猥雑さ、譲ることを知らぬ人間性、ウォール街真っ青の拝金主義者たち。清々しいまでに欲望に忠実。
それを見下ろす暇を持て余した貴族たち。澄ました顔をしながら、獲物を美味しく料理する為に手間を惜しまない。金持ちの暇人ほど始末に悪いものはない。
そんな人々の中で破滅を迎えたのが、純粋に美を求めたコラリーであったことは見ていてとても辛かった。
親に売られ、金持ちのパトロンを捨てた彼女には主人公以外何もない。それでも、お金は働いた対価であるとしルイーズのお金を受け取らず、稽古に励んでいた。
一方、主人公は目先の金の為にルイーズと寝る。コラリーの舞台の成功の為ではあるのだが…。まだ芸術家としてパトロンと関係を持ち続けるために寝ていたほうがスッキリする。
コラリーを破滅させた新聞社は、その後貴族たちによって摘発される。そして微笑む貴族。しかし、内容からして7月革命の前夜なのだから、貴族たちも間もなく幻滅の渦に飲み込まれたのだろう。
結局、挫折し故郷に帰った主人公だけが生き残ったようで、当初の予想を見事に裏切られた。そして、そんな彼を苛立ちながらも憎めないのは、自分を重ねてしまうからだろうか。果たして彼の人生の第二幕は如何に。
どの役者も素晴らしく、観終わった後にじわじわくる。思わずフランス史を見直したり、バルザックを調べたりしながら反芻してしまった。
Illusions perdues
普通は自分に対して「幻滅する」とは言わない 他人に対して、又は他人の評価として使用される言葉だ
でも、ラストの湖に裸で半身浴で佇む、目の下の黒アイシャドウは正に、自分に対しての"幻滅"以外に表現出来ない それは全て、早熟すぎた自分のかりそめの頭脳だったか、それともそれさえも揶揄われた壮大な『どっきりカメラ』なのか、フランスならではのド緊いアイロニーに飛んだ作品である 映画上の演出だからと思うが、あのワチャワチャ感は、以前観賞した『パフューム』に近い世界観と酷似した世界観である その中でお互いを共食いしながら、しかし強かにしなやかに立ち回る登場人物達の一種の力強さをまざまざとスクリーンに描く演出である
まさにこのレビューサイトに通底する物語でもあり、とことん興味深さは尽きない
観賞していて、この登場人物達の何十分の一でも要素が有れば、自分はもっと強かに生きていけたのではないかと、そもそも死にたくないから生きているとすれば、セーヌ川の底に沈む沢山の死体側の人間である自分は、唯々羨望の眼差しで作品を鑑賞した
人間はここまで力強く生きることが出来る・・・ 自分には不可能だ・・・(泣
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