あのことのレビュー・感想・評価
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救いがない
中絶が法律で禁止されていた頃のフランス1960年代の、妊娠してしまった女子大生の話。
全く産む気のない主人公がなんとか中絶しようと必死になる話。なんの罪の意識もない主人公に、相手の男性も真剣に考えていない様子。友達にも関わらないほうがいいと突き放される。誰にも共感できないし、同情もできない。救いがない映画。
ガムちょうだい。もうないと言って、自分のかんでるガムをあげる。それをもらう主人公。ヒエ〜
仲のいい友だちだって、かんでたガムはもらえないよー。
中絶してトイレで産み落とした時、友達にハサミを持ってきてもらい、自分できれないから切って、と頼む主人公。友だち可哀想。いやよねえ。私なら頼まれても切れないかも。
あまり観ていて気持ちのいい映画ではない。
大切な命の母なるべき人生か⁉️
1960年代のフランスだと堕胎は法律違反。
施術した医師と受けた本人の女性が刑務所行き、となったらしい。男性が対象とならない、というおかしな法律。
賢い前途有望な女子大生が、妊娠してしまい、苦悩していく様子を映し出していく。
本当に女の性をちゃんと見極めるべきであると思った。堕胎を罰する法律を制定したのは男たちじゃないかと。女の意見を聞かずして。
堕胎は子供を殺すことになるから、むやみに堕胎してはいけないという意味合いはわかる。
しかし、妊娠に繋がる性行為は男女二人でするのだから、
責任は半々であるべきであるのにもかかわらず、ほぼ女性に肉体的にも、社会的にも負担になり、自身の将来を考える主人公などにとっては、苦悩することになる。
男性は気楽だ。言うこと聞かないなら会わないと逃げ出すこともできる。
妊娠出産が、
全てにおいて男女にきっちりと公平なら、
罰する事も受け入れられよう、もちろん男女平等に。
だが、現実的には違う。
ならば、当時の法律は間違っていると言えよう。
主人公本人が、どうにか自分で堕胎しようと試みるシーン、観てられなかった。
結局失敗する。
親に打ち明けられず、本やアクセサリーなど自分の持ち物を売って費用を工面し、
ヤミのところでの施術も大丈夫かと思うような場面だった。
失敗し、二度目命の危機に。
決して軽はずみに堕胎するのでは無いなら、法律を変えるべきだと思った。
しかし、主人公が避妊せずに性行為をするのも、向こう見ずで運を天に任せているような会話など、性の乱れは戒められる必要があると感じた。。主人公本人が命の大切さをどう考えているのかも描いて欲しかった。
ホラー風味で撮られた新味。
葛藤を一人称視点で浴びる
2022年劇場鑑賞96本目 優秀作 73点
結論、観る人が等身大で衝撃的な体験をできる怪作
60年前のフランスでの物語で、主人公は当時大学生で教員を目指している優秀な生徒だったが、ひょんなことで妊娠してしまう。当時のフランスは法律により中絶が禁止されていて、まだ勉学に励みたいので出産し育児する気も無ければ、中絶し捕まる気もさらさらない。そんな中で葛藤する彼女の決断までの数ヶ月を凄まじい臨場感で体験させられる作品
部屋で自分でどうにかしたり、医者に最初は頼ったり、手に負えなくなって闇医者に頼ったり、みてるこっちまで痛すぎるよ
最後のトイレでのシーンはもう悶絶した
当方ちゃんと映画を劇場鑑賞し初めて22年で5年目くらいのまだまだ歴は短いものですが、数年前から作品を判断する上で欠かせないポイントが衝撃的であるで、これは内容でも演出でも演技でも音楽でもなんでもいいのですが、作品それぞれの色やベクトルで個人的にひっかったポイントが残り続けるものは自ずと評価が高く、今作はそういった意味で例に漏れずまさしく衝撃的な内容に演出に演技で、残り続ける作品に間違いなくなります
是非
鼻につく
やはり私はヨーロッパの映画祭との相性が良くないことを再確認。
この映画の良さがよく理解できない。
まず鼻につくのがヒロインの被害者面。
悲劇のヒロインにでもなったつもりだろうか。
こと妊娠に関しては確かに女性に大きな負担を強いる不公平さはある。
だが、それを差し引いても自らの身から出たさびには違いなく、
一方的に中絶できない制度を嘆き反発するのには反感を禁じ得ない。
第二に自らの子に対する愛情の片鱗や性への尊厳がないことに唾棄する。
フェミニスト活動家にありがちな天上天下唯我独尊、
自らの思想にかなわないものはすべて悪という思想と同じ匂いを感じる。
昭和のドラマのように必要性の薄いシャワーシーンや赤裸々な表現の乱発も
表現の自由とやらでゲージツなのかな。
孤独な戦い
1950年代のフランス。
妊娠した女学生が堕胎のために奔走する様子がたんたんと描かれる。
当時中絶が重罪だったことで医者から見放され、アンヌ(Anamaria Vartolomei)は誰にも打ち明けず、ひとりで向き合って苦しみぬく。
その意味で、17歳の瞳に映る世界(2020)やムンジウの4ヶ月、3週と2日(2007)よりも見ていてつらかった。
ほとんど恐怖映画。
2022年にノーベル文学賞を受賞した仏作家アニーエルノーの自伝小説L'Événementの映画化──とのこと。ウィキによればアニーエルノーは著作のほとんどが自伝だそうだ。
妊娠を誰にも言わないところに特有の気質を感じた。
個人差もあるだろうが、依頼心がなく、すべて自分の問題として解決しようとするところにフランスの冷徹な個人主義を感じた。
エルノーの親はカフェ兼食料品店を営む労働階級だったそうだ。迷惑をかけまいとする頑なな自立心が、フランス人らしくもあり作家らしくもあった。
ウィキ情報だが、ダルデンヌ兄弟のロゼッタ(1999)を引き合いにしている批評家がいて、はげしい共感をおぼえた。
近接カメラのリアリティ表現も、ひどい条件下で不屈の人物像もたしかにロゼッタだった。
この映画は2021年のヴェネツィアで金獅子賞、併せてAnamaria Vartolomeiの演技も賞賛された。監督はAudrey Diwan。もとは脚本家であり、長編の監督は2本目だそうだ。
個人的に創作物に子宮感覚なんてないと思っているが、この映画は女性が監督していることがよくわかる映画だった。
17歳の瞳に映る世界(Never Rarely Sometimes Always)を見たときもそれを思ったが、妊娠の話だけに、どうしようもなく顕われてくる生理的情緒があった。
どこが──という指摘はできないが、たしかに女性が描いている(監督している)ことが解った。
ただ、それはAudrey Diwanが有能だからであって“女性だから”ではない。
すなわち、この映画は女性が監督をしていることが解るけれど、それは女性だから女性感覚や痛みを体現できた──のではなくAudrey Diwanの脚本家のキャリアと演出家としての力量によってそれが体現できたのだった。
(いい映画があり、監督が女性で、堕胎を描いている──となるとフェミ界隈が寄ってきて女性感覚や女性権利を標榜してしまうが、女性であることの前段に映画技術がある──ということを言いたかった。)
中絶ができる限界期をあらわすように週毎にテロップが入る。
編み棒で掻きだすも失敗し、お金をつくって闇稼業の堕胎婦のところへ。
全体を通じて彼女は泣き言を言わず誰のせいにもせず愁嘆場もなかった。
その強さを支えたのは向学心だったにちがいない。
見た後で原作がアニーエルノーという作家で2022年にノーベル文学賞をとったというのを知って腑に落ちるものがあった。
一種の“ファイター”を描いていると思う。彼女の体験は“戦った”としか言いようのないものだった。
女性にも男にも痛々しく突き付ける“事件(あのこと)”
新たな生命の誕生。それはこの上なく幸せな事。
…と思っているのは、愚かな男の妄想に過ぎないのかもしれない。
そもそも男が出産する訳ではない。身体の異変、妊娠や出産への不安。ましてや想像を絶するという産みの苦しみ。
男なんて種を植え付けるだけの傍観者に過ぎない。
勿論、子供を欲し、愛し合う夫婦だったら何の弊害もない。
が、それがもし、未婚で、望まぬ妊娠だったら…?
中絶が法律で禁止されていたら…?
今も法律で中絶が禁止されている国は多い。
1960年代のフランスもそう。
大学生のアンヌ。ある日突然、自分が妊娠している事を知る。
診察した医師には恋人も性行為もないと言ったが…、心当たりあり。
非常に困った。と言うのも、アンヌは成績が優秀で、進学を目指している。
いずれは愛する人と出会い、その間に子供を望む時が来るかもしれないが、それは今じゃない。進学という道を行きたいのだ。
まさかの望まぬ妊娠。
手段は一つしかない。が、法律で禁止されている…。
作者の実体験を基にした小説の映画化で、タイトルは“事件”。確かに本人にしてみれば、“事件”だ。
邦題は“あのこと”。誰にも知られてはいけないという意味合いだろうが、この邦題センスも悪くない。(インディーズ作品では優れた邦題が多い。それが何故メジャー作品になると時折首を傾げたくなる邦題が多いのか…?)
そんなアンヌの12週間に及ぶ“事件”級の“あのこと”…。
印象的なのは、カメラがアンヌに密着型。さながらリアル・ドキュメンタリーを見ているかのような臨場感。
その手法は、アンヌの一つ一つの感情をも掬う。
呆然、戸惑い、不安、焦り、もどかしさ、苦悩…。
それらがアンヌの息づかい、汗、体臭まで漂ってきそうなほど、ビシビシと伝わって来る。
尺は100分ほどだが、見てるこちらもアンヌと一緒になって苦闘の12週間を体感。
痛々しいシーンや目を背けたくなるシーンもある。
もし“やったら”逮捕されてしまう。よって、医師は何処も誰しも拒む。
アンヌは自分で中絶を。熱した鉄串で…。((( ;゚Д゚))) 胎児は元より母体の方が心配。
失敗。仕方なく限られた友人知人に事情を打ち明ける。ほとんどが助けを拒むが、ようやく遂に、“してくれる”人を紹介して貰う。
大切なネックレスや本を売って資金を集め、指定された場所と日時へ。
言うまでもなく、違法。周囲に聞こえないよう、どんなに苦痛でも声を上げない事。万一の事があっても自己責任。
耐えに耐え、処置は終わった…筈だった。不十分だった。
何だか、何としてでも堕ろしたい母体と何としてでも産まれたい胎児の鬩ぎ合いのように感じた。
アンヌの身体に異変。突然、流産。一瞬だが“それ”も見せ、衝撃…。
体調が悪化。意識が朦朧としていく…。
同じく中絶を扱った『ヴェラ・ドレイク』『4ヶ月、3週と2日』。凄まじい出産シーンの『私というパズル』…。
これらの作品のリアルさ、生々しさ、衝撃は尋常じゃない。並みのホラーなど比じゃない。
如何に作り物のホラーが安っぽいか。実話でないものもあるが、迫真で恐ろしさに押し潰されそう。
もし私が女性だったら、本作を見たら、妊娠する事が恐ろしく感じてしまうだろう。絶対、中絶なんてしたくない、と。
それをひしひしと感じさせたオドレイ・デュワンの演出。
全編出ずっぱり。アナマリア・バルトロイの熱演。
二人の女性の才能が源となり、本作を確かなものにしている。
妊娠全てがそんな恐ろしい事ではない。初めに挙げたが、本来は喜ばしい事だ。
賛否分かれる中絶問題。産まれてきた生命を“殺す”なんて…。だけれども、どうしてもどうしてもそうしなくてはならない状況の人たちも居るのも事実。
本作はその是非を問う作品ではない。本作が訴えるもの…
結局全てを負うのは、女性だ。苦悩や実際の痛み…全てを負う。現に本作で、相手の男は何をした? 男どもよ、知らぬフリをするな。知れ。
その時だけの快楽や勢い。無理矢理強制されたのなら話は別だが、受け入れた側も“想定”して何の防止もしなかったのか…?
アンヌも妊娠してる身ながら男と行為に及ぶ。人の三大欲求だから抑え切れないのは仕方ないとしても、現状が現状だけに…。
どっちがどっちと否を明確にしておらず、見る側に委ねる。
いつ突然、我が身やあなたの身に起きるかもしれない“あのこと”。
“それ”がどういう事なのか。
男はともかく、女性にも痛々しく突き付ける。
たった一人で戦う12週間。
望まぬ妊娠をした大学生のアンヌ。
1960年初めのフランスの大学生(生まれたのは1940年)
当時フランスでは人口中絶は違法だった。
フランスでは痛ましい事件の後、
1975年に中絶が合法化したそうです。
その映画は望まぬ妊娠をして、産まない決意をしているアンヌ。
妊娠を知る3週目から、「あのこと」の起る12週目までを、
徹底してアンヌの視点で描いている。
原作は2022年のノーベル賞文学賞を受賞した
アニー・エルノーの私小説「事件」。
古今東西、女を悩ます珍しくはないが、生死に関わる重大事。
望まぬ妊娠。
そして中絶。
今も古くて新しいテーマだ。
昨年にはアメリカの連邦最高裁は中絶の権利を禁止した判決を下した。
また逆戻りだ。
だからこの映画はタイムリーで、是非考えてほしい。
「女性だけが、苦しむ固有の問題だろうか?」
受信したアンヌが医師に相談すると、
「中絶手術を行えば、自分も法律で罰される」
「運命を受け入れなさい」と、諭される。
映画は赤裸々に女性の肉体をレンズに晒す。
アンヌは自らの手で、長い金属の棒を突き刺し、出血するが
それでも胎児は流れない。
違法な闇中絶の女に300フランも払って痛い思いをして、
「明日、流れる」と言われたのに、またしても胎児は流れない。
もう自分でなんとかするしかない・・・
遂にトイレで流れるものの大出血・・・救急車で運ばれる。
女だけがこんな苦しい思いをしてる不安にさらされ、
身体を傷つけて心を痛めて・・・と不公平だと思ってしまう。
「どこまで女の権利を無視したら気が済むのか?」
映像(カメラ)があまりにも衝撃的で息が詰まる。
女優にここまで演じさせても良いのか?
疑問にも思う。
たしかに臨場感迫る映像。
実際の中絶手術では、覆われている部分まで写している。
演じる女優もたまったものではない。
ここまで肌(器官?)を露出する事で、伝わる部分はあるけれど・・。
あまりにもセンセーショナル映像だ。
(ここまで表現しなければ、伝わらないのか!!)
その結果のいくつかの賞賛が与えられた。
ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞。
主演のアナマリア・ヴァルトロメイも、
セザール賞最優秀新人女優賞受賞。
アナマリアはきっと今後もこの映画をステップに、
良い役に恵まれて大女優へと成長するだろう。
(去年たしか、アフターピルが日本でも認可された記事を読んだ)
今調べたら、来院不要のオンライン診療で24時間対応。
最短当日郵送。クレジット決済。
セックス後72時間以内で一錠服用=10,780円よりとある。
(お金とネットが使えれば、可能だが身体に危険はないのかな?)
それでも日本ではトイレで産み落として殺してしまう事件が
絶えない。
本人が無知なのか、行政が頼りないのか、親に相談出来ないのか、
貧しいのか!!
きっと複数の要因があるのだろう。
「17歳の瞳に映る世界」2020年(アメリカ)
アメリカは州によって法律が違う。
人工中絶が合法のニューヨークまで中絶に向かう17歳の少女と従姉妹。
2人の友情と決意が胸に迫った。
この映画、とても良かった。
「主婦マリーがしたこと」1988年(フランス)
視点は違うが堕胎を生活のために行った主婦マリーは
夫に密告されてギロチンにかけられる。
「4ヶ月、3週と2日」2007年(ルーマニア)
この作品も友達とたった2人で中絶に挑むドキュメンタリーのような映画。
カンヌ国際映画祭、パルムドール受賞した。
「あのこと」の監督オドレイ・ディワンの談話として、
「ヨーロッパのいくつかの国で、この映画を見て気を失った男性がいた」
と、話している。
「妊娠中絶がこういうことなのだと、全く理解していなかった」
と言ったそうである。
女性は妊娠・出産に命懸けのリスクを抱えている。
そして女性が今産まないで、仕事(キャリア)や勉強を優先したい。
その事を社会が男性が自分のこととして考えて、
社会全体が女性の身体を守る。
そういう意識改革が出来たら、一番意義のあることである。
母も子も幸せになれる社会よ来てくれ
主人公は1940年生まれだ。
昔が舞台とはいえ、人生と引き換えに出産したくない、という主人公の言葉が
昨今、とりだたされている少子化や、女性の権利、自立、
もしかすると結婚という制度の問題点に対して、
答えをだしてしまっているのではないか、と感じつつ観た。
それも自業自得だとして、男性との間にあるリスクの差は、
生物的にではなく社会的に、
ずるい、や無責任、を越えてもはや雲泥がホラーの域。
戦慄するほど、納得できず、社会制度でのフォローを!
と言わずにおれなかった。
また、産めば人生が終わる、はすなわち、
産むのは「いつか」の「いつか」が、
「最後に仕方なく」という意味にもとれ、
子供目線で考えた時、複雑な思いにもかられる。
母と子の権利は同時に守られないのか。
やはり社会制度でのフォローを! である。
「プロミシングヤング・ウーマン」とテーマは同じであると感じるが、
「プロミシング」で男性はかなり下劣に描かれている一方、
こちらでは抑えられたごく普通の人物像として表現されている。
ゆえに女性がヒステリックと浮き上がり、
追い詰められた感のすさまじさがリアルでなおホラーであった。
長らく色々映画を見てきたが、初めて途中、直視できなかった場面もある一方、
主人公と同年代の男女、昨今の問題うんぬん論じる人が見たならば、
一体どういった感想を持つのかも興味が尽きない。
青少年向け性教育映画
本作も評価が高かったので興味が湧き観に行ったのですが、かなりエグい作品ではありました。恐らく独り身の初老の男が観るべき作品では無かったのかも知れません。
というか、もっと若い世代の人達に観て欲しい作品だと思いました。
本作は1960年代の話で、私からするとついこの前の物語であり、それでこういう法律が成立している先進国の国にあったという事実があり、社会は不公平で理不尽であり、悪法も法なりという事実は子供(十代)知っておくべきだという切実なメッセージを含んだ作品だったと思います。しかし、恐らく世間の思惑は逆行していて、むしろ大人達は子供には見せたがらない作品の様にも感じられます。
全然比較にはならない例えかも知れませんが、バカで幼稚な悪戯の動画をSNSに投稿したニュースなどが氾濫していますが、何が良い悪いの話ではなく、若気の至りというか、ちょっとしたお遊びやミス程度のことでも、思っている以上の大事となり相当の痛い目にあったり、それにより人生にとって大きな痛手となり得るってことを、若者は知っておくべきだと思うので、こういうキッツイ作品こそ十代の青少年達に見せておくべき作品のような気がしましたね。それにより“責任”の意味を少しは学べるかもと期待します。
でも本来学ぶべきバカでクズで幼稚な人間が観てどういう影響を受けるのかは分かりませんが、ショック療法として少しは暴走のブレーキになるかも知れませんしね。
優先すべきことを見失わず行動した大学生の記録
私が当然の権利だと信じて止まず、そうではない世界があること自体信じられないと思っても、世の中はそうでもないことがいくらでもある。でもこの映画はそういったことの是非を考えることからは切り離して、ただ一人の大学生が自分の優先すべきことを見失わず、自分の頭で考え、不安に押しつぶされそうになりながらも行動した記録として鑑賞したい、そう思った。まだ若い大学生であり、行動は手探りで危うい。できることは今よりずっと限られている。観ていてやきもきする。でも彼女の鋭い目にエールを送りたい。
「あのこと」とは、口に出しにくい過去の出来事をほのめかす時に使うものだ。時間的、空間的、心理的に一定の距離をおくことに成功したからこそ、「この」でも「その」でもなく「あの」と言えるようになる。邦題がそれとなく示すものはとても深いと思う。
テーマと手法が完全一致のクレバー作
痛みと出血
女性として生きるということ
痛かった
心も身体も痛かった
若者が傷つき孤独に隠れながら、
自らの人生を達成する方法を模索していた
実際、この時代の恐ろしい価値観が平気で
放り込まれてくるし、彼女を取り巻く環境はひたすらに残酷だ
それを助けていたのも女性だったことが興味深い
また、彼女が手術に行く前、
抱擁した母親の表情が忘れられない
中絶を禁止するという事はこういう事なのだ
女性に選択肢を与えないということは、こういう痛みなのだ
現代だって普通に、ゴムなしでいい?とか平気で聞いてくる男いますからね、そりゃお前の身体はいいだろうよ
ここ何年かで最も痛みを感じる映画だった
鑑賞中、力が入ってしまった
痛みを共有して、わたしたちは学ぶ
この痛みが、力に姿を変えますように
どうか女性たちが安全に適切な環境で中絶できますように
どうか性行為に対する認識が変わりますように
人生を諦めることが無くなりますように
気軽に見てはいけない作品
(原題) L'événement
時代は違えど
無邪気に見える仲良し3人組からのスタート。
一緒にパーティーに行き、飲み物はボトルに入ったコカ・コーラ?噛んだガムを分かち合うほどの仲の良さ。
フランスの光と緑溢れる一見、多幸感を感じられる大学生活。
でも… アンヌは妊娠していて、そこからは観ている私たちもアンヌの視点で一緒に妊娠擬似体験として引き込まれて行く。
現代の日本に生きる我々ならば、中絶という選択肢があるかもしれません。それが正しいのかは別ですが。
しかし、途中で気づきました。1940年生まれの彼女が生きていた時代は1960年代。
カトリックが多数を占めるフランスでは中絶をする人も幇助する人も重罪のようです。
そこからは本当にアンヌと同化。育っていく胎児と大きくなっていく不安。不安とは狭められる自分の未来。
今でこそ、家族があっても子供がいても社会が認めてくれるかもしれないが、当時は子供が出来たら主婦となるしか,道は無いのでしょう。それが主婦になる病。
妊娠が分かるとあれだけ仲が良かった友達も皆んなが去っていく孤独。アンヌの心の痛みと身体的な痛みの擬似体験、本当に痛いです。そしてその痛みは女性だけの痛み。アンヌの目力が段々心細くなり弱々しくなっていく様、そして最後の再度の輝き。
女性にだけこんな厳しい状況を作っていたのは男性社会ゆえか。
深々受け止めました。
目的を果たす為に新しい生命と引き換えに勝ち得た称号の価値の重さに同じ物差しでは測れない。
階級制度のあるフランスでのし上がる為に選択を余儀なくされた彼女の決断は考えさせられるものがあった。
時代が時代だけにその事実を踏まえ、後世に伝えて置く事も大切だと思いました。
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