「女性にも男にも痛々しく突き付ける“事件(あのこと)”」あのこと 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
女性にも男にも痛々しく突き付ける“事件(あのこと)”
新たな生命の誕生。それはこの上なく幸せな事。
…と思っているのは、愚かな男の妄想に過ぎないのかもしれない。
そもそも男が出産する訳ではない。身体の異変、妊娠や出産への不安。ましてや想像を絶するという産みの苦しみ。
男なんて種を植え付けるだけの傍観者に過ぎない。
勿論、子供を欲し、愛し合う夫婦だったら何の弊害もない。
が、それがもし、未婚で、望まぬ妊娠だったら…?
中絶が法律で禁止されていたら…?
今も法律で中絶が禁止されている国は多い。
1960年代のフランスもそう。
大学生のアンヌ。ある日突然、自分が妊娠している事を知る。
診察した医師には恋人も性行為もないと言ったが…、心当たりあり。
非常に困った。と言うのも、アンヌは成績が優秀で、進学を目指している。
いずれは愛する人と出会い、その間に子供を望む時が来るかもしれないが、それは今じゃない。進学という道を行きたいのだ。
まさかの望まぬ妊娠。
手段は一つしかない。が、法律で禁止されている…。
作者の実体験を基にした小説の映画化で、タイトルは“事件”。確かに本人にしてみれば、“事件”だ。
邦題は“あのこと”。誰にも知られてはいけないという意味合いだろうが、この邦題センスも悪くない。(インディーズ作品では優れた邦題が多い。それが何故メジャー作品になると時折首を傾げたくなる邦題が多いのか…?)
そんなアンヌの12週間に及ぶ“事件”級の“あのこと”…。
印象的なのは、カメラがアンヌに密着型。さながらリアル・ドキュメンタリーを見ているかのような臨場感。
その手法は、アンヌの一つ一つの感情をも掬う。
呆然、戸惑い、不安、焦り、もどかしさ、苦悩…。
それらがアンヌの息づかい、汗、体臭まで漂ってきそうなほど、ビシビシと伝わって来る。
尺は100分ほどだが、見てるこちらもアンヌと一緒になって苦闘の12週間を体感。
痛々しいシーンや目を背けたくなるシーンもある。
もし“やったら”逮捕されてしまう。よって、医師は何処も誰しも拒む。
アンヌは自分で中絶を。熱した鉄串で…。((( ;゚Д゚))) 胎児は元より母体の方が心配。
失敗。仕方なく限られた友人知人に事情を打ち明ける。ほとんどが助けを拒むが、ようやく遂に、“してくれる”人を紹介して貰う。
大切なネックレスや本を売って資金を集め、指定された場所と日時へ。
言うまでもなく、違法。周囲に聞こえないよう、どんなに苦痛でも声を上げない事。万一の事があっても自己責任。
耐えに耐え、処置は終わった…筈だった。不十分だった。
何だか、何としてでも堕ろしたい母体と何としてでも産まれたい胎児の鬩ぎ合いのように感じた。
アンヌの身体に異変。突然、流産。一瞬だが“それ”も見せ、衝撃…。
体調が悪化。意識が朦朧としていく…。
同じく中絶を扱った『ヴェラ・ドレイク』『4ヶ月、3週と2日』。凄まじい出産シーンの『私というパズル』…。
これらの作品のリアルさ、生々しさ、衝撃は尋常じゃない。並みのホラーなど比じゃない。
如何に作り物のホラーが安っぽいか。実話でないものもあるが、迫真で恐ろしさに押し潰されそう。
もし私が女性だったら、本作を見たら、妊娠する事が恐ろしく感じてしまうだろう。絶対、中絶なんてしたくない、と。
それをひしひしと感じさせたオドレイ・デュワンの演出。
全編出ずっぱり。アナマリア・バルトロイの熱演。
二人の女性の才能が源となり、本作を確かなものにしている。
妊娠全てがそんな恐ろしい事ではない。初めに挙げたが、本来は喜ばしい事だ。
賛否分かれる中絶問題。産まれてきた生命を“殺す”なんて…。だけれども、どうしてもどうしてもそうしなくてはならない状況の人たちも居るのも事実。
本作はその是非を問う作品ではない。本作が訴えるもの…
結局全てを負うのは、女性だ。苦悩や実際の痛み…全てを負う。現に本作で、相手の男は何をした? 男どもよ、知らぬフリをするな。知れ。
その時だけの快楽や勢い。無理矢理強制されたのなら話は別だが、受け入れた側も“想定”して何の防止もしなかったのか…?
アンヌも妊娠してる身ながら男と行為に及ぶ。人の三大欲求だから抑え切れないのは仕方ないとしても、現状が現状だけに…。
どっちがどっちと否を明確にしておらず、見る側に委ねる。
いつ突然、我が身やあなたの身に起きるかもしれない“あのこと”。
“それ”がどういう事なのか。
男はともかく、女性にも痛々しく突き付ける。