「冒頭のピートの独白⇒ウサギの解剖⇒三島由紀夫の『午後の曳航』、の連想でやはり予想通りの結末でしたね(さすがに解剖はしなかったけど)。」パワー・オブ・ザ・ドッグ もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
冒頭のピートの独白⇒ウサギの解剖⇒三島由紀夫の『午後の曳航』、の連想でやはり予想通りの結末でしたね(さすがに解剖はしなかったけど)。
①アカデミー賞作品賞を取ったら劇場公開されるだろうから劇場で観ようと思っていたけれど、取れなかったので急遽NETFLIXの配信で観た次第。②何を勘違いしたのか、カンバーバッチが『There will be the blood』でダニエル・デュ・リュイスが演じたような役をやる映画と思い込んでいたので初めの頃はあれっ?と思いながら観ていたが、ローズがやっていた食堂でフィルがピートの給士ぶりを冷やかしピートが作った造花を燃やし、ローズが花瓶を回収した後に泣き出した辺りからどうも違う方向性を持った映画だなと気付いた次第。③フィルも複雑でかなり屈折した性格だが、ピートも隠された狂気が漂っていて(紙をハサミで細かく切って花弁を作るシーンから何やら変わった男の子という印象)ウサギの解剖シーンで「ああ、これで決まりだね」と思いました。櫛の歯を鳴らす癖といい、ローズは何処かで息子の異常性に気付いていたのかも知れない。だから、フィルとピートとが一緒に過ごす時間が増えることにあんなに怯えていたのだろう。酒浸りになるのも分かろうというもの(フィルに冷たく扱われているだけで浴びるほど酒を呑むようになるか?と思っていたので)。くどいが、食堂で侮辱された恨み→母親を守るという強迫観念→ウサギの解剖→『午後の曳航』→死んだ牛を解剖と来て、途中から“いつどうやってフィルを解剖するんだろう”とそればっかり気になってしまった。④一方、フィルの方も弟がローズと付き合うのを反対したり(“金目当てに決まっている”)、同居するようになったローズを面と向かって侮辱し(“cheap schemer“字幕では「女狐め」)とことん冷たく接して嫌がらせをするのはミステリー?と思っていたら(もしかしらフィルとローズは何かしら関係があったのかしら、と一瞬思ったが)、途中からカウボーイたちの上半身裸のシーンが多くなり鯔のつまり彼らが全裸で川で遊ぶ姿を遠くから眺めているフィルの視線、そのあと自分の股間に当てていた布を嗅いだり?顔に当てたりしたシーンで、「ああ、ゲイでこういうフェチシズムのある人だったんだ」と腑に落ちた次第。女嫌いだったんだ。いつも臭い格好をして社交を嫌い、両親に疎遠で、両親もフィルにはなんとなくぎこちなく接していたのもそういうことだったから。ピートが秘密の隠れ家にあった男性の裸体写真集(ブロンコ・何とかの名前入り)を見つけたが、ブロンコもゲイでフィルとも関係があったのでしょうね。フィルもピートとそんな関係になりたかったのかも知れない。それを知ってか知らずか(知ってたんでしょうね)タバコをフィルと代わる代わる吸うシーンがあるが、直接的な性描写に厳しかった昔のハリウッド映画では男と女が代わり番子にタバコを吸い会うのはキスの暗喩だったことを考え会わせると、意味は明瞭。自分もマチズモの支配する西部の男の中で自分の性嗜好を隠して余計に男らしく振る舞わねばならなかったフィルはピートにも西部の男らしさを教えようとする。⑤しかし、あにはからんやピートは全然違うことを考えていたわけで、死んだ牛の解剖は予行演習だとばかり思っていて(そう言えば、思い返すと皮を剥いでいたところしか映してませんでしたね)、あのトリックに使うためだったとは(アガサ・クリスティの『殺人は容易だ』の中の殺人の一つに同じトリックを使ったものあり)。あちこちに伏線はあったのに見抜けなかったわたしの不肖の致すところ。⑥弟のジョージのこういう不穏で緊迫した人間関係に全く気付かない凡人像が却って印象的。でも兄という人間が解らなくて孤独だったという心情的は結婚直後にローズに告白している。兄弟の父親が懐かしやキース・キャラダイン(♪I'm easy~♪)とは気づきませんでした。⑦会うべきではなかった二人が会ったことで起こってしまった悲劇ですね。“Power of the Dog”ってなんの事?と思っていたら最後に出てきましたね。聖書からの引用で「最愛のものを犬の力(悪)から救う」からとっていたのですね。ピートは正にその通りにして母親を救ったわけだ。⑧のどかで美しい西部の風景の中にこれだけ情報をばら蒔きながら(台詞と映像でと)、ラストに向けて映画を織り上げて行ったカンピオンの演出はやはり称賛されるべきであろう。