パラレル・マザーズのレビュー・感想・評価
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母と娘の血筋。民族の“血の記憶”。血を象徴する赤の強調が鮮烈
ともに意図しない妊娠だがシングルマザーとして出産することを決意した写真家のジャニス(ペネロペ・クルス)と17歳のアナ(ミレナ・スミット)。2人は産院で出会い、同じ日に女の子を出産する。
パラレル(スペイン語ではparalelas)は「並行の、同時進行の、相似の」といった意味。出産時のシーンでは、2人がそれぞれ分娩台で産科医らに囲まれ痛みに耐えながら無事に産んで赤子を抱くところまで、ショットが交互に切り替わりながら同時進行で提示される。同じ産院で同時刻に生まれた同性の赤ちゃん2人、という状況でたいていの観客が予想する展開が、まさにその後のストーリーの肝になる。とはいえ、脚本も兼ねた名匠ペドロ・アルモドバル監督は、サスペンスの味付けも添えつつ、母2人の葛藤、連帯、愛憎、喪失といった複雑な感情と関係性を魅力たっぷりに描いていく。
さらに、アルモドバル監督が長年温めてきたテーマだとする、1930年代後半のスペイン内戦時の“共同墓地”をめぐるサイドストーリーが絡んでいく。主義主張の違いだけで罪なき市民が大勢処刑され、まとめて埋められたが、近年その孫やひ孫が墓を開いて遺骨の身元調査などを行うよう働きかける運動を続けているという。こちらは市民同士が憎み合い血を流した痛ましい記憶であり、また血を受け継いだ子孫らが先祖に敬意を表する行いでもある。母と子をつなぐ血、かつて流された血が、衣装やインテリアなどで多用された鮮烈な赤によって強調されている。
この監督ならではの強靭な語り口を堪能した
非常に面白いものを観た。『オール・アバウト・マイ・マザー』から23年。我々はアルモドバルにしか描くことのできない愛の形をどれだけ目にしてきたことか。この映画に関して言えば、写真家と被写体が冒頭5分で内戦の記憶について話をし始め、かと思えば続く数分のうちにセックス、妊娠、出産と豪速球で進む。つまり10分で本作に必要な条件の全てを俎板の上に揃えてみせる。まさにアルモドバルならではの強靭な語り口だ。それらを彩るパステルカラーの壁紙、室内の草花、主人公が着こなす真っ赤な衣服。これらを観ているだけで視覚的な生命力がみなぎってくるかのよう。さらに展開部で明かされる子供の取り違いと、歳の離れた二人の”マザーズ”の間で育まれる絆は決してありきたりの方向には進まず、いつしか内戦の記憶というある種のDNAを絡め、回収するところこそ本作の真骨頂。過去が現在を照らし、現在もまた過去を照らし出す構造がそこにはある。
自分の国の歴史を知るべき
名前も刻まれない共同墓地。集団墓地は人々を〝存在しなかった〟ことにする。ジャニスは冒頭で祖先の写真を見ながら名前を読み上げる。親族に敬意を払い、彼らに名前を返還することで人間性やアイデンティティを取り戻すことを誓っているようだった。
迫害された人々に対して人権侵害の不当性を宣言したのが歴史記憶法であり、遺骨鑑定は名誉を回復する権利の承認。
一方、同じDNA鑑定でも親子鑑定は情愛を切り裂く残酷な承認。しかしジャニスは自分の在り方を妥協しなかった。
父親のわからないレイプ被害者のアナ、その不当性を無かったことにしたり、セシリアの本当の母親を〝存在しなかった〟ことにするわけにはいかない。
ジャニスは共和党の祖先をもち、アナの母親はファシズム勢力の祖先をもつことが示唆されている。二人が遺骨発掘に同席する姿に、監督の国民の和解の希望を見た。
アドモドバルの十八番「母なるもの」を通して伝わるメッセージ。声なき歴史などない!女は口を閉ざさない!
ペネロペクルスを楽しむための映画
DNA検査
シングルマザーになることを選んだジャニスとアナ。ジャニスの別れた彼から、どちらにも似ていないと言われてDNA検査をしたら親子ではなかった。同室で仲良くなったアナの子と取り違えがあったのでは?と疑うが、連絡を断つ。なぜここできちんと話し合わなかったのか!一年後に再開するとアナの娘は死んでいた。一緒に住むことになった2人は同性愛の関係に。このまま2人で住んで2人のママでいいんじゃない?なんて観ていると、アナは内緒にしていたことに腹をたてて出て行ってしまう。
ジャニスは家族の遺骨の問題も抱えていて、先祖の遺骨の発掘をするために親族にDNA検査をしていた。
同じDNA検査を違う角度でみせていくところが面白い。
月日が過ぎて、アナとも仲直りして家族ぐるみのお付き合いをしているらしく、元彼とも復縁して2人目を妊娠したジャニス。円満で何よりだが、映画のラストは戦争時に虐殺された親族の多くの遺骨のアップで終わる。重いテーマもある、なかなか複雑な映画。
さすらいの太陽
日本の隠れた名作アニメ「さすらいの太陽」(1971)。新生児を取り違えられ、一方は裕福な家庭に育ち、他方では貧しいながらもギターと歌で明るく育つというストーリーでしたが、このアルモドバル作品ではそれをプロットに生かしているだけで、重要なテーマであるスペイン内戦による被害者を発掘し遺族とともに改めて埋葬するというもの。さらに、母、祖母、曾祖母と血の繋がりの人類学をベースにした壮大な物語さえも感じ取れるのだ。
DNAによる親子関係の調査という現代科学の精度にも注目したいし、生みの親・育ての親といった普遍的親子関係にアルモドバル特有の同性愛も取り入れ、レイプ被害の問題をもさらりと匂わせる。なんと贅沢な内容。
「歴史記憶法」「時間の感覚が無くなる」というアルトゥロの言葉にハッとさせられたのですが、祖先・家族の歴史というものには時間などない。そしてスペイン内戦のように、同族で殺し合うことの無慈悲さによって反戦メッセージも訴えてくる。
分断という言葉も流行した日本ですが、同時代の主義主張や世相とともに歴史も学ばないととんでもないことになりそうな予感。ともかく基本は母と子の愛!すべて繋がっていることを教えてくれた。
音楽も素晴らしかった。27歳の若さで亡くなったジャニス・ジョプリンの「Summertime」も聴けるのですが、なぜか「マザー」と歌ってたような気がした・・・
アドモドバルらしい愛の世界
苦悩とか葛藤とかは個人的な体験だ、と誰しも決めつけている。
だが、アルモドバルにかかるとそうじゃない。いつのまにか民族や国家にまで発展していく。
愛一つとってもそう。彼にかかると男女とか超えて、全人類的な愛へと発展していく。
そこが逆に理解しにくいところなのだが、観終わるとその裾野の広さにぐっとくる。
乳児の取り違えと言えば、普通はその取り違えたという事実に重きが置かれる。取り違えられた同士の葛藤が半端じゃないからだ。
だが、本作は取り違えた後の母親同士の不思議な交流が続く。
アドモドバル風に、葛藤が全人類的な愛に昇華していく。
アドモドバル作品に数多く出演している、ペネロペ・クルスが、その独特な愛の世界を熱く演じている。
ある意味、「トーク・トゥー・ハー」にも通じる、危険で、一見常識外れと言われがちな愛の世界を。
夫は、妻子があるにもかかわらず、ペネロペ演じる女性に子供を産ませ、クズと言われてもしょうがない。が、私生活ではクズな彼が、スペイン内戦で無念にも亡くなった人たちを新たに弔うナイスガイの一面を見せるのだ。
何がクズで何がクズじゃないのか。それは実は答えがなかったりする。
アドモドバルの愛の世界はやはり裾野が広い。
2つのテーマはぼやけてしまった
赤ん坊の取り違えと、先祖の遺骨の発掘という2つのテーマがあるが、遺...
この監督にしては
すべてが中途半端。でもグッとくるのは何故?
ペネクル出てるんで出来はどうでもいいんですが
オトコもオカンも病院も彼女もナジャみたいな奴も
どいつもこいつも地に足がついていないというか、
赤ん坊の死因まで軽い。
最後の戦争跡もカラミが薄い。
だけど作りが重苦しさから解放されているので
観やすかったのかなあ。
60点
1
アップリンク京都 20221110
幾何学的人間ドラマ
たまたま同じ日に出産を迎えた2人のシングルマザー、ジャニス(ペネロペ・クルス)とアナ(ミレナ・スミット)。けっして交わるはずのなかった2本の平行線が、2人の赤ちゃんにおきたある悲劇によってクロスする時、スペイン内戦の犠牲となった先祖たちの霊が成仏する、といった幾何学的人間ドラマである。
「ジャニスは、劇中の大部分において2つの大きな意図を持って行動している。内なる葛藤と恐怖を胸に秘めているのさ。アナが彼女の新しい役割として適応する反面、罪悪感を増幅する存在にもなる」監督アルモドバルが語っているジャニスの恐怖と罪悪感については、映画を見れば自然と観客に伝わってくる単純明快なストーリー。が、アルモドバルが映画の最後にさらっと忍ばせた、スペイン内戦の悲劇とジャニスの葛藤とが心理的には直接結びつかないのである。
自らゲイであることをカミングアウトしているのにも関わらず、女性を讃歌する作品が非常に多いアルモドバル。部屋のインテリアや衣装、そして登場するガジェットの色使いも相も変わらずビビットであり、70歳を過ぎても依然創造力は衰えていないようだ。タイトルが示唆している平行線とクロス(十字架)の意味に気づけないと映画の真意にたどり着けないという意味では、人間の内面よりもむしろ外面=行動に重きをおいた作品といえるのかもしれない。
シングルマザーであるジャニスとアナの実父も、2人が小さい頃にすでに生き別れており、女手一つで育てられたという共通点を持っている。薬中の母ちゃんが20代で死んだジャニスと、女優業の妨げになるため実母に放置されて育ったアナ。通常ならば自分の母親と同等に赤ちゃんを扱ってしまうところだが、ジャニスとアナは(映画を見ておわかりのとおり)娘たちに無償の愛を注ぎ続けるのである。思っているだけではなくちゃんと“行動”にうって出たのだ。
もしも2人が、妊娠後途中で中絶したり、仕事優先で育児放棄したり、はたまた怠け者のベビーシッターに赤ちゃんをまかせっきりにしたりすれば、ジャニスとアナの人生は平行線のままでけっして交わることはなかっただろうし、先祖の遺骨も共同墓地に埋められたまま、永久に無縁仏となったことだろう。女の出産育児に対する執念とも言うべき強い思いをちゃんと行動で示したからこそ、2人の運命が引き寄せられようにクロスした。そうだそうにちがいない。
私たちにとっての「パラレル」とはなんだろう
赤い色に染まって
赤い色で命に連帯する。
・
アルモドバルには やられました。
映画館の入り口で、「こりゃあまた、ずいぶんと赤いポスターだなぁ」とは思っていたのですが、
赤いスマホ、
赤いメガネ、
赤いリップグロス に、
赤い抱っこ紐。
ジャニスも、アナのお母さんも赤を着る。
宅内のインテリアのここかしこにもビビッドな赤が散りばめられています。
それらの赤い色が、デジタル撮影された本編に実に鮮やかに(!)繰り返し繰り返し映し出されていて、この映画のテーマカラーが「深紅」であることは冒頭から一目瞭然です。
フォトグラファーペネロペ・クルスの仕事仲間のエレナ。⇒まるでピカソの絵が動き出したような大柄な彼女でしたよね!彼女の装いも例外ではありません。黒のスーツに真っ赤な口紅がとても印象的でしたよ。
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Madres paralelas
この映画の原題について ―
【何がパラレルなのか その1 】
・キャリアウーマンのジャニスの妊娠出産と、
vs 思慮の足りなかった17才のアナの妊娠と出産。
・同時並行で出産したふたり。
・生まれた娘と、片や死んだ娘。
・都会で活躍の気鋭のフォトグラファージャニスと田舎に暮らすその母たち。
・生き残った女たちと内戦で死んだ夫、息子、父たち、肉親たち。
こうしていくつもの《パラレル》の並行線と並行同時進行が、作品のほとんどの時間を費やして、繰り返し繰り返し、幾層にも語られて提示されたあとの
最後に
ついに埋葬地に向かう女衆(おんなしゅう)たちの《合流》と行進は圧巻でした。
《パラレル》が、《交差》するのです。
草原の行進。涙が止まらなかったです。
アルモドバルの色彩美学には終始釘付けになった僕です。
画面の色合いからもストーリーの進捗が表現されていて、色がキーとなります。色味が鑑賞者のハートを捕まえてゆきます。
ジャニスがアナやボーイフレンドから身を隠す時の、赤いスマホをくすんだピンクに機種変するくだり。
赤い画面が一転し、アッシュの銀髪で緑を着るアナの登場。
鮮烈な屋外撮影での 緑の草原への場面転換・・
そして土色のラストと黒いバックに白抜き文字で「歴史の記憶法」が。
エンドロールには再び赤色の登場です。赤いペンの筆致がフイルムに踊っていて、出演者たち、スタッフたちを赤い糸で繫いで結びます。
バラバラのパラレルだった出演者たちが、画面の色彩の変化で一点に集中していく様子が、強烈に印象付けられる手法です。
緑と銀のアナが赤い抱っこ紐を手に取った予想外の行動は、その先に起こる出来事を予告していたのです。
【何がパラレルなのか Ⅱ 】
①父祖の最期の地を探し当て、遺骨を取り戻すというという《宿願》をいつかは果たすという「人生最大の課題」を持ちつつ
②日々それぞれの生活は、女たちは普段通りに送ります。それは生き甲斐にして、ルーティン。そして日常の楽しみ。
仕事、恋、出産、友だち、家事、親戚との付き合い
この《宿願》と《日常》の《並行進行》=パラレルが、ああ、成る程と思えて面白い。
つまり
死ぬまでに成すべきことと
日々の よしなしごと(雑事)の《パラレル》です。
両方が なくてはならない人生のパーツ。
【何がパラレルなのか Ⅲ 】
大事な親友となったジャニスの抱える人生の課題は、17歳のアナにとってもかけがえのない自分の問題になっていく。
すれ違いの Parallel distance の距離を取っていたアナが、ジャニスの田舎へ行きました。
ジャニスが使っていた赤い抱っこ紐をアナは使っている。
そしてジャニスに寄り添って土葬を覗くシーンに、僕は強烈に胸を打たれましたね。アナは遺族ではないのに、ジャニスの父祖の墓へ同行する。
《平行線のパラレル》がその先で重なることの事件です。
アルモドバルの女たちは、こうしてその血と魂で繋がっていきます。
エンドロールの「フイルム編集チェック」に踊らせた赤ペンの妙技。
まったくあれは、赤の他人であった出演者とスタッフを交差させ、結び合わせる赤い糸のようでした。
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終演後、
高鳴る胸を抑えながら客席からロビーに出ると、二階の映写室から「タタタタタッ」と駆け下りてきてくれる音がして、飛び出してきてくれた長身の合木こずえさんと僕は目を合わせます。今夜の映写係は支配人の合木さんが掛け持ちだったのです。
ほらね、やっぱし合木さんも、ロビーのお母さんも(手編みかな?)真っ赤なカーディガンではないですか!
僕は慌てて身繕いを探しまわり、自分のネックウォーマーを差し出して、声も上ずりながら「僕も連帯の赤色ですから!」とお伝えしました。
ここ塩尻市の東座は、女の映画館です。
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それにしても
「WE SHOULD ALL BE FEMINIST」
というTシャツをペネロペ・クルスに着せるアルモドバル。
男子でありながら、じっくりと素敵な女の姿を撮れる あのセンスはどこから来たのだろうか。
きっとお母さんや 姉貴たち、そしておばちゃんたちと、魅力的な女たちに囲まれて 触れ合って、彼は育ってきたに違いない。
前作「オール・アバウト・マイ・マザー」で、劇中、母親についての小説を残すためにメモを取っていたエステバン。
まさしくあの息子エステバンは、アルモドバル本人だったのだろうね・・
(で、もう一言だけ)
僕の母は、辺野古の海岸で6年間座り込みをしていた人なのだが、彼女が海ばたで楽しそうに編み物をしている様子がインタビューされて
「どうしてあなたはここで編み物を?」
それに答えて
「私の日常は誰にも邪魔されたくないの」と母。
たとえ私たちが大きな相手=歴史とか権力とかと戦わなくてはならない時にも、私たちは日毎の自分の生活を見失わないように、お上に私たちの日常を奪い取られてしまわないように《パラレル》も死守して保っていかなければならないのだと、この映画は告げているようにも思ったのです。
熱い映画でした。大好きです。
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追記
映画を観てから2ヶ月。
レビューがまとまらず半分諦めていた頃、ラジオからパブロ・カザルスの「鳥の歌」が流れました。
フランコ政権に抗議して国連総会の議場で演奏されたあのチェロ曲です。
背中をあと押しされた気がして、やっとレビューを仕上げてみました。
当地長野県には「松代大本営跡」があります。
地下の要塞です。どうぞお越しください。
記憶が埋められたまま、隠されたままの土地が日本各地にも、世界中にもあります。
僕も我が身の生活を携えつつ、それらの土地を訪ねてみたいと思っています。
淡々としている。
運命に翻弄される女性たちの悲しみ
赤ん坊を取り違えた二人のシングルマザーの数奇な運命をスペイン内乱の歴史を交えて描いた作品。
監督、脚本はペドロ・アルモドヴァル。かつてのキッチュな露悪趣味を封印し、今や完全にベテランの貫禄で堅牢な手腕を発揮している作家だけに今回も安定した力量を見せている。
まず何と言っても、服飾や小物、内装を含め、スタイリッシュにコントロールされた色彩感性は相変わらず素晴らしい。
また、部屋のドアを介した時制の切り替えにも唸らされた。こうした意表を突いたテクニカルな演出は氏の作品では珍しいのではないだろうか。新鮮に思えた。
一方、物語も二人のシングルマザー、ジャニスとアナの関係を軸にスリリングに展開されており、最後まで面白く観ることが出来た。すでに予告編でネタバレされているが、赤ん坊の取り違えを物語のフックにしながら、ジャニスとアナの運命がドラマチックに筆致されている。
ちなみに、赤ん坊の取り違えと言えば、是枝裕和監督の「そして父になる」や、イスラエルを舞台にした「もうひとりの息子」といった作品が思い出される。現実的にはありえなさそうな話であるが、映画としてみれば非常に面白い”仕掛け”のように思う。この手の問題は夫々の家族がどのように解決していくか…という所が見所なわけだが、今回も正にそこがクライマックスとなっている。
ただ、本作は終盤にかけて物語が若干予想外の方向へと進んでいき、これには正直少し戸惑いを覚えた。
運命に翻弄された女性の悲劇を、過去の<死>と現在の<生>を対比させることによって表現したかったのかもしれない。その作劇的な狙いは理解できるのだが、そうであればこの結末に持って行くための”お膳立て”は周到に積み上げるべきだったのではないだろうか。やや取って付けたように思えてならない。
尚、今回のドラマはスペイン内戦の歴史を知らないとピンと来ない人も多いかもしれない。できれば、そのあたりの歴史的背景を頭に入れてから観た方が理解しやすいだろう。
キャストでは、ジャニスを演じたペネロペ・クルスの好演が素晴らしかった。特に、終盤の憔悴の表情に見応えを感じた。
また、アナ役の女優も独特の中性的なルックスが上手くハマっていたように思う。
血に纏わる映画
スペイン内戦で殺された祖父の遺骨の発掘に80年という歳月をも超えて拘るジェーン(ベネロペ・クルス)は娘を取り違えられたシングルマザーでもある。どちらも血に纏わる問題である。
赤ちゃんの取り違えでは、取り違えられた相方の若い母親アナとの関わり、やりとりがいろいろなことを考えさせられる。アナの行動は若さゆえか、国民性の違いか分からないけど、ジェーンに対する気遣いがなく、直接的に怒りを表現していたのには驚かされた。しかし、すぐに和解し、よい人間関係を回復できたのは見習うべきなんだろうなと感じた。日本人だったらあのように振る舞えるか、あるいはわだかまりなく関係を修復できるだろうかと考えながら観てました。遺骨の回収、ジェーンとアナ、ジェーンとアルトゥロとの関係を含め、題材は重いものの、ハッピーエンドの楽しい映画でした。
アルモドバル監督の撮る映像は、どれも vivid な Color が美しい。この映画も例外ではなく、とりわけ血を意識してか、赤の美しさが印象的でした。
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