「私は何者?」ある男 悶さんの映画レビュー(感想・評価)
私は何者?
【鑑賞のきっかけ】
原作は未読でしたが、既にご覧になられた方の評価も高く、ミステリ的な物語展開に興味を惹かれて、鑑賞してきました。
【率直な感想】
<アイデンティティーを巡る物語>
本作品の物語の出だしは、離婚歴があり、息子と暮らす里枝(安藤サクラ)が、谷口大祐と名乗る男性(窪田正孝)と知り合って再婚。
その後、女の子が生まれ、仲睦まじく暮らしていたところ、夫・大祐は不慮の事故で亡くなってしまう。
弔問に訪れた親族は、仏壇の写真を見て、「大祐ではない」と断言。
果たして、夫は何者であったのか?
里枝から依頼を受けた弁護士(妻夫木聡)は調査を開始するが…。
ということで、ミステリの手法を用いた物語展開はとても興味深く鑑賞することができました。
鑑賞しながら思ったことは、本作品のテーマは、「アイデンティティー(自己同一性)」ではないか、ということでした。
つまり、自らの人生をひとつの連続体として支えているもの、本当の自分とは何者であるのか、という問いかけです。
谷口大祐と思われていた「ある男」は、自らの戸籍(本名)を捨て、谷口大祐の戸籍を手に入れて里枝と結婚生活に入っていたのですが、自分の名前を捨てるというのは、よほどの理由がないと出来ることではないように思います。
私は、ネット空間では、このサイトだけではなく、読書感想のレビューを載せる別サイトでも同じハンドルネームです。
ハンドルネームは、いわば単なる符合でしかありませんが、恐らく、映画鑑賞や読書の結果として、レビューを執筆し、掲載するというネット空間での人生で、アイデンティティーを保つための手段として、同じハンドルネームを使っているのでしょう。
現実世界の私は、もちろん他人の戸籍を手にして、名前を変えるなどということは考えたことはないけれど、やはり、生まれてからずっと名前が同じということで、自分のアイデンティティーを保っているのかな、と考えています。
<アイデンティティーと対峙する登場人物たち>
名前というアイデンティティーについて、真剣に対峙してきた登場人物が、谷口大祐を名乗っていた「ある男」なのですが、本作品には、この他にも、アイデンティティーに対峙する人物が複数登場します。
一人目は、里枝。彼女は、離婚をして、旧姓に復していましたが、再婚して、「谷口」里枝として、三年を過ごしてきました。
ところが、夫が本当は谷口大祐ではなかったことで、「谷口」里枝という三年間の人生が無くなってしまった。
そこで、自分のアイデンティティーを取り戻すために、夫が本当は何者であったのか探ろうとしていると捉えることができます。
二人目は、「ある男」の正体を探る弁護士。彼もまた、私生活では、自らの生い立ちから、アイディティーに疑問を感じ、どう向き合うべきか、悩んでいるという存在です。
三人目は、柄本明演ずる、ある罪を犯して、刑務所で服役中の男。何がきっかけかは分からないけれど、アイデンティティーについて、彼なりに対峙し続け、結果として、犯罪という道を選んでしまった人物です。
四人目は、里枝の息子。少年なので、複雑な心情ではないかもしれませんが、里枝が離婚し、再婚するたびに、苗字が変わって戸惑っていた。そこへ、母が再婚した父・谷口が本名でなかったことで、母・里枝は再び旧姓に戻ると聞かされる。素朴なアイデンティティーへの不安です。僕の本当の苗字は一体何なんだ?
本作品が、娯楽性の強いミステリと大きく違うのは、上記のように、「あの男は何者?」というミステリとしての謎の周辺に、「私は何者?」という疑問を抱く複数の人物設定を施し、深い人間描写を表現する作品となっているところだと思います。
【全体評価】
娯楽性の強いミステリ作品も好きですが、本作品のように深い人間描写を感じさせるミステリも良いものです。
本当の自分というものは、いくら追い求めても見つからないもので、多くの人は、「ある男・ある女」で一生を過ごしていくのかもしれません。