死刑にいたる病のレビュー・感想・評価
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不気味で気持ちの悪い終わり方
阿部サダヲさん、ハマり役です!
ストーリーも二転、三転、そう来たかぁ~!と、ニヤニヤさせられました。
ラストの落ちまで完璧💯💮
偽りの「天才」と、その感染者たち
私は白石監督の作品は『孤狼』シリーズしか拝見しておらず、このレビューはいわゆるミーハーのそれになってしまうだろうが、ご容赦いただきたい。
まず白石監督の画について。
土砂降りのなか、雨に濡れる混凝土が美しく黒々と艶めき、作中で重要な意味をもつ「暴力」が、劇的にふるわれる……
『孤狼』にも見られたこのモチーフは本作でも健在であり、他のシーンとは一線を画すかたちで照り映えていた。それは主人公がサラリーマンに逆上するも絞殺未遂に終わり、己の「平凡さ」に気づく重要なシーンである。それに続く性愛成就のシーンも雨があり、自動車という無機物が欲情した主人公の獣性を受け止める台となっていた。
このモチーフを見るたびに私はフランシス・ベーコンという画家の作品を思い出さずにはいられない。彼の有名な『叫び』の諸作は横溢する痛みの、受け手の感性にじかに作用する表現であり、四方を無機物に囲繞された現代人へのメタ認知にほかならない。
白石監督の作品にも「痛み」はつきものであり、そこが非常にベーコンの諸作と私の中で照応するのである。
さて、本作の主題は「痛み」であり、またその共感および自閉であることは明らかである。
榛村は人を痛めつけ、惨殺する。
同時に彼は素晴らしく社交的で、善人にみえ、人心の掌握に長けている。
この矛盾するかのような要素を人格に併存させた、いわゆるサイコパスである榛村はある種のカリスマを備え、あたかも教祖のように人を自分に「感染」させてしまう。その感染力は強烈で、主人公を含めて多数の被害者たちが文字通り「感電」したかのように、彼に魅了されてしまう。
しかしながら、彼のその恐るべき独創性は、策謀と虚偽と破壊しかもたらさない。なるほど、彼は人の心を読み、それを思うまま操ることに長けていることは間違いない。だがそれは、彼の知性におそらくは殆ど先天的に、偶然備わっていた技術にすぎない。彼は人心に関わる高度な知見と勘を有する「技術者」、熟練工だったのである。
彼があれほど犠牲者を痛めつけるのは、彼に痛みが、つまり他人の痛みを自分のものであるかのように感じとる力が皆無であるという証拠である。彼の「共感」はどこまでも自閉的である。彼はカリスマではあっても教祖ではない。彼には導者として、共同体を構築し、それを運営してゆく能力がないからである。
自分が「非凡」なものでありたいという願望は誰しもが抱くものである。最近はサイコパスがそのわかりやすい人格としてしばしば挙げられがちで「サイコパス診断」なるものすら存在する。
しかしながら、「非凡」さの理想としてサイコパスを見ることは大きな過ちであることを、本作は嫌というほど明瞭に諭してくれている。
その独創性は創造的でない。
その独創性は自己完結し、破壊しか生まない。
サイコパスは世の言う「天才」ではない。天才の業績は功罪はあれど、必ず共同体や人類種へと還元される。サイコパスの所業には還元されるものがない。自己満足な殺人と操縦のあとには、ただ喪失と、痛みと、虚しさが残るだけなのだ。
阿部サダヲ演じる榛村が、終盤自分の戦利品を燃やし、あるいは流してゆくシーンを思い出してほしい。あそこに存在していたのは、虚しさだけである。何もないのである。彼がどんな思いでカフカを読み、『アンの結婚』を観たのか。私には解らない。そして解りたくもないし、解る必要もないのだ。
「悪のカリスマ」は確固とした共同体を創り得ない。共同体は創始者の因子を育み、そこからやがて新たな天才が生まれて多くの実りをもたらす。因子とは個人を元にして、けれども個人を離れることで生じる遺産のことである。
しかし「悪のカリスマ」はどこまでも自我に固執し、因子を残すことはない。そこから生まれるのはその意のままになる愚劣なエピゴーネンか、ナイーブな模倣者のみである。
一番最後のシーン、宮崎優演じる主人公の彼女は、独創的な殺人者、ある種の天才と化していたのであろうか。
私は否、と言いたい。彼女は榛村に操縦された感染者であったに相違ない。誰かを「好き」になることなど、精神病質者にはありえないのだから。
白石和彌監督の今後を憂う
(白石和彌監督愛が強いためやや辛口となります。)
何故こうなってしまったのか。主人公がFラン大学に入学して本人も家族もそう思っただろう。そして映画を観終えた私も思ったのだ。どうしてこうなってしまったのか。
映像はよい。アクリル板に写るシリアルキラー榛村と大学生・雅也の距離感が美しい。花弁のように散る事後の爪が美しい。阿部サダヲ感が鳴りを潜めた狂気の演技も良い。それなのに、何故こんなに私は落ち込んでいるのだろう。
比較的予定調和に進むストーリーも、別にそこまで悪いわけじゃない。むしろ最後のシーンはなかなかに鳥肌がたつ。宮﨑優という役者を知らなかったが、間違いなく光っていた。血を舐めるシーンは全く理解に値しないが、それは彼女のせいではない。
実はもう分かっている。このストレスの原因は金山なんだ。冒頭から「この人、重要人物です!覚えておいてね!!」と、地上波初登場の映画のように下世話な説明テロップを従えて(のように見える)堂々と登場。この見るからに意味ありげな男が恐らくストーリーに絡みつつ、そして恐らくは犯人でないという所まで容易に想像できてしまう。だから殺人現場で女性が泣いて拝んでいたと聞いても「あー…」。(CGで若返ったTikTokのようなチープな映像内に)長髪の子どもが出てきても「あー…」。いかにもなエンジニアだし、車に乗ってるロン毛も悪目立ちして仕方がない。雅也に告白する大切な演技も相変わらず不完全燃焼。いやはや、こんなサスペンス楽しくないよ。
「監督うっ!うちの岩田のシーンを増やしてくださいよぉ」
なんて妄想が止まらない。そうでも思わないと、あの違和感が収まらない。大丈夫?日本のエンターテイメントは大丈夫なの??
孤狼の血LEVEL2あたりから、大人の事情を消化しきれずにいる白石監督の姿にヤキモキする。彼の作品にEXILEや乃木坂は必要なのか?新作が発表される度に映画館に向かっているのだけれど、そろそろサブスクでの公開を待つ方向の切り替えてもイイのかしれないな…。悲しい。
心がざわざわする映画
親子でとか好きな人とはあまり見たくない映画ですね。
死刑囚である榛村みたいな人がホンマにいたらイヤやなあと心から思えました。彼の誘いかけ・お願いに乗る雅也もどうかしていると思いますよ。心の隙間にうまいこと入り込まれてしまうのでしょうね。村のおっさんの「俺あ、あいつのこと嫌いじゃないんだよな」という榛村に対する感想。これが榛村に対する一般的な普通の人の感想なんでしょう。とても恐ろしいです。人間不信に陥るような感覚、心の中の弱い部分をいじられるような感じ、そして最後まで榛村の手の中にあるというラスト。とても心がざわつく映画でした。
答えは原作の中に、、、
阿部サダヲさんが主演ということで、絶対アタリだろうなと思い、観に行きました。
結論から言うと、アタリはアタリでした。
俳優のみなさんの演技力はさることながら、こちらにもジッとり、イヤ〜な空気をずっと漂わせる演出、脳裏に焼き付く辛辣な描写。
どれをとっても素晴らしい映画だったと思います。
ただ、鑑賞後、何かが足りない、欠落している、という印象を持ちました。
榛村大和がそこまで魅力的か?(阿部さんごめんなさい)
だとしても、それはどこでどう身につけたのか?
虐待を受けていたとはいえ、なぜそれほどの人数を手に掛けたのか。
なぜ被害者の爪を収集していたのか?(←これについては劇中で、被害者の指や爪が榛村の母のそれに似ていたという描写がありますが、だからと言ってそこまでするかな?という疑問が残りました)
あとは、被害者の遺体(骨)を庭木の下に埋めていたことです。
殺人犯の気持ちは分かりませんが、都合の悪いものはどこかに埋めて終わりなのでは?と思いました。
なぜわざわざその上に庭木を植え替えたのだろう、、、
と、様々な疑問がありましたが、原作を読んで全ての謎が解けました。
映画を観た後は「こんな残忍な人、滅多にいないよね」という印象でしたが、
原作を読んだ後は「家庭環境やその生い立ちで、人はどんな酷いこともできてしまう」という印象を持ちました。
原作のほうが榛村の生い立ちについて、より詳細に書かれています。
わざと映画の方はそういったところを省き、あくまでフィクションというスタンスを保ってくれたのかなと思います。
なんじゃこれ
わたしにはこの映画は、親から虐待を受けて育った人を単にネタとして消費した、娯楽にもホラーにもサスペンスにも、もちろん社会派にもあるいは心理ドラマにもなっていない、最悪にタチの悪い映画としか思えませんでした。
阿部サダヲさんの演技に注目が集まっていますが、演じている人は楽しいかもしれませんが、こっちには何の説得力もありません。「愛想の良い/魅力的/優しい/人が、実は悪人/殺人鬼/シリアルキラー」って設定、いつの時代感ですか?
子どもに声をかけただけで警察に通報される時代なのに、いくら高校生相手とはいえ、あそこまで親切にしてたらその時点で相当怪しいですよ。
「愛想の良い/魅力的/優しい/人が、実は悪人/殺人鬼/シリアルキラー」という設定がかつて生きていたのは、人への素朴な信頼があったからであり、コミュニティが機能していたからこそ、なんであり、それへの束縛感や弊害を強く感じる心理が人々にあったからこそ、なんで。
いっそ、パンにマインドコントロール用の薬物でも入れてくれてたなら、話しはまだ分かります。
ただ、これではパン屋さん(榛山=はいやま)の流儀に合わない、ということになるでしょう。
榛山は、時間をかけて信頼を得て親しくなった相手をいたぶり殺す、というやり方で連続殺人を行っているのです。
その割には、昔はえげつないやり方で小学生に暴力三昧ふるっているので、「秩序型殺人犯」の割に一貫性のないヤツですが。
時代感については、そればかりではありません。
榛山がシリアルキラーということで、『羊たちの沈黙』のレクターなどと並んで語られていますが、
『羊たちの沈黙』は1991年の映画。
1991年時点では、まだ家庭内の虐待は大きく表立っていませんでした。
あるいは#MeToo運動もなかったので、強い立場を利用し性的搾取を行う人間が存在することは、一般には知られていませんでした。
多くの勇気ある人たちが、自分のような被害者をこれ以上出したくないという思いもあって告発することで、表面化/社会問題化したのです。
人間の深層、社会の深層、家庭の深層の闇を、語ることもできない時代だったからこそ、シリアルキラーものにはインパクトがあり、そのインパクトが深層の闇をじょじょに解放する契機になった、といってもさほど見当違いではないはずです。
今は、「その後」です。言ってみれば続編、もしくは続々編。『スターウォーズ』の『エピソード8/最後のジェダイ』くらいの感じ。今描くなら、今にふさわしいシリアルキラーものでなくてどうする?!
制作スタッフもその時代感は感じているのでしょう。榛山は最初から獄中にいますから。シリアルキラーはすでに「拘束」されて自由はないのです。できることと言えば獄中からあちこちに手紙を書いて、相手の行動をコントロールしようとするくらい。
ですが、いったい、何がしたくて、そんなことをしているのか不明瞭すぎて退屈です。
榛山が〝操作中〟の青年=筧井雅也が、榛山の影響なのか、通りすがりのサラリーマンをボコボコにするシーンがあります。その時「殺すことはできなかった」のを理由に、「僕はあなたの子ではないと分かった」と榛山に告げる雅也。
つまり、殺人は「遺伝」要素で行うかのように描いている。
てことは、榛山の父とか祖父も殺人鬼なんですか?
「遺伝」を殺人理由にするなら、榛山があんだけ殺人してたのも、理由は遺伝ってことですか?
だったら虐待なんか関係なく、もっと恵まれた人間をシリアルキラーにしてもおかしくない。
たとえば、文化庁に勤めるようなエリート人間を。
雅也にしても、榛山みたいな怪物相手にコナンばりの推理を展開できるくらい頭がいいのに、なんでFラン大学なんですか? (「どうしてそんな事わかったの?」ってびっくりする名推理。まさか、岡田なる新人役者にかっこいい役を与えるための脚本ではないですよね)
あんだけ頭いいなら、祖母が校長で父親も高収入?なら、金かけて教育させれば一流大学に入れるでしょう。
(現代の格差社会では一流大学に入るには金は一番必要です。地方出身というハンデもあるので)
そこを父親に虐待されて「自己評価が低いから」という理由?で希望大学に入れなかったというのは安易すぎるし、そもそも、父親が虐待する理由が分からない。なんでもかんでも虐待の大安売りはやめてほしい。
で、結局、父にビール注いだりして(まあ、これが本編中、一番怖いシーンとなったわけですが)、「実の家族ってイイネ」的な場面を作ちゃうあたりに文化庁の香りがすると思うのは気のせいなんでしょうか。
映画の公式の宣伝文句にこうあります。
「誰もが翻弄される、戦慄のサイコ・サスペンス」
「映画史に残る驚愕のラストに トリハダ」
この宣伝文句、まるで榛山が猫なで声で言っているみたいです。
「この映画はね、映画史に、残るよ。
ラストシーン、驚愕だろ? これにトリハダ立たない人、いないよね。
観た人みんなが、翻弄される。
最高の、サイコ・サスペンス って、この映画のことだよ。
サイコ・サスペンス、知ってる?
狂った心理を描いたサスペンス、ってこと。
観たら、忘れない。一生、忘れない。
狂いぎみの僕が言うのも、可笑しいけどね。」
つくづく、褒めてりゃいいってもんじゃないです。
こういうのを信じてちゃ、ナマツメはがされて連続殺人されます。
シリアルキラーの生き方
シリアルキラーは人を巧みに騙し、好かれ、そして殺す。 フィクション要素が強かったのでそこまで見終わってから気持ちが落ち込むことはなかったです。
が、やはり最初の拷問シーンはリアルで痛かったですね。最近の特殊技術は凄いなぁと感心して見てください。 面会室で重なる榛村と雅也の描写、触れる事はありえないのにそこに存在してるであろう存在感や距離感、圧迫感。心を掴まれる誘導的な会話や仕草。
手の仕草を真似ているように見えたのですがそれも親近感を持たす為の癖の真似のようなものなのでしょうか。
ちょうど良い緊張感と色々な人の視点で進む話にひさびさに時計を気にせず飽きる事ないあっとゆうまの映画でした。 若い時の榛村がいつもの安倍サダヲさんで安心しました。加工アプリを使っているような肌質でしたね。笑 この緊張感と引き込まれる空気感は是非映画館で見て欲しいと思います。
最後の灯里の考察はいろんな人の意見を聞きたいですね。腕の血を舐めるのはやりすぎだよ…と思いました。
こえーよ。
冒頭の痛々しいシーン、「もうっ、こえーよ!」って感じ。
おしゃれなパン屋さんとか、今後疑ってしまう。
ポスターの阿部サダヲさんの目も怖い。よく見ると怖い。吸い込まれそう。
冒頭と兄弟カッター対決のシーンさえ乗り切れば、
痛々しい白石和彌色満載シーンはほぼない。
中山美穂さんみたいな性格の人いるよね、うんうん。
割と予想外の展開も多いので失速せずに映画を楽しめた。
ラストの同級生の女の子には驚愕!!!
相対的にこえーよ!
怖かった
怖かった本当に怖かった。そしてGシーン結構キツくて辛かった。でも面会シーンのガラスの影とか、役者さんの演技といい、メイクといい、演出素晴らしいです。
もっと法の穴とか警察の捜査を批判する感じかと思ってたけど、全然違ってひたすら阿部サダヲこわい。
雅也くんそっちいっちゃダメェーって感じでしかも終わってるのに終わってない。種は山ほど撒かれてる可能性があるとか本当に怖い。
二転三転、俳優にやられた!
シリアルキラーからの手紙で、閉塞した生活が動き出すコミュ障な主人公を岡田健史が好演。こんなにうまい人だったんだー!(感情のない目の阿部サダヲは言うまでもなく素晴らしい)
小さな所作や台詞で各キャラの正確や背景が明確になって、謎や人生がだんだん見えてくる細かい演出も緊張感もって最後までひっぱられる。
そして、最後のシークエンス。ノーマークでした。でも言われればそうです。やられたなあ。
精神洗脳系サイコパスキラー爆誕
白石和彌監督作品初の鑑賞作品「死刑にいたる病」
18歳未満の少女、少年を誘拐し24人の人間を殺し逮捕された はいむら 大和(阿部サダヲ)は、9件の立件され24件のそのうちの1件は「自分はやってないと」主張するが、誰もその言葉に耳を傾けるものいなかった。そしてはいむらは、かつて自分の経営していたパン屋に来ていた筧井雅也(岡田健史)に手紙を届けるそして雅也は、祖母が亡くなってしまい実家に久々に帰り葬儀に参加していた。一段落しリビングのテーブルに自分宛の手紙を見つける。中身を見ると綺麗にそして丁寧に書かれた手紙だったが、名前を見ると懐かしくそしておぞましい存在からの手紙だった。今さまに問題の男からだったのだ。雅也は、大和が監禁されている留置所に会いに行き「本当の犯人を見つけて欲しい」と頼まれる、「君は、あの時から特別な存在だった」と信頼され、だが「何故あの時自分は殺されなかったのか不思議でたまらなかった」と悩むがはいむらの依頼を受ける真実に近づくほどに分かるはいむらの恐ろしさとは……
という長々としたあらすじになってしまいましたが、感想です!!
まず、予告が公開された時からずっと気になっていて阿部サダヲさんの瞳の中に光のないおぞましい目を表現出来るのは、流石カメレオン俳優だなと思いました。あれがマルモのおきてのお父さんだよなって思うと怖いですよね笑そして、序盤から流れるはいむらという男の存在について雅也君が紐解いて行くが、一切殺人鬼の風貌を見せず、良い人を演じ続けてロシェルをよく営んでいたのは怖かったです。普段何気なく入ったパン屋が、実は次々に人を殺してるって考えたら凄く鳥肌立ちますよね笑そして中盤で雅也が家に帰った際に母親がダンボールの中身を片付けている際に見つけた写真からはいむらの「洗脳」が始まったなと感じました。はいむらは実は今の母親と妊娠しており雅也は、その子供かも知れないと知らされる。雅也は、現実を受けたくないが、いざ自分があいつの息子と言うならば、自分にもその素質(人を殺す才能)があるか確かめるため肩がぶつかったサラリーマンをネクタイで首を締めて殺そうとしたが、自分には、出来ないと気付き自分は、あいつの息子でないと確信した。人を殺せない自分に変な違和感を覚えるが、これがもう洗脳の一部何だろうなと感じましたね。
さぁこれだけ感想を描きましたが、自分が1番驚いた所は、はいむらが冒頭で川に何かを流すシーン
皆様も最初は、綺麗な桜の花びらを流してるのかなって思ったと思いますが、あれが実は、人の爪だったと知るとまじで体の神経ぞぞぞって感じですよね笑
久々のヒューマンホラー作品でした。今後の岡田健史の活躍を楽しみにしていきたいです。満足作品でした!グロは、まじ注意で鑑賞しましょうね笑手で隠すも、ありですよ!
爪フェチと傷フェチ
一番ショッキングだったシーンは根津かおる(佐藤玲)が泥まみれで手首等を切断されて抉られていたゴア描写でしたが、生理的にショッキングだったのは傷を舐めるシーンだったかな。それと、最初は桜の花びらだと思ってたものが生爪だったこと・・・
原作のネタバレサイトに飛んでみると、弁護士やラスト(というかどんでん返し)がかなり違うようだ。さすがに23件もの残虐な殺人を犯しているのに冤罪を証明してくれというのだから、どこかに整合性を求めてしまったのですが、榛村大和(阿部サダヲ)本人がミスリードさせる本能を持ち合わせているのだからまんまと騙されてしまった。
手懐けておいて痛みを与えるというシリアルキラー。アメとムチ政策のように為政者による懐柔策、そしてカルト教団のような性格のメタファーなのかもしれません。何しろ榛村は洗脳が得意なんだから。
そんな猟奇殺人鬼の怖さを感じるとともに、雅也(岡田健史)が自分の出生の秘密について疑念を持ち、自分が大和の息子なのではないかと思うようになってからが面白かった。しかも雅也のみならず、金山(岩田剛典)や加納灯里(宮崎優)にまで手紙を出していたなんて驚きでしかない。そこまで知能が高いサイコパスは見たことがないぞ(もちろん小説や映画で)。メフィラス星人のようにIQ10000くらいだと軽いもんだろうけど・・・
いまだに『ウォーキングデッド』の残虐描写の残像が脳にこびりついているため、拷問シーンは脳天を貫くような衝撃は味わえませんでしたが、根津かおるだけは別。これも記憶に残りそうだけど、原作改変のストーリーは今ひとつ。灯里への手紙の内容が気になりすぎ・・・
最後の終わり方にはモヤッと感...でもそれがいい?
阿部サダヲさんの演技が素晴らしすぎました。
サイコパスと一般人どちらも合わせ持った人物像。
いい意味で気持ちが悪いです。
そして岡田健史さんもとてもとても良かったです。
私のイメージなのですがキラキラしてて、イケメンな役!が
多い役者さんという感じだったのですが、
モサっと感とちょっと危うい感じがいい具合に出てました。
ストーリーもめちゃくちゃ引き込まれました。
途中のグロシーンはキツイ人は目をつぶっちゃうかも。
(私がそうです。)
最後の終わり方が見る人によって感じ方が違う?のかなと
思います。この事件はこの人が犯人です!と
きっぱりという感じではないので...。
ですがそれがまたいい意味で気持ち悪くて良かったです。
阿部サダヲさん演じる殺人鬼が、見ているうちに
「そんな悪い人じゃない???」と錯覚してしまうのが
見ていても面白く人間の心理の嫌な所だと思いました。
見る価値あり!です。
冒頭、韓国映画のようだ。連続殺人犯が、自分の犯行ではないと主張した...
冒頭、韓国映画のようだ。連続殺人犯が、自分の犯行ではないと主張した、潔癖症のOLの殺人について、何故いつものやり方ではなかったのかについての説明もなく、何故犯人のターゲットの年齢層ではないこの女性なのか、実行犯は結局誰だったのかの説明もなく終わった。
連続殺人犯が養子になる前の幼少期、どういう事があったのかのシーンがあればよかったと思う。原作を読んでいないので、わかりませんが。親に認められなかった子は自尊心が低いから誉めて気を引くみたいなセリフ、ゾッとした。
面白かったのですが、着地に問題があったのでは…
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後に読んで下さい)
もちろん何の落ち度もない人を殺害するなどあり得ないと当然私も考えている1人です。
しかし映画としては好みの部類に入る題材だったと思われます。
榛村大和(阿部サダヲさん)の殺害動機も、その秩序性も含めて、生い立ちから腹には落ち理解出来ました。
主人公の筧井雅也(岡田健史さん)の行動や心情も、父(鈴木卓爾さん)や母(中山美穂さん)との不穏な関係性から理解出来ました。
榛村大和に雅也が心情的に巻き込まれて行くのにも説得力があったと思われます。
しかし、最後の最後に加納灯里(宮﨑優さん)が雅也に近づいた動機に関しては私にはほとんど納得感がありませんでした。
加納灯里はどちらかというと榛村大和に殺害された被害者女性たちに立ち位置が近い印象を受けていました。
そんな加納灯里が果たして榛村大和に対して共感したりするのでしょうか?
加納灯里の内面はほとんど描かれていません。
だからこそラストでの驚きがあるだろうとの演出だった(あるいは原作通り?)かもですが、逆に加納灯里の行動に違和感しか残りませんでした。
これは物語を閉じる最後の場面としては致命的な欠点なのではないでしょうか。
私は、ラストを加納灯里との関係で終わらせるなら、加納灯里をもっとしっかり描くか雅也と共に榛村大和に関わらせる必要があったと思われました。
この加納灯里に関する違和感がなければ4.5点以上の傑作になったのではとは思われました。
阿部サダヲさんの名演を含めてそれぞれのキャストの皆さんの演技は素晴らしかったと思われます。映像表現も素晴らしかったと思います。
それだけにラストが個人的には悔やまれると思われました。
この加納灯里をほとんど描けてない問題は、榛村大和が若い女性に対してほとんどステレオタイプにしか理解出来ていない問題にも通じているのかもしれません。
この映画の長所と弱点がラストに計らずも現れてしまったとすれば、ラストもこの映画の語るべき重要な箇所なのかもしれないな、とは一方で思われてはいます。
引き込まれました。
目を覆いたくなるシーンがありました。
映画館の中のざわつきが静まり返るスタートでした。
阿部さんの素晴らしい演技と巧妙な撮影技術に感動しました。
岡田くんの演技もナチュラルで普通の男の子が
阿部さん演じる犯人に魅力を感じていく感も素晴らしかった。
又、他の共演者も馴染んでいて浮いている感がなく良かった。
本を読んでみたくなりました。
目は口ほどに物を言う
予告編の阿部サダヲの目に惹かれて鑑賞しました。
結論として、俳優陣はよかったのにストーリーと演出がちょっと自分は合わなかったなと。
W主演の岡田健史、阿部サダヲの目の演技力は素晴らしかったです。
阿部サダヲの恐ろしいほどの演技力と目力にゾワッと鳥肌が立ちました…。
明るい人柄を装ってても、まばたきの回数も少なかったり、目のハイライトが消えていたり。この些細なアンバランスがとても気味悪かったです。
岡田健史は最初は陰キャっぽくオドオドした目付き→自分が殺人鬼の息子かもしれないと思った時の興奮した目→全てを悟った目。結構起伏の激しい役だと思いましたが、それぞれ目で演じ分けられててすごいなぁと思いました。
ただストーリー展開が個人的にイマイチでした…拷問シーンはPG12でいいの?となるくらいグロ強め&被害者の叫びが本当に刺さる。グロ苦手な人や敏感な人は苦手かもしれないです。
また、阿部サダヲの背景があまり掘られていなかったので、彼を彼たらしめる所以というか、そういう部分に触れて欲しかったです。
『もし最強のサイコキラーがいたら!』というエンタメの1つだったらそこまで深堀しなくていいかもしれませんが雰囲気がリアル路線だったので肩透かし食らった気分でした。
中盤の唐突な濡れ場シーンに興醒めしてしまい、以降の展開も急に雑な感じがしてどんどん映画の世界観から離れてく自分が。
ハマりそうでハマらない絶妙なラインの作品でした。普通に面白かったです
なんか・・・
予告編をみてすごく見たくなり鑑賞しました、白石監督と言うこともあり
期待に胸を膨らませて鑑賞したのですが率直な感想は期待外れでした
雅也の行動も途中でマンネリ化して退屈だったし
父親が雅也の事を毛嫌いしてる理由もいまいち弱いし
暴行事件はそのままスルーだし
まじめで素直な高校生の男女を狙うのも説明がありましたが
いまいち腑に落ちないし、なぜ殺すのに拷問をするのかも意味不明だし
いつもの通り燻製小屋で遺体を焼いて骨を砕き細かくして
庭に埋めるという描写があるのに
庭の遺体には爪がないと報道されてました
そのまま埋めるなんで説明ないし、いつも通りだとそこは矛盾してるし
大和と母親の関係からの発展もいまいちだったし
もしかしたら雅也は大和の子供かもと思わせがありましたが
時系列的に普通に考えると妊娠した人と結婚するはずがないでしょうから
そこはすぐに打ち消されたし
まだ灯里の方が時系列的に雅也の先輩の設定で大和の子供だと
言う方が意外性があって雅也と異父姉弟だったのかとなる方がよかったのに
長髪の青年も始めの方で出てきましたがいかにも感があったり
その後の展開もい意外性もなくいまいちだったし
予告で驚愕のラストがとうたってましたが
どんな伏線の回収のラストが待ち受けてるのかと最後も期待しましたが
灯里のかばんの中から裁判資料と大和からの手紙がでてきて
この子も大和から手紙が来て雅也と同じことをさせられてたのかと言う終わり方で
えっそれだけと落胆してもしかしたらエンドロール後に何かあるのかとおもい
エンドロール最後まで見ました何も起こらず終了でした
役者さんの演技は良かったにに内容がいまいちだったので残念です
これならばケーブルで家で見てた方が良かったです。
『マーターズ』を鑑賞できたとしてもキツイ作品
私はグロ映画としてよく話題に挙げられている『マーターズ』(リメイク前)を観ることができた。
しかし本作品は、『マーターズ』以上にダメージが大きかったと考える。
この2作品の間の差は、「酷い殺し方をする殺人者が結局何をしたかったのかが明確だったか否か」だと考える。
今回の『死刑に至る病』の連続殺人犯の目的は、
①17歳•18歳の少年少女を性癖的に好んでいた。
②親から虐待を受けて育ってきた子どもたちを選択させることで、彼らの行いを認めてあげたかった。
の2つに分かれる…ように思えた。
しかし連続殺人犯は、自身が幼い頃に、偶然見つけた小学生の女の子を後遺症に至るまで痛めつける行為を行なっていた。
そのような彼のポリシーに関係のない行いをされると、視聴者の脳も混乱するし、最終的に何をしたいのか分からなくなった。
結局、スプラッター映画としてもSAWのような一種の滑稽な痛快さもなく中途半端。サスペンスとして見ても謎が回収されないまま。どの映画の種類としてカテゴライズされてもしっくり来ない、言わばカオスな映画と化していた。
このカオスな状態だと、「グロ」のシーンが特に視聴者の頭に残ってしまい、後味が特に悪い映画となってしまう。
比較している『マーターズ』の場合は、「共感はできないが、なるほど、ああいう考えをする奴もいるんだね〜」くらいには思えるので精神的ダメージは低くて済む。
また対象年齢12歳は少し低すぎではないだろうか。出演者のファンでノリで見てしまった中学生•高校生たちが流石に可哀想だ。
私は酷いシーンでもポップコーンを食べていられたが、R18にしても良いくらいのインパクトはあるように思う。
ちなみに他のレビュー者も述べているが、面会シーンでの心が触れ合うシーン、複数個の映像が流れているシーンなどは工夫が凝らされていて良かった。体に触れることはできないという面会の特性を活かしながら、心の動きを可視化できた点は良かったため★1.5に設定した。
感性の違いなのかな?
あまり恐いとは感じなかった。幼少期の体験があった方が、なぜこの性癖に至ったのかが納得できたと思う。楽しめたひともいると思うので、良し悪しは感性の違いの問題だと思うのですが、一点の矛盾が気になります。なぜ、最後彼女のバッグから真新しい被害者の資料がでてくるのだろうか?弁護士事務所からのコピーのはずなのに。
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