死刑にいたる病のレビュー・感想・評価
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やっぱり目を背けてしまった、、
気づいたらずっと、浅めの呼吸で観入ってた。
グロいことは、監督さんから覚悟はしていましたが。羊たちの沈黙を思い出してしまう程の金網越しの会話劇は、2人の表情とガラスに映る陰影だったり、看守の様子だったり全てが台本のト書になるべく役割を持っていた。阿部さんは言うまでもなくそのまんまで体現している主人公。予想を超えてきたのは岡田健史くんで表情と顔色や肌色や姿勢、目つきすべてでストーリーが進むごとに変化を見せてくる。彼はイケメンなのに、イケメン役をほとんど観たことないなぁ。最後はなるほど、そうきたか、、隙をつかれた気分でした。
はなびら?
原作がミステリー小説ということもあり、殺人の動機ややり口などの展開は面白く、あっという間の128分だった。
しかし、シリアルキラー(サイコパス)の2面性や異常性・殺人鬼としての葛藤とそれに取り込まれかける単なる大学生の対比構造に、そこまで惹かれるものはなかった印象。
殺人をせずには生きられないシリアルキラーの、内なる罪悪感(のようなもの)との葛藤は、演出や阿部サダヲさんの演技も通り一遍なもので、新しさが感じられなかった。目はすごかったです!
段々と追い込まれ、自身の中に入り込み鬱屈していく岡田健史さんの演技はとても良かったが、ラストシーンで涙する部分の流れに違和感があった。
また、亡くなった胎児を燃やすシーンだが、胎児を映す必要があったのか。なかなか受け入れることができなかった。
阿部サダヲだから
阿部サダヲだから、この主人公の設定にぴったり。
人当たりよく誰にでも好感を持たれる主人公。
悪事がバレてからも、かつての隣人は「助けを求められれば、かくまう」と言うほど、榛村は信頼されていた。
死刑因なのに、憎めない人って映画見てるこっちも思う。残虐なシーンを見てるのに。
榛村は拘置所の中から、言葉だけで何人の元獲物を操り続けているのだろう。
最後のシーンもゾッとする。
この娘もヘンな所あると思っていたよ・・・。
白石節はやや控えめだが、見応えのある作品だ。
個人評価:3.8
サスペンスのストーリーよりも、白石監督が作り出す、空気感や演出に感心。また阿部サダヲの演技には脱帽。新しい殺人鬼像も描けていると感じ、犯人と周囲との関係性の描写も良かった。
白石節はやや控えめだが、見応えのある作品だ。
キャスティングは重要
「刑事施設に収容されている被収容者との面会から事件を振り返る」
このシチュエーションは、映画やドラマで割と定番な設定です。
最近の作品だと例えば、是枝裕和監督の『三度目の殺人(17)』や、堤幸彦監督の『ファーストラヴ(21)』などが思い出されます。
なお、この2作品は「被収容者」は判決が確定していない、いわゆる「未決拘禁者」です。そして、面会者はそれぞれ公的な立場である弁護士、公認心理師であり、刑事裁判を控えて事件の真相を探る(見直す)「必要性」を考慮した面会です。
それに対し、今作は「受刑者(死刑確定者)」との面会という設定です。劇中、岡田さん演じる大学生・筧井雅也は東京拘置所(小菅)にて面会の申込書に「知人(残念ながら、他は確認しきれませんでした)」と記入して提出します。その後、特に何もなかったようにあっさり面会となります。
ちなみに、親族でもなく非弁護士の彼の外部交通(面会・信書の発・受)がこうもすんなり認められるものか?私、やや引っ掛かって鑑賞後に法務省などのサイトで少々調べてみました。結果、よく判らないながら取り敢えず「可能性はあり」そうなのでここは良しとしましょう(笑)。原作未読だし。(参考まで、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律、120条及び139条)
ここで阿部さん演じる榛村大和から「一つの事件は自分の犯行ではない。真実を見つけてほしい」との頼みを受け、榛村の事件を振り返っていきます。
ちなみにこの映画、レイティングはPG12となっていますが、大和の犯す殺人は「拷問」であり、その振り返り映像はゴアを超えて「グロ表現の連発」です。苦手な方はご注意ください。
ただ、このことこそが雅也を事件にのめり込ませ、更には観ている我々をも深く引き付ける重要な演出です。「(残虐な)殺人シーン」と「面会室(という特殊な空間)」を交互に見せつつ、アクリル板に反射して映り込む二人の姿を並べたり、重ねたりすることで、雅也の心理を表現していきます。更にはクリアではなく敢えて僅かにアクリル板越しに反響するお互いの声を観客に聴かせることで、現実的な感覚を惑わせるトリックが利いているように感じます。
少々残念なのは、出演者の何名か(敢えて名前を伏せますが)の演技がイマイチなところ。。。ヘビーな内容だけにむしろ下手さが目立ち、観ながら代役を考えたくなりました(苦笑)。まぁ、それは冗談半分としても、こういうところで勢いみたいなものをそがれると、ついついリアリティラインだとか細かい部分に目が行ってしまうものです。更には、勿体ない(そう思わせるだけのことはある)ことにオチすら蛇足に見えてしまったり。。。
やはりキャスティングは重要です。
榛原の目がずっと怖かった
面白い映画って言うのがはばかられるようなサイコパスの世界!
危うく観てる私まで心を操られそうになったw
阿部サダヲさん演じる、サイコキラー榛原大和がとても魅力的な演技で、この人ホントにサイコパスなんじゃないかと思っちゃいました!
榛原の幼少期とか、本当の家族とかの背景をもっと知りたかったけど、ベールに包まれたまま終わってしまった。
グロいシーンは見てられなかったけど、見ごたえのある映画でした。
しばらくは素敵な笑顔を見ても信用できない気がしますw
被害者は何人?
24人目は冤罪って言っても殺害に絡んでるのは確か。そして岡田健史は最後の(逃げた人や岩田剛典らを入れるなら何人目?)の被害者みたいなものだな。
あの弁護士事務所大丈夫なの。学生バイトにあっさりデータ盗まれて。
静の邦画のお手本
いい映画でした。役者さんは終始感情を抑える演技で大変だったと思う。
そのおかげで、どんどん作品の世界に引き込まれました。
邦画サスペンスは洋画の様に絶叫したり、派手に殺害したりしないから、じっくり見られるのがいい。
主役のあべさんの話術はほんとに見事でした。
考えるほどに難解さが増してくる不思議な作品
阿部サダヲを見ると大島渚監督の映画「愛のコリーダ」を思い出し、どうしてこんな芸名を付けたのだろうと訝る。しかしすぐに忘れてしまい、次に阿部サダヲを見ると、また同じことを思うのである。因果な名前だが、忘れ難い名前でもある。
名前といえば岡田健史が演じた筧井雅也の名字は珍しい。普通、筧は一文字で「かけい」と読む。更に井をつけると「かけいい」になる訳で、それを強引に「かけい」と読ませる。こんな名字があるのかという疑問がずっと頭から消えない。
さて本作品はそのタイトルでほとんどの人が、哲学者のキルケゴールの著書「死に至る病」を思い浮かべると思う。そしてルサンチマンという概念を思い出す。犯人はどのような自尊心があり、どのようなルサンチマンによって犯行を犯したのか。
テーマが壮大な割には、物語の牽引力が弱い気がした。狂言回しが阿部サダヲ演じる榛原大和ではなく、岡田健史の筧井雅也(マーくん)にしてしまったから、榛原のルサンチマンを掘り下げるのではなく、榛原の心の闇に触れたという体になってしまった。
起訴されたうちの9番目の殺人事件の犯人探しという一点だけでは、映画に対する興味を持続するのは難しい。榛原の告白は説明的に過ぎて、実感が伴わない。榛原のルサンチマンが伝わってこないのだ。
ルサンチマンは怒りであり、憎悪である。しかしシリアルキラーの動機は概ね快楽殺人だ。明らかに矛盾している。本作品にルサンチマンは無関係なのか。キルケゴールの死に至る病とは絶望のことだ。人は未来に何の希望も持てなくなると容易に死を選ぶ。
太宰治は、夏に着る着物をもらったから、夏まで生きていようと思った、と書いた。もらった着物をその季節に着るのは、ひとつの希望である。何かを希望と思うことが希望なのだ。明日の晩の会食が楽しみであれば、人は簡単には死なない。未来の予定を楽しみに思わないことを絶望と呼ぶ。
どうやら、本作品はキルケゴールをだしに使って、快楽殺人者の異常心理を死刑に至る病として描いているようだ。榛原の様子は希望に満ちている。死に至る病が絶望なら、死刑に至る病は希望なのだ。榛原の希望は死刑台にある。
しかしたったひとつ、やり残したことがある。それはマーくんを操ることだ。それが榛原の希望であり、本作品で紹介されたのは死刑に至る病のひとつの事例なのだ。そう考えるとようやく、タイトルと中身の整合性が取れる。随分ややこしい話だ。
榛原は恐らく躁病だ。鬱病ばかりが問題にされる現代だが、躁病の患者もたしかにいる。そして積極的に社会に出るから病気だと思われていない。アベシンゾウの自己愛性人格障害は有名だが、プーチンもトランプも、病気としか思えない非常識ぶりである。
榛原は一般庶民だから死刑になるが、政治家だったり大金持ちだったりすると、他人を追い詰めて人生を台無しにしても罪に問われない。国民を不幸にしても逮捕されないのだ。榛原の存在をそういう国家主義の連中の象徴として見るなら、更に奥深い作品となる。考えるほどに難解さが増してくる不思議な作品だ。
むむむっ
なんか不満が多かった。
サイコパス感もないし、
殺人に対する拘りも不明?
丁寧な殺人かと、思いきや
雑な殺人
殺人のルールもない
ディティールも統一性がなく
殺人に対する説明もない
なにが病なのか
主人公の屈折した人生の説明も
なくよくわからない
こういう題材の映画を
軽く作るのはやめてほしいです
最低な脚本だし
役者さんがいい演技する意味がない
拍子抜け…
阿部サダヲとそれ以外の出演者の演技力の乖離が大きい。主人公の性格付け、周囲の人間関係が類型的と思います。他の方も指摘しているように20人以上の人間を連続して殺めるなど設定に無理がある。結局この犯人は何をしたかったのかがよくわからず、モヤモヤが解消されませんでした。
分からない、を分からなければ
爽やかな上天気の日に、あえてこんな暗い映画なんて…と思っていたら、意外にも大入り。8、9割の席が埋まっていた。周りに気兼ねするかも…と気後れしたのは最初だけ。あっという間に深い沼に沈められ、他の人の気配どころか、底なしの孤独感。ぽつんと一人でスクリーンに対峙しているような錯覚に陥った。
うさん臭いと思いながらも、ずるずると連続殺人の謎に引き込まれていく大学生•雅也。鬱々とした日常から逃れる憂さ晴らしのはずが、「自分だけが知っている」かもしれない真実のかけら集めに、自らのめり込んでいく。
そんな彼と対照的なのが、白石組の常連•音尾琢真が演じる、かつてのボランティア仲間だ。中盤のワンシーンのみながら、強い印象を残す。本作では唯一、カラッとした明るさ(軽薄ともいう)の持ち主だが、榛村の本質をいち早く見抜いた人物でもある。彼と雅也との決定的な違いは、榛村の不可解さとの付き合い方ではないか。雅也は、不可解さを抱えきれず、「分かる」ことを急ぎすぎたのかもしれない。
とにかく、阿部サダヲ演じるパン屋•榛村は怖い。事前の予想(覚悟)を、軽々と飛び越える狂気に満ちている。黒みの多い目は、何を考えているのか分からない。黙ってそこにいるだけで、得体の知れないオーラが漂っている。けれども、皆なぜか彼をやり過ごせない。彼の所業を知れば知るほど、初めは小洒落ていると思えた服装や店の作り、柔らかな物腰が、ぞっとするものに反転する。一体何を見聞きしていたのかと、自分の感覚に自信が持てなくなるほどに。
彼を取り巻くキャスティングの意外性に加え、拘置所の面会室でのやり取りに、毎回息を呑んだ。アクリル板に反射する互いの顔が、初めは向き合い、次第に重なり合っていったかと思いきや、すっと指先が触れ合う。気付くと、そっと肩を抱かれている。透明な板に仕切られ、安全な遠い対岸にいたはずが、いともたやすく繋がってしまう。そんな危うさが、視覚的に描かれ秀逸だった。
「あなたが決めて」、「君はすごい」、「あなただけ」、「私にはわかる」、桜の花びら、きれいな手指…。冒頭から折り込まれていた恐るべき伏線に、最後は息を呑む。観終えてからも、日常の中で映画の言葉や物事に再度触れたとき、あの世界が、自分の住む世界と地続きなのだと、思い知らされる。こうやって本作について幾たびも思い返していること自体、すでに榛原に支配されつつある証なのかもしれない。
アンチ娯楽映画
最初から最後まで気持ち悪い雰囲気の映画で、気が滅入る映画でした。阿部サダヲさんといえば『マルモのおきて』や『舞子Haaaan!!!』などのコメディ色の強い俳優ですが、今回シリアルキラーの役ということで、期待していました。
表裏の演技が素晴らしかった。パン屋としての榛村は人当たりが良くて明るいのに対し、殺人鬼の榛村は感情を表に出さず、淡々と殺人をこなしていく様はちょっと引いた。
伏線も多く、映画に没頭しましたが結局榛村はなにがしたかったのかよくわからなかった。
中山美穂と岩田なんたらが、、
こういう悪寒が走る映画大好き。ただ岩田なんたらの今時の若者感と中山美穂の生活感のなさがなんとも映画のチープ感をだしていました。岩田をお父さん役の人、中山美穂の役は岩井志摩子がやったほうが良かったんじゃない?
なんかおしい
予告も素晴らしく、阿部サダヲの死んだ魚の目具合も素晴らしく期待していたのだが。
なんかおしい。
役者はみんな良き。岡田くんもハマってるし、個人的にはコメディの阿部さんはあまり好きではないので、こっちのシリアスの方がハマる。
ただ、岩ちゃんじゃなくても良かったかな、この役。岩ちゃんだけハマってない。
なんか、結局、犯人が何したかったのかよくわからないんだけど、ただのサイコパスなだけって事?それに怯えた周囲ってだけ??
ラストシーン、彼女も犯人に躍らされてたって事?
よくできたホラー・ミステリー
連続殺人犯が、しかし自分が犯していない一件があると主人公に告げ、主人公が真犯人を暴くためにがんばると、実はすべての人物が連続殺人犯の掌の上にいたという話。
よくできたお話で面白い。
この頃は、登場人物に感情移入する話より、「実は、こうでした」と事情がうまく説明される作品に人気が集まるなと思いました。
全524件中、361~380件目を表示