「とんでもないサイコサスペンス」死刑にいたる病 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
とんでもないサイコサスペンス
レビュアー諸氏がこぞって指摘しているとおり、本当に怖い、怖い、筆舌に尽くしがたいくらいに怖い映画でした。
評論子が「怖かった」というのは、主に二点。榛村が他人の肉体的・心理的な苦痛に(異常なまでに)無関心・無頓着であったことと、(これまた異常なまでに)人の心に入り込む術を心得ていたことでした。
前者については、被害者が彼の拷問に塗炭の苦しみを味わっていても、顔色一つ変えないこと。行為に際して、笑みすら浮かべられること。
後者については、彼が被害者となるべき少年・少女と、いとも簡単に信頼関係(ラポール)を築けてしまうこと、そして、築いたラポールを、いわば橋頭堡として、被害者の内面に入り込み、被害者を自在に操ることがてきることです。(刑務官とも雑談を交わす関係になり、面会時間の制限に、立ち会ったワタナベ刑務官には、こっそり便宜を図ってもらったりできることも同様。)
いったいせんたい、何を食べたら、こんなに安々と人の心に入り込めるようになれるのでしょうか?
…いえ、食べ物のせいではないことは、評論子も重々承知はしているのですけれども。(苦笑)
それらの彼の特性・特質が、彼の犯罪性向をいっそう強固なものにしていることは、疑いがありません。
実存主義哲学の創始・キルケゴールは、絶望を「死にいたる病」と評しました。
本作の題名どおり、この矯正不可能とも思われるような榛村大和の強固な犯罪性向が、彼の「死刑にいたる病」であることも、また間違いのないことだったと思います。評論子は。
(追記)
しかし、ぴったりなキャスティングでしたね。阿部サダヲは。
彼の大人しそうなキャラクターと柔和な笑顔、柔らかい物腰が(その残虐性をすっかりカモフラージュして)被害者の心の中にすっと入り込んでいく悪魔の役柄としては。
もちろん、そういう風貌だけでなく、役者としての彼の演技が、なおいっそう本作に「すご味」を加えていたことは、今さら評論子が指摘するまでもないことと思います。