「『羅生門』に通底」死刑にいたる病 keithKHさんの映画レビュー(感想・評価)
『羅生門』に通底
物語の事情背景を提示する冒頭の展開は、非常にテンポが良く、中で残酷なシーンも織り交ぜながらも、カットを小刻みにつないで次々とシーンが入れ替わり、一気に観客を本作の独特の世界に引き込むことに成功しています。そのシナリオと手法は巧みです。
少年少女24人を殺し収監中の連続殺人鬼・榛村から、1件だけ紛れ込んだ冤罪事件を調査してほしいと依頼された落ちこぼれ大学生・筧井雅也。本作はミステリードラマの常道を辿り、この一見事件に無関係の筧井雅也の視点で映し出されていきます。それゆえにもどかしさと間怠さを見せつつ、一つずつ謎が解かれ、事件の真相に一歩ずつ近づいていく痛快さを観客に感じさせていきます。
但し、謎解きのプロセスでは、榛村の暗示と寓意に満ちた言葉に翻弄されながら、意外な自らの出生にも遡り、物語は混沌を極めミステリーがいつの間にかスピリチュアルで無気味な話にすり替わっていくという、本編が進むにつれて結末がどんどん不透明に陥っていきます。
そもそもが、榛村と筧井雅也との会話が本作の原点であり、都度都度の作品の進行を司るのですが、二人の対話は拘置所の面会室での制約されたものでしかなく、映画が進行するにつれ、本作の実態は、筧井雅也が手掛かりを求めて彷徨いながら一つずつ証拠を積み上げていく謎解きにあるのか、それとも或る意味で哲学的な二人の会話にあるのか、観客にも訳が分からない錯乱状態に導かれていきます。
二人の会話は、透明の仕切版で隔てられており、このアクリル板の反射を実に巧く使って同時に二人の表情を映しながら進むこのシーンは、本作の肝であり、榛村を演じる阿部サダヲの柔和でいながら殆ど無表情で淡々と話すだけの演技は戦慄させます。特に輝きと生気の失せた眼つきには、生理的な恐怖を感じざるを得ません。
アクションのない映像なので、ひたすら人と人との会話のみの映像ゆえに、人物の上半身、特に顔の寄せアップ映像がやたらと多く使われ、食傷しながらも観客を一種のトランス状態に置くことには効果的でした。
ミステリー仕立てではあるものの、サイコスリラーでもあり、私は、巨匠・黒澤明監督のグランプリ受賞の70年前の名作『羅生門』に通じる、人間のエゴイズムの醜さと不条理性が通底しているように思えました。
が、『羅生門』はラストで、それでも未来への希望を仄めかせたのに対し、本作にはただただ茫漠とした乾燥した砂漠の風景が残像に残るのみでした。