「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」死刑にいたる病 のむさんさんの映画レビュー(感想・評価)
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ
映画を見ながら、ニーチェの『善悪の彼岸』の言葉が頭をよぎっていた。
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている」
阿部サダヲ演じる榛村というキャラクターは、「人を悪に引きずり込む悪」という、キリスト教的悪として描かれる。これは邦画のキャラクターとしては若干異質な悪である。原作の櫛木理宇さんがシリアルキラーに造詣が深く、テッド・バンディの要素が取り入れられていることがインタビュー等で読み取れるが、そういった欧米のシリアルキラー像を取り込んでいるためにこういったキャラクター設定になっているのであろう。白石監督の『凶悪」では、情人が理解し得ない「エゴをむき出しにする存在」として悪が描かれていたが、今回の榛村はそれとはまた違った「悪」である。白石監督が描く「悪」の引き出しの多さに驚かされる。
みなさんのご指摘の通りだが、アクリル板ごしの二人の像が重なる演出は見事だ。「こっち側に来たらもう戻れないよ」という榛村の言葉に戦慄を覚える。
悪に飲み込まれないように生きることは難しい。
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