スティルウォーターのレビュー・感想・評価
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もはや、批評は意味を持たない。
冒頭から続く緊張感は、席を立つまでゆるむことはない。
観るものは、時間を忘れ、徐々に、徐々に、ストーリーの中に引き込まれていく。
演技がどう、脚本がどう、絵の撮り方がどうという、通常なされる批評は意味を持たない。
ただ、目の前に映画がある。そして、観ている。
私達が観ているのは映画だ。それ以上でも、それ以下でもない。
物語は幸せなものではないかもしれない。父と娘の間に何か、心が通じ合うものがあっただろうか。
「無実」という真実は、ゴールドのネックレスとともに、永遠に取り戻すことができないものとなり、虚構の中に消え去ってしまった。
マルセイユとオクラホマ
マット・デイモンだから観た映画。
父と娘のやりきれない関係。
この父親の中に凍りついたように居座る、自分を閉じ込める何かは、何なんだろう? 彼は、自分の言いたいことだけ伝える、相手と向き合わない、人に頼ったり相談することは難しい。
けれど言葉の通じない国では、助けが必要。
助けを求めることは、彼の何かを変えていくきっかけになったのか?
彼は何をしたいのかな?
どう生きたい? どうありたい?
スティルウォーターはその後の彼にとって、どんな所になるのだろう?
とても良い映画
最後までなかなか見応えのあるスリラー作品でした。
この作品は、単純にサスペンス・ドラマとしても楽しめますが、フランスの南部に位置する、地中海に面したマルセイユという多民族都市を舞台に、多民族共生から起こる価値観の違い、文化の衝突、貧困などについて問題提起しています。とりわけ、マット・デイモン演じる主役ビルは、異文化と衝突する"アメリカ"という国を擬人化させているキャラクターだと思いました。異国においても自分を正義と信じて疑わない彼の行動は、当然受け入れられず、数々の衝突を生みます。
この作品は、異文化における"外国流(ここではアメリカ流)"が通用しない事の教訓を教えてくれます。
*主人公ビルは、"居心地の悪い"外国においても自分の流儀をあくまでも通して行きますが、そんな中で、マヤという少女との交流は唯一心通わせることが出来る経験でした。マヤにとって、最後あの様な別れ方になってしまったのは、あまりにも理不尽なのですが、ビル(=アメリカ)は"同じ過ち"をまた繰り返してしまったようです…笑
*ちなみに、スティルウォーターというアメリカの都市は、人口の8割が白人だそうです。
*予告編ではただのサスペンス映画の宣伝なんですが、深いテーマの作品でした。
オススメ!笑
アメリカ人の地元愛・親子愛は世界基準?
ストーリー展開の中でいくつか?マークが頭をよぎる場面もあるが、そこは流石のマット・デイモン!緊張感がラストまで続き見応えあり。
出身であるスティルウォーターがキモになるのですが、地元、親子の絆が最優先の親子、方や移民も多く家族のあり方も多様なフランス。
「アメリカ人だから?」と言う問いかけが印象的でした。
娘役がリトルサンシャインの子だとは・・・
立派な大人の役者さんになってました!
【縛り付けるもの】
言い方は悪いが、この手のアメリカ作品は、アメリカ社会を理解しないとなかなか面白いと感じられないものが結構あったりする。
スティルウォーターのあるオクラホマ州は、中西部にあって、近年、全米50州の中でも安定的に高い経済成長を達成している地域だ。
映画をご覧になった人は、あれっ?と思うかもしれない。
ビルは原油の掘削に携わっていて、油井の停止でレイオフされ、なかなか安定した職を見つけられなかったからだ。
また、新興国の経済発展に伴う原油高から考えても、原油需要は増加傾向で、レイオフに違和感は残るだろう。
オクラホマ州は、もともと産油量の多い地域で、農業とともに産業基盤となっていたが、かなり昔の原油価格の低迷を機に、長い時間をかけて、産業構造の転換を図り、原油の代わりに天然ガスに重きを置いたり、様々な製造業の誘致に努め、安定した経済成長を達成していたのだ。
こうした経済的変化のなかで、取り残され、変化に適応できない人物のメタファーとなったのが、ビルとその娘のアリソンなのだ。
(以下ネタバレ)
アリソンは、そんなビルを嫌い、州立大学からマルセイユの大学に移ってしまう。
その中で起きた事件。
有罪判決。
レイオフされ、マルセイユに長期滞在し、アリソンの無実を立証しようとするビル。
なす術ががなく、孤立していたが、ヴィルジニーやマヤとの出会いで、次第にビルは変わっていく。
しかし、事件の核心に近づくにつれ、独善や見境の無さがあたまをもたげる。
マルセイユでフランス人にアメリカ的だと言われるが、ヨーロッパ人は概ね、アメリカに対してこうした感情を抱いているように思う。
アリソンが解放されたところから考えると、アリソンの終盤の言葉が事実として認められたことなのだとは思う。
しかし、短絡的にアメリカを離れ、短絡的な依頼をし、自分ではなす術もないアリソンも、ビルと同じで変われなかった人物なのだ。
縛り付けるもの。
この作品は、事件そのものよりも、社会の変化に付いていけず、取り残されたアメリカの人々の悲哀を示唆的に描こうとしたのだと思う。
そして、よく考えると、こうした人は、アメリカ社会にだけではなく、日本にも多くいるのではないのか。
最後、ビルが、2度と会えないとしながらも、ヴィルジニーやマヤに想いを馳せる場面は、ある意味、社会変化の犠牲者のような人々にも、自ら変化を求めても良いのではないかと促しているようにも感じられて、やっぱり、示唆に富んだ作品だと思った。
「96時間」みたいな映画を期待してたが違った
リーアム・ニーソン主演のアクション映画「96時間」みたいな作品を期待して見に行った。
でも、アクションは無し。
「犯人探し」的なサスペンスもなし。
むしろ、「親子愛」「親子の再生」が主題だと思う。
予告編もそういう作りにして欲しかった。
あと、フランスの人種差別(移民差別)を通して、米国の同問題にも触れるが、その視点はオマケ的で、深く掘り下げる感はない。
マット・デイモンの演技は良かった。
以前の「良い人」イメージを覆す役柄を選んでるのかな?
「最後の決闘裁判」とか本作とか。
人生は冷酷だ。
罪に問われた娘の無実を信じて、言葉もわからない異国でもがく父。その異国が、個人主義のフランスでも特に治安のよろしくないマルセイユで、奮闘する父が、世界は自分たちがすべてと思い込んでいる(そう僕が思い込んでいる)アメリカ人という妙。ニューヨークのイギリス人よりもさらに孤独感と無力感を感じる設定だ。
人間、今の自分の人生の立ち位置に不満がある人は多い。だけど、「人生には、希望を持つときと、受け入れるときがある。」と言っているように、いい意味での運命と受け入れることができれば、心の持ちようは大きく変わる。そんな人生観の変化を、言葉少ないビル(マット・デイモン)から伝わってきた。だからこそ、故郷の景色は娘には同じに見えても、ビルにとっては違って見えたのだと思う。
殺人事件の真相についての描写があの程度なのは、物語の本質が事件を解決することではなく、人が自分の人生をいかに受け入れるか、に置かれているので、構わないのだろうな。
マット・デイモンの滋味あふれる演技が光る良作。
それはそうと、オリンピック・マルセイユの熱烈なサポの口から3番目に名前が上がるほど、酒井が愛されていたことがわかって嬉しかったな。
父親にとっては辛い作品かも
父親が娘のために頑張る作品は大好物。(自分が娘を持つ父親なので)
リーアムニーソンとか、メル・ギブソンとかのジャンル映画とは毛色が異なって、父親にとってはつらい気持ちになる。
異国の地で、娘が有罪判決を受け刑務所に収監される。その娘が、無実であることを訴えいるとしたなら、父親にとって選択肢はない。自分を犠牲にしてできる限りのことをするしかない。
悲しい事に、この娘は結構なワガママで、父親のビルが振り回されてしまう。しまいには逆ギレまで。それにしてもアリソン役のアビゲイルは顔も声も伊藤沙莉に似てるなぁ。
昨日見た『クライマッチョ』に似ている部分があって、ビルにとってつかの間の幸せが訪れる。物語の流れから考えて、何かが起きることへの伏線になってしまうが、主人公に感情移入すると、これが切ない。
タイトルの意味は、最後に近づくとわかるようになっているが、カタルシスはなく、複雑ない余韻が残る。
子役があざとくて何が悪いの?
無実の罪で服役中の娘を助けるために奔走する父の話。マット・デイモンがもう無茶苦茶良くて。歩いている後ろ姿はどこか頼れるしどこか頼れない感じ。構図の作り方を含めて、いわゆる普通の男を大スターが演じているという素晴らしさ。服は全部イオンで揃えてますね。
娘役の子も実に雰囲気が良くて、無実を訴えてるんだけど第三者として見ると果たしてどうなんだ…という危ういラインを攻めた演技をしていたと思います。
そして、ネタバレにも関わるので深くは言いにくいのですが、子役が可愛いのなんの。サッカーを見に行くシーン、マット・デイモンと見つめ合い何かを約束するシーン、彼女が出ると映像の瑞々しさが増していました。
子役と主人公がとある事情で別れるシーン。タブレットに映っているのが思い出が詰まった車の動画というのも素晴らしい。その選択をせざるを得なかったマット・デイモンの表情も必見です。
マルセイユでは酒井宏樹なこんなに愛されてたんだと思いました。確かに屈強な男ですよね。
中盤少しウトウトしてしまったのですが、ストーリーにメリハリも効いていていい作品でした。
マット・デイモンさん目当て。 普通のオッサンでした(笑)
オクラホマ州のスティルウォーターからフランスに留学した娘が冤罪で刑務所に。
マット・デイモン演じる父親のビルがフランス語も喋れないのにフランスで真犯人を探すストーリー。
偶然知り合った女性と娘の家に居候して彼女に通訳をお願いして真犯人を探す展開。
ビルが犯人を探すよりも娘と遊んだりして本当に犯人を探す気があるのか微妙な展開(笑)
娘とサッカー観戦まで行く始末(笑)
偶然、犯人を見つけDNA鑑定をするんだけどかなり強引なやり方。
ラストの思わぬ展開にこの先、どうなってしまうのか?
気になるところ。
地下室にいた人がどうなったのかも気になります( ´∀`)
今週、対抗で押すなら本作品かな。
今年17本目(合計290本目/今月17本目)。
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※ 「コンフィデンシャル英雄編」も観ましたが、この映画はネタバレ要素が極端に強い上、法律(特に民法)上ツッコミどころが多く、減点幅で「誰が犯人かわかってしまう」という好ましくない問題を抱えているので、とばします。
なお、前作(タイだったか東南アジアだったかの島にいく前編)を見ていないと結構きついです。
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ということで、こちらの作品。
そもそも、Stillwater って何ってことになりますが、主人公のビルの住んでいたオクラホマ州の街です(人口4万人ほど)。
このことは映画に何ら関係しないのですが、知らないと「スティルウォーターって何???」という点でハマリが発生しそうです(知らなくても上記のような理由なので、特に「意味はない」が正解)。
フランスにやってきて、無実だと信じる娘を救出するために、いろいろな手立てを考えて証拠を集めて…といったストーリーになっています。
全般的に重苦しい雰囲気や、人種差別を想定できる(○○人だから、といった決めつけ的な内容)部分もありますが、物語の「もう1人の主人公」といえるマヤちゃんがいい意味でスパイスになっていて、この苦しい雰囲気もだいぶやわらぐ感じです(もちろん、マヤちゃんという以上は、親権者の方もいますし、その方との交流シーンもありますが、交流シーンだけをいえば、マヤちゃんとの交流のほうが圧倒的に多い)。
この「無実をきせられている娘さん」が収容されているのはマルセイユにある刑務所と思えますが、諸般の事情があるのか中はあまり写されていない映画です。もっともそれがメインではありませんし…。ただ、日本と違って、収容者の自由がかなりあるようにも見えましたし、「満期が近くなったら1か月に1回は日没に戻ることを条件に外への外出が許される」など、かなり先進的な進みが見られました。
※ 日本ではここをどう解するかは国民感情や法務省の裁量によるところが多いですが、「過失的な犯罪である」「被害者と大半話し合いが終わっている」「一定以上の倫理観がみについたと認められうる」等の条件においては、積極的に認められても良いのではとも思えます。
内容は意外な方向に進みます。ここはネタバレになるので回避します。
ただし、「民間どうしとはいえ、違法な方法で情報収集すること」は認められないし、まだ「疑い段階であるのに個人を勝手に監禁等する」というのは、さすがにまずいです(民事上も刑事上も責任を問われる)。ここの部分のフォローが少ない(こういう方法はやってはいけない(自力救済の禁止、という)という説明も少なかったのは残念でした。
とはいえ、極端に変なことをやっているとは言えないし(自力救済の禁止は当然だとしても、個人レベルでは理解しうる)、「何を述べたいか」という点は描写不足の点はある(確かにあります。説明があまりないため)としても、「親の娘への愛」という点は強く感じられ、そこについて論じる限り、大きな傷なしと判断して5.0にしています。
後半に大きな展開が来る!
何も前情報がないままに鑑賞すると出足は非常に分かりにくい。しかし、言い換えると全ての引き金となる事件の真相が少しずつだが淡々と解き明かされて行き、後半は非常にシリアスなサスペンス的な展開となる。見どころは1.非常に複雑な親子関係、2.フランスのマルセイユでの塀の外での一日が美しい、3.そして、事件の真相、それは映画タイトルに重要な意味があった!
水泥棒?地名でした。(ほぼ出番なし)
2022年劇場鑑賞11本目。
スティルウォーター在住のお父さんがマルセイユで殺人の罪で投獄されている娘の無実を信じて、当てにならない弁護士や警察に頼るのをやめて奔走する話。
とはいえ娘に頼りにできないと言われるだけあってなかなか手がかりにたどり着けず、あれ、これもう諦めた?という展開に。物語としてはちゃんと終わりますがカタルシスはあまりなく、色々な登場人物(主にマルセイユの人たち)にイラつくこと多かったです。もうちょっと親切にしてあげなよ・・・。
アメリカ人ってやつは…"人生は残酷"
《祈り》例えばそれはトランプに投票していようがいまいが関係ない、リベラルであっても ---
・世界中どこ行っても英語さえ話せたらいけるだろ、向こうがワールドスタンダードな俺たちに合わせるべきだという考え・確信(どこに行っても我が物顔で、5年も経つのにフランス語を一向に覚える気もない!変わろうとしない体質)。
・アメリカは人種の坩堝って言うくらいで日々色んな考えの色んな人と生きてるから、どこ行ってもやっていけるという甘え・自信。
・そして、アメリカのすることなすこと正しいという思い込みや、それによって最後はヒーローが誕生して国民はそれに熱狂するという一種のお約束めいた驕り。
…そうしたアメリカ人の無意識なナショナリズム愛国心やプライド自尊心を皮肉ったというか、洗いざらい白日の下に晒すような内容だった。自分たちは特別で何やっても許されるという(無)意識を引きずり出す。アメリカの心、もはや信仰心にも近い盲信。しかもそれをアメリカ人の大好き大好物&心の拠り所のような父子(娘)のドラマでしちゃうというのがニクい!
国際社会から見たとき、世界の中心という自負ゆえか、根本的に厚顔無恥な国民性。知らず識らずの内に培ってきた尊大さ/頑固さ(Stubborn)。異文化も確かに障壁として用いられているけど、あくまでそれはアメリカ人側からの主観であって、それ以上に異邦人として海外・国際社会から見たときのアメリカの立ち位置やエゴ・欺瞞、横柄さみたいなものを浮き彫りにする試金石的装置のように思えた。現地の人からすると自分たちの土地で普通に過ごしているだけなわけであって、ある意味で逆ロスト・イン・トランスレーション。怪しさ満点な露店で壊れやすいロボットの玩具買って、勝手に住所聞いて土足で上がり込むなんて、その最たるだろう。他人の庭を荒らしてもお構いなし・お咎めなしか。
観客もまた主人公目線で素人捜査モノとして見ているし、彼の行動を応援 = 肯定しがちになるけど、ふとしたときにその事実の異常さに気付かされるという非常に入り組んだ構造。その巧みさとストーリーテリングにゾッとした。真実など見る人によって如何様にもガラリと変わるので実際無いようなもので、スローペースな過程にこそ意味がある。と思ったら直訳したら「(じってして)流れのない水」という意味になるスティルウォーターという地名・タイトルにも意味がある気がした。
トム・マッカーシー×マット・デイモン
マット・デイモンのすべてをなげうつような熱演がスローペースな犯罪スリラー/サスペンスという皮を被った重厚なドラマを成立させ、観客を引き付ける。彼が演じるのはタトゥーの入った犯罪歴のある現場作業員・肉体労働者で、以前働いていた油田をクビになって、仕事が見つからないまま、娘の無実を信じてマルセイユに降り立つ父親だ。間違いなくトランプに投票したであろうキャラクター。中退したもののハーバード大学にも通っていた優秀な彼とは相反する役柄だが、彼は線の太いゴリマッチョになった肉体改造はじめ見事な役作りでキャラクターにリアリティを与えている。主人公は以前の勤務先ITAのキャップを汚かろうとお構いなしにずっと被り続けている一方で、妻が自殺した後も、男手一つで娘に最善の教育を与えている。それも決して裕福ではない仕事柄で。…という如何にもアメリカ人が応援したくなるようなキャラクター設定・バックグラウンドが見て取れる。けどアメリカは世界的に見たときに紛れもなく裕福な国で世界の中心だ、そして裕福な者は恨まれる。
トム・マッカーシーでしかない作品だった。本作でも普段の彼らしく、ゆっくりと過程が描かれていく。丹念に物語が綴られていく。彼が10年もの歳月をかけて描きたかったものとは?真実などない、あるのは物語だけ。そもそも彼はアカデミー賞受賞した『スポットライト』でも"アメリカらしさ"を拒んでいた。むしろ告発していたと言っても過言ではない。もちろん権力に屈することなく独立した自由な報道の力という意味では非常にアメリカ的かもしれないけど、例えば『アルゴ』のようにアメリカ万歳を謳っていたわけではない。曖昧なエンディングに余韻が沁みる……どころではなく考えさせられる。最後はなんともやるせなくなる、広大な大地にその無力な思いを馳せる(ex.『ノーカントリー』)。そして頭をフル回転させて導き出した自分なりの答えが上述したような本レビューだ、少しでも合っているといいが。アメリカ人の勝ち取った"真実"にこそ意味がある!
"As you wish." "Yes, mom."
P.S. 試写会当たっていたのに仕事で行けなかったの悔やまれるけど、もし行っていたらここまでこの作品について考えて、自分なりの考察に至ることもなかったかもしれなかったから、結果これでよかったのかも。
まだ『クライ・マッチョ』を見ていないのに情感を使い切ってしまいました
私にとっては『マンチェスター・バイ・ザ・シー』と同じくらいに心を揺さぶられるヒューマンドラマでした。まだ『クライ・マッチョ』を見ていないのにこんなに情感を使ってしまって大丈夫⁈と心配になるほどです。
(以下、ストーリーには触れませんが、ネタバレ嫌いな方はご注意❗️)
父「人生は冷酷だ」
娘「ここは昔と少しも変わらないわね」
父「俺にはすべてが違って見える」
それまで信頼関係を失っていた父娘は最後になっても噛み合わない。
『釈放』という共通の目標(いやらしい言い方をすれば、表面的な利害関係の一致)を達成した後の平穏なはずの日常には、安定よりもぎこちなさのほうが優るという皮肉。
父がこれまでの人生で一番充実していたのは、娘の無実を晴らすための活動が停滞し、当てもなく準備期間としてアルバイトに精を出していた〝かりそめの日常〟の期間。
平和な日常の平凡なルーティン(同居人の娘の送り迎えなど)こそが、何よりの生き甲斐と充足感をもたらすのだ、ということがこんなにも分かりやすく描かれていることにビックリです。
フランスの、どちらかというと知的な階級に属する人たちのアメリカ観などもユーモアにまぶして描かれていてクスっと笑えます。
色々な要素が過度でなく、それでいて分かりやすく、かつ深く沁みてくる。
ヒューマンドラマとしては少し異例と思えるような希望の無さも、実際の人生においての想定としては、むしろ説得力があると思います。
第一印象としてこの映画をどう思うかは人それぞれだと思いますが、しばらく噛み締めたくなるという意味では少しでも多くの方に見ていただきたい映画です。
全103件中、81~100件目を表示