「死後物件」ラストナイト・イン・ソーホー かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
死後物件
世界最古の職業をなめすぎてはいないだろうか?考えてみれば、マグダラのマリアだって、椿姫だって、『ティファニーで朝食を』のホリーだって、プリティ・ウーマンだって、みんなみんな◯◯だったのだ。そんな◯◯の女の子を◯◯◯にしてしまうなんて、エドガー・ライトという監督一体何を考えているのだろう?
しかも、田舎からポッと出てきたファッションかぶれのガキんちょ娘に、有史以来辛酸をなめ続けてきた◯◯の悲哀が理解できるとは到底思えないのである。お金目当てに風俗に手を染めている女の子ももちろん中にはいるだろうが、親の借金を背負わされたり、離婚したシングルマザーが仕方なく、という場合が現実的にはほとんどではないのだろうか。
そんな風俗のセーフティネット的役割も知らずに、昨今のフェミニズム的な動きに安易に同調したエドガー・ライト。その人生経験の浅さがはからずも露出してしまった1本といえるだろう。この映画をもしも日本の巨匠溝口建二や川島雄三が見たら(絶対に見なかったと思うが)、「お前ごとき小僧に◯◯の気持ちの何がわかる」と一喝されたことだろう。
「お前が選んだことだろう」とはおっしゃるけれど、選ばなきゃならないどうしようもない事情だって世の中ごまんと転がっているのである。しかも昨今のコロナ禍で風俗業界はもはや風前の灯火状態。現在のソーホー界隈の閑古鳥ぶりがエンドロールに映し出されでいたが、監督の演出意図には首を傾げざるをえないのである。
ホークス・ヒッチコック路線のホラーサスペンスに見えるのか、それとも差別主義者が撮った鼻持ちならない映画に見えるのか。ダイバーシティの対象からはなぜかいつも外される◯◯たち。肌の色や出身国、宗教、身体や精神の障害有無は差別があってはまかりならんと目の敵にされるのに、学歴、肩書き、年収そして職業がその対象から外されるはなぜなんだろう。この映画を見た人の“差別”に対する考え方を試される、そんな作品だ。