「福山雅治の新曲を引き立たせるための130分」沈黙のパレード ねこばばさんの映画レビュー(感想・評価)
福山雅治の新曲を引き立たせるための130分
原作小説を読了した上で鑑賞しました。結論から言うとあの原作の内容はボリュームがありすぎました。やはり130分にまとめる過程で色々無理が生じています。でも劇場で見て本当に良かった。この理由はあとで述べます。
まず並木夏美の出番が少ない。明るく健気な夏美のキャラは、原作だと登場するとほっと一息つける休憩所でした。しかし映画だと特に後半は出番が大幅にカットされ、湯川たちに対して敵対的とすら言える存在になってしまいました。
増村に関しても、原作だと読者の印象が狂人から善人へとドラマティックに変わる重要な存在でしたが、映画だと過去に対する掘り下げが甘くそこまでの印象はありません。
凶器がヘリウムガスではなく戸島が提供した液体窒素であるという仮説は、湯川が持ち前の才能を活かし計算で弾き出したものですが、映画だと「考えたんだ」だけで済まされてしまいました。
極め付けは高垣です。この人物の証言により、作中で描かれた蓮沼の死は複数人が絡む計画的な犯行であったことが決定付けられる重要局面です。そのため原作では湯川の物理学の知識(液体窒素を扱ったなら革手袋を使ったはず)と、それを足かがりした草薙の交渉術により高垣を徹底的に追い詰めるという最大級の緊張感を持って描かれました(その革手袋も実は…というおまけ付き)。ところが映画だと大幅に展開が簡略化され、高垣は防犯カメラに写ってしまった上に取り調べで割とあっさり致命的なフレーズを漏らすというあっけないキャラになってしまいました。あと湯川と草薙の見せ場がひとつずつ減ったことにもなります。正直、個人的にこのシーンを北村一輝がどう演技するか割と楽しみにしていたので、やや拍子抜け感は否めません。
ではこの映画では何がしたかったのか。逆に出番があまり削られていないキャラが3人います。1人はそもそもの発端である並木佐織。そしてもう2人は新倉夫妻です。この3人に関しては、むしろ原作より気合入ってたんじゃないかと思える熱量で描写されています。
私が考えるに、製作陣はこのあまりにも要素が多い原作を映画化するにあたり、ストーリーのフォーカスを「佐織と新倉夫妻の確執」に置いたのではないでしょうか。佐織が愛されたからこそ、才能を持っていたからこそ起きてしまった嫉妬と拘束、そして取り返しのつかない悲劇。ここに最もドラマ性を求め、どうしても取捨選択が必要な制作過程において重要視したのではないでしょうか。
そう思える強力な要素がこの映画にはあります。本編ではありません。主題歌「ヒトツボシ」です。作曲でありこの映画の主演である福山雅治も「佐織への鎮魂歌」と述べています。
「ごめんなさい 君にさよならも言えずに わたしひとり星になったね」
ただでさえ悲壮感溢れるこの歌詞は「沈黙のパレード」のストーリーを理解した時に最大の効果を発揮します。この映画を通じて130分間、佐織への思いを積み上げてきた視聴者だけが得られる特権です。
やや皮肉めいたレビュータイトルにしてしまいましたが、作品自体もサスペンスとして良質です。ぜひフルで鑑賞を、そしてオチが分かっても席を立たず、主題歌まで耳を傾けて。