「最初が最高潮 ※過去作の犯人に関するネタバレもあり」沈黙のパレード よっちゃんイカさんの映画レビュー(感想・評価)
最初が最高潮 ※過去作の犯人に関するネタバレもあり
僕は原作は短編・長編全て読み、中でも長編は何度も読み返してる。
正直数年前沈黙のパレードと禁断の魔術が出た時にいの一番に買って読んだ感想としては「禁断の魔術」は面白かったが、「沈黙のパレード」は今までの長編ガリレオに比べるとさほど面白くないという印象だった。
今回の映画化に向けて読み返したところ初見で読んだ時とは違う気づきを得て格段の面白さだった。
長々と語ってきたが、要するに原作には過度に思い入れがあるということを断っておきたい。
また、原作の解釈にしても、以下述べる解釈はあくまで僕個人が思ったことというのも断っておきたい。
まず、ドラマオリジナルのキャラクターがこの映画にはほとんど出てこない、強いてあげるとするならば途中なみきやに絡みついていたマスコミぐらいだろうか。
その点で言うと過去2作品よりも原作再現度は高くなる・・筈だった。
もちろんオリジナルキャラクターを悪とは思わない、今では原作でもお馴染みとなった内海も元はドラマのオリキャラだし、湯川の助手の栗林さんは渡辺いっけいさんの演技と合わせてドラマが生み出した最高のオリキャラだと思う。
なので原作を一から十まで再現してほしいとは思わない。
が、原作の核となる部分、原作に登場する人物の性格それを変えるのは良くないと思う。
以下、詳細に述べていく。
まず冒頭のシーン。
感動した。
結末を知ってるものからするともうあのシーンだけでウルッとくる。
描き方も無駄な事をすることなく端的に街の人々と佐織の関係性を説明して、美しい。
印象にも残る。
最高のスタートだった。
そこから事件が起こるまではちょくちょく引っかかるところはありながらもまだ草薙の想いや湯川が捜査に乗り出すまでは順調だった。
中盤、湯川によって蓮沼死亡事件の真相が明らかになっていく件も駆け足ではあるが、尺の都合と考えればまだ納得できる。
ミステリーとしての面白みはだいぶ欠けるが、尺がない分人間ドラマに振り切ったんだろうなと考えた。
ミステリーとしての面白さももう少し有れば最高だと思っていた。
そして高垣の自白シーン。
ここの回想から雲行きが怪しくなる
高垣に佐織が「歌手になるのをやめる」というのだ。
いや、その気持ちを伝えてしまうとラストに事件の本当の真相が明らかになった時の驚きが半減・・いや、80%は低下する。
あの本当の真相の衝撃はそれまで「沙織はひたむきに歌手になることを目指していた」という前提があってこその衝撃だろう。
いくら人間ドラマ優先でミステリーはおざなりにするとしてもここだけは絶対に譲ってはいけないところだった筈だ。
が、まぁまだいい。
ミステリーとしての評価は大きく下がるけど原作が伝えたいテーマを十分伝えてくれるのだろう。
そう思っていた。
さて、この作品のテーマとはなんだろう。
僕はタイトルにもあるように「沈黙」だと思う。
もっと言うと劇中で宮沢が言っていた「沈黙は罪になるのか」だ。
このことを念頭において貰いたい。
高垣の告白によって一気に警察の追及は厳しくなる
そして、増村が蓮沼が起こしたもう一つの事件優奈ちゃん誘拐事件の被害者の母方の叔父にあたることが明らかになる。
増村への追及も激しくなるが、増村は一向に口を割らない。
ここの増村のストーリーが全カットに等しいのも尺の都合とはいえ悲しい。
それこそ湯川がいうようにパズルのピースが1つ欠けた感覚になる。
が、それよりも問題なのはここで増村が並木家に復讐の相談を持ちかけるところを回想シーンで見せたことだ。
以前増村は沈黙を保っている。
なので、上記のシーンも物語上では湯川たちは確信を持っているわけではない、まだ「推測」の段階だ。
おそらく製作陣としては分かりやすさを優先して回想シーンを使ったんだろうが、これが逆効果。
わかりやすすぎてそれが事実かのように受け取られた。
いや、事実であるのはあるのだが、何がいいたいかというと「沈黙が破られた」ように見えたのだ。
原作を読むとわかるが増村たちは蓮沼に匹敵する精神力で沈黙を貫く。
その沈黙が破れて増村が自身の真実を話すのは新倉によって沈黙が破られてからだ。
が、回想シーンがひとつ入るだけで最初に沈黙を破るのが新倉ではなく増村のように思えてしまう。
新倉によって沈黙が破られるまで回想シーンは使わない方が良かったのではないだろうか。
その新倉が出頭するのもよくわからない。
原作では激しさを増す取り調べに妻の瑠美が耐えられなくなって倒れてしまったことが引き鉄だった。
映画ではそのシーンがカットされてるので突然出頭したように思われる。
後で映画オリジナルの理由が付けられるわけではなく極めて残念だった。
この時点で今回の実写化は半分失敗だなと個人的に思っていたのだが、この後ほんの少しだけ「オッ」と思う展開がある。
草薙が新倉の告白を鵜呑みにしないのだ。
心の奥底では新倉が真実を語っていないということを察知していることが湯川によって見抜かれる。
これは考えてみれば確かにそうかもしれないと思った。
蓮沼を実際に取り調べして蓮沼の沈黙の手強さを直に感じた草薙だからこそ蓮沼が最後に沈黙を破ったとは思えない
という展開は非常に良かった。
そして、この作品で最も許せない点、それは登場人物のキャラ変更だ。
正直言ってこの真相は原作でもなかなかに後味が悪い・・というと少し違うかもしれないが、今までのガリレオ長編シリーズと違い犯人たちにあまり感情移入できなかった。
新倉夫妻は自分達がなし得なかった夢を佐織に押し付け、佐織は佐織で厳しくて息が詰まるような日々だったかもしれないが、仮にも面倒を見てくれた恩師に対してあまりにも薄情な態度をとるし。
しかし、今回読み直したことで、佐織は若さゆえの青臭い考えが先にあったのだなと再認識できたのだが・・
閑話休題。
真犯人の瑠美が佐織と言い争っている時に映画ではこんなセリフが付け加えられてる。
「(新倉)先生は自分の夢を押し付けてくるし、瑠美さんは先生が私につきっきりになってるのを内心嫉妬してるんでしょ!?」
このセリフを聞いた時本気でクラッとした。
夢を押し付ける云々は出てくるのだが、嫉妬に関しては原作でも出てこない。
さらに言うなら、原作では瑠美は嫉妬を完全否定している。
なのに、この映画では実は瑠美が佐織に嫉妬していたことを匂わせる描写が出てくる。
原作を読んでると瑠美は決して丈夫ではない、捜査員の取り調べで倒れたこともそうだし、常に真実が明らかになることに怯えている。
内心の怯えを取り繕って人と会話できるほど芝居上手なわけでもない。
なので、そんな瑠美が佐織の遺体が見つかった後「なみきや」にご飯を食べにいくことができるわけがないし、楽しく話すことができるはずもない。
さらにいうと夫が殺人をする時に湯川とパレードを見れるほど芝居が達者なわけでも無論ない。
どんな考えや都合があったのかはわからないが、瑠美の性格をこう変えるのは良くなかったのではないか。
さらにやっと活躍した草薙のキャラも変わっている。
原作だと事件解決に全力を尽くすし、蓮沼に対しても思うところはあるが、刑事としてフラットに並木家に接する。
決して無罪であってほしいなんて思うわけはないし、そんな私情は持ち込まない。
ここを変えてる時点でもう草薙に感情移入することができなくなった。
そして湯川も変わっている。
原作で湯川は最後夏美(そういえば夏美の存在感もかなり薄かった)にこう言われる。
「みんなで話してたんです。(中略)まるでエルキュール・ポアロだって」
ポアロはその灰色の脳細胞で事件の真相を解明するが過剰にその罪を糾弾したりしない。
その場にいる人々にとって1番いい結末とは何かを優先する。
湯川もそうだ。
「真夏の方程式」では恭平のやったことを警察に話したりせずに、大人として恭平に教え諭す。
「禁断の魔術」では様々な要因があるが最終的には古芝が合図を送れば躊躇なく大賀の頭を撃ち抜いていたであろう。
そう、湯川はポアロなのだ。
作中で言及されているということは原作者はそこを意識して書いているのかもしれない。
ところが映画では瑠美に自首をすすめにくる。
見当違いも甚だしい。
原作ではここで容疑者Xの献身の内容に触れて湯川が必ずしも自首をすすめにきたわけではないことが明らかになる。
映画でも原作でも湯川が来訪した理由(本当は瑠美は佐織を殺していない可能性があること)は一緒だが、「自首をすすめにきたんでしょう?」の問いに対する答えがまるで違う。(映画では「そのつもりでした」とはっきり明言されている)
ここで容疑者Xの献身の内容に触れていた方がドラマシリーズとしての繋がりも出せたし、ドラマファンも原作ファンも大喜びでとてもハッピーだったのではないだろうか。
もし初めて見る人に対する配慮だというなら聴きたい。「たった一言二言過去作を匂わせる発言があるからと言って初見の人が距離を感じると思ってるんですか?」と。
さらに湯川と町の繋がりも薄い。
原作では湯川が菊野という街に溶け込んでなみきやの常連から次々と情報を引き出していく姿も面白いし、なみきやの面々と親しくなることで湯川もより前のめりにこの事件に関わっていくという側面があるのだ。
この湯川と町の繋がりを描かず、ラストシーンを町の人々のその後を内海から報告されるシーンで終わらせるのはあまりにも面白味に欠けると思われた。
そして、原作でのラストシーン
なみきやに高垣が訪ねてきて許しをこう。
原作を読み直した時、このシーンで泣いたのだがこのシーンがカットされていて喪失感は計り知れない。
先ほど話したこの作品のテーマ「沈黙は罪なのか」
僕がこの作品を読み終わって抱いた感想は「沈黙は罪である」ということだ。
もちろん、法律で沈黙を取り締まる条文はないし、なんなら沈黙は権利だ。
この作品で沈黙と言われると蓮沼の沈黙がかなり印象に残るが、瑠美の沈黙が大きな役割を果たす。
例えば、“もし”瑠美が佐織を殺したと思った時警察に自首していれば、警察の捜査で遺体遺棄容疑で蓮沼を実刑に問えたかもしれない。
また、バレッタがかなり早い段階で調べられて佐織殺害に関しても蓮沼の罪を実証できたかもしれない。
その可能性を潰したという意味で瑠美の沈黙は最悪の選択肢だったのである。
そこで、先ほど述べた原作のラストシーンに戻るが、そんな罪深い沈黙をすることもできたのに、高垣はなみきやに足を踏み入れて自分の思いを話す。
それに対して祐太郎も沈黙せず自分の気持ちを素直に伝える。
つまり原作のラストシーンは沈黙せずに新しい生活を始めようと歩みはじめる大事なシーンなのだ。
そのシーンをカットしたのは沈黙よりも罪深いと思う。
クライマックスもなぜか新倉VS草薙の構図にすり替えられてるし・・・
そもそも根本的に新倉は沈黙していない。
むしろ最初に沈黙を破っている。
たとえ虚偽の供述だとしても。
例えばその前に草薙が「あなたの供述は嘘ですよね?」と問い詰めて沈黙している描写があるならまだしも、あまりにも唐突感が強すぎた。
役者さんの演技は皆さん素晴らしかった。
というかキャスティングは毎回ピッタリなんですよね。
田口浩正さん演じる戸島が草薙に対して声を上げるところは良すぎて思わず震えた。
ずんの飯尾さんも優しさと娘を思う父親としての強さ、蓮沼に対する怒りその全てのバランスが絶妙の名演。
岡山天音さんも良かったからこそ最後の裕太郎と高垣のシーンは見たかった。