流浪の月のレビュー・感想・評価
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川に映る月のようにどこまで行っても手に届かない
松坂桃李がすごい、いつも通りだけどすごい
35歳の松坂桃李が ちゃんと10代の少年に見える。
というかそれ以外の何者でもない 文(ふみ)。
白鳥玉季の女優魂は見事。広瀬すずと渡り合えている。
更紗は大人になっているけれど僕はハズレだからいつまでも大人になれない、と言う ふみ。
性線機能不全 なのだろう。
それって あの 宮崎勤も です。 たぶん。
この映画の文と彼をいっしょくたんに語るのは全く間違ってるし もちろん 人間は個々であって 同じなわけはない。
ロリコン
この言葉は生きる苦しみである と言う ふみ。
それが 幼女の裸体への興味では ない (とまで言い切ってないけれど)取り敢えず 少女たちに 何一つ無理強いもしないしもちろん性接触しない。
それが この映画の最大の良心。
誰が、「誰かを酷く傷つけている」のか。それは犯罪の名で判断出来ない。
内田也哉子の声とシルエットが怖い。
横浜流星の狂気が怖い。
ちょっと見のネット記事で判断して暴言をリツイートするのが怖い。
だが 一番の恐怖は本物の 性的暴行を行うロリコンの存在であるのは間違いない。
見なきゃいいのに見てしまう作品
辛さを乗り越える強さ
私もポーの詩のような子供だった
漫画やアニメを見たりはしていたけどどこかいつも冷めていた
好きだったものはいつも皆んなとズレていた
感情を表に出している時はいつも装っていたのだ
しかしそんな私でも強く思ったことがある
あの傲慢で横柄な兄にだけは我慢がならなかった
と言っても逆らえばコテンパンにされてしまうので我慢するしかなかったのだ
今それが心の傷になっているかというとたぶん何とも思ってない、今では仲良く兄と話せるし蟠りはない
だから心の病のキッカケは体験しているけど元来深く考えない忘れっぽい性格なので悩み苦しむといったことは全くないのだ
座右の銘を付けるなら「寝たら忘れる!」になる
この作品の人達は皆悩んでいる
まるで人は悩むものなのだと言わんばかりに悩み人が多い
そんな中でホッとできる場面がある
アンティークのオヤジさんとの会話だ
バカラのグラスの時のこと
ほんの少しのお父さんとの思い出がちらり
「物も人も一緒だよ、出会って別れてまた出会う」
とオヤジさんはいうのだ
まったくだ、リアルでもネットでも物でも人でも映画でも何でも出会いがある
もしかしたら毎日出会っているのに自分が気がついた時だけ特別な出会いだ〜などと思うのかもしれないけどそれはそれで良いと思う
この作品との出会いにも感謝します。
少女期の白鳥玉季ちゃんの代表作
今後も彼女がたくさんの素晴らしい作品に携わることを見据えて上記のタイトルです。
広瀬すず・松坂桃李・横浜流星・多部未華子という、
もはやダブルどころかカルテット主演ともいえる布陣の中にありながら、
ひと際輝いた魅力と存在感を放っていた玉季ちゃん。
「文くん」と「更紗」のままごとのような暮らしにおける安堵や喜び、
そして時折覗かせる不安や陰。
これらの複雑な感情を巧みに表現している。緩急がしっかりありつつも過剰にはならない。
この年齢にして抑制というものを心得ているのもが凄い。
それと並行して、「陽」の演技の時の彼女の可愛らしさよ!
お風呂ではしゃいだり、美味しそうにピザをほおばる姿は実にチャーミング。
普段の彼女の役柄を考えると貴重な姿ではないか。
「文くん」と「更紗」の暮らしがいかに尊いものであったかが
観る者にしっかり伝わるのは松坂桃李はもちろん、
彼女の演技があってこそであると思う。
その他のことに言及すれば、音楽と映像の融合が素晴らしい。
音楽担当の原摩利彦は「ロストケア」も担当していたが、
どちらも繊細なピアノの響きを基調とした音楽で、
静かに、しかししっかりと伝えたいものがある映画によく合っている。
ただちょっとメインテーマを使用するシーンが多すぎたかな。
多分、音楽が素晴らしすぎて監督もたくさん使いたくなっちゃたのだろう。
メイン4人の演技は皆予想通り素晴らしかったです。
他の感想にも多いですが、横浜流星のクソ男役が新境地。
あと、多部ちゃんのセクシャルなシーンがあるとなんかドキってしてしまう。
「もう彼女は大人なんだ」と知らしめられる感じ。
惜しいのはちょっと細かいところのリアリティ―や詰めが足りないかな。
マスコミ関連・アンティーク店についてなど。
あと、加害者と被害者の特異な関係性という点においては
「さよなら渓谷」を思い出しました。
描写の仕方も雰囲気が似てる。
原作は李相日監督と縁が深い吉田修一。映画にもなっています(大森立嗣監督)
あの感触をずっと頼りに生きてきた
やっと観た
原作を読んで感動し大好きな本になった。映画化されると知り喜んで公開日を待っていたが、映画館へ行くことはありませんでした。いざ行こうと思うと色々な事を思ってしまっていた。結局2年以上も過ぎてようやく観た。観終わって監督が原作を良く読んでいると思えて嬉しかった。とても難しいテーマを良く表せていたと思った。更紗が公園で1人ハンバーガーを頬張っている処を文に見つかるシーンで泣けてしまった。更紗が更紗に戻った時間だと思ったからだ。その他、文や亮の過去もちゃんと伝わる様に描かれていたと思う。この作品は当事者以外に真実は分からない現実を知らされる。そして当事者等も話しても理解されるはずもない、と何も語ろうとしない事が苦しい。世の中多数派の言動が正論な訳では事を突きつけられる。
更紗は文の家で2か月間を過ごした。 その間、更紗は行方不明の女児として、 全国に実名報道されていた。 ある日公園にいた2人を警察が取り囲んだ。 文は誘拐犯として逮捕されてしまう。
動画配信で映画「流浪の月」を見た。
2022年製作/150分/G/日本
配給:ギャガ
劇場公開日:2022年5月13日
広瀬すず
松坂桃李
横浜流星
多部未華子
趣里
三浦貴大
白鳥玉季
増田光桜
内田也哉子
柄本明
小学5年生の更紗(白鳥玉季、広瀬すず)は、母方の伯母の家に引き取られた。
更紗は従兄から性的虐待を受けていた。
家に帰りたくない更紗は学校が終わると公園で過ごしていた。
大雨が降り、それでも公園から動こうとしない更紗を見て、
大学生の文(松坂桃李)は傘を差し出す。
「うちに来る?」
「行きたい」
更紗は文の家で2か月間を過ごした。
その間、更紗は行方不明の女児として、
全国に実名報道されていた。
ある日公園にいた2人を警察が取り囲んだ。
文は誘拐犯として逮捕されてしまう。
その後、更紗は「傷物にされた可哀想な女の子」、
文は「ロリコンで凶悪な誘拐犯」というレッテルを貼られ続ける。
実際には犯罪的な行為は何もなかった。
文はただ更紗を保護していただけだった。
そして「事件」から15年過ぎ24歳になったある日、
更紗は偶然、文と再会する。
更紗は文と一緒に居たいと思う。
更紗の彼氏(横浜流星)は文を犯罪者と決めつけ、
文に様々ないやがらせをした。
150分の映画だが、110分を見終わっても
この映画がどう着地するのか予想がつかなかった。
何も解決しないまま余韻を残して終劇となるが、
いい映画だと思った。
横浜流星がすごく嫌な男をしっかりと演じた。
内田也哉子が樹木希林さんにそっくりになっていて
ちょっと驚いた。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
人と人のつながりの本質に迫る作品
期待はずれ
感情をもっていく映画
原作未読
原作を読んでいないので純粋に一つの映画作品として鑑賞しました。
出演者もとても良かったのですが
なんとなく詰め込み過ぎな作品だなと思いました。
そしてひとつひとつが重すぎて、最後は飽和状態。
原作物なので何かを削るというのは出来ないかもですが
せめて二つくらいまででいいのかなと思いました。
更紗は幼いころ誘拐されたけど、実はそれは純愛だった、
なぜなら更紗はDVを受け、それを文は匿った。
だけど世間の信じたいものしか信じない感情がそれを許さなかった。
だけで十分だった気がします。
亮の歪んだ思考による異常な執着、
なのに最後にあっさり手を放すのも?って感じ。
文の最後が大元の伏線回収になるのかもしれませんが
斜め上過ぎて崩壊しました(笑)
文も更紗もしんどい環境で育ちながら
キレイに育ちすぎるのもなんか、、、(容姿も内面も)
都合のいいところだけキレイな映画だな、、、という印象でした。
捉えどころのない重み
この作品自体の難しさはないが、作品がテーマにしている現代社会で生きていく難しさがよく描かれている。
アメリカでは、州にもよるだろうが、7歳を超える娘と一緒に風呂に入ると逮捕される法律がある。
昨今ではLGBT法に代表されるように、個々人の思想を法律によって規制する動きがある。
同時にそれは、自由な思想を持つものに対する攻撃として利用される。
この作品に登場する警察は、どのくらいまでフミとサラサの話を聞き入れたのかは不明だが、少なくとも週刊誌の内容を鵜呑みにはしなかったようだ。
「レッテル」 これがこの作品の根底に流れている主人公二人の苦悩の根源だ。
エンディングの冒頭に、広瀬すずと松坂桃李の名前の直後にタイトルが来るが、これはこの作品が二人の物語であることを強く主張している。
当たり前だが、あえて主張しているのはなぜだろう?
月はモチーフ。さまよえる月。「またどこかに流れていけばいいよ」
少し前、コロナ化の始まりのころ、県で最初にコロナにかかった人を特定してネットで拡散するということが流行った。その人の実家に石が投げ込まれたりしたことを聞いたのを思い出す。
この愚かさ。私は虫唾が走るほど嫌いだ。
「レッテル」 親がつけたレッテル「お前は外れだ」 「異常」「病気」…
フミにとって失うものなど何もないが、いわれのないレッテルを貼られるのはいたたまれないことだ。
そして2度もフミにレッテルを貼ることになってしまったサラサの心中も罪悪感で満たされている。
ただ一緒に居たかった。たったそれだけのことが、フミの幸せを奪ってしまった。
何の事実もないことが勝手なレッテルによってネットに流れ独り歩きしている。誹謗中傷の雨あられ。生きづらさ。
サラサもまた家庭環境の崩壊と、叔母宅の息子によるいたずらに悩んでいた。雨が降ってきても読書を続けている。「帰りたくない」
似た者同士の二人だったが、法律がそれを許さなかった。それは、ごく一般的なことだろう。
サラサの婚約者のリョウは、自殺未遂したことで自分の気持ちを収めたのかもしれない。
それは、人の心は支配できないということを物語る。誰も、他人に縛られたくないし、他人の支配を許してはならないことを言っているのだろう。
フミにも神聖なる生きる権利がある。そして普通の人間だ。しかし染色体の異常で幼児体系と性器が子供のままという設定だ。映画ではよくわからなかった。
彼の苦悩の根源。
フミは当てつけのようにサラサに自分が成長できないことを言う。
そして親によるレッテル。
おそらく検察は、サラサの事件の裁判後にフミの病気を知ったのだと思う。事件を冤罪にせず葬った。しかしその検査結果は残っていた。だから2度目は無罪放免。
レッテルだけが今も付きまとう。
フミはサラサに恋心を抱いていた。
「サラサが近くにいるほど怖くなった」のは、はじめてのことでどうしていいかわからなかったから。
「サラサにだけは知られたくなかった」フミの病気
でも「サラサに知って欲しかった」本当のことを。
「いつまで経っても、俺だけ大人になれない。サラサは成長した」そうフミは言いながら裸になり泣き崩れる。
幼児体系と幼児のような性器。
フミの彼女はおそらく彼に本気だった。「初めから私を信用しなかった」
彼女の言葉にうそぶくフミ。
彼女に本当のことは最後まで言えなかった。
監督はあの「怒り」の監督。
その表現する意味深は多少わかりにくい。その捉えどころのない重みこそが、闇というのかグレーゾーンというのか、私自身が目を背けている部分なのかもしれない。
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