流浪の月のレビュー・感想・評価
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見なきゃいいのに見てしまう作品
李監督の作品2本目なり。
怖い物見たさで鑑賞したが、精神的にはあまりかな。
長い作品だけど、最後まで目が離せないのは、ゆったり流れる進み具合が何か嫌な事を見てしまうのを和らげてくれるのと、俳優の演技のよさの賜物だと思う。
その演出が李監督によってもたらされてるのだろうけど。
辛さを乗り越える強さ
私もポーの詩のような子供だった
漫画やアニメを見たりはしていたけどどこかいつも冷めていた
好きだったものはいつも皆んなとズレていた
感情を表に出している時はいつも装っていたのだ
しかしそんな私でも強く思ったことがある
あの傲慢で横柄な兄にだけは我慢がならなかった
と言っても逆らえばコテンパンにされてしまうので我慢するしかなかったのだ
今それが心の傷になっているかというとたぶん何とも思ってない、今では仲良く兄と話せるし蟠りはない
だから心の病のキッカケは体験しているけど元来深く考えない忘れっぽい性格なので悩み苦しむといったことは全くないのだ
座右の銘を付けるなら「寝たら忘れる!」になる
この作品の人達は皆悩んでいる
まるで人は悩むものなのだと言わんばかりに悩み人が多い
そんな中でホッとできる場面がある
アンティークのオヤジさんとの会話だ
バカラのグラスの時のこと
ほんの少しのお父さんとの思い出がちらり
「物も人も一緒だよ、出会って別れてまた出会う」
とオヤジさんはいうのだ
まったくだ、リアルでもネットでも物でも人でも映画でも何でも出会いがある
もしかしたら毎日出会っているのに自分が気がついた時だけ特別な出会いだ〜などと思うのかもしれないけどそれはそれで良いと思う
この作品との出会いにも感謝します。
少女期の白鳥玉季ちゃんの代表作
今後も彼女がたくさんの素晴らしい作品に携わることを見据えて上記のタイトルです。
広瀬すず・松坂桃李・横浜流星・多部未華子という、
もはやダブルどころかカルテット主演ともいえる布陣の中にありながら、
ひと際輝いた魅力と存在感を放っていた玉季ちゃん。
「文くん」と「更紗」のままごとのような暮らしにおける安堵や喜び、
そして時折覗かせる不安や陰。
これらの複雑な感情を巧みに表現している。緩急がしっかりありつつも過剰にはならない。
この年齢にして抑制というものを心得ているのもが凄い。
それと並行して、「陽」の演技の時の彼女の可愛らしさよ!
お風呂ではしゃいだり、美味しそうにピザをほおばる姿は実にチャーミング。
普段の彼女の役柄を考えると貴重な姿ではないか。
「文くん」と「更紗」の暮らしがいかに尊いものであったかが
観る者にしっかり伝わるのは松坂桃李はもちろん、
彼女の演技があってこそであると思う。
その他のことに言及すれば、音楽と映像の融合が素晴らしい。
音楽担当の原摩利彦は「ロストケア」も担当していたが、
どちらも繊細なピアノの響きを基調とした音楽で、
静かに、しかししっかりと伝えたいものがある映画によく合っている。
ただちょっとメインテーマを使用するシーンが多すぎたかな。
多分、音楽が素晴らしすぎて監督もたくさん使いたくなっちゃたのだろう。
メイン4人の演技は皆予想通り素晴らしかったです。
他の感想にも多いですが、横浜流星のクソ男役が新境地。
あと、多部ちゃんのセクシャルなシーンがあるとなんかドキってしてしまう。
「もう彼女は大人なんだ」と知らしめられる感じ。
惜しいのはちょっと細かいところのリアリティ―や詰めが足りないかな。
マスコミ関連・アンティーク店についてなど。
あと、加害者と被害者の特異な関係性という点においては
「さよなら渓谷」を思い出しました。
描写の仕方も雰囲気が似てる。
原作は李相日監督と縁が深い吉田修一。映画にもなっています(大森立嗣監督)
あの感触をずっと頼りに生きてきた
やっと観た
原作を読んで感動し大好きな本になった。映画化されると知り喜んで公開日を待っていたが、映画館へ行くことはありませんでした。いざ行こうと思うと色々な事を思ってしまっていた。結局2年以上も過ぎてようやく観た。観終わって監督が原作を良く読んでいると思えて嬉しかった。とても難しいテーマを良く表せていたと思った。更紗が公園で1人ハンバーガーを頬張っている処を文に見つかるシーンで泣けてしまった。更紗が更紗に戻った時間だと思ったからだ。その他、文や亮の過去もちゃんと伝わる様に描かれていたと思う。この作品は当事者以外に真実は分からない現実を知らされる。そして当事者等も話しても理解されるはずもない、と何も語ろうとしない事が苦しい。世の中多数派の言動が正論な訳では事を突きつけられる。
更紗は文の家で2か月間を過ごした。 その間、更紗は行方不明の女児として、 全国に実名報道されていた。 ある日公園にいた2人を警察が取り囲んだ。 文は誘拐犯として逮捕されてしまう。
動画配信で映画「流浪の月」を見た。
2022年製作/150分/G/日本
配給:ギャガ
劇場公開日:2022年5月13日
広瀬すず
松坂桃李
横浜流星
多部未華子
趣里
三浦貴大
白鳥玉季
増田光桜
内田也哉子
柄本明
小学5年生の更紗(白鳥玉季、広瀬すず)は、母方の伯母の家に引き取られた。
更紗は従兄から性的虐待を受けていた。
家に帰りたくない更紗は学校が終わると公園で過ごしていた。
大雨が降り、それでも公園から動こうとしない更紗を見て、
大学生の文(松坂桃李)は傘を差し出す。
「うちに来る?」
「行きたい」
更紗は文の家で2か月間を過ごした。
その間、更紗は行方不明の女児として、
全国に実名報道されていた。
ある日公園にいた2人を警察が取り囲んだ。
文は誘拐犯として逮捕されてしまう。
その後、更紗は「傷物にされた可哀想な女の子」、
文は「ロリコンで凶悪な誘拐犯」というレッテルを貼られ続ける。
実際には犯罪的な行為は何もなかった。
文はただ更紗を保護していただけだった。
そして「事件」から15年過ぎ24歳になったある日、
更紗は偶然、文と再会する。
更紗は文と一緒に居たいと思う。
更紗の彼氏(横浜流星)は文を犯罪者と決めつけ、
文に様々ないやがらせをした。
150分の映画だが、110分を見終わっても
この映画がどう着地するのか予想がつかなかった。
何も解決しないまま余韻を残して終劇となるが、
いい映画だと思った。
横浜流星がすごく嫌な男をしっかりと演じた。
内田也哉子が樹木希林さんにそっくりになっていて
ちょっと驚いた。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
人と人のつながりの本質に迫る作品
期待はずれ
感情をもっていく映画
原作未読
原作を読んでいないので純粋に一つの映画作品として鑑賞しました。
出演者もとても良かったのですが
なんとなく詰め込み過ぎな作品だなと思いました。
そしてひとつひとつが重すぎて、最後は飽和状態。
原作物なので何かを削るというのは出来ないかもですが
せめて二つくらいまででいいのかなと思いました。
更紗は幼いころ誘拐されたけど、実はそれは純愛だった、
なぜなら更紗はDVを受け、それを文は匿った。
だけど世間の信じたいものしか信じない感情がそれを許さなかった。
だけで十分だった気がします。
亮の歪んだ思考による異常な執着、
なのに最後にあっさり手を放すのも?って感じ。
文の最後が大元の伏線回収になるのかもしれませんが
斜め上過ぎて崩壊しました(笑)
文も更紗もしんどい環境で育ちながら
キレイに育ちすぎるのもなんか、、、(容姿も内面も)
都合のいいところだけキレイな映画だな、、、という印象でした。
捉えどころのない重み
この作品自体の難しさはないが、作品がテーマにしている現代社会で生きていく難しさがよく描かれている。
アメリカでは、州にもよるだろうが、7歳を超える娘と一緒に風呂に入ると逮捕される法律がある。
昨今ではLGBT法に代表されるように、個々人の思想を法律によって規制する動きがある。
同時にそれは、自由な思想を持つものに対する攻撃として利用される。
この作品に登場する警察は、どのくらいまでフミとサラサの話を聞き入れたのかは不明だが、少なくとも週刊誌の内容を鵜呑みにはしなかったようだ。
「レッテル」 これがこの作品の根底に流れている主人公二人の苦悩の根源だ。
エンディングの冒頭に、広瀬すずと松坂桃李の名前の直後にタイトルが来るが、これはこの作品が二人の物語であることを強く主張している。
当たり前だが、あえて主張しているのはなぜだろう?
月はモチーフ。さまよえる月。「またどこかに流れていけばいいよ」
少し前、コロナ化の始まりのころ、県で最初にコロナにかかった人を特定してネットで拡散するということが流行った。その人の実家に石が投げ込まれたりしたことを聞いたのを思い出す。
この愚かさ。私は虫唾が走るほど嫌いだ。
「レッテル」 親がつけたレッテル「お前は外れだ」 「異常」「病気」…
フミにとって失うものなど何もないが、いわれのないレッテルを貼られるのはいたたまれないことだ。
そして2度もフミにレッテルを貼ることになってしまったサラサの心中も罪悪感で満たされている。
ただ一緒に居たかった。たったそれだけのことが、フミの幸せを奪ってしまった。
何の事実もないことが勝手なレッテルによってネットに流れ独り歩きしている。誹謗中傷の雨あられ。生きづらさ。
サラサもまた家庭環境の崩壊と、叔母宅の息子によるいたずらに悩んでいた。雨が降ってきても読書を続けている。「帰りたくない」
似た者同士の二人だったが、法律がそれを許さなかった。それは、ごく一般的なことだろう。
サラサの婚約者のリョウは、自殺未遂したことで自分の気持ちを収めたのかもしれない。
それは、人の心は支配できないということを物語る。誰も、他人に縛られたくないし、他人の支配を許してはならないことを言っているのだろう。
フミにも神聖なる生きる権利がある。そして普通の人間だ。しかし染色体の異常で幼児体系と性器が子供のままという設定だ。映画ではよくわからなかった。
彼の苦悩の根源。
フミは当てつけのようにサラサに自分が成長できないことを言う。
そして親によるレッテル。
おそらく検察は、サラサの事件の裁判後にフミの病気を知ったのだと思う。事件を冤罪にせず葬った。しかしその検査結果は残っていた。だから2度目は無罪放免。
レッテルだけが今も付きまとう。
フミはサラサに恋心を抱いていた。
「サラサが近くにいるほど怖くなった」のは、はじめてのことでどうしていいかわからなかったから。
「サラサにだけは知られたくなかった」フミの病気
でも「サラサに知って欲しかった」本当のことを。
「いつまで経っても、俺だけ大人になれない。サラサは成長した」そうフミは言いながら裸になり泣き崩れる。
幼児体系と幼児のような性器。
フミの彼女はおそらく彼に本気だった。「初めから私を信用しなかった」
彼女の言葉にうそぶくフミ。
彼女に本当のことは最後まで言えなかった。
監督はあの「怒り」の監督。
その表現する意味深は多少わかりにくい。その捉えどころのない重みこそが、闇というのかグレーゾーンというのか、私自身が目を背けている部分なのかもしれない。
考えさせられる作品
☆☆☆☆ 〝 モノも人も同じ。出逢って別れ、また出逢う 〟 原作読...
☆☆☆☆
〝 モノも人も同じ。出逢って別れ、また出逢う 〟
原作読了済み。
正直に言うと、この監督はかなり苦手な人でした。
以前に撮った『悪人』は、私が原作と映画化に於ける比較をレビューをする…キッカケになった作品でした。
但しその際の『悪人』を観た時に、(長尺になってしまうのを恐れたのでしょう)原作部分での《肝》にあたる箇所を描かなかった為か?どうしても出来上がった作品には歪な部分が多々あったのは否めなかったと思っています。
それだけに、観る前にはかなり心配な面があったのですが。出来上がった作品を観て、それは間違いであった事実を知る事となりました。
これは傑作ですね!
原作を読んでいたからこそ、上映が始まって1分程経った辺りで「こ、こ、これは!」と、凄いモノが観れるかも知れない…との予感に胸がドキドキと高鳴りだしたのです。
予め言っておきますが。本屋大賞を受賞した原作を、私は世評程には凄く良く出来た小説だとは思ってはいない…と、宣言しておきます。
勿論、駄作だと言っている訳では無く、良く書かれてはいるとは思いますが。前半部分での更紗が過去を振り返る描写に、少しモタつきを読みながら覚え、なかなか内容にスンナリと入って行けなかったのです。
原作では、そんな大きくなった更紗と、文が偶然にも再会を果たす迄が全体の1/3辺りになります。
でも、そこからは一気呵成にページをめくって行ってしまいます。この似た者同士な境遇の2人の運命に目が離せなくなって行きました。
そんな前半部分を一体どう描くのか?
ところが!本編では、この2人が再会を果たすのは、まだ始まって僅か数分なのです。
「えっ?マジか!」
驚いたのは言うまでもありません。
2人が再会してから、その原作に於ける前半部分の過去の描写を、映像化に於いて〝 出逢って別れ、また出逢う 〟…とゆうモチーフを基に。更紗の苦悩として《大好きだった文への想い》を、溢れさせる描写が以降ふんだんに描かれていました。
以降映画本編は、ほぼ原作を踏襲して進んでいます。
しかしながら、そこはやはり尺の都合でしよう。原作での様々な2人の絡みから、周りやネット・マスコミ・世間が、好奇の目を向けて行く辺りは、最小限の省略にとどめてストーリーを展開させていました。
その辺りの賛否は、観た人によって色々な意見があるかも知れません。
その辺りの【否】として。とにもかくにも、2人は出逢ってしまい。更紗の異変に気付いた亮が、嫉妬にかられた事から。更紗と文の2人は、坂道を転げ落ちる様にネットであり周囲の人達から蔑まれて行きますが。その際に、更紗が唯一心を許せる同僚だった安西であり。文の恋人の谷の描写は大幅にカットされている為。原作を読んでいない人には、多少都合の良い人物像…と思われてしまうのでは?とも感じました。
そんな安西と谷ですが。原作では安西は、更紗の相談相手であり。亮のDVから助けてもくれ、その代わりに…と、何度も娘の梨花を預け。それが最後には、2人にとっての過去と現在との【月と鏡】の関連性に繋がり。悲劇性はより増幅されてしまうのです。
一方で、文の恋人だと思っている谷。
彼女は(原作だと)更紗の事を、文に付き纏う《ストーカー》だと思い込み。諌める為に交番へ連れて行ったり、(年上である事から)更紗を何かと子供扱いします。
その事が、映像化でのオリジナル要素として、最後の最後に凄い展開を見せるのですが。それは映画本編のラスト40分辺りから展開されるパートで明らかにされるのです。
安西と谷のキャラクターは、2人の運命を握る人物像として展開上では重要な2人なのですが。
それぞれ、安西はそのビッチ的な性格。谷は病気により胸を失っている設定ゆえか、ある程度は観に来たお客さんを意識しての配慮なのか?あまり目立たない存在になっている。
主演の2人、広瀬すずと松坂桃李のコンビは本当に素晴らしかった。
会う人毎に「芯の強い人」と言われる更紗。
広瀬すずはまさに更紗そのものだった。
同時に、彼女の若い頃を演じた子役の女の子も素晴らしかった。
松坂桃李は、その見た目からしてもう圧巻の極み。
【幼女趣味のど変態】
世間で言われ蔑まれた辛い日々。
だが本当の彼は、人には言えない病気を抱えていた。
谷に言われて告白する文。
「僕は少女が好きなんだ!」
でも本当は全然違う。
映画のラスト40分は、そんな文から発せられる苦悩の叫びが、映画オリジナルと言えるくらいに爆発している。
男の子として生を受けたものの、「どうして自分は女の子にはなれないのか?」
女の子になりたいのに、どうしても周りには男の子として見られてしまう。
それゆえ〝 男の子になろうとするが、思えば思うほど女の子にはなれないし、そもそも女性を愛する事が出来ない 〟
「母さん…僕は出来損ないなの?」
それを感じながら生きて来た、その悲しさ。
谷に放った言葉の真の意味には、自分を蔑む世間に対する精一杯の怒りが伴っていたのだった。
それを、全身全霊を持ってスクリーンから殺気を帯びながら放つ松坂桃李は素晴らしかった。
映画本編での出番は少ない谷役の多部未華子。
彼女は、確かに先程述べた様に出番は少ない。
でも、最後に彼女の存在自体がこの作品では世間が蔑む【ロリコン変態野郎】の代弁者となっていた。
「少女趣味だから私を抱かなかったのね!」
この時の多部未華子がまた凄かった!
泣き崩れ、怒りに打ち震えなぎら叫ぶその顔の何という醜悪か!
この際のあの醜悪な顔のアップこそ、製作側が狙った〝 世間の偏見と差別による醜悪な姿 〟そのものだった気がする。
最後にもう1人。亮役の横浜流星。
原作以上にDV男を演じており。そのクソっぷりこそは、この作品での最大に見所と言えるかもしれなかった。
原作の最後に描かれる《2人+或る人物》のその後。
映像化では、あくまでも社会から蔑まれた【現在】の2人が辿り着いた、行き場のない閉鎖感で映画は締め括られている。
それにより、原作でほんの少しだけ示されていた(2人にとっての)ハッピーエンディングではなかった。寧ろバッドエンディングと言って良いのだと思う。
しかしながら、この映像化によるエンディングには。原作よりも深い2人の信頼性であり、お互いの境遇を慈しみ会う共有性に溢れ。原作を読んだ時以上の余韻を味合わせてくれるラストシーンでした。
一見すると、月は夜の帳に明るい光を放つ。
夜=裏の顔との存在として。
だけど、決して月は自ら光を放つ事などない。
寧ろ月は存在を主張する事などない。
月は本来、自ら光を放たない為に昼間にも存在しているものの、なかなか気付かれる事もない。
月は地球に引かれ続けながら絶えず寄り添い存在し続ける。
2022年5月14日 TOHOシネマズ西新井/スクリーン4
※ なお、原作に重要な要素として登場するタランティーノの『トゥルー・ロマンス』は、一切出て来ず。逆に、数本の今敏作品がヒューチャーされており。(おそらくは)そこが監督自身による、原作との1番の違いとしての拘りの1つなのだろう…とゆうのが分かる。
松坂桃李と広瀬すずの演技が良かった。 この二人は純粋にお互いを精神...
もどかしいところがある
全395件中、21~40件目を表示