「捉えどころのない重み」流浪の月 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
捉えどころのない重み
この作品自体の難しさはないが、作品がテーマにしている現代社会で生きていく難しさがよく描かれている。
アメリカでは、州にもよるだろうが、7歳を超える娘と一緒に風呂に入ると逮捕される法律がある。
昨今ではLGBT法に代表されるように、個々人の思想を法律によって規制する動きがある。
同時にそれは、自由な思想を持つものに対する攻撃として利用される。
この作品に登場する警察は、どのくらいまでフミとサラサの話を聞き入れたのかは不明だが、少なくとも週刊誌の内容を鵜呑みにはしなかったようだ。
「レッテル」 これがこの作品の根底に流れている主人公二人の苦悩の根源だ。
エンディングの冒頭に、広瀬すずと松坂桃李の名前の直後にタイトルが来るが、これはこの作品が二人の物語であることを強く主張している。
当たり前だが、あえて主張しているのはなぜだろう?
月はモチーフ。さまよえる月。「またどこかに流れていけばいいよ」
少し前、コロナ化の始まりのころ、県で最初にコロナにかかった人を特定してネットで拡散するということが流行った。その人の実家に石が投げ込まれたりしたことを聞いたのを思い出す。
この愚かさ。私は虫唾が走るほど嫌いだ。
「レッテル」 親がつけたレッテル「お前は外れだ」 「異常」「病気」…
フミにとって失うものなど何もないが、いわれのないレッテルを貼られるのはいたたまれないことだ。
そして2度もフミにレッテルを貼ることになってしまったサラサの心中も罪悪感で満たされている。
ただ一緒に居たかった。たったそれだけのことが、フミの幸せを奪ってしまった。
何の事実もないことが勝手なレッテルによってネットに流れ独り歩きしている。誹謗中傷の雨あられ。生きづらさ。
サラサもまた家庭環境の崩壊と、叔母宅の息子によるいたずらに悩んでいた。雨が降ってきても読書を続けている。「帰りたくない」
似た者同士の二人だったが、法律がそれを許さなかった。それは、ごく一般的なことだろう。
サラサの婚約者のリョウは、自殺未遂したことで自分の気持ちを収めたのかもしれない。
それは、人の心は支配できないということを物語る。誰も、他人に縛られたくないし、他人の支配を許してはならないことを言っているのだろう。
フミにも神聖なる生きる権利がある。そして普通の人間だ。しかし染色体の異常で幼児体系と性器が子供のままという設定だ。映画ではよくわからなかった。
彼の苦悩の根源。
フミは当てつけのようにサラサに自分が成長できないことを言う。
そして親によるレッテル。
おそらく検察は、サラサの事件の裁判後にフミの病気を知ったのだと思う。事件を冤罪にせず葬った。しかしその検査結果は残っていた。だから2度目は無罪放免。
レッテルだけが今も付きまとう。
フミはサラサに恋心を抱いていた。
「サラサが近くにいるほど怖くなった」のは、はじめてのことでどうしていいかわからなかったから。
「サラサにだけは知られたくなかった」フミの病気
でも「サラサに知って欲しかった」本当のことを。
「いつまで経っても、俺だけ大人になれない。サラサは成長した」そうフミは言いながら裸になり泣き崩れる。
幼児体系と幼児のような性器。
フミの彼女はおそらく彼に本気だった。「初めから私を信用しなかった」
彼女の言葉にうそぶくフミ。
彼女に本当のことは最後まで言えなかった。
監督はあの「怒り」の監督。
その表現する意味深は多少わかりにくい。その捉えどころのない重みこそが、闇というのかグレーゾーンというのか、私自身が目を背けている部分なのかもしれない。
お返事ありがとうございました。
こちらこそ宜しくです!!
このレビューも映画の中身に深く入っていて、
考察好き(深く思索する)R 41さんらしいですね。
割と最近作者の凪良ゆうさんが、自身の生い立ちを語った記事を
読みました。
母親が度々家を空ける人で、10歳の時に遂に帰ってこなくなった。
その後、親戚を転々として、人間関係が上手くいかず、養護施設に入ります。
施設には傷ついて攻撃的な子が多くいた。
凪良さんは高校に進学したものの、規定外の白シャツを咎められ、
怒りが爆発。退学する。
中卒で7万円の給料、その中で、再会した母親に仕送りをしていた。
そして仕事を掛け持ちして生活力を付けたそうです。
そんな凪良を支えたのは読むことと書くこと。
たまたま才能があったから今の地位がありますが、更紗の経験は凪良さんと重なるのですね。
だからこの小説にはフィクションを超えたリアルな手触りがあるのでしょうね。
一日1〜2本のハイペースのレビュー。
いつも発見があり、表現が豊富で、読ませますね。